| 「Step Beat」シリーズ TOPへ |

中尊寺猫柳の名推理

 

 ―――怪しい。
 無茶苦茶、怪しい。

 『(mimi)今日ってHALさんもraiさんもいないんだぁ〜。さびし〜』
 『(江戸川)ほほう。君はあの2人がいなくては、僕がいようと猫柳がいようと寂しい、と』
 『(mimi)あははははは、何もそこまで言ってますよぉ〜』
 『(猫柳)言ってるんかいっ!』

 "mimi"の暴言に鋭く突っ込みを入れつつも、彼の眉間には深い皺が刻まれたままだった。
 「うーん…やっぱり、怪しいわ」
 常連メンバーが2人欠けたチャットルームの画面を眺めつつ、思わず呟く。
 チャットの友としているものは、彼の場合、煙草と相場が決まっている。推理とチャットに集中するあまり、口にくわえた煙草がすっかり短くなっていることに、彼は気づいていなかった。そして、灰がGパンの膝に落ちた段階で初めて、その事実に気づく。
 「あ、あーあーあー、やってもーた…」
 慌てて灰皿を引き寄せ、膝に落ちた灰を手ではらう。が、ふいにその手がぴたり、と止まった。
 「―――あかん。やっぱ、怪しすぎるわ」
 灰皿を片手に煙草の灰をはらい落とすポーズのまま、彼はまた眉間に皺を寄せてしまった。

***

 「お()をたてるにはええ季節どすなぁ…」
 「…そうどすなぁ」
 「あ、忍さん。お濃茶はあかん。お薄にして下さいな」
 「…はいはい」
 反抗は許されない。彼は素直に釜の湯を柄杓ですくい、黄瀬戸焼の茶碗に注いだ。シャカシャカと茶せんを動かすその姿は非常に慣れたものだが、彼の服装はアロハシャツにGパン―――どう見ても茶の道には通じない。
 そんな彼と対峙している女性は、彼の母親である。超高級な西陣織に身を包んだ彼女は、干菓子を美味しそうに食べながら、障子の外の景色を眺めている。季節は4月も終わり―――若葉の色が目に鮮やかな頃だ。


 京雅(きょうみやび)に溢れた光景。
 でも、ここは、大阪のとある住宅街である。
 比較的大きな家が立ち並ぶこの一角でも、彼の家は特に大きい。洋風な建物が並ぶ中、1軒だけ武家屋敷のようなその外観はもの凄く浮いている。でも、道行く人が思わず足を止めてしまう理由は、その立派な家の造りのせいばかりではない。門柱にででんと掲げられている表札の文字も、人の目を引くのだ。
 「中尊寺」―――それが、彼の家の苗字である。
 そう。道行く人々は、その立派な門構えと表札のせいで、この家が一般の家屋なのか、はたまた寺なのか、それが判断できずに立ち止まるのである。
 勿論、彼の家は寺ではない。先祖を遡り続けたらどうなるか分からないが、少なくとも曽祖父の時代から先は、ずっと“なにわ商人(あきんど)”である。現在は食品を海外から輸入する会社を経営している。やっぱり“なにわ商人”だ。
 一方、そういう“なにわ商人”の父と結婚したこの母は、言葉遣いからも分かるとおり、京都の人間である。
 京都の名家の末っ子として生まれた母は、見合いで父と結婚し、この大阪の家へ嫁いだ。そして、この家を京都一色に染め上げてしまった。最初こそ舅や姑がいたので遠慮していたが、両者共に他界した現在では、中尊寺家は母の王国である。

