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Calling me Calling you

 

 なんで彼女が、これほどにも気になって仕方なくなったのかと言うと。

 美人―――まあ、そこそこ美人ではあるけど、他にも美人はいる訳で。
 優等生―――これも、彼女より成績優秀で品行方正な女は、いくらでもいる訳で。
 性格がいい―――いや、これは、わからない。正直なところ。性格を云々できる程の付き合いがないから。

 ただ。
 寂しそうだったんだ、時々。とてつもなく。

 誰かを呼んでるんじゃないか―――そんな気がして。
 その呼んでる相手は俺なんじゃないだろうか。そんな気がして、仕方なかったんだ。

 

***

 「えっ、永峰が狙ってんのって、委員長!? マジかよ」
 「マジ」
 またまた冗談を、という顔をする大輔に、俺は笑って答えた。ブリックパックにストローを突き立てると、当校購買部ご自慢の焼きそばパンの包みを開く。昼飯は屋上で。入学以来変わらない、俺と大輔の日常だ。
 「委員長なぁ…。悪くないよな、確かに。頭いいし、ハキハキしてるし、礼儀正しいし。あんなに欠点の無い奴がこの世にいるのか、って驚いたもんなぁ」
 大輔も、ブリックパックのコーヒー牛乳をずずずっと吸い上げながら、ぼんやり空を仰いでそう呟く。
 「けど、永峰のタイプではないんじゃない」
 「なんで?」
 「永峰の歴代の彼女って、どれもこれも“人生の最優先事項は彼氏です”ってタイプじゃん」
 「…失礼な」
 思わず眉をひそめる。けれど、そう言われてもやむをえない過去があるだけに、あからさまに怒る訳にもいかない。

 俺がそういう子とばかり付き合うようになったのは、元々は、兄貴のせいだ。
 兄貴は、今でこそ麻美さんというステディな彼女が出来て、はっきり言って兄貴の方がメロメロ状態、完全に麻美さんにリード権を握られてる感じだが、麻美さんと付き合い始める前までは、弟の口から言うのも何だが、その―――スケコマシ(死語?)と呼ぶにふさわしい男だった。
 コンパに行っては女を釣ってきて、ほんのちょっと遊んだら、あとはポイ。それで女の方が恨まないんだから、女の方も当然兄貴に本気な訳ではなくて―――つまりは、どちらも“遊び”な訳だ。
 ああはなるまい―――兄貴のそういう行動を目にするたびに、俺はそう誓った。
 で、その結果―――極度に純情そうな、もう俺一筋って感じが見た目に溢れまくってる女の子でないと、全然その気にならないような頭の構造になってしまった。歴代の彼女(たった3人だけど)は、全部そのタイプ。手を繋いだだけで、嬉しくて目に涙を浮かべるような子ばかりだった。

 「まぁ…確かに、今までとはちょっとタイプは違うけど」
 「好みが変わったとか?」
 好みが変わった―――そうだろうか。
 というより…俺には果たして、好みがあったんだろうか?
 ただ単に、遊びで付き合ったりしないタイプが良かっただけの話であって、要するに、過去の3人は「安全策」だった気がしてくる。不真面目な付き合いを絶対しなそうだ、ただそれだけの理由で「好き」だと思ってた気がする。

 「…なんか、好きになっちゃえば、それが“好みのタイプ”なんだよな、きっと」
 そう呟くと、大輔は面倒くさそうに「はいはいはい」と聞き流してしまった。
 でも、それが俺の実感だ。好きになっちゃえば、それが俺の好み。そうとしか、言いようがない。

