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「ちょっとぉ。なんでみやちゃんが助手席なのよぉ」
「フツーに考えたら、これが一番、順当な配置やで」
「舞さんが助手席に行けばいいじゃないっ。あたしが後ろで、みやちゃんやイズミ君と仲良くするんだからっ」
「女子供は安全な後ろの席と決まっとんのや。文句言わんと、さっさと乗りーや。ほら、舞さんやイズミ君は、大人しゅう後ろに乗ってんで」
―――あたしだって騒ぎたいわよ。
大人しく後部座席に収まっている舞は、ドアを開けたままギャーギャーわめきたてる綾香を一瞥しながら、心の中でそうひとりごちた。
「もー…つまんないなぁ。この機会にみやちゃんと急接近したかったのにぃ」
唇を尖らせつつ、仕方なさそうに後部座席に乗り込んでくる綾香に、それまでずっと黙っていたイズミが冷ややかな口調で告げた。
「…オレ、今めちゃめちゃ気ぃ立ってんねん。それ以上アホ言う気なら、高速のど真ん中でドアの外に蹴り出すで」
「……」
「な…なんぞ、あったんか。イズミ君」
地を這うようなイズミの声に、運転席の忍がおそるおそる訊ねる。が、イズミは憮然とした顔のまま、
「…なんもあらへん。プライベートなことや」
そう答えるだけだった。さすがの綾香も、イズミの醸し出すピリピリムードに顔を引きつらせ、愛想笑いと共にドアをバタンと閉めた。
なんだって、こんな妙な顔ぶれで海水浴に行かなくてはいけないのか。
そこには、各々の様々な思惑が係わっているので、説明を省くとして―――とにかく、今日は、海水浴の日である。
海水浴に行きたい、と言い出したのはイズミだった。夏休みの定番イベントだが、ある程度イズミが大きくなってからは、一度も行ったことがなかったのだ。
じゃあ3人で行こうか、という展開になるのが当然なのだが、その話をしたのが、雅の見舞いに行った病室だったのがまずかった。雅が自分も行くと言い出し、みやちゃんが行くならあたしも行くと綾香が言い出し―――結局、雅の車を忍が運転して、5人で行く羽目になった。
人数が増えたこと自体には舞も文句はないが、その顔ぶれに問題がある。
特に、綾香。この存在は、ひたすら舞の神経を逆撫でする。
「ねー、忍。次のサービスエリアで止めてよ。ジュース買いたい」
「さむーい。クーラーかけすぎだってば。あんた後ろに座る人間のこと、何にも考えてないでしょっ」
「そのアルバムきらーい。別のCDにしようよ。ジャニーズ系がいいなー。え? ないの? もーっ、忍ってセンス悪いっ」
みやちゃんが行くなら、なんて言ってた癖に。みやちゃんと一緒に後部座席がいい、なんて言ってた癖に。この綾香という女、海水浴場までの道中、話しかける相手はずーっと忍だけなのだ。
「あああ、ごちゃごちゃごちゃごちゃ、うるさいわ。そないに注文多いんやったら、綾香ちゃんが運転すればええやろ」
「ペーパーだもん」
「ペーパーは黙って、ありがたく運ばれときぃや」
「何よそれっ、なまいきぃぃ」
「―――忍。その辺の路肩に止めて。こいつ、捨てるから」
とうとう我慢の限界に来たのか、綾香の隣でじっと腕組みしていたイズミが、例の冷ややかな声で口を挟んだ。それを聞いて、ルームミラーでイズミの顔を確認した忍は、軽く眉を上げ、にんまりと笑った。
「そうやね。一番交通量多そうな所に放置するから、ちょっと待ってや」
「ちょ…ちょっとっ! 2人して、何怖いこと言ってるのよっ」
慌てて綾香が憤慨した声を上げると同時に、イズミの理性の糸が、ぷちんとキレた。
「じゃかあしいわっ! 貴様、次何か一言でも発したら、本気で蹴り出したる!」
「……」
目の大きなイズミが本気で睨むと、子供ながら、相当怖いものがある。ゴクリ、と唾を飲み込んだ綾香は、しゅんとしたように口を閉ざした。
