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scene2: タカ

 タカは最初、そいつを「お仲間」と思い込んでいた。
 そいつは、平日の昼日中から、道端に腰を下ろしてぼんやり道行く人を眺めていたのだから、タカが「お仲間」だと思うのも、まあ当然かもしれない。
 違うと分かったのは、翌日―――再びそいつを、昨日とは微妙に違う場所で見つけた時だ。昨日は私服だったのに、今度は制服を着て膝を抱えていたのだ。
 ―――なんだ。あいつ、家出してた訳じゃないのか…。
 ちょっと、残念。
 この前までいた原宿では、結構家出少年・少女と知り合いになれた。でも、数日前移ってきたここ渋谷では、まだ「お仲間」とは出会ってなかったので、実は密かに期待していたのだ。

 家を飛び出して、そろそろ半月。知り合った奴らの家を転々とする日々も板についてきた。
 なんだ。生きるなんてチョロいじゃん―――タカは、そう思い始めている。
 まだ子供の領域にいるタカでも、好景気で飽食なこの時代、都会でなら結構生きていける。金さえあれば、この街では生きるのは簡単だ。問題は、どうやって金を手に入れるかと、雨風凌げる寝床をいかにして確保するか―――タカは、それを手に入れられる人間と手に入れられない人間の違いは、要するに「やるかやらないか」の違いだ、と考える。
 「やらない」人間とは、法律や常識に忠実な人間、つまりグレてない奴。「やる」人間とは、社会規範無視の欲望に忠実な人間、つまりグレてる奴。そしてタカは、明らかに後者だから、見ず知らずの人間に「泊めてよ」とねだることも、万引きやカツアゲをすることも、決して躊躇ったりはしないのだ。
 タカは、背もさして高くはないし、顔立ちもまだ子供っぽい。けれど、不良仲間の先輩に倣って、凄みのきかせ方だけはやたらと上手い。自分より体格の優れたお坊ちゃん風の学生がガタガタ震えながら財布を差し出す瞬間などは、快感すら覚えてしまう。そして大抵、差し出された財布の中には、万札が入っているのが、今の世の中だ。

 そういうタカだから。
 どうやら自分と同じ家出少年ではなく、日頃カモとしている「金を持ってフラフラ遊び歩くお坊ちゃん」らしい、と判断した相手に対して、考えることはただ1つだ。

 「おい、お前」
 ガツッ、と、制服姿の少年が腰掛ける縁石の少し脇を蹴飛ばす。
 すると、それまで人の流れをぼんやり見ていた顔が、弾かれたようにタカを見上げた。
 遠目に見た時も、そこそこ美少年の部類に入るよな、と思っていた顔だが、近くで見ると余計にそう感じる。もしかしてハーフか何かだろうか。髪の色も目の色も全体的に薄く、肌の色も白人のそれに近い気がした。
 でも、美形だろうが二枚目だろうが、カモるのに影響はない。一番問題なのは、タカでも敵わないほどの強面だけ―――少なくとも、キョトンとタカを見上げるこの少年は、タカよりはるかに力が弱そうだ。
 「ここいらは俺の縄張りなんだよ。誰の許可とって、平日の昼日中からグダグダのさばってんだ? え?」
 かなり凄みをきかせた声でタカがそう迫ると、彼はキョトンとした目を更に丸くした。
 「許可、いるの?」
 もの凄く素に返されて、タカのいからせた肩がガクンと落ちた。
 「そうじゃねーだろっ。目障りだからショバ代払えってんだよっ」
 「ショバ代って?」
 ―――天然ボケかい、こいつ。
 呆れる。今時、田舎の中学生だってショバ代がヤクザや暴力団が使う“場所代”のスラングであること位は知っている。よほど世間に疎いか、外見そのままに最近日本に来たハーフとか、そういう奴だとでも思うしかない。
 かといって、ここで言葉の説明をするのは、物分りの悪い奴にブチ切れて暴力に持ち込む以上に格好悪い。はあぁ、と溜め息をついたタカは、苛立ったように髪を掻き毟った。
 「…っつーか、お前さぁ。おとついもあの辺にいただろ。何してんだよ、いっつもぼーっと座ってるだけで」
 投げやりな口調でタカが訊ねると、膝を抱えたままタカを見上げていた彼は、何故かふわりと嬉しそうな笑みを浮かべた。その柔らかな太陽の光みたいな笑顔に、さすがのタカも、一瞬ドキリとした。
 「“幽霊ごっこ”」
 「ゆうれいごっこ???」
 「オレ、時々、人から見えなくなっちゃうみたいなんだ」
 笑顔のまま告げられた言葉に、タカは眉をひそめ、ゴクンと唾を飲み込んだ。
 「…マジで?」
 「マジで」
 「じゃあ、消えてみせろよ」
 「そりゃ無理だよ。君はオレが見えるもの。見える奴には見えるし、見えない奴には絶対見えないんだ」
 「嘘つけ。俺以外の奴にも見えるに決まってんじゃねーかっ」
 「嘘じゃないよ。見える奴の方が少ないみたい。昨日だって、誰にも見つけてもらえなかった」
 そう言うと彼は、立てた膝の上に頬杖をつき、ふふっ、と笑った。
 「だから、君に見つけてもらえて、凄く嬉しいよ、オレ」
 「―――…」