 俺は、森下冬美が好きになった。
 だから、俺の好みは、森下冬美なんだろう。

***

 「永峰、集中!」
 先輩に頭を小突かれ、慌てて背筋を伸ばす。
 「隣の女子部が気になるのはわかるけどな。安心しろ、アイドルの小雪ちゃんは、今日は休みだ」
 ―――いえ、先輩。俺が探してたのは、小雪ちゃんじゃないんですが…。
 けど、あまり森下冬美のことを口にしてしまうと、他にも狙いだす奴が出てきそうなので、ここは耐える。適当な笑顔を作って、先輩を誤魔化しておいた。
 県大会を前に、結構1年生でもしのぎを削っているから、確かに俺もうかれてばかりはいられない。肩を回し、余分な力を抜くと、新たな矢を手にしてつがえる。
 弓を起こし、静かに引き分け、ここで一気に、集中。矢を放つ瞬間、テンションはピークに達する。小気味良い音と共に、矢は的の中心から僅かに外れた場所に当たった。
 …絶好調、二歩手前、って感じか。
 緊張を緩め、弓を下ろすと、俺はネットで仕切られた向こう側をチラリと確認した。
 ―――いた。
 2つ向こうの的の前、見覚えのあるポニーテールが見えた。
 彼女の射的姿勢は、1年生の誰よりも綺麗だ。
 日頃の彼女がそうであるように、弓道における彼女も、やはり常に凛としていて、一分の隙もない。纏っている空気は深閑としていて、深い森の中で瞑想でもしているような感じだ。うちの弓道部は、男子も女子も人数が少なく、毎年入部者を募るのに苦労するらしいが、森下冬美の射的を見学して「弓道ってカッコイイ」と感じる奴は少なくない。今では弓道部のいい「看板」だ。

 常に、凛として。
 一分の隙もなくて。

 ―――誰も、知らない。森下が、その張りつめているものをプツリと切った時の、そのか弱い姿を。

***

 1日の練習が終わり、胴着を着替えて外に出ると、ちょうど森下と鉢合わせになった。
 「…あ、永峰君。お疲れ様」
 癖のない艶のあるポニーテールが、軽く会釈してくる。俺も、内心の動揺を隠すように、ちょっとぶっきらぼうに会釈した。
 「調子、どう? 1年生からも県大会に選出されるメンバーがいるみたいだけど」
 なんとなく並んで歩き出しながら、森下がそんな事を訊いてきた。
 「あー…、どうかな。今二歩、って感じ」
 「今二歩? やだ、何それ」
 「絶好調、って実感はないな。森下こそどうなんだよ。1年、2人しかいないから、相当可能性は高いんじゃないか?」
 「80%ってとこかな」
 嫌味のない笑顔で答える森下の、理知的で涼やかな目に、一瞬見惚れてしまった。
 “目が印象的な人だよね”―――森下を称して、人はよくそう言う。的を見据える目も、黒板の字をじっと見る目も、話す相手の目をひるむことなく真っ直ぐに見返す目も―――森下の目は、確かに印象的だ。なんだか、吸い込まれそうな気がする位、澄んでいて、静かな目をしている。
 この目が、動揺し、うろたえ、ぽろぽろと涙を零すなんて場面、誰も想像しないだろう。俺だって、想像できなかった。…ついこの前までは。
 「でも、うかうかしてると、1年生枠も2年の先輩に持ってかれちゃうから、やっぱり集中しないとね」
 「集中できんのかよ。これからますます、委員長の仕事が増える時期だってのに…」
 俺が眉をひそめると、彼女は、その綺麗な目を細めてニコリと笑った。
 「大丈夫。副委員長が頑張ってくれるから」
 「…俺か」
 「でしょ?」
 そう。うちのクラスの委員長は、森下。副委員長は俺なのだ。前期副委員長だった森下は慣れたものだが、後期いきなり副委員長に推されてしまった俺は、それまで“長”のつく役職なんかについたことが無いから、かなり慌てた。
 「体育祭に文化祭なぁ…あああ、頭痛いよなぁ。委員なんて、やりたい奴にやらせりゃいいのにな。なんで投票なんかで決めるんだ」
 「それは、永峰君がしっかりして見えるからでしょう? 仕方ないわよ。外見呪ったところで、親からもらったこの顔が変わる訳じゃなし」
 「―――達観してるなぁ…」
 「私は、別に嫌じゃないわよ? 委員長とか、押し付けられるの。強い人って思われる方が、ずっといいわ」
 その微妙な表現に、俺は彼女の横顔を、失礼にならない程度にじっと見つめた。

 “強い人って思われる”方が、ずっといい。
 ―――どう思われるよりも?

