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&-04:飴玉と花火


 久々に翔子からかかってきた電話の内容は、思いがけないものだった。

 「え、お祭り?」
 『そう。昔、毎年行ってたでしょ』
 「うん…、神社のでしょ」
 地元の神社の、ちょっと早い夏祭り。七夕の前後にやるので、勝手に“七夕まつり”なんて地元民に呼ばれていたが、実際には神社の名前を冠したお祭りだ。
 『今度の土曜なんだけど、蕾夏、一緒に行かない?』
 「えっ? な、なんで突然?」
 『いいじゃない、久々に。由井君も蕾夏に会いたがってることだし』
 「由井君、って……え、由井君も一緒に行くってこと?」
 『そうよ?』
 「…由井君だけ?」
 『そうよ?』
 「……」
 ―――ええと。
 この状態を、どう解釈していいものやら、悩む。うーん、と受話器を片手に首を傾げる蕾夏の背中に、何の話をしてるんだ、と訊きたげな瑞樹の視線が突き刺さった。
 『ねえ、行かない? もしかして土曜の夕方も仕事?』
 「あ、ううん、別にそういう訳じゃ。でも…」
 『なんなら、別にいいわよ、お邪魔虫引き連れて来ても』
 「…それ、瑞樹のこと?」
 『他に誰がいるのよ』
 背後からの視線が、ますます痛くなる。自分の名前が出て来たからだろう。その視線を避けるように、蕾夏はますます体を縮めた。
 「え、ええと…、土曜日の何時くらい? 一応、前向きに考えてみるから」


 簡単な打ち合わせをし、翔子に「必ず来てよね」と念を押され、やっと電話を終えた。
 「…もー、相変わらず唐突で、強引なんだから」
 「いい加減、友達やめろよ」
 新聞を折りたたみつつ、瑞樹が冷たく言い放つ。翔子の瑞樹嫌いも筋金入りだが、瑞樹の翔子嫌いは、それを上回るかもしれない。
 「…瑞樹って土曜日、打ち合わせ入ってたよね」
 「昼間な。夕方までには終わる」
 「って、来る気!?」
 当然、翔子お嬢様のお誘いなんかに乗れるか、と突っぱねると思っていた。思わず蕾夏が叫ぶと、瑞樹は、露骨にムッとした表情になった。
 「俺が行っちゃまずいのかよ」
 「そ、そーじゃないけどっ。でも…翔子だよ?」
 「翔子だから、だろ」
 「は?」
 「あの女の考えることは、何か裏がありそうで心配だから」
 「……」
 真顔で言われ、返答に困る。
 勿論、瑞樹がそんな風に怪しむ原因は、瑞樹と翔子の出会い方にある。瑞樹から蕾夏を引き離し、兄とくっつけようと躍起になっていたあの頃―――もう随分経つというのに、瑞樹はいまだにその時のことを根に持っているらしい。もっとも、翔子の方も、兄が結婚したり蕾夏が瑞樹と暮らし始めてしまったりで、もう諦めるしかない、と感じたからこそ表に出さないものの、あの頃の瑞樹に対する敵愾心は全然変わっていない様子だが。
 ―――でも、瑞樹じゃないけど、確かに何か裏がありそうだよなぁ…。
 毎年行われているお祭りなのに、今年に限って何故誘うのか。それに、由井―――彼は現在、会社の後輩と付き合い始めたばかりの筈だ。なのに、由井だけ来る、というのは、翔子が元カノであることを考えると、どうなってるんだろう? と心配になってくる。

