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&-06:デジタルとアナログ


 「ああ、一応確認ですが、撮影はデジタルですよね?」
 こういう確認をしてくれるクライアントは、まだマシだ。
 最近では、確認すらすっとばされることが少なくない。ズーム禁止です、は今も健在だが、使う機材がデジタル一眼レフなのは、既に業界の常識になりかけている。
 「…大丈夫です。納品はRAWデータでいいですか」
 「はい。そちらで編集済みのものを、DVDに焼いて納品して下さい」
 「わかりました」
 業界としては、正しい流れだ。それは、わかっている。
 けれど。
 ―――面白くねぇ。
 と思わずにはいられないのだった。

***

 「はあ? 今時、何言ってんだ? デジイチが登場して何年経ったと思ってんだ」
 瑞樹の浮世離れした発言に対して、そう呆れたような声を上げるのは、スポーツ専門カメラマンの、溝口である。
 当然、彼の傍らには、ご愛用のデジタル一眼レフが鎮座しており、その手には超望遠レンズが握られている。今夜のサッカーの試合を撮りに行くために、せっせと愛機の手入れをしているのだ。
 振り返ってみれば、瑞樹がこの事務所を使うようになった当時でさえ、溝口は既にデジイチを使っていたように思う。今は事務所を抜けてしまった桜庭も、基本的にはデジイチ派だった。桜庭が連れてきたエイリアンは、フィルムカメラを持っていない、と言っていた。デジイチ購入の頭金を作るために、全て売り払ったのだそうだ。「あ、これならありますよー」と自慢げに掲げたのは、ポラロイドのインスタントカメラだった。
 「銀塩サイコーとか言ってんのは、レトロ趣味のカメラマニアだけだろーが。俺は今更戻りたくないね。趣味ならいいけど、仕事じゃもう、ダルくてダルくて…」
 「…それは、俺もわかってる」
 今の時代、フィルムカメラで仕事をすると、ダルい。
 出版業界もとうの昔にデジタル化され、納品はデジタルデータで、が基本となっている。当然、フィルムで撮影した場合は、フィルムスキャナーで画像をデジタル化して納品することになる。「ネガを見られる編集者がいなくなった」だなんて、今となっては贅沢な愚痴だ。ポジすら見られる編集者がいないのだから。
 「スキャンしなくてもいきなりRAWデータだし。フィルムと違って巻き戻しのロスタイムがねーし。メモリカードはどんどん大容量化してるから、いずれ1回の撮影が1枚のメモリカードで済む時代が来るしな」
 「そのとおりだ。俺らみたいなスポーツカメラマンは、断然デジイチだぞ。1回の撮影で撮る枚数が半端じゃないからなぁ。俺だって、カメラやり始めた頃はデジタルカメラなんて存在してなかったけど、一度デジタル触っちまうと、もうフィルムの時代には戻れないな。便利すぎて」
 「便利、ねぇ」
 瑞樹がどことなく不満そうに呟くと、溝口はキョトンとした顔になった。
 「便利だろ?」
 「…まあ、異論は、ない」
 「だろ」
 「でも、便利だ、って感じるのと、好きだ、って感じるのとは、イコールじゃねーんだよな、俺は」
 確かに、デジイチは、便利だ。初期投資額でも、フィルムカメラと大差ない。フィルム代と現像代を考えたら、何度も書き直しのきくメディアに画像を保存してくれる分、デジカメの方がお買い得だろう。メリットだらけだ。それは瑞樹も認める。