 2週間前、偶然遭遇してしまった場面が、頭の芯を掠めていく。


 『ごめんなさいね、全然知らなくて…何か困ったことがあれば、遠慮なく言うのよ?』

 眉を寄せ、悲しげな顔で森下にそう言って聞かす、担任の女教師。放課後の図書室―――森下はその担任に、いつもの涼しげで真っ直ぐな笑顔で「ありがとうございます」と答えていた。
 そして、担任がいなくなった途端―――顔を覆って、声も無く泣き出した。
 俺は、出ていけなかった。どうしても。
 前から、時々見せる寂しげな顔が気になっていた。けど―――こんな風に、人の目を忍んで肩を震わす森下の姿なんて、一度も想像したことがなかった。泣き虫なクラスメイトの肩を抱いて慰めてやる森下なら何度も見たが、森下自ら、こんな風に泣くなんて。
 ふと、目を上げた森下の、その吸い込まれそうに深い瞳と、目が合ってしまった。
 気がついたら、何一つ言えないまま、踵を返していた。
 見られたくない場面だったんだ―――動揺と、羞恥と、そして怒りを湛えたその瞳に、自分が酷く間が悪かったことを知った。

 一言、訊くことができれば、いいのだろうけれど。

 あの時、なんで泣いてたんだ? ―――そう訊ねることさえできれば、こうも気になりはしなかっただろうけれど。


 「―――あ…、雨」
 傍らを歩く森下の声に、俺は我に返り、空を仰いだ。
 うす曇りだった空は幾分暗さを増している。大粒の雨が頬にぽたん、と落ちてきた。これは、結構降るかもしれない。
 「やば…、俺、傘持ってきてないや」
 折り畳み傘も、重いからと言ってロッカーに置いてきてしまった。駅までまだ10分近く歩かなくてはならない。思わず小さく舌打ちした。
 「…良かったら、傘、貸しましょうか?」
 森下が、少し遠慮がちにそう言った。
 「森下、家、近かったっけ?」
 「ええ、徒歩圏内なの」
 そういえば、森下とこうして一緒に帰ったことなど、今までなかった。だから、彼女も自分と同じ電車通学だと思っていた。この近所に住んでたなんて初耳だ。
 「…じゃあ、借りて行こうかな…」
 森下の人となりを知る、いいチャンスかもしれない。そう思って、俺は遠慮せずそう答えた。


 『昨日のあれ、見なかったことにして』

 図書室での一件の翌日、すれ違いざまに囁かれた言葉。
 だから、訊けなかった。何故彼女が、あんな風に泣いていたのか―――その理由が。

***

 森下の家は、思いのほか、うちの高校から近かった。徒歩5、6分といったところだろうか。
 「ここよ」
 森下が、極平凡な一戸建ての玄関前に立ち、俺を振り返った。
 「…ここ?」
 表札を見て、意味がわからず、つい眉間に皺を寄せてしまう。
 森下の家なのに、表札には「杉浦」と書かれていたのだ。
 問いかけるような目で見ると、森下はくすっと笑い、学生鞄の中から鍵を取り出した。小さな鈴のついたその鍵は、確かにこの家の鍵だったようだ。ほどなく鍵は開き、森下は玄関のドアを引きながら、俺を促した。
 「今、タオル持ってくるから―――玄関先で悪いけど、中に入っていて」
 「いや、いいよ」
 「でも、結構濡れちゃってるわよ、永峰君の頭」
 確かにそうだった。自分の姿は見えないものの、一緒に歩いてきた森下の頭を見れば一目瞭然だ。森下のポニーテールは、水を含んですっかり張りがなくなっていた。
 あまり固辞するのも悪いので、俺は素直に玄関に入った。パタン、という扉の閉まる音がすると、果たしてここまで付いてきてしまって良かったんだろうか、という不安が頭をもたげる。森下が秘密にしたがってた領域に踏み込んでしまった気がして、焦りを感じた。
 森下は、「ちょっと待っててね」とだけ言い残し、家の奥へと消えた。手持ち無沙汰になった俺は、なんとなく玄関の壁や下駄箱の上を眺め、落ち着かない気分を味わい続けた。
 極普通の、何の変哲もない、日本家屋の玄関。母親も働いているのだろう、家の奥からは、なにやらガタガタ音をさせている森下以外の気配は、一切感じられない。森下が脱ぎ捨てた靴以外並んでいない玄関のたたきは、砂粒一つないように掃かれている。几帳面な家なんだな、と思い、いかにも森下の家らしいよな、とも思った。
 けれど。
 ―――“杉浦”。あの表札は、一体どういう事なんだろう?