 中尊寺家には、2人の子供がいる。
 長男、中尊寺 (みやび)。その4つ下に次男、中尊寺 (しのぶ)。揃ってもの凄い名前だが、仕方ない。母の趣味である。そして、今、母の前でせっせとお茶を点てている彼は、その次男の方―――中尊寺 忍である。
 雅は現在父の会社で営業職を、忍の方は某機械メーカーのシステムエンジニアをやっている。そのことからも分かるとおり、長男である雅はワンマン社長の父の秘蔵っ子、忍の方はほったらかし、である。
 徹底的に父親に忠実にならざるをえなかった雅とは違い、平和を愛する忍は、母にもある程度忠実な人生を送った。結果、大阪にいながらにして、彼の言葉遣いはどことなく京都になってしまった。しかし、そのくらいの弊害はたいした事ない、と忍は思う。
 人生のレールを父に敷かれてしまった雅に比べたら、「忍さんのお好きにしなはれ」という主義の母のもと、東京の大学に進学し、一人暮らしを4年間満喫し、地元の好きな会社に就職できた自分は、ラッキーである。髪を脱色して銀色にしても、母は「外人さんみたいでよろしおすなぁ」と微笑むばかりである―――名家の末っ子としてノホホンと育ったせいで、ちょっと感覚が一般人とずれているのかもしれない。
 彼女の一番の趣味であるお茶に付き合ってやれば、とりあえず母はご機嫌なのだ。そんな訳で、幼少期からお茶を習わされた忍は、25歳になった今ではかなりの腕前になっていた。
 ―――けど、ボクに比べたら、兄ちゃんは偉いわ。尊敬するわ。
 父に反抗せず真面目に働く兄を見るたび、忍はそう思う。兄ももう29…間もなく30になる。そろそろ結婚し、役職にもついて、会社を継ぐ準備に入るのだろう。
 そう思っていた。
 つい、先週までは。

 先週の日曜日。朝から姿を見かけないなぁ、と思っていた兄が、午後になって帰宅した。
 「げ…っ、に、に、兄ちゃんっ! その頭、何やねん!?」
 昨日の夜は間違いなく黒髪の短髪だった雅の頭は、脱色され、国籍不詳な銀髪に変わっていた。そう―――その髪の色は、まさしく忍の髪の色と同じだったのだ。
 「すまん、忍。俺は旅に出る」
 見れば、既に背中には大きなリュックが背負われている。
 「旅、って…どこに? 第一会社は?」
 「止めないでくれっ。さらばだっ」
 「いや…誰も止めてへんけど…」
 忍の呟きを無視して、雅は家を出てしまった。
 勿論、父が在宅中であれば父が止めただろうが、忍も母も止める訳がない。29歳まで反抗期ゼロのまま成長した雅にも、遅まきながら反逆精神が出てきたということだ。喜ばしいことである。
 行き先も告げずに出て行った雅だが、行き先はすぐ分かった。雅の部屋に、大量の旅行パンフレットや旅行雑誌が残されていたから。どうやら行き先は、屋久島らしい。ワンダーフォーゲル部で鍛えた雅だから、きっと無事でいてくれるだろう。

 そんな訳で、中尊寺家は今、一時的に長男不在の不安定な状態にある。
 父はうろたえ、仕事も手につかなくなっているが、母は今日も元気だし、忍も元気である。そして母の王国である中尊寺家は、母の機嫌が良い分には、父がぼーっとしてようがオロオロしてようがひとまずは安泰なのであった。


 「ああ、そうそう」
 薄茶を飲み干し終えてから、今思い出した、というように母が口を開いた。
 「今晩、綾香さんが来はるよってに、忍さん、よろしゅう頼みますよ」
 「えっ」
 綾香、とは、父の妹の娘―――つまり、忍の従姉妹である。大学を卒業したというのに、就職もしないで海外遊学している23歳だ。確か今はカナダの筈だが、気まぐれに一時帰国を繰り返している。今回もそんなところだろう。
 綾香が遊びに来るのは、兄を狙ってのことだ。従姉妹同士で結婚できるんかいな、と忍は思うのだが、まぁ恋は盲目なので、親族でも何でも関係ないのだろう。
 ―――兄ちゃんおらん言うたら、怒るやろなぁ…。
 母の「よろしゅう頼みますよ」が含んでいる意味を察して、忍はどんよりした気分になるのだった。