 けれど、デジカメを握った時、瑞樹の気持ちは限りなくフラットに近い状態だ。シャッターを切る瞬間の緊張感も、限りなくゼロ。ライカM4を構えた時に感じる、この瞬間を切り取りたい、という切望や、撮り損じてなるものか、という意気込みも感じられない。
 それはもしかしたら、瑞樹がなまじSEなんて仕事をやっていた影響で、レンズから入った光をフィルムに焼き付ける作業と、受け取った情報を機械処理してメディアに記録する作業の違いをモロに感じてしまっているせいかもしれない。撮り損じてもサクサク消せてしまうのも、テンションが下がる一因だ。仕事だから、便利だから、試し撮りにかかる金がもったいないから使っているだけで、プライベートでデジカメを使う気には、どうしてもなれない。
 不便だけど、銀塩が好きなのだ。銀塩じゃ仕事にならなくなっている現実は理解しつつも、銀塩とデジタルでは、仕事へのモチベーションというか熱の入り方が違うのだ。
 そこのところが、瑞樹が一番主張したいところなのだが、溝口には、いまひとつ、理解してもらえない。
 「俺は、便利だから、デジタルが一番好きだな。アナログにしがみついてんのは、ただのカメラマニアなんじゃね?」
 「……」
 「それに、そう言う成田だって、デジカメ持ってるだろ。小さいのを」
 「ああ…、これか」
 言われて、思い出した。デイパックの外ポケットから、撮影時の試し撮りのため持ち歩いているコンパクトデジカメを瑞樹が取り出すと、それを見た溝口は、意外そうに目を丸くした。
 「ん? そんなのだっけか?」
 「は?」
 「なんか、もう少し横長の、ブルーがかった色のじゃなかったっけか」
 今、瑞樹が持っているのは、シルバーとゴールドの間を取ったような、なんとも微妙な色合いのデジカメだ。溝口が言っているのは、先月手放したデジカメのことだろう。
 「それは、前のやつ」
 「へー、買い換えたのか。何万画素?」
 「400万」
 「ふーん、400万……って、前のと変わってないんじゃないか? それ」
 「こっちの方が、20グラムほど、軽い」
 「たった20グラムかよ!」
 たった、の部分にやけに力を入れて驚かれると、20グラム軽いことが最終的な選択の決め手だった身としては、ちょっとムッとする。
 「300グラム400グラムの世界で、20グラムはでかいだろ」
 「そうは言うけどお前、俺たちが撮影に持ってく機材の総重量から見たら、塵や埃と変わらないレベルだろ、20グラムの有無なんて。そのために買い換えるなんて、もったいないなぁ」
 「…重さだけじゃなく、使い勝手で色々と不満があったし」
 「てゆーか、成田って、コンパクトデジカメは結構よく買い換えてるよな。ここ来てから、もう4台目だろ、それ」
 残念。5台目である。
 でも、ここで数値の訂正をすると、余計ぐだぐだ突っ込まれそうなので、やめておこう。
 「なんつーか…愛着湧かねーんだよな、デジカメは。だから、不満が出てきたタイミングでいい新機種が出てくると、買い換えたくなる」
 「あー、それは、なんかわかるな。どんどん便利になるし、画素数上がるし、安くなってくしで、1年も経つと最新スペックから見劣りするようになるんだよなぁ」
 「そういう、流動的な部分が、俺のモチベーションを下げるんだよ」
 多少の意見の一致を見たので、瑞樹はそう締めくくったのだが。
 「そうかぁ? 俺は、月単位で進化してくデジカメ業界見てると、こう、血沸き肉躍るもんを感じるけどなぁ」
 という溝口の返事に、こいつとは永遠にわかりあえない、とついに諦めた。