 …変な奴。
 そう思う一方で、タカの、家出した不良少年とは別の部分が、本能的に彼の言葉の意味を察していた。
 見えなくなる。その意味が、物理的に消えてしまうという意味ではなくもっと心理的なもの―――気づいてもらえない、といった寂しさからくるものだ、と。
 その寂しさは、どことなく、タカ自身の持つ寂しさとも似ていた。

***

 「えっ、じゃあ、タカは中学生なんだ?」
 「そー。中学3年。シンジは?」
 「…高2」
 「ケッ。高2にもなって“ショバ代”も知らねーのかよ。よっぽどのお坊ちゃまだな」
 「まさか。これでも標準的だよ」
 「あ、そ。なら、これやってみろよ」
 ちょうど、操作をミスって、ゲームオーバーになったところだった。コーラの缶を掴んだタカは、背後に立ってタカのゲームを見物していたシンジに「座れ」というジェスチャーをした。
 「渋谷で遊び歩いてるんなら、1回位やったことあるだろ、“グラディウス”」
 「あるけど―――タカ、いいの? コンティニューしなくて。千円位使ってやっと3面クリア寸前までいったのに、お金もったいないよ」
 「いーんだよっ! 今日は調子悪いけど、本来は3面くらい軽々クリアなんだって! ほら、やってみせろよ」
 本当はまだ4面を見たことがないタカだったが、そんな虚勢を張ってみる。気が進まなそうなシンジの様子から「こりゃ素人だな」と読んだからだ。
 仕方ないといった顔をしたシンジは、溜め息混じりに空いた椅子に座った。タカより頭1つ背が高かったシンジを見下ろせることに、ちょっとした優越感を覚える。
 「“グラディウス”、いつも混んでて、あんまりやったことないんだよなぁ…」
 そう呟いたシンジは、コインをマシンに投入した。直後、お馴染みの音楽がスピーカーから流れる。
 「…1回じゃクリアできないかも」
 音楽に半分掻き消されたそのセリフが何を意味するのか、この時のタカは、正しく理解していなかった。


 それから30分後―――。
 「あーあ。やっぱり2回かかっちゃったな」
 「……」
 画面上には、タカは勿論のこと、地元の不良仲間もまだ見たことがない“グラディウス”のエンディング画面が表示されていた。
 まぐれでないことは、タカにも十分分かっている。何故なら、1回目のチャレンジの段階で、最終ステージのボスキャラとの対戦まで行っていたからだ。最後の最後で操作ミスをしてゲームオーバーしてしまい、しかも財布を探しているうちにコンティニューし損ねてしまったシンジは、ご丁寧にもう一度1面からやり直して、最後までクリアしたのである。
 「…お前さ。実はゲーセンの常連だろ」
 悔しさ半分、羨望の眼差し半分でタカが訊ねると、タカを見上げたシンジはくすっと笑った。
 「そうでもないよ。夏前からこの辺りうろつくようになるまでは、ゲーセンなんて入ったこともなかったし」
 「夏前からは、毎日来てんの」
 「時々かな」
 「例の“幽霊ごっこ”しに?」
 「うん」
 ―――やっぱり、変な奴。
 でも、ゲームが上手いという点は、タカにとってポイントが高かった。世間知らずで、自分のやるような遊びとは完全に無縁な奴と見下していた目が、ゲームクリアを境に一気に尊敬の眼差しに変わった。
 「…なあなあ。ボスキャラとの対戦て、なんかコツあんの」
 「うーん。攻撃より逃げるのが大事っぽいよ、オレから見ると」
 「ちょっと、もう1回見せろよ」
 「…あと500円しか持ってないんだけど」
 「俺が貸すっ! いいから、やれ!」
 隣の席の椅子をガタガタと引きずってきたタカは、シンジの隣にどっかりと腰を据え、ゲーム画面にかぶりついた。仕方ないなぁ、という顔をしたシンジは、タカが押し付けてきたコインを渋々ゲーム機に叩き込んだ。


 結局、シンジは、合計3回も“グラディウス”を最終面までやらされた挙句、疲れ果てて帰って行った。
 「なんだよ、帰るのかよ。どっかで飯食おうぜ。俺、結構懐あったかいから、牛丼位なら奢れるぜ?」
 500円しかない、というシンジの言葉を思い出してタカがそう言うと、シンジは微かに笑って首を振った。
 「ごめん。夜は、ちょっとまずいから」
 「門限とか? そんなもん無視しろよ」
 「そういうんじゃないよ。ごめん、せっかく誘ってくれたのに」
 本当に済まなそうにするシンジの様子に、タカは渋々、引き止めるのをやめた。
 それに―――夜になったら、昨日や一昨日知り合いになった連中が顔を出す。その連中は、タカ同様カツアゲをやったりシンナーをやったりする、いわゆる“悪い仲間”だ。そういった連中とシンジが仲良くなれるとも思えないし、シンジにそういう連中と同じことをして欲しくない。
 自分も“悪い仲間”の1人であるのにおかしな話だが―――なんとなく、タカは、そう思った。