***

 案の定、遊びに来た綾香は、雅の不在を知ると途端に超不機嫌になった。
 「みやちゃんいないなんて、つまんないー。忍、なんとかしてよ」
 「そないなことボクに言うたかて、知らんて」
 パソコンの前に座る忍にニードロップをかます綾香に、忍は「堪忍して」という声でそう訴えた。父も母も、面倒は御免だとばかりに、綾香との挨拶が済むとさっさと夫婦の寝室に引っ込んでしまった。結果、夜10時も過ぎて遊びに来た常識外れな従姉妹をもてなすのは、自然、忍の役回りになってしまったのだ。
 「ねぇ、叔父さんと叔母さん起こして、4人で麻雀しようよ」
 「また麻雀かいな…。ええ加減懲りひんなぁ、綾香ちゃんも。前回うちの両親にさんざん潰されたの、もう忘れたんかいな」
 「あれから修行したもん。ねー、リベンジさしてよー」
 「あかん。ボクも忙しいねんて」
 「どこが忙しいのよ。何もしてないじゃない」
 「これからが忙しいんやって」
 「何すんの?」
 「チャット」
 「ちゃっとぉ〜? 暗〜ぁい」
 クッションを抱きしめてバカにしたような声を上げる従姉妹を、忍はギロリと睨んだ。が、普段トレードマークとなっているレイバンのサングラスを、家の中で、しかも夜11時過ぎにしている筈もない。おしょうゆ顔の中でも優しい顔立ちの部類に入ってしまう忍が睨みをきかせても、あんまり怖さは演出できなかった。
 「…綾香ちゃん。全世界数千万人のチャット愛好家を、たった一言で敵に回したね?」
 「―――何いきなり標準語になってんの、気色悪ぅ。第一、数千万人もチャット愛好家なんているの? オタクがやることでしょ、そんなの」
 「誰がオタクや、誰が。…おっと、もうこんな時間や」
 既に11時を大幅に回っている。金持ちであっても「浪費は罪」とされている中尊寺家にあっては、午後11時からのテレホーダイタイムが、本格的なインターネットタイムである。早く常時接続が当たり前な時代にならへんかなぁ、と思いつつ、忍はいつものチャットルームに入った。
 「何の仲間が集まってんの?」
 「ボクの同業者。同業者だから分かるつらーい話なんかを語りおーて、親交を深めてんねん。学生のお気楽チャットと一緒にせんといてや」
 「うるさいなー。…で、ハンドルは何ていうのよ」
 忍の背後から覗き込んだ綾香は、ズラッと並ぶ画面上の文字から、忍のものらしきハンドルを見つけ、眉をひそめた。
 「はぁ? "猫柳"? なんで"猫柳"???」
 「ええやんか。なんや“はんなり”してる感じがするやろ」
 「…どこが?」
 というのは建前上の理由。実を言えば、"猫柳"というハンドルネームは、彼の髪からきている。
 今でこそすっかり長髪になってしまった忍の髪だが、髪を銀色にし始めた頃は、やっと髪の毛が寝る位の短髪だった。それが丁度、銀色のフサフサした毛で覆われている猫柳の芽に似ている(ように忍は思った)ので、"猫柳"と名乗ったのが、今から2年前。そのハンドルネームを、どう頑張っても猫柳に見えない頭になった今も使い続けているだけである。
 「ねーねー、暇だから、チャット見ててもいい?」
 クッションを抱いたまま、綾香はそう言って机のそばに椅子を持ってきた。どうやら今から自宅に帰るという選択肢は彼女にはないようだ。
 忍は、諦めた。
 「…ええで。ただし、大人の世界やから、子供は邪魔したらあかんで」

***

 『(猫柳)そんでそんで? 結局、50通のスパムメールに、どないな報復措置を?>HAL』
 『(HAL)ムカついたんで、そのスパム業者に“二度と送るな”ってメールを500通出してやった>猫柳』
 『(猫柳)ギャハハハハハハ、スパムにはスパムかいな、えげつなー>HAL』
 『(江戸川)また無駄な労力を…>HAL』
 『(HAL)自動送信ソフトだから、ノープロブレム>江戸川』
 『(rai)だったら、もっと送らないと意味ないよ。相手のメールサーバーがパンクするまで送らなきゃ>HAL』
 『(mimi)ひええええ、raiさん、怖いよ〜(涙)』
 『(HAL)ま、これで懲りないようなら、次はその手でいくし>rai』