 なんだか変な感じだが、とりあえず、行ってみようかな。
 蕾夏はそう考え、手帳にスケジュールを書き込んだ。


 ところが。
 このお誘いには、やはり、裏があった。しかも、2つも。


***


 瑞樹が由井と会うのは、由井がレンタルビデオ店に助っ人として来ていた時以来である。
 「どうも、お久しぶりです」
 相変わらずのホワホワした笑顔で挨拶する由井に、瑞樹も薄い笑みで応えた。が……視線はどうしても、由井以外のところに向いてしまう。
 「…それは、一体、誰なんだ?」
 由井の足元にまとわりついているのは、どう見ても、3歳か4歳あたりの年頃の、男の子で。
 瑞樹の指摘に、由井は、困ったような笑顔で子供を見下ろした。
 「姉の子なんです」
 「てことは……由井の、甥っ子か?」
 「そうです」
 「……似……」
 ―――…似てねぇ…。
 由井は、かつて女の子と間違われたことが多々ある、というほど、中性的で可愛らしい顔をしている。が…、その甥である筈の足元の生物は、目はつり上がり、口はへの字で―――簡単に言うなら、可愛げのない顔だった。ぶすっ、と無愛想な顔のせいで、せっかく着せられている白地に青い金魚柄の子供用ゆかたの可愛さも、8割減だ。
 「今日って、大安でしょう? 姉も義兄も、揃って友達の結婚式に出席する羽目になっちゃって…しかも、うちの親も留守ときてるものだから、僕がこの子のお守りを仰せつかっちゃったんです」
 「…で、夏祭り、か?」
 「姉の命令なんですよね…。まだお祭りに連れて行ったことがないから、ちょうどいいから連れて行ってやってくれ、って。ゆかたは何とか母に頼んで着せたんだけど―――金魚すくいやってるとこと、わたあめ食べてるところをちゃんと写真に撮ってくれ、って言われちゃって」
 「……」
 「子供に慣れてない僕が、あの人ごみの中、ただ連れて行くだけでも大変なのに、その上写真も撮れ、って無茶でしょう? 付き合ってる彼女に頼もうにも、彼女も用事あるし……それで、辻に相談したんです。でも辻、子供苦手な上に、写真も絶望的に下手ときてるんで―――なら、藤井も呼べばいいんじゃないか、って辻が言い出して」
 …ほらみろ。
 やっぱり裏があった。
 蕾夏を誘えば、もれなく瑞樹がついてきます。…つまりは、そういう魂胆だろう。蕾夏を2階に連れて行ったきり、さっぱり戻ってくる気配のない女の顔を思い浮かべ、瑞樹の眉がつり上がった。
 「…ほんと、すみません…」
 申し訳なさそうな顔をする由井に、瑞樹は、極めて冷静に対応した。
 「…いや。こいつ、名前は?」
 「ケントです」
 「ケント?」
 「健康の健に人、で、健人」
 「…ああ、健人、ね」
 一瞬、外国人の名前かと思った。この典型的アジア系の無愛想顔にケントはねーよ、と思ったが、漢字を思い浮かべれば、別に変ではなかった。それにしても、撮る気の失せる可愛げのなさだな、と瑞樹は健人を見下ろした。
 すると、健人の方も、なんだよこのおっさん、という顔で、瑞樹をジロリと見上げてきた。
 「……」
 ただでさえ悪印象だったのが、これ以上落ちようがないレベルまで、落ちきった。

 「お待たせー」
 瑞樹と健人が静かな睨み合いをしているところに、翔子の声が割って入った。
 やっと戻って来たのか、と顔を上げた瑞樹は、次の瞬間、息を呑んで、固まった。
 やたら嬉しそうな笑顔の翔子の傍らで、少しうな垂れるような姿勢でおずおずと出て来た蕾夏は、さっきまでのジーンズにTシャツ姿ではなくなっていた。
 落ち着いた濃紺地に、朱や淡い桃色をした撫子の花模様が鮮やかに染め抜かれた、上質そうな浴衣。それに紫がかった帯を締めた蕾夏は、家で原稿を書く時のように、髪を結い上げていた。が、いつもの「適当にまとめ上げました」という感じの結い上げ方ではなく、かんざしを挿した浴衣仕様のまとめ髪だ。
 「見てよ、似合うでしょ?」
 「うわー…、藤井、別人だよ、別人!」
 幼馴染2人が興奮する中、瑞樹は、咄嗟には反応できずに、呆然としていた。そんな瑞樹の目に気づき、蕾夏はますます気まずそうな顔になり、体の前で組んでいた手を組みなおした。
 「まーちゃんの奥さんの叔母さんの友達が、呉服屋さんでね。どういう理由かよくわからないんだけど、私に浴衣を新調してくれたの。でも私の顔って、和服が似合わないのよね、濃すぎて…。それに、柄も全然好みじゃないし。で、ふと思いついたのよ。蕾夏になら凄く似合うんじゃないかしら、って」
 自慢げに翔子がそう説明する隣で、蕾夏は翔子が着ているワンピースの背中の辺りを、ぐいぐい、と引っ張った。
 「ね、ねぇ…、やっぱり、やめない? 翔子だって普通の服で行くんでしょ? この歳で浴衣なんて、コスプレだよ…」
 「あら、駄目よぉ。脱いじゃったら、蕾夏を呼んだ意味、ないじゃないの。成田さん、いっぱい蕾夏のこと、撮ってね。焼き増ししてもらって、コレクションに加えなきゃ」
 「……」
 コレクション?
 翔子以外の3人の頭に、ぽん、とはてなマークが浮かぶ。が、コレクションに関する説明はなく、翔子は惚れ惚れと、浴衣姿の蕾夏を眺めるばかりだった。
 …もしかしたら、翔子には、ちょっとばかりレズの素質があるのかもしれない。しかも、蕾夏限定で。そう思うと、ちょっとなぁ、と思わないでもないのだけれど。
 ―――無理して仕事終わらせて来た甲斐があったな。
 健人の可愛げのなさに、来るんじゃなかった、と後悔していた瑞樹なのに、「浴衣姿の蕾夏」という必殺アイテムで、あっさり機嫌が良くなってしまったのだった。


