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『(mimi)ねー、なんでそんなにアメリカの事に詳しいの〜?>rai』
『(rai)13までアメリカにいたから>mimi』
『(mimi)うっそー! じゃあ、raiさんてば帰国子女!? すごーい!>rai』
『(rai)帰国子女って凄いのかな。単に転勤先が外国だっただけじゃん…』
『(mimi)きゃー、じゃあ、英語なんてペラペラ?>rai』
『(rai)そりゃまあ>mimi』
『(mimi)きゃー、ますます凄い!!>rai』
だーっ! 鬱陶しいっ! お前は引っ込め!>mimi
と無意識のうちに入力しそうになる手を、瑞樹はぐっと押しとどめた。
ここ数日、あまりにも態度があからさまな"mimi"を避けるように、"rai"の出没時間帯は若干遅くなっている。"mimi"がいつも、午前1時を過ぎると眠気に負けてしまう事を知っているからだ。
そのことに気づいた"mimi"は、今日はコーヒーと緑茶をパソコン横に準備し、見事午前1時を過ぎても目を覚ましていることに成功した―――とは本人談。北海道にある彼女の自宅が見える訳ではないので、真相は定かではない。
とにかく、"mimi"は久々に"rai"とチャット上で会えたのだ。"mimi"の「こんばんはー>rai」という1行が出た時、それに答える"rai"の返事が異常に遅かったのは、ディスプレイを見て固まっていたせいかもしれない。
で、結果、今のこの「根掘り葉掘り状態」である。
『(rai)HALも、東京だよね。会社どのへん?>HAL』
"mimi"の相手に疲れてきたのか、"rai"が瑞樹に話を振った。
ディスプレイから、"mimi"の「邪魔するな」オーラが発せられている気がするが、無視した。
『(HAL)海のほう>rai』
『(rai)海ったって広いじゃん…でもいいオフィス環境だね>HAL』
『(HAL)そうかな。でも確かに、昼休みによく、屋上から海見てる。ディスプレイばっか見てると頭痛してくるから>rai』
『(rai)いいなー。うちは新宿だから、どこ見てもビルしかない。さっぱりリフレッシュにならないよ>HAL』
考えてみれば、"rai"とチャットをするようになって半月ほど経つが、こういったプライベートの話をするのは初めてだった。大概、映画とパソコンの話で力尽きてしまい、そこまで踏み込んだ話をする余力がなくなっているのだ。
『(mimi)ねー、raiさん、どうしてHALさんが東京だってわかったの?>rai』
『(rai)なんで、って?>mimi』
『(mimi)だってHALさん、チャットでそんな事言ったことないよ?>rai』
え? そうだったか?
指摘されて、瑞樹の方が戸惑う。"rai"も戸惑っているのか、画面になかなか新しい1行が表示されない。
『(rai)なんでだろうね。会話の端々から、そういう事はわかるもんだよ>mimi』
『(mimi)うそだぁ。どこに住んでるかなんて、文字だけじゃわかんないよぉ』
『(rai)わかるって。地名とか、駅の名前とか出てくればさ。住む所以外にも、注意さえしてりゃ結構わかるもんだよ?>mimi』
『(mimi)ふーん。じゃあさ。raiさん、HALさんの特徴、書いてみて>rai』
げ。何言い出すんだ、こいつ。
ちょっと休憩、という気分でウーロン茶の缶をちょうど手に取ったところだった瑞樹は、この1行で危うくプルトップを引きちぎってしまいそうになった。
自分が行間を読むのが苦手だからって、"rai"にそれをやらせて、ネタだけ頂戴する気なのだろう。そしてこの展開から行くと、"rai"の「HAL分析」が終わったら、当然次は瑞樹に「rai分析」を頼むつもりに違いない。
―――どこまでもあつかましい奴…。
だが、当の"rai"は、そのお願いに触発されたらしい。
『(rai)そうだなぁ。東京に住んでて、職業はシステム・エンジニア。WindowsとUNIXを仕事で使ってる。海に近いオフィスの、1階より上の階で働いている』
とりあえず、仕事ネタが並んだ。無意識に頷きつつ、瑞樹はウーロン茶を一口飲んだ。1階より上、というのは、エレベーターの話をした事があるからだろう。
『(rai)英語のヒアリングが得意。カメラについて詳しい。学生時代は、意外にも映研には入っていなかった』
これもとりあえず頷ける。ヒアリングが得意なのは、映画の字幕を見ないという話から推理したのだろう。カメラに詳しいのは本当だが、無意識のうちに専門用語でも使っただろうか? 映研の件は、"rai"が映研の話をした時に「俺も」と言わなかった事から推測してるのかもしれない。
『(rai)企画か営業に仲の良い後輩がいる。彼女はいない、もしくは破局寸前で会っていない。女性に冷たい、もしくは非常にモテるためウンザリしている』
思わず、飲みかけのウーロン茶を吹き出しそうになり、むせた。
―――俺、そんな事を
『(rai)うーん、それと…』
頼む、もう何も書くな。
まだむせ続けながら、じっとディスプレイを睨んでしまう。
『(rai)ま、この位かな』
冷や汗が、瑞樹の背中を伝った。どっと疲れが出て、思い切り脱力してしまう。
しかし―――どの話の、どんな部分から「女性に冷たい」とか「ウンザリしてる」とか感じ取ったのだろうか。空恐ろしいものを感じる。
『(mimi)すごーい。どうどう、HALさん、合ってた?>HAL』
『(HAL)ご想像にお任せします>mimi』
合ってたかどうかなんて書けるかっ!