 「―――ふーん、ふーん、ふーん。これが“大人の世界”なんだ。ふーん」
 「…まあ、ええやんか」
 綾香の冷たい視線を避けるように、忍はちょっと体を捩った。…まあ、大体いつもこんな感じなのは否めないが、それにしても今日は、少々話題に問題があったか。
 今日は主要メンバーが全員揃っている。和やかに進む会話に今ひとつ乗りきれないのは、斜め後ろからディスプレイを覗き込む綾香のせいが半分、そしてもう半分は―――ある疑惑のせい。
 「これで全員? 随分人数少ないチャットルームじゃない?」
 「んあ? ああ…いや、これだけちゃうよ。他にも"ご隠居"とか"ままちゃ"さんとか"ポン酢"さんとか…でもまぁ、主要メンバーはこんだけやな」
 「会ったこと、あるの?」
 「いや、まだ。実は今度の土曜に初めて会うことになってんねん。東京で」
 「へーえ…そりゃ楽しみだわ」
 「楽しみ?」
 「だって、この"mimi"ってハンドルの人、絶対女の子でしょ。良かったね、忍。前の彼女と別れてから結構経つもん、そろそろ彼女欲しい時期なんじゃないの」
 「…いらんお世話や」
 ぐっさりナイフで心臓を抉られたような気分になりつつ、綾香を睨む。
 「第一やな。"mimi"が女とは限らへんで。こういう女やっちゅーことを強調したような発言する奴に限って、実は男やったりするもんや」
 「そりゃそうだけど―――そんなこと、疑いだしたらキリがないじゃない」
 「それに、"mimi"が女やったとして、明らかにボクの好みとちゃうわ」
 「…まだ会ってもいない癖に、生意気ぃ〜。じゃあ言ってみなさいよ、"mimi"ちゃんがどんな子か」
 女性代表、とでも言うように、ふんぞり返って腕組みをする綾香に、忍は挑戦的な笑みを浮かべてみせた。
 「ほほー…。ええで。ボクの頭ん中には、この4人はちゃーんと姿かたちまで浮かんでんねんから」
 「ほーほー。言ってみたんさい」
 「まず、"mimi"は、林家パー子に似てんねん」
 「―――…」
 いきなり、個人名。
 一瞬、固まりかけた綾香は、恐る恐る口を挟んだ。
 「…あの、写真でも見たわけ?」
 「ボクの想像や」
 「…なんでいきなり林家パー子? あの、頭のてっぺんから声出すおばさんでしょ?」
 「そうそう、その話し方が"mimi"っぽいんやて。"mimi"の書き込み見てると、パー子さんの甲高い声が頭の中にこだますんねん。これは偶然と違う筈や。見た目は多少違うかもしれへんけど、"mimi"は絶対、何かしらパー子さんを彷彿させるもんを持ってんねん、間違いなく」
 力説する忍に、綾香は反論を唱える機会を失った。
 「そうや。ピンクハウスが好きや言うてたから、大屋政子も入っとるかもしれへんなぁ」
 「…忍、もしかして、熟女マニア? 妙に出てくる名前、年齢層が高くない?」
 「しゃーないやんか、ほんまにパー子さんとマダム大屋しか思い浮かばへんねんもん」
 「そ…そうなんだ。…じゃあ、次、この"江戸川"って人」
 たまたま綾香がディスプレイに目を向けた時に、"江戸川"の発言が表示されたせいだろう。綾香は、ディスプレイを指差しながら、ちょっとぶっきらぼうに言った。
 「"江戸川"さんは、こん中では唯一、妻子持ちやねん。歳はまだ30前やけど、書き込みもめっちゃ品行方正。時代劇とか時代小説が好きなんやって」
 「うんうん」
 「この人は、“必殺仕事人”に出てくる“飾り職人の秀”に似てる」
 「―――…それって、誰?」
 「三田村邦彦とかいう俳優さんやね。子供に優しい役やったし、時代劇やし、どうしてもそれしか思い浮かばへん」
 「…二枚目じゃん」
 綾香の頭の中では、林家パー子と和服を着た三田村邦彦が和やかに談笑しているシーンが展開される。
 ―――もの凄く、変。