***


 知らなかった。
 着物って、こけし体型でないと、着られないものなんだ。

 「…苦しいー…」
 外から見たらわからないが、蕾夏のゆかたの下には、タオルが合計3枚、胸の下から腰の上までのくびれた部分にぐるぐる巻きにされている。ちゃんとした人が着付けてくれたから、締め付け具合などは問題ないのだが、梅雨独特の湿っぽい暑さの中にこのぐるぐる巻きは、物理的に、というより、精神的に苦しかった。
 「もー、こんな目に遭うってわかってたら、絶対来なかったのに」
 「来ちまったんだから、諦めろ」
 そう言いつつ、瑞樹がシャッターを切る。微かに耳に届いたシャッター音に、蕾夏は瑞樹の方に顔を向け、困ったように眉をひそめた。
 「私じゃなくて、健人君撮らなきゃダメじゃない」
 「金魚すくいとわたあめ、が依頼内容だろ。それ以外撮れなんて一言も言われてねーから、撮りたくない」
 「そりゃあ、指示されたのは金魚すくいとわたあめだけど……それ以外の写真だって、ほんとは期待してるんじゃない? お祭りのワンシーン、てことで、他のシチュエーションが思い浮かばなかっただけで」
 「…かもな」
 ふっ、と息をついた瑞樹は、雑踏の中で立ち止まり、軽く辺りを見回した。
 「でも、まずは、あいつらがどこに行ったか、探さないと」
 「……」

 迷子である。
 といっても、健人のことではない。健人は、今、蕾夏に手を繋がれて、すぐ足元に立っている。
 迷子は、大人の方―――途中で知り合いに会ってしまい「後から追いつくから」と言っていた由井と、屋台にふらふら近寄ってばかりいて、何度も置いていかれそうになっていた、翔子である。

 「間抜けなことに、さっき買ったわたあめも由井が持ってるから、写真撮れねーし」
 「…健人君に持たせればよかったね」
 蕾夏がそう言ってため息をつくと、ふいに、くいっ、と手が引かれた。
 「?」
 見下ろすと、健人が、相変わらずの無愛想な顔で、蕾夏の手をくいくい引いていた。
 「どうしたの、健人君? 疲れちゃった?」
 大人の蕾夏でも疲れを感じる、かなりの人ごみだ。小さな健人なら、尚更だろう。心配になって蕾夏が訊ねると、健人は1ミリも無愛想顔を変えず、短く告げた。
 「ウルトラマン」
 「……え?」
 「ウルトラマンの、お面、欲しい」
 「……」
 健人が指差す先には、健人より少し大きな子が、ウルトラマンのお面を頭に乗せて、母親と父親に手を引かれて歩いている姿があった。見た覚えはないが、多分、何軒も連なっているこの屋台のどこかに、あのお面を売っている屋台があるのだろう。
 買ってやるのは別に構わないが、今は、なるべく動き回らない方がいい。困ったように眉を寄せた蕾夏は、少し身を屈めて、健人に謝った。
 「うーん…、ごめんね、健人君。後でね」
 「やだ。ウルトラマン、欲しいっ」
 「後で、買ってあげるから。もうちょっと待っててね」
 そう言う蕾夏に、健人のへの字をした口が、余計曲がった。
 「じゃあ、花火」
 「は、花火?」
 「花火、やりたいっ。花火花火」
 「は、花火は……あ、さっき売ってたっけ。う、うーん、でも、ごめん、それも後でね」
 「やだっ。花火ー」
 「お願い、もう少し待ってて。叔父さんたちが戻って来てから、ね」
 「やだやだー。花火やるんだ。はーなーび、はーなーび、は」
 「うるせえっ!!!」