 「お待たせ」
 ほどなく、森下が奥から戻ってきた。手には、真っ白なタオルが1枚と、麦茶の注がれたグラス。
 「サンキュ。なんか、悪いな」
 「ううん。気にしないで。日頃お世話になってるお礼だから」
 森下はそう言って笑い、その場に座った。俺もそれに倣い、ちょうど靴紐を結ぶには最適な高さの玄関の上がり部分に腰掛けた。
 受け取ったタオルで頭を拭きながら、麦茶を口にする。気のつく奴だよなぁ、と感心してしまう―――大輔の言葉じゃないが、こんなに揃った奴がこの世にいるのか、と思う位、森下は万事にそつがない。
 麦茶を半分ほど飲んで、一息ついた時、俺はふと、それまで目を留めなかった箇所に目が行った。
 玄関の、ドアの横の、僅かな壁―――そこに、額装した1枚の写真が飾られていた。
 優しそうな顔の女性と、まるで学者か研究者みたいな感じの眼鏡をかけた男性。年頃は、30代半ばといったところだろうか。どちらも、ちょっと照れたような笑みを浮かべ、いかにも記念撮影といった感じで写っている。
 誰だろう? ―――なんとなく、その写真をじっと見ていたら、森下がその視線に気づいてしまった。
 「父と母よ」
 あっさりとしたその口調に、俺は視線を森下に移した。森下は、背筋を伸ばして正座し、静かな笑みを浮かべている。
 「随分若いな」
 「6年前の写真なの」
 「え?」
 「亡くなったの。5年前の秋、交通事故で、2人とも」
 「……」
 森下の表情は、変わらない。
 俺の表情は、どうだろう? いつもと同じ顔をキープできただろうか? できれば、何の動揺も見せたくなかった。動揺を見せるのは、森下を傷つける気がして。
 「…じゃ、今は?」
 あえて、淡々と質問をぶつけると、森下は表情を変えず、素直に答えた。
 「母の姉にあたる人が、残された私と弟を引き取ってくれたの。でも―――養子にはならなかったから、森下姓のまま。表札、見たでしょう? よく見ると“杉浦”って書かれた横に、小さく“森下”も入ってるのよ」
 「…そうなんだ」

 “ごめんなさいね、全然知らなくて”。
 担任のセリフが思い出される。担任も、あの時初めて知ったんだろう、森下の両親が既に他界していることを。知らずに、何か無神経な事を口にしたのかもしれない。もっとも、その言葉を森下が無神経と感じたかどうかは、別だが。

 ―――“ごめんね、あなたは「可哀想」な境遇なのに、私ったら何も知らずに「残酷な」事を言って”。

 森下が何故、あの時涙を零したのか、わかった気がした。
 そして、そんな森下の強さに―――そして弱さに、やっぱり心がざわめいた。

 どう伝えればいいかわからず、森下の目を見つめる。
 森下も、怯むことなく俺の目を見つめ返す。が、やっぱり、平静を保ち続けられる話題ではなかったらしく、その目が少しだけ動揺したように揺れていた。

 なんだか、ほっとけなくて。
 うまい言葉が、思いつかなくて。

 気づくと俺は、森下の肩に手を置き、その唇にそっとキスをしていた。

***

 「―――や…っめてよっ!」
 キン、と耳に響く悲鳴じみた声を上げて、森下は俺を押しのけた。
 実は、それで初めて、自分のした事に気づいた。あまりにも無意識で―――あまりにも本能的にしたキスで、彼女に抗議されるまで、全然気づいていなかった。
 森下は、日頃の凛としたムードなどどこへやら、顔を真っ赤にし、目に涙を浮かべていた。口元を覆う手は、小刻みに震えている。僅かに後退るように膝を動かすその様子に、随分怯えさせてしまったんだろうか、と焦った。
 「あ…、ご、ごめん!」
 考えてみたら、まだ告白もしてないのにこんな事するなんて、俺もどうかしている。慌てて森下に背を向け、残りの麦茶をあおる。急激に心臓がバクバクと音を立て始めた。どう言い訳をすればいいんだ、と混乱状態の頭の中で考えをめぐらそうとしたら、それを森下の叫び声が遮った。
 「な…永峰君もなの!?」
 突然ぶつけられた言葉。
 「―――は?」
 意味がわからず、俺はポカンとした顔のまま、森下を振り返った。
 口元に置かれた森下の手は、やっぱり震えている。目に浮かんだ涙は、完全に頬へと零れ落ちていた。
 「永峰君は―――永峰君だけは、そんな風に同情しないと思ってたのに…!」
 「…えっ」
 彼女が、何を怒っているのか、わからない。急にキスされたから怒ってるんじゃないのか?
 「―――別に、同情なんてしてないよ」
 本心のままそう告げたが、彼女は頑として聞き入れなかった。大きくかぶりを振ると、ぷいと顔を背けた。その勢いで、涙が更に零れ落ちる。
 「おかしいもの。急にそんな風にキスするなんて―――可哀想だ、って思ったんでしょう? だから思わずキスしたんでしょう? こんなの違う。わ、私、そんな風に同情でキスして欲しかったんじゃない。私が好きになった永峰君は、そんなんじゃないもの」
 「……」

