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no005:
耳を(そばだ)てて
-odai:20-

 

アナタノ心ハ、今、ドコニアルノ?

―97.12―

 「カズ、村田印刷回ってこいよ。パンフレットの追加がそろそろ上がってる筈だ」
 久保田に声をかけられて、和臣ははっと我に返った。
 12月の寒さに、事務所内のエアコンは不必要と思えるほどの温度に調整されていて、和臣ならずとも眠くなってくる。和臣も、眠っていた訳ではないが、ふと気づくと報告書を書く手が止まり、本来考えたくもなかった事に思考が絡め取られていた。

 ―――全くオレって、なんでこう意気地がないんだろう。
 奈々美さん、こっちを向いて―――何度も何度も言ってるのに、何故彼女はこちらを向いてはくれないのだろう? 叶わぬ恋ばかり追いかけて、傷ついて…それを知ってても、オレは彼女の周りを心配そうにうろつく事しかできない。せめて笑顔を見せてくれるよう、精一杯微笑んでみせる事しかできない。
 もっと力が欲しい。彼女が他の男になんて目もくれなくなる位の力が―――。

 「おい、カズ。返事なしとはいい根性だな、お前」
 目の前に、いきなり久保田の顔がニュッと現れる。
 「わあああぁあぁ!」
 キャスター付きの椅子がざーっと2mも床を滑るほど、和臣は後ずさった。
 「…大丈夫か? 幽体離脱してねーか? 表情がどっか行ってたぞ。それともここにいるのはカズのダミー人形か? え?」
 「すすすすみません、ちょっと考え事してて」
 「どうせ木下の事なんだろう」
 「…バレてますか」
 チラリ、と上目遣いに見ると、久保田はフフン、と鼻を鳴らした。
 「カズが幽体離脱するほど考える事なんて、それ位しかないだろ」

 久保田隼雄(はやお)は和臣の3つ年上で、和臣が入社した時から、常に彼の「先輩」である。
 当初、和臣が配属されたのはシステム部だったが、僅か2ヶ月足らずでこの企画部に転属させられた。厳密に言うなら、企画に戻る久保田に引っ張られてしまったのだ。話によると、久保田は元々企画の人間で、和臣が入社したあの一時期だけ、助っ人的にシステム部にいたのだそうだ。横柄な態度とやたらとテキパキした指示、「システム部の才女」との親しげなアイ・コンタクトなどを目にして、てっきり「システム部の主」だと思ってたのに。
 確かに久保田も和臣も、システム部よりも企画の方が性に合っている。久保田は、態度は偉そうだが、人を見る目は磨かれている。2ヶ月で和臣の性格を把握し企画に引き抜いた彼は、仕事に限らず、和臣のことは大半を把握していた。勿論、久保田の同期である木下奈々美に、しつこく想いを寄せていることについても。