本来なら、なんて口のきき方してんの、とイズミを怒るべきところかもしれないが―――舞は、あえて何も言わなかった。イズミ以上に舞の方が、我慢の限界だったから。綾香の高い声も癇に障るが、それ以上に、何の権限か「忍、忍」と忍に甘えてばかりいるその態度が許しがたくて。
―――ほんとに雅さん狙い? それをネタにして、忍さんに纏わりつきたいだけなんじゃないの、この子。
そんな疑いを抱くほど、本命の雅そっちのけな態度だ。実際、雅にいたっては、綾香の騒ぎなど知らん顔で、出発早々助手席でぐーぐー眠ってしまっている。
「…雅さん、すっかり眠ってるわね。忍さん、大丈夫? 眠くなるんじゃない?」
「んあ? ああ、大丈夫やで。いつものことやから。あ…、煙草、ええかな」
疲れてきたのか、忍はそう言って、胸ポケットに入れた煙草の箱を取り出した。問題はないので、舞もイズミも頷いた。綾香にはそもそも訊いていないらしく、2人の反応だけを確かめた忍は、煙草をくわえながら窓を半分ほど開けた。
「―――それに、今週は兄ちゃん、結構ハードやったからなぁ。身体的に、っちゅうより、精神的に」
「片付いたの? 屋久島の件」
「一応な。全部無効にすることもできるんやろけど、そうしたところで、一旦信用できひんようになったもんは、もう修復不可能やからね。分割やのうて、一括で代金支払って貰うように手続きして、兄ちゃんは完全撤退や。今、一番忙しいシーズンやろけど、アルバイトも雇ったから、ま、なんとかなるやろ」
「なんだか、寂しいわね。結局は権田さんの言いなりになっちゃった形になるんだし」
「まあなぁ…。けど、兄ちゃんはこれ以上、権田さんともめるんが嫌なんやろ。全信頼寄せてる親友やったんやし」
「…親友が、こんな酷いことする訳?」
「いや、ほんまに、端から見てても羨ましい位の仲やってんで? 屋久島旅行で兄ちゃんが行方不明になった時かて、自分かて旅行者にすぎひんのに、懐中電灯持って一晩中原生林の中探し回ったりしたし―――そういう仲やからこそ、あの兄ちゃんが、ああも簡単に大事な書類を全部渡してもうたんやろ」
ちょっと信じられない話だが、こう見えて雅は、仕事になると結構シビアな人間なのだそうだ。まあ、後継者として育てられたのだから、たとえプライベートではバカのつくお人よしであっても、ビジネスでは非情になるべき所ではなるのが当然だろう。
そんな雅が、こうも簡単に騙されてしまったのは―――それだけ権田が、雅にとって信頼できる友達だったからだろう。実際には、状況の変化が、権田を変えてしまったのだが。
「…金っちゅうもんは、魔物やなぁ。欲の前では、友情なんてあっという間に屑同然や」
ため息混じりの忍の言葉は、妙に実感がこもっていた。
多分、トラウマになっている彼女のことが、頭に浮かんでいるんだろうな―――ちょっと舞に似たタイプの美人だったという迷惑な女の件を思い出し、舞は不愉快そうに眉を顰めた。
***
「うわあ…! ま、舞さんて、ホントにイズミ君産んでるの!? 信じらんない、このプロポーションっ!」
洒落たデザインの黒のビキニに着替えた舞を一目見て、綾香がオーバーなほどに騒ぎ立てた。
綾香さんの水着の方が信じられないんだけど―――と口に出そうになって、辛くも思いとどまった。確か忍の2つ下だと聞いたが、27にもなって赤のギンガムチェック柄のビキニというのは、いくらなんでも不相応なのではなかろうか。
「ねねね、何か秘訣とかあるの!? 体操してるとか、整形してるとかっ」
「…別に、ないけど」
「嘘ぉ。いいなぁ〜〜〜。あたしもこの位胸があって腰がくびれてたら、みやちゃん位簡単におとせるのにぃ」
―――そういう問題じゃないんじゃないの。
「ねえ、男どもって、どこ行っちゃったの? ……あ、いたいたいた! みやちゃーんっ!」