 ―――なんか。
 今、もの凄いことを、聞いた気がする。

 「永峰君、あの後も態度変えずにいてくれたじゃない。しつこく訊いてきたりしなかったじゃない。ああ、やっぱり永峰君はわかってくれてるって思ったのに…私が無理してるんじゃないってこと、ただ先生に言われた事が先入観だらけで腹が立っただけだってわかってくれてるって―――そう思ったのに!」
 「そ、それはわかってたつもりだけど…」
 「じゃあ、どうして今更同情なんてするの!? 知ってたんでしょう!? 私が、1学期の時からずっと永峰君のこと見てたの、知ってたんでしょう!? だから今、同情してキスしたんでしょ!?」
 「ち、違うって! どうしてそうなるんだよ!」


 ―――でも。
 彼女がそう思い込んでも、無理はないのかもしれない。

 無理するな、そんなに意地を張るな、困ってるなら相談に乗るから―――これまで、彼女の事情を知った人間は、決まってそう言ってきたのだろう。彼女が常に、背筋を伸ばして凛とした態度を取っているから。
 俺は、わかっている。森下が凛としているのは、元々森下がそういう人間だからだ。彼女の姿勢の良さや決して怯まず人の目を見つめ返す力、責任感が強くてハキハキと明るい部分は、彼女の持って生まれたパーソナリティであって、別に「親と死別した」事とは関係はない。
 なのに―――事情を知った人間は、彼女のそんな持って生まれた性格を、額面通りに受け取ってはくれない。引け目を感じたくなくて優等生を貫いている、そんな風に思うのだろう。そして、「無理するな」と言う。「困った事があれば助けるから」と言う。…森下からすれば、さぞや不本意だろう。
 おそらく今の彼女には、俺も担任と同類に見えているのに違いない。
 俺が、言葉足らずだからだ。

 自分の気持ちを言葉に表すには、本当は苦手だ。でも―――今言わずして、いつ言うんだ?


 「―――俺がキスしたのは、森下が好きだからだよ」
 とにかく、最重要事項だけ、告げる。
 森下は、その言葉に、一瞬肩を揺らし、続いてゆっくり振り向いた。なんだか、日頃の彼女らしくないキョトンとした顔をしていて、思わず吹き出しそうになる。
 「わかってたよ。森下は何も“優等生”を“演じてる”訳じゃない―――元々、そういう性格なんだ、って。それは、森下が親を亡くしてるってわかった今も変わらないし、それ聞いても同情したりしないよ」
 「…嘘…、そんなの」
 「だって、この家、お前の家じゃん」
 俺は、ちょっと笑うと、下駄箱の上を指差した。
 「中学の時の、県大会のトロフィー。その向こうにあるのは、多分弟のだろ? 何のトロフィーだか知らないけど―――お前んとこのおばさん、よっぽど客に自慢したいんだろうな」
 「……」
 森下の頬が、俄かに赤く染まる。
 「それにさ。出かける時、絶対に目に入る場所に、ああして写真を飾っといてくれてる―――毎日、出かける時の挨拶が出来るようになんじゃないか? あれ。…だから、わかるよ。お前、全然不幸じゃないんだな、って。この家は、森下の家だよ。姓は違ってても、この家に住む人、みんな森下の事愛してくれてる」
 「―――…うん」
 「それ、わかるから、俺、森下が両親いなくても、別に同情なんてしないよ。だからさ」
 手を伸ばして、森下の頬に触れる。
 また流れてきた涙を指で掬うと、森下は、戸惑ったように身じろいだ。
 「だから、森下―――せめて俺にだけは、“同情されたくない”なんて意地、張らずに、どんどん弱み見せろよ?」
 「―――…え」
 森下が、眉をひそめた。