 『(江戸川)なんだ、猫柳は今日は静かだな。いつもの漫才トークはないのか』
 『(mimi)あやし〜。チャットしながら何してるんですか〜?』
 『(猫柳)あああ、すんませんー。今、うるさいイトコが来てんねん。もー、人の邪魔する邪魔する』

 ディスプレイ上のそんな会話を目にして、林家パー子と三田村邦彦にペコペコ頭を下げる忍の姿が思い浮かび、綾香は更に妙な気分になった。
 「ねぇ、そしたら、この"HAL"って人は?」
 「ああ、"HAL"かぁ…。最近こいつ、ちょっと変わってしもーたからなぁ…」
 綾香が指差したハンドルネームを見て、忍は眉根を寄せた。
 「去年の秋頃までは、こう、ビシッとしたいかにも頭の良さそうな奴をイメージしててん。銀縁メガネとか掛けてて、ツイードのスーツとか着てたりするんやろなー、と」
 「今は?」
 「今は―――正真正銘の、オタクやな」
 「…オタクって…何の」
 「映画。きっと、オタクであることを見抜かれるのが嫌で、ずっと隠してたんやろなぁ。ほら、この"rai"って奴。こいつも同じ映画オタクで、同志が来てもーたもんやから、ついに本性を隠しきれなくなったんや。“未知との遭遇”で2時間チャットし続けられるやなんて、普通やあらへんで、この2人」
 「それは…ううむ、確かにちょっと、オタク入ってるかも」
 では“映画オタク”と“映画マニア”の違いは何だ、と言われると、それは、その言葉を口にする人の映画に対する思い入れの差によるのだろう。綾香はさほど映画に興味がない。だから、映画にそこまで入れこむ人間に対して“オタク”というどこか差別的な表現になるのである。
 「そんな訳で、ボクの中の"HAL"のイメージは、“金田一耕助”シリーズに出ていた石坂浩二や」
 「はぁ!? なんでそこに飛ぶのっ」
 「おかしいやん、金田一耕助。袴に帽子やで。あれだけ頭ええのに、殺人事件を1つも未然に防げへんのやで。アイディアに詰まった時は逆立ちやし…頭はええのにどっか変な奴の代表格っちゅうことで、金田一耕助に決定。そん中でも、“獄門島”ん時のがええなぁ…」
 「…忍も何気に映画オタク入ってない?」
 「まさか。あの2人に比べたら、まだまだ足りひんわ」
 しかし、具体的な名前を出されるというのは恐ろしいもので、綾香の頭の中では既に、袴姿に帽子を被った金田一耕助が、スパム業者に500通のメールを送りつけている図が展開していたりするのだ。
 ―――やだなぁ…ますます変じゃん。
 「じゃ、じゃあ、最後に残ったこの"rai"は?」
 「んー、"rai"はな、帰国子女やねん。バイリンガルや言うて、"mimi"がめっちゃ憧れてんねん。そのせいか、なんや頭の中に日本人のイメージが浮かんできぃひんのやなぁ…」
 困ったなぁ、という顔で、忍は腕組みをして首を傾げた。
 「ええ奴やで、こいつ。気配り派やし。ただ、時々ミョーに毒舌やねん。日本人やなくて性格良くて毒舌―――って考えとったら、なんでや知らんけど、金髪の美少年が頭に浮かんでしもーて」
 「はぁ!?」
 「ボクの中では、"rai"の顔は、今は亡き美少年ハリウッドスター、リバー・フェニックスやねん」
 「―――…」
 当然、綾香の頭の中では、リバー・フェニックスがメールサーバーがパンクするまでメールを送ってる図が展開している。
 「…でやね。最近ボク、この2人、怪しいと思ってんねん」
 混乱したように眉を顰めている綾香をよそに、忍は唐突にヒソヒソ声になり、耳打ちするように背中まで丸めた。
 「怪しいって…誰と、誰が」
 「"HAL"と"rai"やんか。怪しい。こいつら絶対、何か隠してる筈や」
 「…して、その根拠は」
 「最近、行動がリンクしてんねん」
 「?」
 「前はな、"HAL"は午前0時より前に入ってきて、1時間位で出て行くのが普通のパターンやってん。んで、"rai"の方はもっと遅い時間―――午前1時過ぎてから。せやからこの2人、去年の秋までは話したことなかったらしいんや。同じ映画が趣味やって分かったせいか、一度話してからは、"rai"が早目に来たり、"HAL"が遅くまで居残ったりして、なんやかやと話す時間を作ってたみたいやけどな。…それが、今年に入ってから、ちょっと変わってきてん」
 ますます真剣な表情になった忍につられるように、綾香も真剣な顔で話に聞き入る。ごくん、と唾を飲み込み、その続きを待った。
 「…どんな風に?」
 「明らかに、参加頻度が減っとる。2人とも」
 「……」
 「ほぼ毎日やったのに、週に1、2回やで? しかも、参加する日は揃って参加しとって、片方だけが参加っちゅーことがほとんどないねん。"HAL"も"rai"も、揃っていてへんか、多少の時間のズレはあっても揃って参加しとるか、どっちかやねん。な? おかしいやろ」
 「…うーん…確かに、変かもしれない」
 「やろ? せやからボク、考えてん。あの2人の間に、何かあったんやないかと」
 「…で、結論は?」
 「―――あの2人、きっと、禁断の恋に落ちてしまったんやな」
 「―――…」
 金田一耕助とリバー・フェニックスの、禁断の恋。
 綾香の脳内では、ありえない世界が繰り広げられる。
 「あの2人、同じ東京やし。ボクらの知らんうちに会うなり電話するなり、何かあったんやきっと。そら"HAL"は冷静なタイプの男やけど、美少年相手やったらわからんで。チャットに来ぃひん日は、きっと2人で逢瀬を楽しんでるんや」
 「……」
 「ああー、怖いなー、今度のオフ会…。もしそうやったら、"rai"を巡って"HAL"と"mimi"の一騎打ちやで。怖い怖い」