とっくに着替え終わり、砂浜に出てビーチボールを膨らませたりパラソルを立てたりしていた男3人を見つけ、綾香は手をぶんぶん振りながら走っていった。この混雑の中で、よく見つけたものだ。目ざといな、と思いながら、舞もその後に続いた。
綾香の声に、3人は作業の手を休め、顔を上げた。そして、走ってくる女2人の姿を見つけ―――同時に、固まった。
「あ…あれ? どうしたの、3人とも」
それぞれ中途半端な体勢のまま止まってしまっている3人を見て、綾香が不思議そうな顔をした。が、そんな3人の目は、一切綾香の方には向いていない。
全員、舞を見て固まっていたのだ。
「…何なのよ、何か文句でもある訳?」
眉間に皺を寄せた舞は、腰に手を当てて3人を睨んだ。まあ、言いたいことは分かる気がするが、日頃から着替えシーンを平気で見ているイズミにまでフリーズされるとは心外だ。
「い…いやぁ、舞さんっ! どこのモデルさんかと思ったですよっ!」
いち早くフリーズ解除になった雅が、上ずった声でそう叫んだ。動揺しているせいか、言葉遣いが少々変だ。
「と、とても中学生の母親とは―――いやいや、お子さんがいるとは、到底思えへんなぁ」
「派手だったかしら」
「とんでもないっ! お美しいですっ!」
そう言って真っ赤になって硬直する雅の横で、やっと我に返ったイズミが、肩を落として大きなため息をついた。
「…知らんで、母ちゃん。しょーもない男がわさわさ寄ってきよっても」
「あら、心配ご無用よ。しょーもない男を足蹴にするのには慣れてるから」
「けど、絶対目立ちすぎやって。…なあ? 忍」
小姑のようにぶつぶつ言うイズミは、砂浜にあぐらをかいてビーチボールを抱えている忍に、そう同意を求めた。一瞬、キョトンとしたような表情をした忍だったが、
「あ? ああ、うん、そやね。でも、まあ、ええんちゃうか」
とだけ答えて、またビーチボールを膨らます作業に戻ってしまった。
―――ちょっと、それだけな訳?
雅のように、美しいなどと臆面もなく言う奴でないことは分かっていたが―――あっさりしすぎのその反応に、舞の眉が軽く吊り上る。が、それを口に出してしまうのも癪なので、舞は面白くなさそうな顔をしてそっぽを向くだけにしておいた。
「ねーっ。みやちゃん、あたしは? あたしはどぉ?」
舞への評価が一段落したと見てとった綾香は、雅の前でわざとらしい科を作って見せた。
「ああー…、うん、まあ、可愛いんじゃない」
「えへへ、ほんと? ねえ、忍はぁ?」
「ええんちゃうか」
そう答える忍は、作業続行中で、顔を上げてすらいない。
「むーっ、なによぉ、気のない返事! あっ、イズミくーん。どうかなぁ? おねーさんの水着姿」
「…絶望的やな。微塵もそそられへん」
「なんだとぉぉ! なっまいきー、このガキっ!」
冷静すぎるイズミの言葉に、綾香は年齢も忘れて憤慨し、イズミの頭をぽかぽかと叩いた。ひええ、と頭を抱えたイズミは、舞に必死に助けを求めた。
「い、いたた、痛いわっ。母ちゃん、助けてっ」
「…バカね。自業自得よ」
気分がささくれていたせいも、あったかもしれない。腕組みをした舞は、イズミを軽く睨み、あっさりとこう付け足した。
「本当のこと言っちゃあ駄目じゃないの」
その瞬間―――ピシリ、という音を立てて、真夏の浜辺の空気が、一瞬にして凍りついた。
***
「はい、どうぞ」
目の前に差し出されたウーロン茶の缶に、ビーチパラソルの下でぼんやりしていた舞は、我に返って顔を上げた。
見ると、雅が、照れたような笑みを浮かべて立っていた。ちょっと姿が見えないと思っていたら、ウーロン茶を買ってきていたらしい。久々に炎天下で騒いだせいで、少々熱射病気味になって引っ込んでしまった舞を気遣ったのだろう。
「あら、ありがとう」
「僕も隣、いいですか」
「どうぞ」
「じゃ、お言葉に甘えて」