 「5時か―――村田印刷、俺も行くかなぁ。どうせ今夜は遅くなりそうだから、帰りにモスバーガーで何か食ってこないか?」
 言いつつ、既に久保田はコートを手に取っていた。
 オレのこと、心配してるんだな。
 心配してる訳じゃないぞ、と言いた気な久保田の横顔を見て、和臣は少し笑った。
 「はい、同行お願いします」
 「よし、行こう―――っと、ちと待て」
 コートを羽織った久保田が、右手で軽く和臣を制し、胸の高さのパーティションの向こう側を覗き込むようにしながら、
 「おい、佐々木ーぃ」
 と声をかけた。
 久保田の呼ぶ声が聞こえたらしく、プリンターの前に立っていた佳那子が、くるん、と久保田と和臣の方を向いた。なに? という感じに首を傾げると、ふわりとなびく、明るい色のショートヘアー。そんな仕草までがカッコ良く見える。
 佐々木佳那子は、システム部PC部門のチームリーダーで、久保田や奈々美の同期である。そのキリッとした容姿と男顔負けの仕事ぶりに、ついた別名は「システム部の才女」。立場が似ているせいか、久保田とは飲み友達だ。
 「俺とカズ、今から村田印刷行ってくる。そっち、何かついでの用事あるか?」
 「私の方は今のところ無いかな…。ねぇ、成田」
 ディスプレイを食い入るように見ていたブラックデニムシャツの背中が、今初めて会話に気づいた、と言った感じで顔を上げる。
 「え?」
 「え? じゃないわよ。村田印刷に、何か用あった? 久保田と神崎が行って来るって」
 「あー…村田印刷は別に用事ないけど」
 くしゃっと前髪を掻き上げながら、彼―――成田瑞樹は和臣の方を振り返った。
 「俺、エビカツバーガーとアイスウーロン茶Sサイズ」
 ピーン…という音がして、和臣に向かって銀色に光るものが弧を描いて飛んでくる。反射的にキャッチしてみると、それは500円玉だった。
 「…足りないよ、消費税分」
 「その位はおごれ」
 「っていうか、なんでオレたちがモスバーガー行くってわかるんだよ」
 「勘」
 必要最低レベルの返事。なんだかそういう態度も決まって見える気がして、(しゃく)に障る。
 日頃、2歳の年齢差など気にしたことすらないが、瑞樹がこういう自分の行動を見透かしたような態度を取ると、なんだか負けた気がして面白くない。思わず「あ、そ」と冷たい返事をしてしまう和臣だった。
 2人の遣り取りを見てクスクス笑ってる佳那子の方を軽く睨んで、和臣は500円玉を背広のポケットに押し込んだ。
 「佳那子さんは何? テリヤキバーガー?」
 「私はいつもの。っと、財布…ごめん、久保田、おごって」
 「…はいはい」
 久保田は肩をすくめつつ、了解の意味を込めて片手を挙げてみせた。「いつもの」「おごって」で会話が成り立ってしまうのだから、やはり2人はただの同僚ではないのだろう―――こういうシーンを見るにつけ、和臣はそう感じる。
 「よっしゃ、行くか、カズ」
 「はい」

 「あ、神崎君!」

 コートに手をかけた和臣は、その声にぱっと顔を上げた。
 会議に出ていると思い込んでいた奈々美が、何かの箱を片手に、こちらに向かって歩いてきていた。その顔が笑顔なので、ひとまず安心する。
 「奈々美さん、会議じゃなかったの?」
 「今終わったの。で…大阪の出張所の人がこれ持ってきたから、神崎君にもお裾分け」
 奈々美が箱をぱかっと開けると、中には京都銘菓・生八ツ橋がズラリと並んでいた。しかも伝統的な味のではなく、若者向けに新開発されたいちご味である。
 「うわぁ、苺の生八ツ橋だ! いっただきまーす」
 超のつく甘党の和臣は、さっそく1つ摘んで、一口で平らげた。幸せそうな笑顔でもぐもぐと頬張る和臣を見て、奈々美は思わず笑った。
 「ホントにおいしそうに食べるのね、神崎君て」
 「甘いものって、幸せな気分になるでしょ」
 「そうかもね。あ、久保田君もどうぞ」
 「う…俺は遠慮しとく。カズ、俺の分もやる」
 甘いものが苦手な久保田が、露骨に顔を(しか)めて断る。
 「じゃ、神崎君、もう1つどうぞ」
 喜んでもう1つ摘みかけた和臣は、ふと思いついて、その手を引っ込めた。
 「勿体無いから、外回りから帰ってきてから食べる。他の人も断るかもしれないでしょ。余ったやつ、箱ごと机に置いといてね」
 「ん、わかった」
 佳那子は酒豪で辛党、瑞樹も甘いものは苦手の筈なのだ。

