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Heart -Valentine Stories 2007 -
−おまけ−
※注:「二十四季」シリーズは「24-s」まで、「Step Beat」シリーズは「Step Beat×Risky」
  までを既読の方に限ります。ご注意下さい。

 

◆2001年・フリーカメラマン1年目の瑞樹

 ―――畜生。やられた。
 誰もいなくなった、夜の時田事務所。
 瑞樹が提げている紙袋の中には、かなりの数のチョコレートが入っていた。瑞樹からすれば、計算外もいいところだ。

 今日は、朝から晩まで仕事、仕事、仕事だった。とあるスタジオでの撮影に始まり、広告代理店1社、出版社1社からも呼び出されており、まさにフル回転で働かされた。
 撮影に関してはまあいいとして、何故広告代理店やら出版社やらに呼び出されなきゃならないのか、瑞樹も正直不思議に思っていたのだが、「寄ってくださるだけで結構なんで」と、相手がやたら用件をぼかしていた理由が、行ってみてわかった。どちらの会社でも、瑞樹を待ち受けていたのは、瑞樹の天敵・チョコレートを携えた女子社員だったのだ。
 いずれも、電話をしてきたのが、普段から仕事の依頼をしてくる男性社員だったので、まさかそんな裏事情があるとは思ってもみなかった。
 ―――ったく…姑息な奴らめ。自分たちの目的のためなら、担当者に嘘つかせることも厭わない、ってか。
 こんなことのために呼び出された瑞樹は、当然ながら、限界ギリギリまでご立腹なのだが―――相手がクライアントであるところが、辛い。下手な真似もできず、仕方なしに全て受け取ってきた。
 ただし、いくらクライアント相手でも、泣き寝入りする瑞樹ではない。きっちりチョコレートを受け取った後、ふっ、と笑い、言い放った。
 『サンキュ。今晩、彼女の部屋泊まることになってるから、これ手土産にさせてもらうよ』
 …これで、来年からは来ないだろう。多分。

 ああは言ったものの、実際のところ、蕾夏はそれほどチョコが好きな訳ではない。たとえ好きでも、この量はさすがに無理だろう。
 1人か2人はまだ事務所に居残ってるのでは、と期待したが、残念ながら全員帰宅済みだ。使えねぇ、と理不尽に罵った瑞樹は、大量のチョコをどうすべきか、暫し考え込んだ。
 もう面倒だから、まとめてゴミ箱直行でいいか―――そう結論付けそうになった時、ふと、昨年のバレンタインのことが、頭をよぎった。

 『女の子一同で、丸い缶に入ったチョコレート1つ買っておしまい、かな。コーヒーメーカーの横に置いといて、好きなように食べてね、って感じで』

 「……」
 ナイス・アイディア。

 瑞樹は、チョコの詰まった紙袋を、日頃もらい物のお菓子などが置かれることの多い冷蔵庫の上に、どん、と置いた。
 A4のコピー用紙を1枚取り、サインペンで、一言書き記す。

 『ご自由にお食べ下さい』

 よし、完璧。
 テープでメモを紙袋に貼り付けた瑞樹は、やっと面倒なものから解放された、という顔で、事務所を後にした。


 翌日の夜。
 仕事を終え、事務所に立ち寄った瑞樹が見たものは、綺麗さっぱり空っぽになっている紙袋だった。
 いつ、誰が、どういう配分で食べたのかは、今もなお不明である。


◆2003年・社会人1年目の透子

 画廊との商談から帰宅した慎二は、いつもとは違う部屋の様子に、不思議そうに目を丸くした。
 「お、おかえりなさーい」
 「…ただいま」
 夕飯の仕度をしていた透子が、にこやかに出迎える。玄関のドアを閉めた慎二は、靴を脱ぎつつ、部屋中をキョロキョロ見渡した。
 「なんか、あったの?」
 「えっ、な、何が?」
 「いや、だって―――真冬に、部屋中の窓開け放してるなんて、どうしたのかと思って」
 さして広くない部屋の窓という窓が、最大限、開け放たれている。おかげで部屋の中はフリーザー状態だ。
 「ちょ…ちょっと、ね。空気が悪くなってたから、窓開けて、空気の入れ替えしてるの」
 「ふぅん…。早めに閉めた方がいいよ?」
 「うん、わかってる」