自分の分も買ってきたらしい雅は、舞の隣に腰を下ろし、ウーロン茶のプルトップを引いた。
「舞さんを1人にしとくと危ない言うんで、一応ボディ・ガードとして派遣されてきたんです」
「危ない?」
「ナンパとか、色々うろつきよりますからねぇ、海は」
「…ああ」
「他の3人も、もう少ししたら来ると思いますよ。綾香ちゃんがおなか空いた言うて騒いでるし」
その3人は、海の浅瀬で、ビーチボールを追い掛け回して遊んでいる。と言っても、遊んでいるのは主にイズミと綾香で、忍はそれに巻き込まれている感じだが。
―――…ったく、忍さんのバカっ。
雅の口調から、雅をここに寄こしたのは、多分忍だろうと分かる。雅を寄こす位なら、忍が自ら来てくれればいいのに―――舞は唇を尖らすと、ウーロン茶を一気にあおった。
そんな舞の空気に気づいたのだろう。雅は慌てたように付け足した。
「あ、あのっ、僕が派遣されたんは、その―――僕の方が体格がごついからと、昔、格闘技やってたからやと思うんで。深い意味はないと思うから、あまり気にせんといて下さい」
「別に、気にしてませんから」
「…あ、そうですか」
「それより、綾香さんの方が問題なんじゃありません? 大事な“みやちゃん”と女を2人きりにして、さぞやヤキモキしてるでしょうから」
「は、はははは、まあ、大丈夫でしょう」
…確かに、大丈夫だろう。今だって綾香は、キャーキャーと楽しげな声を上げるばかりで、こちらを気にしている様子もない。
「―――綾香さんって、本当は忍さんが好きなんじゃないかしら」
思わずポツリと呟く。
すると、隣の雅が、いきなりむせた。
「? 大丈夫?」
「だ、だ、だ、大丈夫、です」
ゲホゲホとむせながら、雅は、傍らに置いていたタオルを引っつかんで、吹き出してしまったウーロン茶を拭った。…あまり大丈夫だとも思えないが、それより気になるのは、何故今の言葉で雅が動揺するのか、だ。
「…雅さん」
「は、はいっ」
「どうして動揺してるのかしら?」
「…いや、それは、その…」
まだ少しむせつつ、視線を暫し泳がせた雅だったが、やがて観念したのか、ぼそぼそとした喋り方で答えた。
「―――あながち、ハズレでもないんで」
「えっ」
「いや、綾香ちゃんに訊いたら、まず100パーセント、否定すると思うけど。本人も多分、気づいてへんのやないかと」
「…それって…」
「…忍が、大学生の時、えらい目に遭うた話、知ってますか」
さっき思い出した迷惑女のことだ。また思い出してムッと眉を顰めながらも、舞は小さく頷いた。
「あの時、綾香ちゃん、滅茶苦茶怒って―――どこでどう調べたんか、包丁持って、その彼女の家に押しかけたらしいんですわ」
「ほ、包丁っ!?」
「大阪から東京まで行くエネルギーも半端やないけど、テーブルに包丁つきたてて“二度と忍に関わるな”って脅したって言うんやから…尋常やないでしょう」
尋常ではないというか…それは、相当危ない状態なのではなかろうか。
「昔からそうなんですわ。僕のことが好きや好きやと言う割に、忍に彼女ができるたびに荒れる荒れる、忍が振られるたびに喜ぶ喜ぶ―――まあ、昔から、隣に住んでるよしみと歳が近いのとで、忍に構ってもらうことが多かったから、一種の独占欲かもしれへんけど…。本人の気づかん部分で忍が好きなんやないかな、と、僕もずっと思ってたんですわ」
「…はあ…」
予感、的中。
こうも綾香が癇に障ったのは、舞の第六感が、綾香自身ですら気づいていない独占欲を敏感に察知していたからだろう。また随分と嫌な相手が隣に住んでいたものだ。舞は渋い表情になると、ぐいっとウーロン茶をあおった。
「あ、けど、忍の方は全然その気、ないんで! それは心配することないですよ」
舞の考えを察してか、雅は慌てたように、そうフォローを入れた。失敗したな、という呟きが聞えてきそうな雅の焦った表情に、舞は苦笑し、軽く首を振った。
