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no012:
私をあげる
-odai:49-

 

ダカラ、アナタヲ頂戴。

―98.03―

 「やっぱりデミ・ムーアとブルース・ウィリスが夫婦ってのは変ですよね」
 「うん…まぁ」
 微笑レベルをキープしつつ相槌を打つ瑞樹は、さっきから、真弓の話の内容よりも、真弓の目の前に置かれたパスタが気になっていた。
 運ばれてきてからそろそろ30分。瑞樹はとっくの昔に平らげ、食後のコーヒーも半分まで減っている。が、真弓のパスタは、まだ半分以上残っている。早く食べないと固くなって味落ちるぞ、と思うのだが、真弓の手は一向に動かない。
 真弓は、喋りながら食べることができないのだ。だから、話すのに夢中になると、フォークを持つ手は完全にフリーズする。
 今彼女が話しているのは、『ゴースト/ニューヨークの幻』という映画の話―――らしい。どこかから瑞樹の映画好きを聞きつけたらしく、なんの脈絡もなく突然この話が始まった。が、瑞樹はひたすら相槌を打つだけである。主演のデミ・ムーアとブルース・ウィリスの私生活に関する、瑞樹としてはどうでもいい話が続く。
 ―――俺だけでなく、本人もさっぱり楽しそうじゃないあたり、かなり「拷問」に近いよなぁ…。
 半ば引きずられるようにして連れて来られてしまったが、多少乱暴な態度をとってでも、断固拒否するべきだったかもしれない。小さくため息をついて、瑞樹はコーヒーカップに口をつけた。

***

 彼女の座におさまる事を宣言して以来、石原真弓は、時々瑞樹を半ば無理矢理に食事に付き合わせる。
 そういう輩が過去にいなかった訳ではないが(いや、むしろ、可愛らしく告白なぞをしてくる人数より、そういう強引な女の数の方がはるかに多い)、真弓はその中でも、少々特殊だった。
 これまでの強引な女達は、瑞樹はどうあれ、本人は楽しそうだった。だが、真弓の場合―――本人が、全く楽しそうではないのだ。
 毎回、マシンガンのように喋りまくるのは他の女と同じだが、喋っている時の目は真剣そのもの。一時も瑞樹から目を離さずに、まるで図書館で仕入れて来た知識を忘れないうちに吐き出してるみたいに喋る。元々おっとりしている性格なのか、喋る速度自体は決して速くない。が、口元は微笑んでても目が笑っていないので、真正面に座らされる瑞樹にとってはもはや「拷問」以外の何ものでもなかった。

 『そりゃあ、ハルの関心を惹きたいからでしょ』
 ライの言葉に、濡れた髪をガシガシとバスタオルで拭いていた瑞樹の手が止まる。携帯電話を握り直し、うんざりした声を返した。
 「あんな目してたら、元々あった関心だって消えうせるぞ? 元々関心ねーんだから、余計だよ」
 『必死なんじゃない? きっと彼女、ハルと趣味も全然違うんだよ。でも、好きな人の好みには合わせたいから、せっせと情報仕入れてきて、必死に披露してるんだと思うよ。可愛いじゃない、女子高生みたいで』
 「…ほー。お前でもそういう女っぽい事考えるのか。意外」
 『ううん。私はそういうの、絶対やんない』
 ―――だろうな。
 口には出さず、そう相槌を打つ。またバスタオルで髪を拭きつつ、瑞樹は眉間に皺を寄せた。
 「とにかく、変なところで策士なのが困るよなぁ…。絶対、会社の連中が大勢いる前で誘ってくるから、あんまり乱暴な態度もとれねーし」
 『ハルから話題ふってあげれば?』
 「無理」
 きっぱりと言い切る。瑞樹は、女性と話す時は「相槌専門」だ。その相槌も4〜5種類のバリエーションしかない。その話を前もって聞かされているライは、
 『あはははははは、確かにハルには無理だよねぇ』
 と、オーバーな位笑った。笑いすぎだろ、と顔を顰めた瑞樹は、ふとある事を思い出して、反撃に出た。
 「ところで。お前こそ、例の先輩はどうなった?」
 『―――う…っ、ま、また思い出したくない事を…』
 急激にライの声のトーンが低くなる。
 数日前、ライは「会社の先輩から交際を申し込まれた」と、暗い調子で告げてきた。そのトーンが、まるでリストラにでも遭ったかのような暗さだったため、瑞樹は不真面目にも大笑いしてしまったのだが、彼女にとっては大問題のようだった。
 さらっと概略を聞いた限りは、普通の女なら喜んでOKするであろう好条件な男らしいのだが、ライは乗り気ではないようだ。
 『断ったんだけどなぁ…まだ諦めてない感じだなぁ、あれ。まだ食事とかに誘ってくるもん』
 「そいつも根性あるな」
 真弓といい、ライの相手といい、何故恋愛なんかにそこまで情熱が注げるのだろう? 瑞樹には理解できない。自分とは、DNAレベルで異なる人種なのかもしれない―――瑞樹はぼんやりと、そんな風に思った。
 『でも、誘われる度に断ってると、罪悪感がジャブみたいに効いてくるんだよね…元々仲のいい先輩なだけに。先輩のアタックに負けるつもりはないけど、自分の罪悪感に負けて、いつかOKしちゃいそうで怖いよ』
 「自分との戦いか」
 『こんな戦いにエネルギー使いたくないんだけどなー…』
 そう言って、ライは大きなため息をついた。
 そんなライの言葉に、ふと思い出した、真弓の言葉―――「私、負けませんから」。
 彼女は一体、誰と戦っているのだろう?