 ―――社会人になってから、やりにくくなったなぁ…。
 学生時代と、社会人になってからの、違い。
 それは、透子が家にいて慎二が留守にしている、という日が、ほとんどなくなったこと。透子に日曜日しか休みがないため、慎二もその日にわざわざ予定を入れるような真似をしないからだ。
 バレンタイン・チョコは手作りしたい性分である透子だが、慎二がいる目の前で作るなんて、なんだか嫌だ。慎二の知らないうちにこっそり作っておいて、当日にびっくりしてもらいたい、と思うのは、何も透子に限ったことではない筈だ。
 今日、運良く、慎二の商談がいつもより若干遅くまでかかると知った透子は、定時でタイムカードを押し、猛ダッシュで帰宅した。そして、夕飯を作りながらチョコも作る、という荒業を見事やってのけた。
 仕上がりは上々。冷蔵庫に、絶対慎二に気づかれないようカモフラージュして入れてあるので、明日にでもラッピングすればOKだ。

 ただ、1つだけ、大誤算。
 慎二が帰ってくるまであと15分だというのに、部屋全体に、チョコレートの甘い香りが充満して、さっぱり消えてくれなかったのだ。

 「うわ、透子、雪降ってきたよ、雪」
 「嘘っ!」
 慎二の声に、ぎょっとして振り返る。
 見れば確かに、開け放った窓の外、白いものがヒラヒラと落ちてきているのが見えた。
 「は、早いよー。深夜って予報出してたのにっ」
 大慌てで窓を閉めながら、来年からはもっと計画練らないといけないな、と、透子は深く反省したのだった。


◆2003年・教師1年目の荘太と千秋

 「橋本せんせーっ!」
 「ちょっと、橋本先生見なかった!?」
 「いないわよ。どこ行ったんだろう?」
 「きっと逃げたんだわ。みんな、徹底的に探すのよっ!」
 「橋本せんせーーい!!」
 「千秋ちゃーーーん!!」

 「うわぁん、ソータ君がいないっ!」
 「どこ行ったのよ、小林のやつっ」
 「さすが、逃げ足が速いわね」
 「小林先生見つけたら、絶対逃がすんじゃないわよ」
 「出て来い小林ーーーっ!」


 生徒が、2人の新人教師を探して大騒ぎしている頃。

 「お。橋本じゃん」
 体育倉庫で動いた人影に、荘太が、よっ、と手を挙げた。
 跳び箱の陰から出て来た千秋も、現れたのが荘太とわかり、同じように手を挙げた。
 「なんだ、小林か。何をしてる、こんな所で」
 「そりゃ俺のセリフだろ。何してんだ、橋本こそ」
 「私は生徒から逃げてるんだ」
 「俺も生徒から逃げてるんだよ」
 「大変だな、人気教師も」
 「お前こそ大変だな、女なのに」
 「おかしいぞ。同じ新人教師で女でも、遠山は無事じゃないか。どうして私が追いかけられるんだ」
 「…まあ、そりゃ、なぁ。っつーか、変なのは、この学校恒例の“新米教師限定バレンタインパーティー”だろ。視聴覚教室借り切って女子生徒主催でパーティー、って…何する気なんだよ、連中は」
 「平和なネーミングの割に、去年それに出た先生が、みんな青い顔して口を濁すのが怖いな」
 「捕まってから、実は“新米教師つるし上げパーティー”だった、って判明しても手遅れだよなぁ」
 「全くだ」
 その時、倉庫の外を、女子生徒が数名、2人の名前を呼びながら通り過ぎていった。足音が完全に遠ざかるまで、2人はひたすら息を殺した。
 「―――…よし。私はこのまま、駐輪場に駆け込むぞ」
 「同時だと目立つな。俺は、もう暫く隠れて、様子を見る」
 「頑張れよ。…ああ、そうだ」
 上着のポケットを漁った千秋は、手のひらサイズの箱を引っ張り出し、荘太に渡した。
 「私からの分だ」
 「おおっ、サンキュー!」
 「じゃ」
 「じゃーな。逃げおおせろよ」