「ありがとう。でも…雅さんてホント、お人よしなのね」
「……」
その言葉を、褒め言葉ととったのか、非難ととったのか。雅は舞のその一言に、一瞬、固まった。ただ、自分の気持ちはしっかりバレているんだな、ということは分かったらしく、直後、気の毒なほどに顔を赤くして、引きつった笑い方をした。
「…あ、ウーロン茶、なくなっちゃった。買ってこよっと」
「えっ。あっ、いや、僕が! 僕が買うてきますからっ」
「いえ、いいの。ちょっと動きたいし。みんなの分も買ってくるから」
慌てふためく雅の申し出を断り、舞ははずみをつけて、立ち上がった。
***
―――あーあ、暑い暑い…。
パラソルの下で休んでいたせいか、余計真夏の太陽の暑さを感じる。小銭入れを持った手で陽射しを遮るようにしながら、舞は眉を顰めた。
…イライラする。
忍には、その気がない。そんなことは分かっている。分かっているが―――それが何の慰めになるだろうか。その気がないのは、綾香に対してだけではない。自分に対しても、そう大差ない状態なのだから。
知り合って、ほぼ1年。
確かに、当時よりは確実に親しくなったし、単なる友達という以上には―――親友に近いレベルにはなれた気がする。元々、結婚なんてことは少しも考えていない。こんな関係がずっと続くのであれば、一生友達でも構わないかな、と思っている。
けれど――― 一緒にいる機会が増えれば増えただけ、欲が出てくる。
もし忍が他の人を好きになってしまったら…それでもこの関係を続けられるだろうか、と考えた時、押さえがたいほどにイライラする。舞の外見に惑わされない忍だからこそ惹かれたというのに、それなりに自信のあった水着姿をあっさりスルーされると、落胆している自分がいる。
バカみたい―――いい歳して何やってんのよ、と、自分で自分に呆れてしまう。全く…これだから、男と女は、ややこしい。
「ねーねー、おねーさん」
考え事に気をとられていたら、行く手を誰かに阻まれた。
顔を上げると、やたら日に焼けた男が2人、目の前に立ちはだかっていた。
いくつ位だろう? 少なくとも、舞より年上でないことは確かだが―――下手をすると、大学生位かもしれない。容姿については色々形容のしようがあるが、一言で言うなら、2人揃って“軽そう”だ。
「おねーさん、ひとりー?」
「俺ら、2人だけなんやけど。良かったら一緒せぇへん?」
「……」
―――つまり、ナンパ?
こんな軽い連中から声を掛けられるとは思ってもみなかった。無視すればいいところだが、こちらも少々イライラしている。不愉快そうに眉をひそめた舞は、腕組みをして男2人を冷ややかに見据えた。
「あいにく、ひとりじゃないし、あんた達にも興味ナシよ。邪魔だからどいて」
「なんや、冷たいなぁ。せっかくの美人が台無しやで」
「そーやそーや。大体、周り見渡しても、お連れさんなんておらへんやんか。おねーさんみたいなんを1人にしとくなんて、彼氏失格やで。なぁ?」
「他の男にお持ち帰りされても、文句言えへんよなぁ?」
下心丸出しで笑う2人に、ますますムカついてくる。いつになく熱くなっていた舞は、挑発的に2人を睨み上げた。
「バッカじゃないの。頭軽い上に見た目も大したことないガキ2人を、なーんであたしが相手しなきゃいけないのよ。さっさとどいて」
「なんやとコラ」
「ほら。本当のこと言われて、すぐキレる。ガキの証拠よ。早いとこママのとこ帰って慰めてもらえば?」
途端、2人の表情が、一気に殺気を帯びた。
「調子にのりやがって、この―――…」
1人が、舞の腕を掴もうと腕を伸ばしてきた、次の瞬間。
「舞さーん!!」
切羽詰まった声が背後から飛んできて、ナンパ男の手を止めた。
ギョッとしたような顔をしている2人を怪訝に思いつつ、振り向く。見れば、声の主は、忍だった。
