Step Beat TOP

Step Beat / Side stories :
063→073 Reverse
-キャラクター・ランキング1位記念-

 

063→073 Reverse

注:「Step Beat」no073まで読了後にお読み下さい。

 ―――こんな映画、観に来るんじゃなかった…。

 落ち着かない気分を味わいつつ、瑞樹は内心、舌打ちしていた。
 脚を組みなおし、隣に座る蕾夏の様子を窺う。蕾夏は、眠いのか目が半分閉じ気味だ。この映画で眠くなる神経も凄いと思うが、ある意味、あまり真剣に観てないらしいその様子にホッとした部分もある。
 超がつくほど、ありがちなストーリー。無駄に出てくるベッドシーン。主役とのバランスを考えると、どう考えたって「こいつと恋に落ちる訳ねーだろ」と言いたくなるほど、性格が悪い上に情けない相手役―――何を考えてるんだこの監督、と、物語が進めば進むほど苛立ってくる。
 途中で席を立ってやろうかと何度も思ったが、館内がやたら静かで、下手に立ち上がるとかえって目立ってしまう。仕方なく、座席に深く沈みこんで、半分怒ったような顔でスクリーンを睨むしかない。

 ストーリーはこの際妥協しよう。相手役が変なのも我慢する。主人公がバカ丸出しなのもムカつくが、耐えられないほどじゃないと思い込むことにする。
 でも。
 頼むから、やめてくれ。この、アダルトビデオ並のラブシーンの連続だけは。
 寒い。滅茶苦茶寒い。見れば見るほどしらけてくる。…でも、いくら寒くても、続けて見てると、妙な気分になるというか、モラルレベルがおかしくなってくるというか―――…とにかく、まずい。

 困ったように髪をぐしゃっと掻き上げると、ほぼ同じタイミングで、左の肩にコトン、と蕾夏の頭が当たった。ギョッとして見ると、蕾夏がついに意識を手放したらしく、右に体が傾ぎ、瑞樹の肩に頭を半ば乗せるようにして眠ってしまっていた。
 「……」
 …おーまーえーはー! わざとだったら襲うぞっ!
 思わず蕾夏の寝顔を睨むが、わざとな訳がない事は、瑞樹が一番よくわかっている。蕾夏はそういう駆け引きのできない奴だ。というより、もしできたとしても、瑞樹に対してはやらないだろう。
 だって、蕾夏からすれば、瑞樹の立場は“親友”だけだから。
 ―――“親友”…か。
 ため息をひとつつくと、瑞樹も不貞腐れたように目を閉じ、居眠りを決め込むことにした。

***

 「…まあ、照明はそこそこイケてたかなぁ。暗い室内場面多かったけど、結構自然に映ってたんじゃない?」
 えびバーガーをパクつきつつ、蕾夏が一応フォローを入れた。アイスコーヒーを飲む瑞樹も、眉間に皺を寄せつつ控えめに頷いてみせた。
 「照明はベテラン使ってんだよ。美術もまぁマシだったか…」
 「相手役の人、相当ヘンだったけど、崖から飛び降りるシーンにスタント使ってないあたりは一応評価できる?」
 「いや。あれは、スタント使った方が良かった。足震えてたし、飛び降り方も恐々で、やっぱり情けなかった」
 「うーん。監督の采配ミスか…情けない、ってカラーの一貫性はあるけど」
 「第一、編集が雑だろ。なんだよ、あのフィルムをぶちっと切ったような不自然な繋ぎ」
 「あれって誰がやってるんだろう? 助手? あと2コマ3コマ後ろで切って繋いでれば、もうちょい自然になったのにねぇ…」
 2人とも、居眠りしていた割には、そこそこ見るべきところは見ているのだ。そのどれもが愚痴にしかならないあたり、この映画の出来を物語っているが。
 「やっぱり、人から貰ったチケットって、あんまり“当たり”がないよね」
 「確かに」
 とその時、瑞樹は、なんとなく違和感を感じて、後ろを振り返った。
 「……」
 「なに? どうかした?」
 振り返ったまま、釈然としない顔をしている瑞樹を見て、蕾夏がキョトンと目を丸くした。
 「ん? いや…気のせいかな」
 ―――なんか、視線を感じる…。