***


 翌日、シンジは、また同じ場所に座っていた。
 そして前日同様、それをタカが見つけて、ゲームセンターに引きずって行った。

 「…タカ。その歳で煙草吸ってると、背、伸びないよ?」
 自販機からコーラを取り出しながら、シンジがそう言って眉をひそめる。
 シンジが心配するとおり、タカの背は160センチちょっとといったところ―――年齢的に見ても、成長過程にあるのは間違いない。タカの先輩でも、12歳の時から煙草を吸ってて、18になった今もタカとさして変わらない背丈の人がいたりする。自分も背が小さいままかもな、とは漠然と思っているタカだった。
 「伸びなくても構わねーもん。大きい方が見た目いいし女にモテるだろうけど、低くて困ること、別にないし」
 「美味いの、それって」
 煙草を吸った経験がないらしいシンジの問いに、タカは、煙草を口の端にくわえたまま首を傾げた。
 「美味い、ってのとは、ちょっと違う感じっつーか…気が休まる感じ? 舌で感じる味なんて、むしろ不味いよ。シンナーだって、なんでもない時あの匂いかぐと気分悪くなりそうになるけど、吸っちまうとあれで酔っ払った気分になれるし」
 「…それって、病気になって熱出て頭がイカれちゃうのと、大差ないんじゃない?」
 「かもなー。けど、どうでもいいや。俺、長生きしたくないし、大人にもなりたくないし」
 床に転がっていた空き缶を蹴飛ばしたタカは、“グラディウス”の台の前にどさっ、と腰を下ろすと、その台の上に頬杖をついた。
 「…うちの親父見てるとさ、大人なんて碌でもねーな、って思うぜ、ほんとに」
 「なんで?」
 「一流企業の課長だか部長だか知らねーけどさ。外面はそりゃあ立派なもんだぜ。びしーっとスーツ着込んで、毎朝7時半に家出て、ぎゅーぎゅーの満員電車に揺られながら都心まで出てきても、会社着く頃には髪の毛一筋も乱してねーんだから。大人としちゃ上等なんだろ、きっと。けど、俺はあいつなんか大嫌いだ」
 「…なんで?」
 「殴んだよ」
 吐き捨てるように言ったタカは、まだ立っているシンジを見上げて、自分の頬を拳で殴る真似をした。
 「酒飲むとさ、真夜中でも俺のこと引っつかんで、ぼかすか殴りやがんの。分かってんだ、俺。親父が何にそんなに苛立ってんのか。…最近、おふくろが財テク始めてさ。株ですんげー金儲けちまったんだ。いるだろ、財テク成金な主婦。あれがうちの母親。突然ブランド品買い漁り始めて、財テクママ同士で海外旅行行ったりさ。もう、やりたい放題よ。親父は、おふくろのそういう変貌振りが我慢できねーんだよ、きっと。自分より金稼いで、好き放題使ってりゃ、メンツもプライドもガタガタかもな、プライド高い奴だから。でも、おふくろ殴る訳にもいかないもんだから、代わりに俺を殴んのさ」
 「……」
 「信じられねー、って顔してんな。…でも、ほんとだぜ。財テクブームのせいで、離婚する夫婦だっているんだってさ。ハッ、ガキみてー。いい歳して何してんだか―――大人なんて、ほんと、碌でもないぜ」
 「…父親が殴るから、それで家出てきたんだ?」
 やっと椅子に腰掛けたシンジが、コーラのプルトップを引きながらそう訊ねた。プシュッ、という炭酸の音と同時に、タカは乾いた笑い声を立てた。
 「フハハ…ッ。殴られるのなんて、もう何ともねーよ。今じゃ俺の方が力強いからな。やりすぎだろ貴様、って時は殴り返してる。元々、俺がグレたのも親父の暴力のせいじゃない。おふくろがあれこれ口やかましいからだよ。弟のハルみたいに、おふくろのお気に入りにはなれねーの、俺は」
 「弟?」
 シンジの表情が、僅かに変わった。
 「タカ、弟いるの?」
 「いる。ハルっつって、1つ下の弟。ママに忠実な飼い犬でさ、名門の私立の男子校行くんだっつって、小学生の時から塾通いしてんの。それに比べて俺は、おふくろの言葉に忠実になれねーからさ、おふくろのやつ、ガミガミ怒鳴ってばっかだよ。家に居辛いのなんの…。それで夜遊び覚えちまったんだ」
 「…ふーん…」
 「―――親父も、ハルの方が気に入ってんだ」
 眉を顰めたタカは、灰が落ちかかっている煙草を摘むと、ゲーム機の上に置かれた空き缶の中に灰を落としこんだ。
 「この前、親父が殴りかかってきたら、ハルが俺のこと庇おうとして、俺の前に立ちはだかったんだ。そしたら親父の奴、どうしたと思う?」
 「……」
 「一旦、すごすご自分の部屋に引き返して―――ハルが寝静まってから、また俺のことたたき起こして殴りやがった。…自分がこんな風なのは、俺のせいなんだとさ。ハルもおふくろも悪くない、俺がグレてるから、根性叩き直すのが親の役目だって。…嘘つけってんだよ。おふくろが金遣い荒くなる前は、俺が何しても完全無視だったくせに」
 視線が、ゲーム機を通り越して、床の上に落ちる。苛立ったように髪を掻き毟ったタカは、短くなった煙草を口にくわえた。