 頭上から突き刺さってきた怒鳴り声に、健人の抗議の声が、ピタリ、と止まった。
 ビックリして呼吸が止まってしまったみたいになった健人は、怒りのオーラで睨み下ろしている瑞樹を見上げ、ひくっ、と一度喉を鳴らした。
 「ちょっと優しくされたからって、つけ上がりやがって―――しまいにはその辺に放り出して置いて帰るぞ! 男ならガタガタ言うなっ!!」
 「…………」
 みるみるうちに、健人の顔が、くしゃくしゃに歪んでいく。
 そして、あっという間に、健人はわぁわぁと声を上げて泣き出した。
 「うわああああぁん、ママあぁぁぁぁ」
 「け、健人君…」
 「ママーぁぁぁ」
 火が点いたように泣き出した健人に、周囲の客も、何事か、と3人の方に視線を向けてくる。居心地の悪いこと、この上ない。
 ―――…やっぱり、来なけりゃ良かったかも…。
 踏んだり蹴ったりなこの展開に、蕾夏はがっくりとうな垂れてしまった。

***

 もう何ともしようがないので、2人は、泣きやまない健人を連れて、雑踏を抜け出した。
 境内の脇にある石段に座り、蕾夏が健人をなだめながら涙を拭いてやっていると、にゅっ、と目の前に何かが突き出された。
 見上げると、一旦、雑踏の方に戻っていた瑞樹が、憮然とした表情で花火セットとウルトラマンのお面を差し出していた。何を買いに行ったのかと思えば―――口や表情とは反対な瑞樹の優しい行動に、蕾夏はくすっと笑い、花火セットを受け取った。
 「マッチも屋台の親父から頂戴してきたから、できなくはないぞ」
 「ありがと。…健人君、花火、できるよ。やる?」
 蕾夏が、健人の顔を覗き込みながら訊ねると、まだグスグスと鼻をすすっている健人は、無言で首を振った。
 「…可愛くねーガキ」
 ちっ、と舌打ちする瑞樹に、蕾夏は苦笑を浮かべ、健人の頭を軽く撫でた。
 「…きっと寂しいんだよ、健人君」
 「寂しい?」
 「由井君の話だと、健人君、ご両親が共働きで、いつも保育園の延長保育を、ギリギリの時間まで利用してるんだって。お迎えが次々来る中、最後まで1人で残されて―――お休みの日くらいしか、まともに親に遊んでもらえないでしょ。なのに、せっかくの休日に、お父さんもお母さんもいなくて、知らない人に囲まれちゃって……心細かったんだと思うよ、きっと」
 蕾夏の言葉の意味を理解したかのように、健人の顔が、またくしゃくしゃに歪む。そんな健人の頭に、蕾夏は、瑞樹から受け取ったウルトラマンのお面を乗せてあげた。
 「お父さんやお母さんと一緒の時なら、きっと、もっと可愛い顔で撮れたんだろうにね…」
 「……」
 そんな2人を、瑞樹は複雑な表情で見下ろしていた。
 が、おもむろにカメラを手にすると、ウルトラマンのお面を頭の斜め上に乗せて片目をこすっている健人の様子をファインダーに捉え、シャッターを切った。
 「え…っ、と、撮ったの?」
 「撮った」
 どこかまだ憮然とした口調で言った瑞樹は、はぁ、と大きなため息をついて、ちょうど健人を挟むように、健人の隣に腰掛けた。
 「両親も、こいつのこの泣き顔見たら、少しは仕事の仕方とか、考えるだろ」
 「……」
 「ほら、健人」
 ポケットをごそごそと探り、何かを取り出すと、瑞樹はそれを健人の目の前に差し出した。
 それは、綺麗な虹色の包み紙に包まれた、ちょっと大きめサイズの飴玉だった。
 突如差し出された飴玉に、健人は、目をキョトンと丸くし、飴玉をじっと見つめた。そのまま、いつまでもじっと見つめているので、業を煮やした瑞樹は、包み紙を剥いて飴玉を直接、健人の口に軽く押し付けた。
 「泣いてる位なら、これでも舐めとけ」
 「……」
 頑なにヘの字に曲げられていた健人の口が、僅かに開く。恐る恐るといった感じで飴玉を口に入れた健人は、やがて、カラカラ音をたてて、飴玉を舐め始めた。
 「どうして瑞樹が、飴なんて持ってるの?」
 「ウルトラマンの面買ったら、サービスでくれた」
 「ふぅん…」
 「…海晴を泣き止ませる時にも、よく、飴とかチョコレートを使ったよな」
 どことなく懐かしげな口調で、瑞樹がポツリと呟く。
 その呟きを聞いて、今、瑞樹が何を思い、何を考えているのかが、なんとなくわかった気がした。