 勿論、この段階では、さすがの瑞樹も気づいていなかった。
 突然振り向いた瑞樹に慌てまくりながら、必死に姿勢を低くして2人の様子を窺っている奴が、すぐ傍の席にいることには。

***

 あまりにも酷い映画を観させられた2人は、その嫌な気分を払拭するためにも、日頃あまり撮らない街中の風景を撮ることにした。
 ちょっとしたオブジェや店の看板、ショーウィンドウの飾りつけなどは、日頃はなんとなく見過ごしているが、改めて見てみればそれはそれでちょっとした芸術だ。蕾夏は特に街灯が気に入ったらしく、「こんなお洒落なものが立ってたなんて知らなかったなぁ」と感動していた。
 こまごまとした物にカメラを向けていたら、あっという間に地下鉄3駅分ほど歩いてしまった。まあ、日頃写真を撮りに行く時もこの程度は歩いているが、いつもとは周囲のムードが違うので、念のため瑞樹は蕾夏に確認した。
 「お前、足、大丈夫か」
 「うん。まだいける。あ、本屋さんとCD屋さん寄りたいんだけど、瑞樹こそ足大丈夫?」
 「俺はまだまだ平気。ちょうど試聴したいCDあるし」
 そう言って、カメラをディパックに仕舞った瑞樹は、またあの視線を感じて、眉をひそめた。
 こっそり、肩越しに背後を窺う。そしてそこに、何度か見かけた記憶のある服装の女性が、まるで看板の陰に隠れるみたいにして立っているのを発見した。
 何度か―――そういえば、ロッテリアでも見た気がするし、さっきから視線を感じて振り向くと、さりげなく視界のどこかしらにはいた気がする。地味なので見落としていたが、こう度重なると、地味な人物でも目立ってきてしまう。
 ―――どっかで見たような気がするんだけど…。
 「瑞樹? 早く行こ?」
 蕾夏の方は、2人を尾行しているらしき人物の存在に、どうやら気づいていないようだ。
 気づいてないのに、わざわざ教えて気味悪がらせることもないだろう。瑞樹は、背後の女性については一切口にせず、また蕾夏と並んで歩き始めた。

***

 CDショップと本屋を回った2人は、その近所にある公園に足を運んだ。さすがに歩き疲れたし、もし梅が咲いてるようならカメラに収めたいと思ったのだ。
 が、ギリギリのところで梅の見ごろは過ぎてしまっていたらしく、公園を軽く一周しても、目的の梅の花は見つけられなかった。少々意気消沈しつつも、ちょうど足が限界に達したので、ベンチに座って休憩することにした。

 座る瞬間、向かい側にあるもう1つのベンチに偶然目をやった瑞樹は、あと少しのところで、あ、と声を発してしまいそうになった。
 いたのだ。例の、瑞樹たちを尾行していた、地味な服装の女が。
 ―――ここまでついてくるか、普通…。
 CDショップか本屋で音を上げるに違いないと踏んでいたのに、大した根性だ。その根性だけは認めてやろうと、瑞樹は、不自然なほど熱心にファッション雑誌を読んでいる敵を観察してみた。
 蕾夏が履いたら絶対ひっくり返るであろうほどの、厚底サンダル。母親から借りたのかと訊きたくなる時代遅れのボックススカート。特に特徴の見られないベージュのざっくりしたセーター、後ろに適当に束ねられた、微妙な長さの髪―――ファッションに疎い瑞樹でも、その服装が明らかに「いけてない」事は理解できる。会社でしつこく付きまとってくる連中のどれかなんじゃないか、と密かに思っていた瑞樹は、やはり見覚えのないそのコーディネートに、少し首を捻った。
 が、その視線を、彼女が傍らに置いているバッグに向けた瞬間、なんとなく見覚えがあるな、というレベルが、間違いない、に変わった。