 『お前さえいなけりゃ、うちは平和なもんだ。お前はお荷物なんだよ。さっさと出て行け!』
 床の上に倒れたタカに父が投げつけた言葉を思い出し、体の奥がカッと熱くなる。売り言葉に買い言葉で出てきてしまったが、馬鹿にしてる父親のガキな言動に乗ってしまった点ではムカつくものの、後悔は全然していない。
 実際問題、今頃、両親と弟は、自分抜きで平和に暮らしてるんだろう―――表面上は。
 飲んだくれた父は、ハルに手を挙げるだろうか? もしそうなら、ハルには可哀想だが、それも悪くない。母だって、お気に入りのハルがぶん殴られたら、きっと黙っていないだろう。バラバラになっちまえばいい、あんな家族―――もっとも、もう戻る気のないあの家が、壊れようが再建されようが、タカにはどうでもいいことだが。

 「…人間て、弱いね」
 イライラと脚を揺すっていたタカは、ふいにそんな言葉を耳にして、目をシンジに向けた。
 シンジは、タカの方を見ていなかった。
 どこか遠い所を、ぼんやりと見つめている―――どことなく寂しげな表情で。それは、シンジらしからぬ表情で、タカは少し不安を覚えた。
 「大人も結局、人間だからさ。…弱いことに、変わりはないんだよね、きっと」
 「…なんだよ、それ。だから許してやれってか?」
 不愉快そうにタカが眉を上げると、シンジの視線が、やっとタカの顔に戻ってくる。虚ろで寂しげだった顔は、少し困ったような、誤魔化すような笑いにとって変わった。
 「ごめん。タカの話じゃないよ。ただの、独り言」
 「…お前も、なんか悩みでもあんの」
 「ないよ」
 「怪しい! そうやって即答する奴に限って、とんでもねー悩み持ってたりすんだぞ! 俺の先輩もそうだったし、原宿で知り合いになった家出仲間もそうだった!」
 「ないよ、ほんとに」
 ムキになるタカに、シンジはコーラを一口あおると、ゲーム画面へと視線をそらしてしまった。
 「…ほら、タカ。やろうよ、“グラディウス”。今日こそ最終面クリアするんだろ?」
 「あ? ああ、うん…」
 唐突なはぐらかし方に、余計シンジには何かありそうで気になったのだが―――手を伸ばしてきたシンジが、コインをゲーム機に入れてしまい、心の準備ができないままにゲームスタートになってしまった。慌てたタカは、煙草の吸殻を空き缶の中にねじ込むと、ゲーム画面にしっかりと向き直った。


 結局、タカはその日も、最終面クリアまでは到達できなかった。
 「ちっきしょーっ。おもしろくねーっ」
 「タカは突進型だよね。逃げる方が得策な時もぶつかってっちゃうし」
 そう言って苦笑するシンジに、反論はできない。まさに突進型…避ければ済むものを、無理に撃墜しに行ってやられてばかりいたのだから。もしかしたらシューティングゲームには向いていないのかもしれない。
 「ボスキャラに衝突して爆死なんて、カッコ悪…。もういいや。腹減った。何か食いに行こーぜ。まだ時間あるんだろ?」
 「うん」
 席を立つタカに続いて、シンジも席を立った。
 近くのファーストフードにでも行くか、と話をしながらゲームセンターを出た時、ポン、とシンジの背中を誰かが叩いた。
 驚いたシンジと一緒に、タカも振り向く。そこには、シンジと同じ制服を着た少年が2人、立っていた。部活か何かの帰りらしく、2人共、学生鞄とスポーツバッグを重ねて持っている。
 「なんだ、やっぱり工藤だ。何してんの、こんなとこで」
 「寅之助ちゃん、怒ってたぜ。文化祭の役員決める大事なホームルームだってのに、またお前が逃亡図るから。明日覚悟してろよ、脳天に竹刀お見舞いされるの必至だから」
 どうやらシンジのクラスメイトらしいその2人の言葉に、シンジはちょっと笑顔を引きつらせながらも、困ったように頭を掻いた。
 「あー…、先生には、また謝っとく。何か訊かれても、適当に誤魔化しといてよ」
 「いいけどさぁ―――あ、えっと…その子、工藤の友達?」
 小柄な方の高校生が、シンジの隣にいるタカに目をやり、ちょっと戸惑ったような顔をする。
 その表情から察するに、シンジの友人にはそぐわないタイプだな、とでも感じているらしい。年齢的な意味でも…それ以上に、ガラの悪さという意味でも。制服姿の3人と、自分の違い―――それを感じた途端、今まで一番近く思えたシンジとの間に、頑丈なシャッターが一気に下ろされた気がした。
 ―――面白くねぇ。
 ムッ、と眉を上げたタカは、シンジがその質問に答える前に、挑発的な笑みを浮かべてシンジの背中を軽く叩いた。
 「悪い。気ぃ変わった。俺、ちょっと他の仲間んとこ顔出してくるわ」
 「え? でも、タカ…」
 「またな、シンジ」
 驚いた顔をするシンジとその友人2名に背を向けると、タカは、どこに向かうでもない道を歩き始めた。