さっきまでは外していたサングラスをかけ、パラソルの下に放り出していたアロハを羽織っている忍は、銀髪ということもあって思い切り国籍不詳だ。何故ナンパ男2人がギョッとしたのか、その理由が、なんとなく分かる。
「あー、良かったわ。追いついて」
走ってきた忍は、肩で息をしながら、ちょうどナンパ男が掴もうとしていた舞の腕をがしっと掴んだ。
「イズミ君が、熱射病で倒れてん」
「えっ!」
「はよ戻ってや。全く…可愛い自分の子供放り出してフラフラしとったら、アカンやんか」
「子供!?」
ナンパ男2人から、素っ頓狂な声が上がった。まさか舞が子持ちだとは思わなかったのだろう。
そうか、その手があったか―――舞は、気づかれないよう息をつくと、キッ、と2人を睨み上げた。
「そーよ。中学生の子持ちよ。なんか文句ある? 坊やたち」
「……」
一気にトーンダウンした2人が、それ以上、何も言うことはなかった。
すごすごと立ち去る2人の背中からは、「詐欺だよなぁ…」なんて呟きが、微かに聞えた。どこが詐欺なのよ、あんた達が勝手に声かけてきただけじゃないの、と憤慨した舞だったが、もう面倒なので、ため息一つで全部忘れることにした。
忘れた途端、思い出した。
「あ…っ、そうよ、イズミ!」
熱射病で倒れてると聞いては、じっとしていられない。慌てたように舞が駆け出そうとすると、忍が掴んでいた腕を引いて止めた。
「安心してええよ。嘘やから」
「…え?」
「あのにいちゃん達を追い払うためについた嘘。イズミ君は今、綾香ちゃん砂浜に埋めて喜んでるわ」
「―――…」
イズミは、無事―――いろんな感情が入り混じって、舞はポカンとした顔になってしまった。
「…う…嘘、だったの?」
「―――ほんまに…堪忍してや。自分が男の目にどう映るんか分かってるんやったら、こないな格好でウロチョロしたらアカンこと位、分かるやろ?」
呆れたような苛立ったような顔でそう言うと、忍は大きなため息をついて、舞の腕を放した。
「何のために兄ちゃんをボディ・ガードにやったと思うてるんや。兄ちゃんはボクと違うて見た目に威圧感あるから、ああいう連中黙らせるには好都合やってんで? 飲み物買いに行くんやったら、兄ちゃん連れてくか、兄ちゃんに頼んでや」
「……」
「…ま、ええわ。無事で何よりやし」
反応のない舞に、一方的に文句を言い続けるのもなんだかな、と思ったのか、忍はそう言って話を切り上げた。が、今度は逆に、舞が忍の腕を掴んだ。
「ねえ、どうして?」
「は?」
「なんで追いかけてきたの」
「なんで、って―――そら、舞さんがこないなカッコで1人でうろついたら、ああいう連中がすぐ目ぇつけるやろな、と、最初から思ってたからやんか」
「でも、忍さん、あたしの水着姿見ても、スルーしてたじゃないの」
「はぇ!?」
いきなりの攻撃に、忍が一気に怯んだ。
「あたし、結構傷ついたのよ? 他の人に褒められても、忍さんにスルーされたんじゃ、一番お気に入りの水着を選んできた意味、ないじゃないのっ」
「い、いや、それは」
「助けに来てくれる位なら、一言“似合う”位言ってくれりゃいーじゃないのっ。忍さん、何も言ってくれないから、あたし、ああやっぱり忍さんは綾香さん位の体型の方がいいのかな、って思ったわよっ」
「ええ!? な、なんでそう飛躍すんのや。綾香ちゃんは論外や。メリハリ無いにも程があるやろ。いくらなんでも色気なさすぎるわ」
「ほんとに?」
「ほんまやて。一体どこからそないな発想が生まれるんか、こっちが聞きたいわ」
「じゃあ、なんで、大して反応示してくれなかった訳?」
ずいっ、と詰め寄る舞にうろたえつつ、忍は、参ったなぁ、という顔で一歩後退した。
「そ、そやから、それは」
「それは?」
「それは―――正直なとこ、舞さんのその格好見て、どこに目をやればいいんか分からんで、困っててん。スタイルええのは知っとったけど、さすがにセミヌード状態は、直視したらヤバそうやったから…」