 ―――なんだ。こいつ、里谷じゃん。

 ファッション同様、女物のバッグにも疎い瑞樹だが、里谷のバッグはしっかり覚えている。覚えざるをえなかったのだ。
 『このバッグ、前のカレシのプレゼントなんですけどー、今更ヴィトンのモノグラムだなんて、時代遅れもいいとこだと思いませんかぁ? しかも、このキーホルダー! これも元カレなんだけど、どうやってつけたのかわからないから外すこともできなくて超サイテー!』
 あれだけこき下ろしておいて、まだ持ってたのか、と呆れかえる。多分、高いバッグだから捨てるのが惜しいのだろう。もっとも瑞樹は、ヴィトンもモノグラムも、何の事やらさっぱりわからないのだが。
 それにしても―――凄いギャップだ。ベティさんよろしく色気を前面に押し出している「通常モード里谷」と、色気のいの字も見当たらない「休日モード里谷」は。
 ―――これは、いいネタになるかもしれない。
 里谷のことだ。どうせ月曜日には、蕾夏について同僚たちにペラペラ暴露しまくるに決まっている。念のため、後で写真を撮っておこう、と心に決めつつ、瑞樹は不敵な笑みを浮かべてベンチに深くもたれた。

 「あー、結構歩いちゃったなぁ。疲れた」
 腕と脚を思い切り伸ばして、蕾夏が大きく伸びをした。それを見て、瑞樹は僅かに表情を柔らかなものに変えた。
 春めいた陽射しの下で見ると、今更ながら思う。目に訴えるヤツだよなぁ、と。
 昔から舞という「妖艶系美人」を知っているし、毎日佳那子という「健康系美人」も見ているので、いわゆる美人にはかなりの免疫がある。だから、美人度では蕾夏より彼女らの方が相当上なのもわかる。が、蕾夏は、なんというか美人とかそういう尺度じゃなく―――何かがちょっと、普通と違う。
 ちょっと見惚れていると、こちらを向いた蕾夏と目が合った。
 ―――やっぱり、まずい。
 さっき見た映画の、寒いラブシーンの連続技が、まだ瑞樹の頭のネジをおかしな方向に緩めている。妙な気分になる前に、瑞樹は目を逸らした。
 「…お前、宝探し付き合うごとに、脚が鍛えられてくよな」
 逸らした視線の先にある、蕾夏のスニーカーを履いた足を見つめて、瑞樹はそう呟いた。瑞樹の気も知らず、蕾夏の方は上機嫌に笑う。
 「そうかも。瑞樹は学生時代の土台があるもんねぇ。神戸って坂道多いんでしょ? 鍛えられたんじゃない?」
 「…それ、三浦行った時、親父さんも言ってた。ほんとに頭の構造似てんな、お前ら親子…」
 父と同類扱いされたのが不服だったのか、蕾夏はその言葉に、ちょっとむくれてみせた。
 慣れ親しんだ蕾夏の子供っぽい反応に、思わずほっとしてしまう。なんとかいつものペースを取り戻せそうだな、と思いながら、瑞樹も大きく伸びをした。

***

 10分少々席を空け、ウーロン茶を手に戻った瑞樹は、ベンチの背もたれに頭を半ば乗せるようにして眠っている蕾夏を発見して、呆れたような顔をした。
 まあ、でも、今日はまだ理解できる。瑞樹でも、何もせずぼーっとしていれば眠くなりかねないような、春っぽい空気に覆われた日だから。12月の寒空の下、今と同じスタイルで眠りこけてる蕾夏を見た時には、こいつ、どっかおかしいんじゃねーの、と本気で心配したものだ。公園の何が蕾夏を眠たくさせるのだろう? 訊いてみたが、本人にもわからないらしい。
 「おーい、蕾夏。起きろよ」
 隣に腰を下ろし、目を覚ますとは期待していない声色で声をかけてみる。が、案の定、蕾夏はピクリとも動かない。
 ―――ったく…なんでこう、無防備でいられるんだよ、こいつは…。
 小さくため息をつくと、瑞樹は、ウーロン茶2缶を傍らに置いた。
 背もたれに肘をついて、なんとなく蕾夏の寝顔を眺める。早く目覚めて欲しいような、まだ暫くこのままでいて欲しいような、複雑な気分で。