 『(mimi)ええ〜、良かったじゃないですかぁ、“タイタニック”! どこが不満なんですかぁ?>rai』
 『(rai)うーん、一言じゃ言えないなぁ。むず痒くて悶絶死しそうだったとしか…>mimi』
 『(HAL)結局俺も見たけど、女の観客泣かせようって意図がミエミエで、嫌だった>rai』
 『(rai)やっぱり? だよねぇ。やっぱりジェームズ・キャメロンは“ターミネーター”でなきゃ>HAL』

 美少年を林家パー子と金田一耕助で取り合う図は、ちょっと、怖い。
 綾香は頭を振って、その残像を必死に追い払った。
 「ねぇ、忍…その想像って、なんか、根本的に土台が間違ってるんじゃないの?」
 「んー? そうかもしれへんね」
 "rai"が始めた「タイタニック批評」に参戦しつつ、忍はもうその話題はどうでもええわ、という口調で、相槌を打った。そして、キーボードを叩きながら、チラリと綾香の方に目を向ける。
 「…っちゅーか、綾香ちゃん、今の話、真剣に聞いとったんかいな」
 「―――だって、忍が、滅茶苦茶真剣な顔で話すから…」
 ムッとしたように眉を上げる綾香に、忍がケラケラと笑った。
 「アホか。冗談に決まってるやんけ。チャットルームでボーイズ・ラブなんて堪忍してぇな。綾香ちゃんがアホらしいこと訊きよるから、即興で考えただけや」
 「―――――……」

 この瞬間。
 綾香の脳内血管が、ぶちキレた。

 「これだから、忍ってキライっ!!!!! うわ〜ん、みやちゃ〜ん」
 「だから、兄ちゃんはおらへんねんて」
 「もー、帰るっ! 暗闇の中1人で帰って、変質者に襲われてやるっ! 全部忍の責任だからねっ!」
 「ほいほい。さいなら」
 クッションを壁に投げつけ、乱暴な足取りで部屋を出て行く綾香に、忍はヒラヒラと手を振った。
 ちなみに、綾香の家は、ここから徒歩30秒―――裏庭の木戸で繋がった、隣の家である。防犯装置だらけの裏庭に奇跡的に変質者が潜んでいない限り、綾香が襲われることは有り得ない。