 ひるがえる、朝顔の絵の入った浴衣の袖。
 繋いでいた手を放し、駆けて行く背中。
 呼んでも、呼んでも、振り返りもしない、母の後姿―――不安と、孤独と、悲しさに押しつぶされそうになりながら、それでも、泣きじゃくる妹の手を必死に握っていた、まだ4歳の瑞樹。

 ―――そう言えば…夏祭りは、瑞樹にとって、悲しい思い出の舞台なんだっけ…。
 そんなことを思ったら、なんだか、口をヘの字に歪めた健人の無愛想な顔が、小さい頃の瑞樹の姿とだぶって見えた。
 「…よし、やっちゃおう、花火」
 そう言った蕾夏は、よいしょ、と立ち上がり、すぐ傍に転がっていた空き缶を拾い、水場へと向かった。


 勿論、ここは神社で、今はお祭りの最中だ。健人はねずみ花火をやりたがったが、当然、却下。水を汲んできた缶を傍らに置き、始められたのは、線香花火だった。
 「綺麗ー…」
 花火なんて、何年ぶりだろう? 多分、翔子と中学生の時にやったのが最後ではないだろうか。パチパチと火花を散らす線香花火を見ながら、蕾夏は懐かしさに口元をほころばせた。
 「私、なんか、線香花火って、好きだなぁ」
 「どの辺が?」
 「ドーン、ていう打ち上げ花火も、確かに華やかで綺麗だし、手持ちの花火でももっと勢いがあって綺麗なの、いっぱいあるけど―――なんだろう、このパチパチした火花って、日本的ワビ・サビを感じない?」
 「…ワビ・サビ、ねぇ…」
 「最後にぽとん、て落ちるとこも、風流でいいし。なんかね……さほどやった覚えもないのに、他の花火と違って、線香花火ってノスタルジーを感じさせるの。日本人のDNAに、線香花火DNAってのが組み込まれてるのかなぁ…」

 パチパチと飛び散る花火を見つめる蕾夏の表情は、穏やかだった。
 そしていつの間にか、健人のへの字口も、うっすらと微笑んでいた。
 そんな光景をファインダーに収め、瑞樹は、何度かシャッターを切ったのだが、花火に魅せられている蕾夏と健人は、そのことにすら気づいていなかった。
 「あー、終わっちゃった」
 手にしていた線香花火の最後の火が、ぽとん、と地面に落ちると同時に、健人が残念そうに言った。
 その声に被るように、背後の雑踏の方から、大きな声が聞こえてきた。

 「えー、マエダユウコちゃん、マエダユウコちゃん、お父さんが探してますから、金魚すくいのところまで来て下さい」

 それは、祭りの実行委員会の人が、迷子を探して拡声器でアナウンスしている声だった。やはりこれだけの人出なので、情緒ぶち壊しでも、こうした対策は取っているらしい。
 「…ふーん、迷子のご案内、か」
 フィルムを巻き上げながら、瑞樹が、どこか含みを持たせた口調で、そう呟く。
 その声のトーンで、蕾夏は、瑞樹の考えが瞬時に察せられた。
 ―――…あーあ。気の毒に。
 でも、仕方がない。自業自得です、諦めて下さい―――蕾夏は、新たな線香花火を手にする健人のためにマッチをすりながら、幼馴染の2人に、心の中で静かに手を合わせた。


 この3分後。

 「由井 真君と、辻 翔子ちゃん。由井 真君と、辻 翔子ちゃん。お友達が探してますから、至急、実行委員会テントまで来て下さい」

 という、世にも恥ずかしいアナウンスが、賑やかなお祭りの会場に響くのだった。


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