 …やっぱり、どこか、違う。
 蕾夏の無防備な輪郭を眺めつつ、さっき感じたものを、また感じる。
 どう表現すればいいのか―――素材が違う気がする。自分自身を含め、普通の人間を構成しているものと、蕾夏を構成しているものは、素材自体が別物のような気がする。もっと細かくて脆い粒子で出来てるような感じ―――こうして見ていても、光の中に溶けて、なくなってしまいそうだ。

 無意識のうちに、蕾夏の髪を指に絡める。
 そこに居るのを確かめるみたいに、絡めては解き、絡めては解き―――やがて、蕾夏の髪が風で数本顔にかかるのを見て、瑞樹は当たり前のように、指先でそれを掻き上げた。
 額に触れた指先に、蕾夏の温度が伝わる。
 瞬間、指が痺れたような錯覚を覚えた。

 ―――痛い。

 胸が、痛い。

 せり上がって来る感情に耐えるように、僅かに唇を噛んだ。

 こんな近くにいるのに―――こうして触れられる距離にいるのに、蕾夏との間の見えない距離は、まだ遠い。こんな風に眠っている時ですら、恐る恐るしか触れられない。
 だって、ここにいるのは、“親友”だから。
 蕾夏の中には、まだ“恋人”という領域がないから。
 無防備に眠る蕾夏に、正反対な感情が生まれる。自分を信頼してくれているという充足感と、やっぱり異性としての意識はひとかけらもないのか、という苛立ち。満たされる部分に安堵しつつ、満たされない部分に気が狂いそうになる。
 …でも。それは、覚悟の上だ。
 全て承知した上で、決めたのだから―――いつか、必ず、と。

 ふと我に返ると、額に触れていた筈の指先が、唇にまで達していた。無意識のうちに、蕾夏の頬を辿ってしまっていたらしい。
 慌てて指を引くと、瑞樹は、蕾夏の肩をトントン、と叩いた。
 「蕾夏、起きろ」
 耳元でそう言うと、蕾夏の眉が僅かに寄せられる。が、目は開けない。
 早く目覚めて、このムードを払拭して欲しい。瑞樹は、やむをえないな、と心の中で言い訳を一つして、傍らに置いた冷たいウーロン茶の缶を手に取り、それを蕾夏の頬に押しつけた。
 途端。
 「ひゃああああぁっ!」
 まさに、飛び起きる、という感じの目覚め方。蕾夏は、押しつけられた冷たい缶を奪い取ると、真っ赤な顔で瑞樹を見上げた。
 「や、やめてよーっ! こんな起こし方! 心臓麻痺で死んだらどーしてくれんのよっ!」
 「……」
 ―――目が覚めると、光に溶けるなんて絶対あり得ないような、存在感一杯のお子様なんだけどな…。
 なんでこう、眠ってる時と印象が違うんだ?
 「…ほんっっとにお前、公園のベンチに弱いなぁ。そのうち誘拐されるぞ」
 面白そうに笑う瑞樹は、内心ホッとしながら、ウーロン茶をあおった。そして、視線を正面に移した瞬間、ある事に気づき、ギョッとした。

 ―――しまった。
 里谷のやつ、まだいたんだっけ。

 さきほどまで以上に不自然な熱心さで、ファッション雑誌を読みふけっている里谷。雑誌がカモフラージュであることがバレバレなその姿勢に、内心、舌打ちする。

 ―――…見られたよな。

 …まぁ、いいか。

 「瑞樹? どうかした?」
 「ん? いや―――別に?」
 不思議そうな目をする蕾夏に笑みを返しつつ、瑞樹は、ウーロン茶を一気に飲み干した。

 

***

 