***


 「あれ…、藤井のパソコンて、そんなのだったか?」
 蕾夏が机の上に広げているノートパソコンを見て、瀬谷が怪訝そうに眉をひそめる。蕾夏は、実にあっさり答えた。
 「あ、買い換えたんです」
 「は!?」
 瀬谷らしからぬ素っ頓狂な声に、いくつかの視線がこちらに向けられた。それに気づいたのか、瀬谷は急に声のボリュームを下げ、改めて問い直した。
 「買い換えた、って…“また”?」
 「えっ、“また”?」
 「“また”だろ?」
 「でも、前のノートパソコン買い換えたのって、もう1年前ですよ?」
 「藤井の価値観では、ノートパソコンは、1年に1度買い換える物なのか」
 「…そういえば、瀬谷さんのノートって、ずっと一緒ですね」
 蕾夏がライターの卵としてここに来た時から、瀬谷のノートパソコンはずっと同じだ。インストールされているOSから見て、当時は最新機種だったのだろう。
 「よっぽど使い勝手がいいんですね、そのノート」
 「いや、そういう訳でも…というか、使い勝手なんて、どれも似たり寄ったりだろう? 当時のエントリーモデルだけど、僕は原稿書きとメールとネットができれば十分だし、特に新しいソフトも入れないし。ディスク容量も足りてるんじゃ、壊れない限り買い換える理由なんてないよ。藤井みたいな頻度で買い換える方がレアなんじゃないか?」
 「うーん…私も、理想のノートに出会えたら、一生1台でいいんですけどねぇ…」
 新品ノートを、よしよし、という感じでぽんぽん叩いて、蕾夏はため息をついた。
 「私って本来、物持ちがいいんですよ。家具や家電も耐用年数以上持っちゃうし。だから、理想のノートが見つかれば、OSとかソフトが対応不能になるまで、それをずーっと使い続けられると思うんですよね」
 「…理想…って、具体的には?」
 「そうですねぇ。まず、軽いことと、画面が見やすいこと。キーボードが打ちやすいピッチで、デザインが好み…って位かなぁ」
 蕾夏が答えると、瀬谷は、ううむ、と難しい顔で唸った。あまり納得がいっていないようだ。
 「じゃあ、先週まで使ってたやつは、どこがダメだったんだ?」
 「画面の色が、イマイチだったんです。なんか、どう設定し直しても、色が薄いっていうか水色っぽいっていうか…。たまにグラフィックソフトも使うから、色に違和感持ち始めちゃうと、どうもダメで」
 「…その前のは? 最初に使ってた、銀色の、やたら小さいやつ」
 「あー、リブレット!」
 途端、蕾夏の顔が明るくなった。ライターになりたての頃使っていた、リブレット―――これまで使ったノートパソコンの中では、一番のお気に入りだ。
 「あの子は、すっっごい、好きでした。軽いし、普段使いのトートバッグに入れても邪魔にならないし、キータッチも結構好みだし、見た目もあの頃出てたサブノートPCの中じゃ一番すっきりしててカッコよくて。閉じてても音楽聴けたのもよかったなぁ…リモコンついてたし」
 「だったら、あれが藤井の理想のノートだったんじゃないのか?」
 どうにも解せない、という顔で投げかけられた疑問に、蕾夏は僅かに眉を寄せ、実に残念そうに答えた。
 「あの外観で、このノートと同じスペックで、キーボードが熱くならなくて、液晶画面が一回り大きくて、電池が倍持てば、完璧だったんですけど」
 「…無理だろう」
 「ですよねぇ」
 「わからないな。確固とした理想があるなら、そういうのが出るまで買い換えなければいいのに、理想に届いてないレベルのものにまた買い換えるってのは、無駄なんじゃないか?」
 「無駄…」
 蕾夏だって、無駄は嫌いだ。
 けれど、なんか違う、と思ってしまったパソコンを、我慢して使い続けるのは、パソコンが必需品である生活をしている身には、苦痛だ。たとえ、実用上、何の不都合もなくても。
 人はそういう状態を「飽きた」と呼ぶのかもしれない。が、蕾夏は違った。
 「そんなことないですよ。快適に仕事をするための、必要経費です」
 言い切った蕾夏を見て、瀬谷は、こいつとわかり合うのは無理だ、と悟ったような顔をした。