 気づいてなかったのだろう。彼女がいつも、ピンと張り詰めているものの正体。
 誰も、何も言ってないのに、常にどこかで意識している―――“同情されたくない”。たとえ誰一人、同情していないとしても。ずっと「可哀想」という言葉を背負って生きてきたから。
 その“同情されたくない”という思いが、元々優等生だった森下を、より優等生に見せてしまってるんだ。本当は、こんな風に弱いところだってあるのに、絶対それを他人には見せないから。

 そう。彼女は“優等生”を装ってはいないが、“弱みのない人間”を装ってるんだ。
 だから余計、過去を知った人は、言ってしまう―――そんなに頑張らなくていいよ、と。弱みのない人間などいない事を、皆、よく知っているから。

 「…私…意地、張ってたのかな…」
 「―――と、思う」
 「弱みを見せまいって、自分の力以上に、頑張りすぎてた?」
 「―――と、思う」
 何か、思い当たる節があるのか、森下は、丸く見開いた目でじっと俺を見据えたまま、自問自答のような言葉を繰り返した。そして、更に。
 「…さっきのキス、本当に同情した訳じゃなかったんだ…」
 …げ。そこに戻るのか。
 冷静になると、途端、恥ずかしくなる。でも、目を逸らすわけにもいかないので、落ち着かない様子でちょっと座り直しながら、「うん」とだけ答えた。
 森下も、冷静になってきたのだろう。顔が、耳まで赤くなっていく。
 「―――ということは、あの…もしかして、私が永峰君のこと好きだってことには…」

 ―――あああ…、こんな顔する奴なんだよな、本当は。
 時折、感じていた。俺を呼んでるような気がする、どこか寂しげな顔。
 凛とした格好よさにも見惚れていたけど、その、どこか弱さを感じる表情に、俺はより惹かれてしまっていたんだ。…まさか、その顔が意味するのが、そういう意味だとも知らずに。
 なんて、鈍感な俺。
 彼女はずっとずっと、俺のことを呼んでいたのに―――“本当の私を見て”、と。

 「…ごめん。気づいてなかった。俺の片思いだと思ってた」
 「やだっ!」
 両頬を手で覆うと、森下はぐるん、と向こうを向いてしまった。
 ―――大輔に見せてやりたいくらい、普通の女の子な反応…。
 なんだか、微笑ましくて笑えてしまう。
 俺は、肩を震わせて笑いながら、絶対顔を見せてやるもんか、という風に俺に背中を向けている森下のその背中を、トントン、と叩いた。
 「いいじゃん、結果オーライだよ。両思いだってわかったんだからさ」
 「―――でも…、ねぇ、永峰君」
 森下は、肩越しに俺を振り返り、また涙が浮かんできた目で、俺をじっと見据えた。
 「やっぱり、なんかこんな展開、筋が通ってないと思うの…。改めて、“告白”からきちんと、手順踏んでやり直さない?」
 「……」

 ―――なんて、森下らしい反応。
 俺は、とうとう本当に吹き出してしまい、森下の雨に濡れたポニーテールを、ぐしゃぐしゃと撫でてしまった。

 

 常に毅然としていて、凛としていて、責任感が強い上に、明るくて。
 けれど、俺のことだけを呼んでいて、俺の前でだけは顔を真っ赤にしてうろたえる女の子。

 うん。
 やっぱり、森下冬美は、最高に俺好みな女の子だ。



7000番ゲットのArnaさんのリクエストにおこたえした1作です。
ご希望は「凛として格好良い女子高校生、ポイントは吸い込まれそうな澄んだ瞳」。
というわけで……なぜか、森下姉登場。弟の徹君も出してやろうかと思ったんですが、やめときました。
せっかくラブラブなムードで終わったのに、彼の妄想で壊されてしまってはまずいですから(笑)(ちなみにこの時、徹君は中学1年生です)
永峰は、兄貴の方が6666のキリリクに出てます。時期的にはあの半年後位がこのお話。あっ、弟、名前が出てないっ(汗)
関連するお話:「帰り道」「crossover―クロスオーバー―」「Liar, Liar!」


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