『(mimi)じゃあじゃあ、HALさん、raiさんの特徴、書いてみてよ>HAL』
『(HAL)疲れた。俺、もう寝る』
『(mimi)ええええええっ! そんなのダメですよぉ! HALさんだけ分析されちゃって、悔しくないんですかぁ!?>HAL』
『(HAL)rai、また明日な。じゃ、おやすみー』
『(rai)あはは、ごめんね、おやすみー』
半ば逃げるように、瑞樹はチャットルームを抜け出た。
―――最後のあの挨拶…あいつ、自分の推理が“正解”だって悟ってやがる。
やっぱり空恐ろしいものを感じ、全身が総毛立った。
***
「今日は珍しくすっきりしてるじゃない」
「またクリームパンかよ、お前…」
ミーティングテーブルの上に置かれたコンビニの袋の中身を見て、瑞樹がうんざりとした表情で言う。が、和臣は全然お構いなしで、お気に入りのクリームパンと牛乳を並べて、幸せそうに食べ始めた。
「昨日はチャットやらなかったの?」
「いや…やったけど、すぐ落ちた」
「ふーん。でも、よく続くよね。よっぽど可愛い子なんだ、相手の子」
「は?」
牛乳をコクコクと飲んでいる和臣が発した意味不明な言葉に、瑞樹は眉をひそめた。
「可愛い子って?」
「え、チャットって、相手の顔見えないの?」
「見える訳ねーだろ。テレビ電話じゃあるまいし。文字だけだよ」
「なんだ、顔見えないのか…つまんないなぁ、それ。どんな子かわからないで話すなんて」
「…文字だけでも結構なことがわかるぜ」
昨日の「HAL分析」を思い出して、無意識のうちに声のトーンが低くなる。
「それにカズ、俺がいつ、相手が女だなんて言った?」
瑞樹がそう言うと、和臣は、目をパチパチとしばたたき、瑞樹の顔をまじまじと見つめた。
「―――えっ、相手、女の子じゃないの? なに、成田、ヤローと明け方まで語り明かしてんの? 不毛っ! 信じられないっ!!」
「…カズ、お前本当に東大卒か? 学歴詐称してるなら、今のうちに社長に懺悔に行っとけよ」
「失礼だな、卒業証書見せてやろうか。実家に置きっぱなしで埃かぶってるけど。第一その発言は東大に対する大いなる偏見を感じるぞ」
一気につまらなそうな表情になって、和臣はクリームパンを大きめに頬張った。
「ま、変だとは思ってたけどね。成田が女の子と会話が弾む筈ないもんな。例え文字だけにしても。成田の日常会話って、イエスかノーか相槌位しかないもんな。相手が女の子だと」
「仕方ないだろ。女はさっぱり話題が合わないし、話すリズムも違うんだから」
「どんな人だよ、チャットの相手」
「ん? そうだなぁ…」
瑞樹は、頬杖をつくと、昨日の"rai"の分析を真似て挙げ連ねてみた。
「東京に住んでて、職場は新宿、UNIX系販売管理システムを手掛けてるシステムエンジニア、自宅パソコンはWindows」
これは、本人がそう書いていたので、すぐわかる。
「帰国子女で、日本語と英語のバイリンガル。歳は俺より1つ下。大学時代は映研に所属。課長に目をつけられている」
「目を“かけられてる”んじゃなく?」
「つけられてる。どっちかというと目の敵」
"rai"の話題には、よくこの「課長」が登場する。何かというと"rai"に厳しくあたるらしく、これまでに何度も「課長のバカヤロー!」という決まり文句を目にしてきた。
「あとは…優しくて気配りのできる奴だけど、逆鱗に触れると、手ひどい制裁が待ってる」
そう、"rai"は、本来気配りタイプの人物だ。話題から逸脱してしまいがちな"mimi"に対しても、さりげなく話題を振ったりする。ただし、自分のプライバシーにはかなり敏感らしく、ちょっとでもしつこくされると、残酷極まりない返事が返ってくるのだ。
もっとも、"rai"の優しさに救われているのも、"rai"の残酷さの犠牲になってるのも、主に"mimi"だけだが。
「あと…」
更に続けようとしたが、何も続かない。
―――なんか、むかつく。
考えてみると、"rai"は自分の話をほとんどしない。映画の話になると底なしな癖に、プライベートな話は、ほとんど「情報提供拒否」に近い。
交友関係の話も出てきたことがない。両親や兄弟の話も皆無。会社の人間なんて課長以外いるんだかいないんだか。"mimi"が一番気にしているであろう女性関係に至っては、女には全く興味ないんじゃないのこいつ、と思えるほど。"猫柳"などと「ハリウッドで一番セクシーな女優は誰か」なんて下世話な討論をしている時でも、"rai"は全く乗ってこない。そんな訳で、好みのタイプもわからない訳だ。それがあだになって、"mimi"に根掘り葉掘りされる訳だけれど…。
どちらかに分けるなら、瑞樹も「情報提供拒否」の部類に入るのだろうが―――それでも"rai"は、瑞樹の本性を見抜いてるような感じである。
なのに、自分の方は、ほとんど見抜けない。勘は鋭い方だと自負していただけに、これは結構ショックだ。
「…なんていうか、つかみどころのない奴だよ」
忌々しげに瑞樹がそう言うと、和臣は意外そうな顔をした。
「珍しいね。成田がそんな風に言うなんて」
「そうか?」
「成田っていつも、誰に対しても余裕ありげで、すぐ相手の底を見切っちゃうじゃん。ふーん…そういう、つかみどころのなさが、成田がチャットに
感心したように頷く和臣の顔を見ながら、そうかもしれない、と思う自分に気づき、瑞樹は余計面白くない気分になった。
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