***

 「成田さん?」
 「え?」
 数日前のライとの電話を思い出していた瑞樹は、真弓の声に、はっと我に返った。見れば真弓は、完全にフォークを置いてしまい、少し不思議そうな顔をして瑞樹を見ていた。
 「…ああ、悪い。ちょっと考え事してた」
 「そう、ですか。―――そろそろ、出ませんか?」
 パスタは結局半分以上残っていたが、もう食べる気がないようだ。瑞樹も同意して、席を立った。
 「あ、私が誘ったんですから、おごらせて下さい」
 伝票を取ろうとしたら、それを真弓に遮られた。
 「別にいいよ、これ位」
 「いえ、おごらせて下さい。ほとんど食べなかった私なんかの分、成田さんに払わせる訳には…」
 瑞樹がパスタをじっと見ていたのには気づいていたらしい。つまらない食事をおごらされるのは確かに嫌いだが、借りを作るようなリスクを負うのはもっと嫌いだ。
 「なら、割り勘にすれば」
 あっさり瑞樹がそう代替案を出すと、真弓は一瞬、言葉に詰まった。
 「……そうします」
 気の抜けたような声でそう答えた真弓は、なんだか意気消沈したような様子で、帰り支度を始めた。
 ―――寒そうな格好だよなぁ…。まだ3月も始めなんだから、もうちょい温かい格好すりゃいいのに。
 先日、重い風邪を患ったばかりの瑞樹は、傍らでコートを羽織っている真弓の服装を一瞥(いちべつ)して、そんな風に思った。真弓の着ている白いセーターは、やたらと襟ぐりが開いている。角度によっては胸の谷間まで見えてしまいそうなその露出ぶりは、まだ1、2ヶ月早いように思えた。
 結局割り勘で支払を済ませ、店の外に出る。やはり3月といえども夜はかなり冷え込んでいる。ちょっと身震いした瑞樹は、デイパックを肩にかけ直し、両手をジャケットのポケットに突っ込んだ。
 50センチほどの間隔を開けて隣を歩く真弓は、少し落ち込んだような表情で、同じように自分のコートのポケットに手を入れた。桜色のルージュを引いた唇をきゅっと噛むと、彼女は思い切ったように口を開いた。
 「成田さん」
 「ん?」
 「今日、成田さんのおうちに行ってもいいですか?」
 瑞樹は、訝しげに眉をひそめ、真弓の方に顔を向けた。
 「なんで」
 「―――駄目、ですか」
 「そういうのは、結構困るんだけど」
 「私は、構いませんよ」
 「いや、俺は、構う。女を部屋に入れるの、嫌いだから」
 瑞樹の言葉に、真弓は思わず足を止めた。つい、つられて足を止めた瑞樹は、何故か驚いたような表情で自分を見上げている真弓を、相変わらず怪訝な顔で見下ろした。
 「―――女の人を部屋に上げるのが嫌い…それだけの事ですか、“困る”って」
 「他に何が?」
 「…私って、そんなに女として魅力無いですか」
 「―――あぁ、そういう事」
 真弓の言いたい事をようやく察した瑞樹は、小さくため息をついた。
 構わない、とは、間違いが起こっても構わない、という意味だったらしい。つまり、そういう含みを持たせた「行ってもいいですか?」だった訳だ。時期はずれに露出度の高い服装も、彼女なりに瑞樹を挑発してるつもりだったのかもしれない。
 ―――馬鹿馬鹿しい。食事して話をするだけでもいっぱいいっぱいの癖に。
 「既成事実作っちまえば、俺が()ちるとでも思ってんの?」
 わざと投げやりにそう言うと、真弓の顔がさっと蒼褪めた。
 「そっ…そんなんじゃありません!」
 「じゃあ、何」
 真弓は、少しうろたえたような表情で瑞樹を暫く見つめていた。が、切羽詰まったように唇を噛んだかと思うと、瑞樹の腕にぎゅっとしがみついた。
 「おい―――」
 「何をあげれば、貰えますか?」
 抗議しようとした瑞樹の声を遮るように、真弓が呟いた。意味がわからず、瑞樹はまた眉をひそめる。
 「…何を?」
 思わずそう訊くと、真弓は、蒼褪めたままの顔を上げ、思い詰めたように言った。