◆2000年・瑞樹退職直後の株式会社ブレインコスモス

 「あれ? 佐々木さん、その手、どうしたんですか?」
 「えっ」
 樋沼に指摘され、佳那子はギクリとして、右手を左手で掴んだ。
 「うわ、派手に絆創膏貼ってますねぇ…。何かあったんですか?」
 「あ、ああ、ちょっと転んで手をついちゃって、擦りむいたのよ」
 「痛そうだなー。大丈夫ですか? キーボード叩けてます?」
 「…叩いてるでしょ、さっきから」
 時刻は既に定時近い。そもそも、朝からずっとこの状態なのに、今頃気づくとは、樋沼という男はどこまで抜けてるのか―――どうせ抜けてるなら、最後まで気づかなければいいのに。

 絆創膏だらけになっている右手を隠しつつ、少し首を伸ばし、パーティションの向こう側の様子を窺う。背中しか見えない久保田は、取引先と電話で話をしているようだ。
 この後、いつもの店に飲みに行く約束をしている。久々の逢瀬は、本来楽しみな筈なのに……佳那子は、ため息をついていた。
 ―――飲みに行くのは嬉しいんだけど、アレを渡す時間が迫ってると思うと、微妙な気分なのよねぇ…。
 昨晩、必死の思いで作った、バレンタイン・チョコ。酒飲みの久保田に合わせ、当然、ウイスキーボンボンだ。
 和臣に手作りチョコをプレゼントする、という奈々美に触発されて、今年こそ自分も、と一念発起したはいいが……佳那子は、キーボードを打つのは速いのに、手先は極端に不器用である。そして、どんなことよりも、料理を作るのが一番苦手である。
 板チョコを刻もうとして、何度か、ナイフが手をかすった。
 ためしにおろし金でおろしてみよう、とチョコをおろそうとしたら、指をおろしてしまった。
 レンジで溶かしたチョコを手の甲に落としてしまい、火傷した。
 それでもなんとか、チョコは完成したのだが―――ウイスキーボンボンではなく、まんべんなくウイスキーが混ざっているチョコ、になってしまった。そして、佳那子には、戦果として無数の傷が残された。
 ―――しかも私、怖くて味見もしてないのよね…。ああああ、今からでも、市販品買いに行こうかしら。
 半ば頭を抱えて佳那子が苦悶していると。

 「…?」
 あまりシステム部を訪れたことのない営業マンが、ひょい、と顔を覗かせたのを見て、佳那子は眉をひそめた。
 「どうされたんですか?」
 佳那子に声をかけられた営業マンは、一瞬、キョトンとした顔をして―――そして、ため息とともに落胆した表情になった。
 「ああ、そうか…。成田は、辞めたんだったな。ついうっかりしてた」
 「え?」
 「いや、なんでもないんだ」
 営業スマイルになった彼は、そそくさとシステム部を後にした。
 ―――成田? なんで今更、成田??
 瑞樹が辞めて、もうすぐ3ヶ月経とうとしている。瑞樹がいない日常に、システム部の人間ですら、そろそろ馴染んできているというのに―――首を傾げた佳那子だったが、直後、ピンと閃いた。

 ああ、そうか。
 今日がバレンタインデーだからか。


 「…うーん、参ったな」
 「成田が辞めて、思わぬところで損害が出たな」
 ミーティングテーブルの辺りで、そんなことを言って困っているのは、30代の男性社員3名である。
 部署もバラバラな彼らの共通点は、ただ1つ。去年のバレンタインデーに、瑞樹からチョコレートを買い上げていた“客”だった、ということだ。
 「結構景気良く買ってたからなぁ…。いきなり今年から義理チョコ1個じゃ、しめしがつかないよ」
 「うちの部署は義理チョコもなかったんだぞ。女房もすっかり忘れてるし、今年はゼロか? さ、寂しい…」
 じゃあ瑞樹から買ったチョコは寂しくないのか、という突っ込みを入れる者など、このメンバーの中にはいない。更に言うなら、この3人の中で、切実にチョコを欲しがっている者もいなければ、家族に見栄を張りたいと本気で思っている者もいない。要するに―――なんだか華やかそうな年に1度のイベントに、自分も参加したいだけなのだ。
 それに、瑞樹からチョコを買っていた時は、普段からよく知る会社の女の子たちが、一体どんなチョコを瑞樹にあげているのか、という覗き見的興味もあった。実は、翌日に「俺が買ったのはこんなのだった」などと報告しあって、誰が贈り主か推理して面白がったりもしていたのだ。悪趣味だ、と言われそうだが、自分たちでも悪趣味だと思っているので、弁解の余地はない。
 「つまらんなー、成田がいないと」
 「この時期の楽しみだったのになぁ」
 3人がぶつぶつと愚痴っていると。