 ―――所詮、あいつは、あっち側の人間だもんな。
 夜になれば真面目に家に帰って、エスケープはするけどちゃんと学校にも通ってて、部活なんかをやってるまともな友達もちゃんといて―――俺とは、別の世界の奴らだ。

 そんな別世界の人間に、自分の身の上話を目一杯してしまったことを、タカはちょっと後悔した。
 あいつに、俺の気持ちなんて分かる訳がない―――そういう自嘲的な気分が、体の底から湧いてきて、その日は眠りつくまでずっと気分が悪かった。


***


 翌日、シンジはいなかった。更に翌日も。
 ―――やめたのかもな、“幽霊ごっこ”。
 だからと言って、タカからすれば別に構うこっちゃないのだけれど。
 日曜日の渋谷は、若者でごった返している。不良仲間の行動時間は主に夜だ。夕方まで暇を持て余したタカは、適当な道端に腰を下ろし、胡坐をかいてぼんやり人の流れを目で追った。
 ―――確かに、幽霊になった気分だよな…。
 誰もタカに興味を示さず、通り過ぎていく。…あまり、気分のいい遊びではない。俺なんでこんな所にいるんだ? と情けない気分になるのは、タカがタカだからなのか。シンジだったら、この遊びを楽しめるのだろうか。
 やっぱりあいつ、変な奴だ―――そう思った時、向かい側の歩道を歩くシンジの姿を見つけ、タカは反射的に立ち上がってしまった。
 飾り気のない綿シャツにGパン姿のシンジは、ポケットに手を突っ込んで、ぶらぶら歩いていた。その向かう方向から、多分、例のゲームセンターへ行こうとしているらしいと分かる。もしかしたら、自分がそこにいると思って向かっているのかも―――そんな考えが頭をよぎり、タカは慌ててそれを追い払った。
 「友達と待ち合わせしてるだけもしれねーじゃん…」
 この前の様子から、シンジの高校がこの近辺にあることは容易に想像がつく。ならば、その友人とここいらで待ち合わせをしても全く不自然ではない。自惚れかける自分を諭すように呟いたタカだったが、つい気になって、車道を挟みながらも、なんとなくシンジの後をついていった。

 ―――だが。
 シンジの行く手に目をやったタカは、そこに、見覚えのある連中の姿を見つけ、表情を一変させた。

 いかにもガラの悪そうな、チャラチャラした服装の3人―――間違いない、原宿にいた頃、知り合いになった地元の不良グループだ。
 実は、タカが原宿から渋谷に根城を移したのも、あの連中とあまり上手く付き合えなかったからだった。脅すだけじゃなく、すぐに本気の暴力に訴えるやり方が気に食わなくて、実際にタカ自身も1回殴られた経験がある。女相手にかなりえげつない真似をしたという話もあるし、男相手でもそれは同様だと聞く。高3が2人と高2が1人の3人組みだが、裏では暴力団の連中と親しくしてるらしい。
 車道を挟んでいても、分かる。彼らの視線が、どこに行っているか。
 間違いなく、あと数メートルにまで接近しているシンジに、目をつけている。カモるためなのか、それとも甚振って遊ぶ気なのか―――そのどちらかは、シンジの外見が外見だけに、分からないけれど。