 「―――という事があったのよぉ〜」

 里谷の言葉に、小会議室の廊下に群がる女子社員全員が、ショックを隠しきれない表情になる。
 「それがさっきの子? 嘘ぉ〜! てことは、うちの取引先の社員ってことじゃないの!」
 「だよねぇ。いつから知り合いなのかな。うちに来るのは初めてだよね」
 「ええぇ〜、そしたら成田さん、取引先の子に手を出したってことになるの? それってヤバくない?」
 「ヤバイよねぇ〜」
 「ねねね、てことはさ。今日の打ち合わせも、実は計画的だったんじゃない? 最近成田さん、帰りが遅いじゃない」
 「よく知ってるねぇ、梅沢ちゃん」
 「タイムカードを毎日チェックしてるもん。そんなのファンなら常識よ。…だからさ、彼女とデートする暇ないから、裏工作して打ち合わせに来るように仕向けたんじゃない?」
 「きゃ〜っ! そんな事できるのぉ!?」
 「無理だよそれぇ〜。でも、成田さんなら、なんか裏手口とか知ってそう〜」
 「でも、佐々木さんはさっき、ちゃんと仕事してるって言ってたよねぇ?」
 「いや、だからさ、この後よ、この後! きっとこの後にラブラブなデートが待ってるのよぉ〜」
 「きゃ〜っ、羨ましい〜っ」

 勝手に盛り上がる女子社員の中、情報のリーク元である里谷だけは、胸の奥がチクチクと痛んでいた。
 勿論、写真で口止めされた事など、他の仲間には話せないが、まさか彼女たちも「里谷に聞きました」とは言わないだろう。でも…これだけ周囲が盛り上がりを見せれば、里谷が口を割ったこと位、あの瑞樹のことだ、すぐに見抜くだろう。
 ―――ま…まずい、よねぇ…。
 一生、誰にも見せたくないあの写真。バラ撒くような真似はしないと思うが、掲示板に貼る位のことは平然とやってのけそうだ。どうしても黙っていられなくてペラペラと―――しかも、かなりの憶測も混ぜて喋ってしまったが、今更ながらに、その結末を想像するのが怖い。
 「あ、あのさ、みんな、ちょっと…」
 成田さんの前ではさりげなくしといてよね、と釘を刺そうと思ったところに、小会議室のドアが開いた。
 廊下が、いきなりシン、と静まり返る。
 「最終的な報告は、中川の方にお願いしたいんですけど、お時間構いませんか」
 「はい、大丈夫です」
 大量の資料を手分けして持って、瑞樹と蕾夏が、小会議室から出てきた。廊下にたむろする大量の女子社員を目にして、蕾夏の方が、一瞬うろたえたような顔をした。
 こんばんはー、という感じに、蕾夏が作り笑いで会釈すると、全員、引きつった笑いで会釈し返した。が、女子社員たちの放つオーラは、あからさまなほどに刺々しい。
 ―――う、うわ。みんな…もーちょいオブラートに包んでよっ。成田さんにバレるじゃんっ。
 里谷の背中を、冷たい汗が伝っていく。が、瑞樹の方は、特に彼女らに関心を示さず、すたすたと廊下を進んで行ってしまった。
 瑞樹がドアを開けて待っていてくれるのに気づいた蕾夏は、慌てて小走りに駆けより、先に立って事務所の中へと入っていった。
 それを見送った女子社員たちは、また噂話と勝手な妄想に花を咲かせたのだが―――…。

 「里谷」
 最も事務所のドアに近い位置に立っていた里谷は、瑞樹に声をかけられ、全身を硬直させた。
 ぎこちない動きで振り返ると、そこには、一見機嫌の良さそうな笑みを浮かべた瑞樹が立っていた。
 “機嫌のいい瑞樹”など、社内ではありえない。嫌な予感に、背筋がぞぞぞっと寒くなる。
 「覚えてるよな?」
 ―――…もうバレちゃったんですね…。
 断頭台の前に引きずり出されたような気分を味わいつつ、里谷はゴクリと唾を飲み込んだ。
 「―――ま、楽しみにしてな」
 「……」
 最後に、ニヤリ、という笑いを残して、瑞樹はドアの向こうに消えた。

 

 その後、どうなったか。

 それは、ある日を境に微妙に手抜きになった里谷の服装を見れば、推して知るべし、である。


Step Beat TOP


  Page Top
Copyright (C) 2003-2012 Psychedelic Note All rights reserved. since 2003.12.22