 ―――あないな女を襲う奇特な変質者がおるんやったら、お目にかかりたいわ。
 やれやれ、と心の中で溜め息をつきつつ、キーを叩き続ける。が、画面上で展開する"HAL"と"rai"のやりとりを目で追ううち、忍の眉間には、いつものように深い皺が刻まれた。
 「…やっぱり、怪しいなぁ…」
 どうにも、ひっかかる。忍は、無意識のうちにまた、煙草に手を伸ばしていた。


 綾香に話した話は、完全な作り話という訳ではない。
 林家パー子の件は本当だし、"rai"をイメージした時何故かリバー・フェニックスの顔がポンと出てきて消えてくれないのも本当だ。今年に入ってから、"HAL"と"rai"の参加頻度が極端に落ち、また参加しない時は揃って参加しないなど、その行動が不思議な位にリンクしているのも事実。変だよなぁ、と、ずっと気になっている。
 そして、もう1つ、気になること。
 それは、なんだか"HAL"と"rai"の会話が、微妙に変わってきた気がすること。
 前から、気の合う同士らしい、他の人間にはついていけないようなテンポでの会話は、端から見ていても楽しそうだし華やかな感じではあったが、なんというか―――だんだん"HAL"の口調が紳士的になってきて、"rai"の口調がどことなく中性的になってきてる気がするのは…単なる気のせい、だろうか?

 もしかして。
 実は、"rai"=女の子、とか、そういうオチだったりして。

 「…ありえへんな」
 この瞬間、忍の脳裏に思い描かれた図は、当然ながら、女装をしたリバー・フェニックスであった。
 気色悪い―――自分の想像に寒気を覚えつつ、忍は、一瞬考えた可能性を、ばっさり斬り捨てたのだった。


***


 そして数日後。
 その斬り捨てた可能性が、現実として目の前に現われ、忍は仰天した。

 「詐欺やーっ! "rai"が女やなんて、そんなオチあるかいなっ!」
 「…ごめん、なんか、言いそびれて。あはははは」

 勿論、"rai"はリバー・フェニックスなどには似ておらず、もの凄く忍好みの、超清純派の神秘的な女の子であった。
 "rai"の正体を知って顔面蒼白になっている"mimi"は、林家パー子と服装趣味はかなり近いものがあったが、顔立ちは勿論違っていた。"mimi"に一番似ている有名人は、キューピー人形だろう。
 どう頑張っても和服姿しか想像できなかった"江戸川"は、ポロシャツにチノパンという休日のお父さんルックで登場した。
 そして"HAL"は―――なんだか分からないが、妙な迫力を伴った、悪ガキ系二枚目であった。リバー・フェニックスは、むしろこっちだったようだ。

 二次元バーチャルの世界に住んでいた連中は、悉く、忍の想像とはかけ離れていた。
 なのに全員、口を揃えて言うのだ。

 「"猫柳"は予想通りの見た目だったよな」
 「うん、メールに書いてあった通り。すぐ分かった」
 「性格もチャットのまんまじゃん。ハハハハハ」
 「…あー、そーかい。どうせボクは奥が浅いわ」

 中尊寺 忍、惨敗。
 初のオフ会は、極度のショックとほのかな恋心を忍に残して、平和のうちに終わったのだった。

 

 

 この日は、一部チャットメンバーにとっては、運命的な出会いの日となったのだが。


 忍はまだ、気づいていない。

 彼にとっても、この日が、彼の今後の人生を左右する人物との、運命的な出会いの日であったことに。

 

―――「Step Beat COMPLEX」に続く(かもしれない)―――


…すみません、すみません、すみません(滝汗)
ただの結城の世迷言と思って、笑い捨てて下さい。綾香ちゃんと一緒にアングラワールドを想像した皆様、悪酔いにご注意を。
この後、雅君は屋久島で迷子になった挙句にその自然に惚れ込んでペンションを開き、猫やんは"rai"に告白してフラれます。
中尊寺 忍にとって、何故、このチャットの日が運命的な出会いの日だったのか。彼を待っている未来とは一体どんなものなのか。それは、次の「Step Beat」の連載にて。


「Step Beat」シリーズ TOPへ


  Page Top
Copyright (C) 2003-2012 Psychedelic Note All rights reserved. since 2003.12.22