 やばい、と頭が判断した瞬間には、もう体が動いていた。
 ギリッ、と唇を噛んだタカは、歩道を飛び出し、車道を横切った。すれ違いざまに、不良連中の1人がシンジの腕を掴むのを見ながら。
 「シンジーっ!!!」
 間に合わないかもしれない、と焦ったタカは、自分の持っている最大ボリュームの声で、シンジの名を呼んだ。途端、不良にいきなり腕を掴まれて驚いていた顔がタカの方へと向けられ、それと同時に、不良3人組の顔もタカの方を向いた。
 一度ボコボコにした相手だと気づいたらしく、3人の目つきが笑いを含む。飛び込むように走ってきたタカの頭を、その中の1人が軽く小突いた。
 「よぉ、誰かと思ったらチビかよ。俺らにボコられて、厚木に逃げ帰ったかと思ってたぜ」
 頭に血が上りかけたが、それどころではない。肩で息をしながら3人を睨み挙げたタカは、シンジの空いている腕を掴み、ぐいっと引っ張った。
 「すいませんっ、こいつ、俺のダチなんで、放してやって下さい」
 「ああ? お前のダチに、なーんで俺らが遠慮しないといけねーんだよ。え?」
 「シンジ、行こうぜ」
 「え…」
 半ば強引に腕を引っ張るタカに、シンジはちょっと戸惑った顔をした。焦れて更にシンジの腕を引っ張ると、3人組みの1人がタカの肩を掴んだ。
 「お前は引っ込んでろっつーんだよ」
 「!!」
 乱暴にシンジから引き剥がされたタカは、その勢いのまま地面に転げた。縁石でガツンと肘を打ち、その痛みに悲鳴を上げそうになったが、奥歯を噛み締めて堪えた。
 「ほら、行こうぜ、にぃちゃん」
 タカが派手に地面に吹っ飛ぶのを確認した連中は、そう言ってシンジの背中をぽん、と叩いた。が、シンジは、一瞬その隙に自分の腕を掴む手を振り解くと、転がっているタカのもとへ駆け寄った。
 「タカ! 大丈夫?」
 「だ…大丈夫…」
 助け起こしてくれるシンジに、なんとか笑顔を返そうとするが、打ち付けた部分がジンジンと痺れていた。半分涙目で起き上がったタカだったが、次の瞬間、シンジの背中を掴む手を目にして、一気に頭に血が上った。
 「こいつには手ぇ出すなっつんだよっ!!」
 パシン、とその手を払い除けると、3人の殺気が俄かに増すのが感じられた。
 「このガキ…! いっぺんボコられただけじゃ満足できねーみてーだなぁ!?」
 振り上げられた足が目に映った直後、タカは側頭部に蹴りを入れられて、また地面に転がってしまった。
 火花が目の中でパチパチと散る。自分を助け起こした筈の手が再び離れたのを感じたタカは、グラつく頭を無視して、無理矢理起き上がった。そして、しつこく腕を掴む相手を必死に振り解こうとしているシンジの姿を見て、何かがプチンと音を立てて切れた。

 多分、この瞬間が「キレた」瞬間だと思う。
 ここから先のことを、タカはあまり覚えていない。

 殴るな、逃げろ、とシンジが叫んだ声は聞いた気がする。
 傍にあった鉄板製のたて看板を引っつかんで振り上げたのは覚えている。
 それを3人の1人めがけて投げつけたのも覚えている。
 残り2人に、散々ぶん殴られ、蹴られ、それをシンジが必死に止めようとしてたのも覚えている。


 正気に戻った時―――タカを抱き起こしていたのは、制服を着た、近くの交番の警察官だった。


***


 1時間後―――タカとシンジは、警察にいた。

 タカは、あちこちに怪我を負っていた。いずれも軽傷だが、殴られたせいで目は半分塞がれ、口の横も腫れあがっている。婦人警官が簡単な処置はしてくれたが、ちゃんと病院に行く必要があるのは明らかだ。
 シンジの方は、あまり怪我をしていなかった。僅かに負った傷も、タカを連れて逃げようとした時や、タカを殴ろうとする相手を止めようとして振り払われた時にできた傷だ。
 警察が駆けつけたのは、シンジが周囲の人間に必死に訴えたからであり、結果的にはタカを助けてくれたのはシンジということになる。仕掛けられた喧嘩に真正面から立ち向かって自滅したタカとの違いは、なんだか“グラディウス”のボスキャラとの対戦の時を思い出させられて、タカはなんとも陰鬱な気分になった。
 「…カッコ悪…」
 雑然とした警察署の片隅に置かれた応接セットに沈み込みながら、タカはボソリとそう呟いた。
 本当に、格好悪い。
 なにせ、今回の騒動のせいで、警察から家族に連絡を入れられてしまったのだから。

 勿論、最初の頃タカは、警察に身元を明かすのを一切拒否した。今回の場合、タカとシンジは被害者であり(例の3人は、少年課で現在取調べ中らしい)、家族に連絡をしたところで問題がある訳ではないのだが、家出少年である立場からしたら大問題だ。しかし、婦人警官の一言で、タカは連絡先を明かすしかなくなった。
 『君のその怪我、病院で診てもらわないとまずいと思いますよ。診察代って、保険きかないと結構高いんだけど…君、まだ未成年でしょう? 払える当てはあるのかしら?』
 家には親の保険証がある。それだけの理由で、あっさり白旗を上げてしまった自分が情けなかった。でも、そうなったのには、もう1つ理由があった。
 『実は、数日前から、厚木署からの照会で中学生位の男の子を捜してたんです。君、石倉孝弘君でしょう? 特徴がピッタリ一致するから。…ご家族から捜索願が出てますよ。早く連絡してあげましょう』