***

 「必要経費だろ」
 「だよねぇ」
 瑞樹の返答を聞き、我が意を得たり、とばかりに大きく頷く。
 久々の、全く仕事の絡まない撮影だ。随分前に1度だけ来たことのある界隈だが、残念ながら今のところ、これといった収穫はない。せっかくなので、今回は少し足を伸ばして、地元の人しか通らないようなローカルな道を歩いてみる予定でいる。
 「瀬谷さんなんて、パソコンはただの道具だから、使用上致命的な問題がない限り、壊れるまで使うのが当然だ、みたいなこと言うんだよ? そりゃ、ただの道具だけどさぁ…、なんかこう、使い続けるモチベーション、みたいなのがあるでしょ」
 「そう、モチベーションの問題だ」
 まさに自分が使ったのと同じ単語が出てきたのを聞き、瑞樹も大いに頷いた。
 「俺だって、M4と同じレベルのモチベーションが保てるようなデジイチが出てくりゃ文句ねーんだよ。出てこないから不満なだけで。試し撮りだって、現場のニーズに合わせてデジカメにしてんだから、より“使いたくなるデジカメ”にして、モチベーション上げたいに決まってんだろ。それを“飽きっぽい”みたいに言われるのは心外だ」
 「そう! 言われたー、飽きっぽいんじゃないかって! 酷いよねぇ、私が頻繁に買い換えてるのって、パソコンだけなのに」
 「俺だって、コンパクトデジカメとグラフィックボードくらいのもんだぞ」
 要するに、2人とも、デジタル機器を買い換えただけで「飽きっぽい」と烙印を押されたことが不満なのである。実際、2人が比較的高頻度で買い換えるのはデジタル機器やパソコンパーツに限ったことだから、単純に「飽きっぽい」訳ではない筈だ。
 「デジタル機器ってさ、流れが速いから、愛着持てない部分、あるのかもしれないね」
 「流れ?」
 「季節毎にニューモデルが出たりするじゃない? しかも、より高速に、より大容量になって。まあ、デザインは好みがあるから、どんどん良くなってる、とは言い難いけど、より軽く小さくなるし―――それを買う側もわかってるから、気に入って買っても“いずれ不満が出るんだろうな”ってどこかで予感してる部分があって、こう、己の“不変の愛情”を信じられないというか…」
 「ああ、それはある。間違いなく」
 事実、瑞樹がデジカメを買い換えて間もなく、500万画素のコンパクトデジカメの店頭価格が、ほぼ同じ価格にまで下がったのだ。まあ、買い換えたデジカメより重かったので後悔することはなかったが、あと1年もすれば500万画素でこの重さのデジカメが、下手をすればこれより安く手に入ったりするんだろうな、と思ったのは間違いない。
 「かといって、新しく買ってもどうせ不満になる日が来るから今のやつでいい、とも思えねーとこが面倒だよなぁ」
 「うーん…、もしかして、デジタル機器のメーカーって、こういう“どうでもいいとは思えないのに愛着が持てない感”を利用して、どんどん新商品を売り込んでるのかなぁ? だとしたら、私たちって、その術中にはまってるってこと?」
 「…それは面白くねー」
 「面白くないよねぇ」
 2人が不服そうに呟いた、その直後。
 「―――あ、」
 2人の目が、同時に、同じものを捉えた。
 前回来た時は閉まっていた、かなり古そうなタバコ屋。漫画なら、その店番におじいさんかおばあさんが座っていそうなものだが―――2人が見たのは、猫だった。
 客とやりとりする窓枠に、茶色っぽい猫が陣取り、気持ち良さそうに昼寝をしていたのだ。
 「へぇ…、あの店、営業してたのか」
 「ああいうお店、どんどんなくなってるもんねぇ…自販機やコンビニが主流になっちゃって。お店の飼い猫かな?」
 「野良だったら面白いな」
 一瞬、互いに目を合わせ、くすっと笑う。
 こんな光景が、2人とも、何故かとても好きだから。

 当然のように瑞樹が構えたカメラは、ライカM4。分解してのオーバーホールを頼むと、軽く数万かかってしまうという金食い虫だが、製造から30年以上経過した現在も、不具合ひとつ起こすことなく働いている。大学時代から愛用しているデイパックは、一度ファスナーが壊れたが、根性で修理して現在も活躍中である。
 北風に、ぶるっ、と身を震わせた蕾夏が、慌ててバッグから取り出したマフラーは、実は蕾夏の母が高校生の時使っていたマフラーで、現在も蕾夏のお気に入りだ。これに比べれば、浮かんだフレーズをメモしようと手にした、高校時代から愛用しているペンの年季の入り具合は、まだまだ可愛いレベルだろう。


 最新のデジタル機器を持ち、新機能をあっさり使いこなす2人を、周囲は「デジタル人間」と呼ぶ。
 けれど、瑞樹と蕾夏は、自分たちのことを「アナログ人間」だと思っている。
 デジタルの進化の波に乗りつつも、アナログな物をこよなく愛せるというのは、結構素敵なことなんじゃないだろうか―――なんてことをポツリと話したら、物に一切のこだわりがない奏から、一言、言われた。

 「わかるけど…あんたたち、いくつだよ? それって団塊の世代が力説しそうな話じゃねぇ?」

 …全く、そのとおりである。


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