 「成田さんの“笑顔”です」
 「―――…」

 その言葉を聞いて、ようやく瑞樹にはわかった。
 私、負けませんから、というあの言葉―――真弓が対抗心をあらわにしていた、その相手が、誰なのか。

 それを見透かしたかのように、瑞樹のジャケットのポケットの中で、携帯電話の着信音が鳴り響いた。驚いたように、真弓がパッと瑞樹の腕を放した。
 彼女の言葉の意味はわかったのに―――だから、そうすることが彼女をより追い詰めるとわかってるのに、瑞樹はほとんど反射的にその電話を取ってしまった。
 「もしもし」
 『ハル?』
 ライの声を耳にすると、条件反射のようにリラックスモードに入ってしまう。無意識のうちに表情を和らげ、瑞樹は携帯を握りなおした。
 「ああ、俺」
 『今って大丈夫? ちょっと古いMS−DOSマシンがトラブっちゃって…今一人きりなんで、泥沼に嵌っちゃってるんだ。ハルなら詳しいかと思って』
 この手の電話は、お互いによくある事だ。瑞樹がUNIX関連でトラブルを起こした時、ライに電話して助かった事もある。
 ちょっと顔を上げると、真弓の冷たい無表情な目と目が合ってしまった。さすがに、慌てて目を逸らす。
 「あー…ちょい待って」
 『え? …あっ! もしかしてデート中!?』
 何かの空気を察したのか、受話器の向こうのライの声が慌て出す。
 「いや、そういう訳じゃ」
 『バカっ! 誤魔化してもわかるんだってば! ちゃんと彼女に説明してよ!? 友達からだって! 会った事も無い人だから心配するなって!』
 「…お前、その説明の方が怪しまれるよ」
 そう、ライは「会った事も無い人」なのだ、不思議なことに。
 『…それもそうだね―――と、とにかく! こっちは先輩に電話して訊くから、心配しないで。邪魔してごめん! またねっ』
 「は!? 先輩ってあの―――おーい!」
 ―――お前にしつこく迫ってるあの先輩じゃないのか!?
 よせ、やめとけバカ、と言いたかったが、さっさと電話は切れてしまった。
 ―――うわー…知らねーぞ、そんな男に助太刀頼んだりして。それを足がかりに食事だの飲みにだの誘われるのは目に見えてるのに。
 今晩あたりまた暗い声で電話があるんだろうな、と苦笑しながら、瑞樹は携帯電話を閉じた。
 途端、現実に引き戻された。
 「あ…と、悪い」
 眉を寄せ、両手を前でぎゅっと握り合わせた真弓と目が合い、瑞樹は携帯を握った手をジャケットのポケットに突っ込んだ。
 そんな瑞樹を暫しじっと見つめた後、真弓は唇を噛み、唐突にペコリと頭を下げた。
 「…今日は、付き合ってくださって、ありがとうございました」
 「あ、ああ、いや」
 「でも」
 顔を上げた真弓は、日頃「控えめで大人しい」と称されるその顔を強気な表情に変え、瑞樹を睨みあげた。
 「私、絶っっっっ対に負けませんっ!」
 「……」
 ―――石原さん。今のはどう見ても、俺に負けない、って言ってるようにしか見えないと思うけど…。
 真弓は更に一礼すると、足早に駅の方面へと歩き去った。その背中には「意固地」という単語が張り付いているようで、瑞樹は大きくため息をついた。

 ポケットの中で握り締めたままだった携帯電話を取り出し、なんとなく見下ろす。
 たかだか150グラム程度のこの物体が、現在の石原真弓の「敵」。
 まさか真弓は、そんな事思いもよらないのだろうが、それが現実だ。何故なら、"rai"は、この中の存在に過ぎないのだから。
 携帯電話の中にしかいない女に対抗心を燃やす真弓と、携帯電話の中にしかいない女にだけ心を開く自分―――どっちもどっちだよな、と、瑞樹は自嘲気味に笑った。


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