 「―――ホント…カッコ悪…」
 はーっ、と大きな溜め息をついたタカは、ズルズルとソファに沈み込んだ。
 捜索願? 家族から? 一体誰が出したのだろう。父? 母? 弟のハルが一番可能性が高いが、中学生に捜索願なんて提出できるんだろうか。とにかく、思いもよらなかった。自分なんかを、あの家族が捜しているなんて。
 そんなタカの隣に座っているシンジの身元は、所持していた学生証からすぐに判明した。地元高校に通っているということで、家出少年の疑いはかけられずに済んだが、親を呼んで引き取ってもらおう、という段になって、シンジはこんな事を言った。
 『すみません―――引き取る大人を呼ばなきゃいけないんなら、うちの担任の、西條先生に連絡入れて下さい。…親、今日留守なんで』
 最初は訝った警察側も、その西條先生という人に連絡を入れてみたところ、すぐに駆けつけると言ってくれたので、さして深くシンジを追究したりはしなかった。けれどタカは、ほんとに親が留守なのかどうか、甚だ疑問視している。
 「俺も、学校の先公呼びゃーよかったな。親の顔見るよりマシだった」
 不貞腐れたようにそう呟くタカに、シンジは、少し眉をひそめた。
 「…捜索願を出してるってことは、それだけ心配してたってことだよ。早く元気な顔見せてやりなよ」
 「ケッ、優等生なお返事だぜ、そんなの。お前にはわかんねーよ、俺んちの両親の俺に対する無関心ぶりなんて」
 「…でも、少なくとも弟は違うだろ?」
 シンジの目が、少し悲しげに細められる。けれど、もうすぐ家族が駆けつけることを考えて動揺しているタカは、そんなシンジの表情にも気づかない。ぷい、とそっぽを向いたまま、イライラしたように膝に乗せた足をせわしなく揺すっていた。

 そのまま、無言の5分ほどが過ぎる。
 ガヤガヤとした署内の音の中、ふと、耳慣れた声を聞いた気がしたタカは、ハッと顔を上げ、声がした方に目をやった。
 見るとそこには、少年課の署員と何やら話をしている父の姿と、その隣でキョロキョロ署内を見回している弟の姿があった。弟は、ちょうどタカの方を見ていたところで、半ば腰を浮かしかけたタカと目が合うと、その大きな目を余計大きく見開いた。
 「―――兄ちゃんっ!!!」
 「あ、こら、晴彦!」
 驚く父の制止も振り切って、弟はタカの方に走ってきた。
 背のあまり高くないタカよりも、更に背の低い弟―――目に涙を浮かべ、一目散に駆けてきた弟は、立ち上がったタカに、走ってきた勢いのまま抱きついた。その衝撃に、さすがにタカの足元がぐらつく。
 「バカ…! 兄ちゃん、今までどこほっつき歩いてたんだよ…っ!」
 警察中に響き渡ってしまいそうな声で叫ぶ弟に、タカはうろたえながらも、その頭をぽんぽんと撫でた。
 「ご…ごめん…。ハルにも言わずに、家出ちまって」
 「怪我したって? 大丈夫なのかよ。酷くやられたのかよ」
 「大丈夫―――大丈夫だって、心配すんなっ」
 ―――こんな奴だっけ、ハルって。
 半ば咽るようにしながら泣きじゃくる弟を見下ろし、なんだか複雑な気分になる。優等生で落ち着いた奴だと思っていたのに―――むしろ、自分より頼りになる弟の筈なのに。もしかして自分が不在の間に、あの父に殴られたりしていたのだろうか。だとしたら、弟には本当に詫びなくてはいけない。
 「ごめんな、ハル」
 自然と、その言葉が出てきた。晴彦は、タカの肩に顔を埋めたまま、ふるふると首を振った。
 「と…父さんも母さんも、僕も、あれから何日も兄ちゃんのこと捜したんだ。でも、見つからなくて―――地元の不良グループと喧嘩にでもなって、横浜港にでも捨てられてたらどうしよう、って…」
 「……」
 「良かった…兄ちゃん、生きてて。怪我も思ったほどじゃなくて良かった」
 「…うん…ごめんな」
 晴彦の頭を撫でながら、タカは、視線を父の方へ向けた。
 まだ署員と何かの手続きをやっている父も、一瞬、タカの方を見る。けれど、タカと目が合った瞬間、気まずそうに目を逸らした。それだけで―――なんとなく、父の心理は、理解できた。
 後悔してるんだな、と。
 どの辺りまで後悔してるのか分からないが、とにかく―――少なくともあの日、自分の弱さをタカのせいにして怒鳴り散らしたことは、後悔しているのだろう。それだけは、なんとなく分かった。