「……」
「…堪忍な。そないなこと、気にしとるとは気づかんかったわ。今更やけど…よう、似合ってんで」
「…………」
なんて、たやすい。
たったこれだけで、朝からのイライラが簡単に消えてなくなるんだから。
「…そ…それなら、いいわよっ」
それでも、態度をコロリと変えるのは情けないので、舞は怒ったような口調でそう言うと、忍の腕を掴んだまま、ずんずん歩き出した。
「い、いでで…、結構怪力やな、舞さん」
「一通り子育てすれば、この位の怪力にはなるのよっ」
「…おみそれしました」
「助けに来てくれて嬉しかったけどっ、あんなナンパ男2人位、まとめて投げ飛ばせるんだからっ」
「…はいはい」
「ったく、失礼しちゃうわよっ。声かける前に自分のレベルに相応するか位、ちゃんと見極めろって言うのよ」
「…ごもっともです」
イズミ達のもとへと戻る道すがら。
照れ隠しのつんけんした口調でずっと愚痴り続ける舞に引っ張られながら、忍はひたすら、苦笑を浮かべて相槌を打ち続けたのだった。
***
8月4日(土)
計画通り、海水浴に行った。
恭四郎の件で結構ブルーになってたオレだったけど、行ってみたら結構楽しくて、帰りにはそこそこ晴れ晴れした気分になれた。あの、綾香とかいう女がいなければ、もっと晴れ晴れした気分になれたんだろうけど、ま、仕方ないか。
忍が水着姿に無反応だったのが気に食わなかったのか、最初、母ちゃんは、ずっと不機嫌そうだった。
けど…気づけよなぁ。忍が母ちゃんの水着姿から必死で目ぇそらしてんの、よく見りゃすぐ分かるだろうに。やっぱり母ちゃんも冷静じゃなかったんだな、今日は。
あの女が、終始、忍に絡むもんだから。
今日のあの女の態度で、なんとなく分かった。
前回、病室で会った時、あの女がやたら怖い顔して母ちゃんのこと見てたの。雅兄ちゃんが母ちゃんに一目ボレしたせいもあるだろうけど―――それ以上に、母ちゃんが忍に気があるから、だろう。雅兄ちゃんのことが好きなのは本当らしいけど、忍が他の女にとられるのもイヤってやつだ。わがままな奴め。2人もキープできる程のタマか。
後でちょっと聞いた話だと、あの女が忍や雅兄ちゃんに執着するのは、あの女の両親のせいらしい。
子供の頃から、仕事の関係で両親がいつも留守で、一人っ子のあの女の遊び相手を、忍たちがずっと買って出てたんだって。…まあ、気持ちは分からなくもないけど、母ちゃんを応援するオレからしたら、はっきり言って邪魔な存在だ。
こんなことで、2人の間が険悪になったらやだな、と思ってたけど、そうはならなかった。
何があったか知らないけど、飲み物買いに行った母ちゃんを忍が追いかけてって、2人一緒に戻ってきたら、なんだか母ちゃんの機嫌が良くなってた。それだけじゃなく、ちょっとムードも良くなってたかも。
その代わり、雅兄ちゃんとあの女のテンションが、ちょっとばかし下がったけど。
あいつらのテンションが下がっても、母ちゃんと忍が安泰なら、オレ的にはオッケー。あの2人には、涙を飲んでもらおう。
【一口メモ】
…けど、恭四郎の件が、まだ片付いてないんだよなぁ…。
あの恭四郎が、本気でバスケ辞めるなんて思ってる筈ない。理由を言わないところが、また怪しい。絶対、何かあったんだ。
昨日はケンカみたいになっちゃったけど…明日にでももう1回、恭四郎に電話してみよう。
そう言えば、雅兄ちゃんも、親友とトラブルになってたけど―――ほんとにあれでいいのかよ。親友なら、もっと他に解決方法、あるんじゃないか?
なんか、恭四郎と大ゲンカした後だったから余計、雅兄ちゃんと親友の話は、重たかった。仲直りできるといいのに…。
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