 「神崎さーん! はい、バレンタイン・チョコ!」

 企画部の島から聞こえた声に、3人の耳が、ピクリと反応した。
 ぐるん、と3人が振り返ると、コールセンターの女の子が4人、和臣にチョコを差し出していた。当の和臣は、キョトリとした顔で4人を見上げている。
 「あのー、オレ、奈々美さんから超本命チョコ貰うから、いらないんだけど」
 「やぁん、そんなのわかってるわよぉ」
 「そうよ。神崎さん、結婚したんだもの。チョコの見返りなんて期待してないわよ。ねー?」
 「ねー」
 4人の間に、ねー、という相槌が飛び交う。その様を順々に見ていった和臣は、理解不能、といった感じで首を傾げた。
 「なんか、よくわかんないんだけど…」
 「だ・か・ら。神崎さんには、ただ私たちの愛を受け取ってもらえれば、それでいいの」
 「結婚したとはいえ、カズ君は私たちのアイドルだもん。正々堂々とファンを公言できる年に1度のチャンスなんだからね、今日は」
 「そうそう。神崎さんは、チョコ食べてくれれば、それでいいのよ」
 「ふぅん…。ま、いいや。ありがとう」
 根っからの甘いもの好きの和臣は、受け取って食べればいいだけで見返りは不要、という言葉を信じることにした。にっこり微笑むと、彼女らのチョコレートを全て受け取った。コールセンターの女の子たちは、その和臣の極上スマイルだけで満たされたらしく、上機嫌で帰っていった。

 「おいおい…木下さんも社内にいるのに、大丈夫か? 神崎は」
 他人事ながら心配になり、男3人は、視線を奈々美の席に移した。
 案の定、奈々美は、ちょっと怒ったような顔で和臣の方を見ていた。が、和臣が苦笑しつつ「ごめん」と両手を合わせてみせると、しょうがないわねぇ、という笑みを見せ、また資料作成中のパソコン画面に向き直ってしまった。
 「…さすがだ」
 「木下さんでなきゃできない技だな」
 「いや、むしろ、神崎でないと不可能な技だろ」
 感心したように呟いた3人の間に、一瞬、沈黙が流れる。
 互いの目を見て、無言のうちに、打ち合わせ完了。うむ、と頷くと、3人揃って、和臣の席へと向かった。

 「やあ、神崎」
 3人のうちの1人が、ぽん、と和臣の背中を叩く。
 幸せそうにココアを飲んでいた和臣は、顔を上げ、3人を仰ぎ見た。そして、3人のうち1名が、比較的席も近い営業マンだと認識するや、仕事の話かな、という顔でひょこりと頭を下げた。
 「あ、どーも。お疲れ様です」
 「いやいやいやー、見てたよ、今の。結婚しても、相変わらず人気者だねぇ」
 更にばんばん背中を叩き、褒めちぎる。今の、が何を指すか察して、和臣は気まずそうにハハハ、と笑った。
 「み、見てたんですかー。いや、ほんと言うと、困るんですけどね。奈々美さんいるし」
 「うんうん。そうだろう」
 男3人は、ニヤリ、と笑うと、おもむろに身を屈め、ひそひそ声で和臣に切り出した。
 「そこで、だ。折り入って、神崎に頼みごとがあるんだけど―――…」


 こうして、株式会社ブレインコスモスの伝統は、和臣に引き継がれたのだった。


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