 と、その時、父の背後をかすめるようにして、中年輩の男性が署内に入ってきた。
 あまり背の高くない、頑固そうな顔をした男性は、署内をぐるりと見回すと、タカの背後に座っているシンジに目を留め、ホッとしたような顔をした。
 「工藤!」
 迫力のあるテノールが響くと、シンジは顔を上げ、立ち上がった。そして、駆け寄る男性の顔を見ると、少し安心したようにフワリと微笑んだ。
 「先生」
 「大丈夫か」
 「はい。すみませんでした。休みの日なのに」
 「何を言っとるか。怪我はどうだ、軽いのか」
 「大丈夫です。タカが助けてくれたから」
 名前を出されて、一瞬ギョッとしたタカだったが、先生と呼ばれたその男に顔をじっと見られ、つい愛想笑いのような笑みを返してしまった。
 「そうか…そりゃあ、何よりだった」
 ほっ、と息をつくと、先生はシンジの背中をポン、と軽く叩いた。その顔に、やっと笑みが浮かぶ。どうやら大事にはなっていないようだと察したらしい。
 「孝弘」
 先生とシンジに気を取られていたタカは、受付の辺りから父に呼ばれ、慌てて振り向いた。
 「来なさい。帰るぞ」
 「…うん」
 てっきり、乗り込んできて一発殴られるかと思ったのに―――結構、肩透かしだ。拍子抜けしたような顔になったタカは、まだ抱きついている弟を引き剥がし、シンジの方に向き直った。
 シンジも、一連のやりとりは耳にしていたらしい。先生の陰に入ってしまっていたタカに顔を見せるように、少し右に出て、タカの方に向き直っていた。
 「…じゃーな」
 ニッ、と笑ってタカが言うと、シンジはふわりと微笑んだ。
 「うん。ありがとう、タカ」
 ―――ほんとは、礼言うのは逆のような気ぃするけど…。
 まあいいや、と思ったタカは、弟を引き連れて、父の方へと向かった。

 その、すぐ後で。

 「…それで、工藤。おふくろさんは、どうだ? 大丈夫か?」
 「―――はい。命に別状はないって。…父も一緒にいるから、きっと…」
 「バカ。それでも、息子のお前が付き添ってやるのが筋だろう。なんでこんな所で…」
 「…すみません…オレは、いない方が、いいんです…」

 背後で、そんなやりとりが聞こえて、思わずタカは振り返った。
 心配げな先生の横顔と、俯き加減なシンジの横顔が見える。一瞬聞こえた断片的な単語に、タカは、背中を冷や汗が伝うのを感じた。


 ―――もしかして、ここ2日来なかったのは、そのせいかよ…?
 命に別状、という言葉は、そう簡単に出てくる言葉じゃないこと位、タカにも想像がつく。よほどの重病か、大きな事故か―――ただの風邪とか軽い怪我で使う言葉じゃないだろう。でも、それ以上にタカの胸に突き刺さった言葉―――“いない方が、いいんです”。
 そもそも、出会った時にシンジに感じた、自分が抱える寂しさとどこか似通った寂しさ。タカの話を聞いて、シンジがぽつりと呟いた一言―――これまでにも何度か、こいつって結構不幸抱えてるんじゃねぇの、と思った瞬間があった。はっきりとではなく、漠然と、そう感じていた。だからこそ、自分の不幸をつい話す気になってしまった部分もかなりある。
 シンジは多分、あの同じ制服を着た少年たちにも見せなかったものを、あの日、ゲームセンターで話をした時、一瞬だけ自分に見せてくれていたのだ。なのに自分は、シンジが誤魔化していることに気づいていながら、それ以上何も訊こうとしなかった。自分の憤懣ばかりぶちまけて、お前に何が分かると拗ねた態度までとってしまった。
 何故、強引にでも、深く訊ねてみようと思わなかったのだろう?
 表面的なシンジの穏やかさに紛れていた、シンジのもう一つの顔―――何故、覗いてみようと思わなかったのだろう?

 シンジのその顔を暴くことができたら。
 腹を割って話をすることができたら―――親友に、なれたかもしれないのに。


 「兄ちゃん?」
 晴彦の怪訝そうな声で我に返ったタカは、慌てて前に向き直り、また歩き出した。心臓が、バクバク音を立てているが、それを違う意味に解釈するであろう父を目前にして、自分の中の動揺を表に出す訳にはいかなかった。

 地元の厚木に戻れば、渋谷界隈に遊びに出ることは稀になる。地元の付き合いもある。
 …多分、シンジと会うことは、もうないだろう。それが分かっているだけに―――後悔が、胸をしめつける。でも、唇を噛んだタカは、その痛みを抑えつけると、キッ、と前を向いた。

 “君が見つけてくれて、嬉しかった”―――そう、シンジは言った。
 傷を舐めあうだけが、友情じゃない。シンジの言った「ありがとう」は、きっと自分が感じている「ありがとう」と同じ位の大きさを持っている―――何故かタカは、そう信じることができた。


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