 果たして外回りから戻ってきて、机の上に3個の生八ツ橋が並んだ箱が置かれているのを見た時には、予想通りの反応に密かに苦笑した。

***

 「佳那子さーん、“いつもの”です」
 久保田から預かったモスバーガーの袋を掲げて、システム部を覗きこむ。すぐに佳那子が振り返って、にっこりと微笑んだ。
 「いいタイミングだわ。ちょうどお腹空いてきたところだった」
 「佳那子さんの“いつもの”って何?」
 袋を渡しながら、和臣はさっきから気になっていた事を訊いてみた。佳那子の分は久保田が別のレジで買っていたので、確認できなかったのだ。
 「ああ、ライスバーガーの、きんぴらのやつ。正式名称何なのかしらね、あれ。それと、緑茶」
 「渋いチョイスだなー…」
 「体に良さそうでしょ。神崎もジャンクフードばっかり食べてないで、少し栄養気にしなさいよ。1回栄養失調で倒れてるんだから」
 「あー…はははは、そうですね」
 ―――モスバーガーに寄っておきながら、ポテトとコーラしか頼まなかった、なんて、佳那子さんには言えないな…。
 「えっと、成田は?」
 「あら、いないわね」
 ぐるりと見渡しても、瑞樹の姿はどこにもなかった。仕方なく、エビカツバーガーとアイスウーロン茶Sサイズの入った袋を片手に、事務所内をうろついてみた。
 企画にも、営業にも、瑞樹はいない。休憩中なら大概そこでコーヒーを飲んでいる筈のミーティングデスクの周囲にも、瑞樹はいなかった。
 何気なく、廊下にも出てみた。キョロキョロと見回して、階段の入口のところに立っている瑞樹をようやく発見した。
 が―――和臣は、声をかけるのをためらってしまった。
 壁に、面倒くさそうに寄りかかり、気の無い感じで何かをボソボソ喋っている瑞樹の前に、もの凄く真剣な顔をした奈々美がいたのだ。
 瑞樹と奈々美というツーショット自体、珍しい。久保田に飲みに連れていかれた時だって、この2人が宴席で喋っている光景などほとんど見られない。それに、奈々美がこんな真剣な表情をしているのも、仕事以外ではあまり見ない。
 ―――何、話してるんだろう。
 なんとも言えない不安や焦りが、体の底からせり上がってくる。その感覚に負けて、思わず声をかけてしまった。
 「成田!」
 その声に反応して、瑞樹はすぐに和臣の方に顔を向けた。奈々美もこちらを見る。
 「なんだ、カズ、帰ってたのか」
 「うん。買ってきたよ、頼まれたもの」
 「あー、さんきゅ」
 少し笑顔を見せて、瑞樹は奈々美をほっといてこちらに歩いて来た。その表情や態度に、後ろめたさや取り繕うようなムードは、全く感じられない。和臣は全神経を集中して“何か”を感じ取ろうとしているのだが、瑞樹はあくまでも、いつもの瑞樹だった。
 「なに?」
 袋を受取る時、瑞樹がちょっと不思議そうな顔で和臣の顔を見返した。無意識のうちに瑞樹の顔を凝視していたらしい。慌てて笑顔を作り、
 「ううん、なんでもない」
 と答える。そうか? と言いながら袋を受取った瑞樹は、そのまま事務所に戻ろうとした。
 「あの、成田君!」
 その時、突然、奈々美が瑞樹を呼び止めた。瑞樹は、首だけ回して振り向く。
 奈々美の方は、一瞬、ためらうような表情を見せてから、まっすぐ瑞樹の方を見、真剣な表情で口を開いた。
 「…ありがとう」
 「―――どういたしまして」
 ふっ、と、僅かに口元に笑顔を浮かべ、瑞樹は去って行ってしまった。

 “ありがとう”?
 何がなんだか、和臣にはさっぱりわからない。わからないから、余計不安と焦りを感じてしまう。
 「神崎君、どうしたの?」
 ふと我に返ると、奈々美がすぐ目の前に来ていた。彼女の顔もまた、いたって日頃の彼女の表情だ。「つぶらな瞳」と称される類のクルクルした目を不思議そうに丸くして、和臣の顔を見上げている。
 「あ、いや…何話してたのかなーって思って」
 「え? ああ―――大した話じゃないの。ちょっと相談に乗ってもらってただけよ」
 「奈々美さんが? 成田に?」
 「うん。相談してよかった。色々、自分なりに答えが出たから」
 「…そうなんだ」
 胸が、鈍く痛む。
 「あ、生八ツ橋、結局3つも残っちゃったのよ。食べるでしょう?」
 「うん、勿論食べるよ」
 「じゃあお茶()れてあげるね」
 ニコッと笑うと、奈々美は給湯室に向かって行った。その姿は、最近見た中では一番すっきりとしていて、何かをふっきったような明るさがある。

 ―――オレじゃ、奈々美さんの力になれないんだろうか?

 鈍い胸の痛みは、その日、なかなか消えてはくれなかった。


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