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no014:

-odai:75-

 

春雨モ、キミト一緒ナラ。

―98.03―

 「…今年は新人が入ってこなかった」
 「残念だなぁ、カズ。不況なんだから、諦めろ」
 久保田に言われ、和臣は力なく机に突っ伏した。
 神崎和臣、23歳。入社2年目にして、後輩ゼロ。そして季節は春―――花見シーズン到来。
 とくれば、今年もあれがやってくる訳だ。普通は新人が受け持つ、業務とはかけ離れた苦行。
 「オレ、今年は断固拒否しますからね! 花見がしたいんなら、皇居の周りでも散歩すりゃあいいじゃないですか! なんで毎年毎年、花見どころ選んで宴会しなくちゃいけないんですか。花より飲む方が目的みたいで、桜に対して失礼ですよ!」
 「俺にあたるな。恒例“春の花見大会”は社長考案の年中行事なんだから、文句を言いたければ社長に言え」
 「社長が花見したいんなら、社長が場所取りすりゃいいのに…」
 「お前、それを社長の前で言えるか?」
 「…言えません…」
 「今年は日比谷公園な。今日は金曜日だし、陣地取り合戦もかなり厳しい争いになるぞー。頑張れよ」
 久保田がにっこり笑って和臣の背中をバン! と叩いた。

***

 和臣は現在、企画部で一番若い社員である。今年は企画部の新規採用がなかったからだ。
 「春の花見大会」は、例年、夜7時から始まる。場所取りを命ぜられた新人は、午後3時とか4時あたりに「桜の下で宴会ができるお花見スポット」に出撃し、ここぞという場所を見つけて、青いビニールシートを広げる。そして、夜7時になるまで、好スポットを狙う他の会社の新人を牽制し、酔った勢いでレジャーシートに陣取ろうとする花見客を追い払いながら、そこでじっと皆が来るのを待つ―――それが任務である。
 この任務には、会社の慣例として、企画部の新人があたることになっている。何故営業でも総務でもないのかは不明だが、とにかくそういう慣わしなのだ。
 だが、今年は新人がいない。だから、和臣が行くしかない訳だ。
 日比谷公園の地図を広げつつ、和臣は昨年の陣取り合戦を思い出していた。
 外見が災いしているのか、和臣はやたらと現場で因縁をつけられた。「おい、綺麗なおにーちゃん、そこどきな」と黄色いヘルメットに作業着という花見客に絡まれたし、喧嘩では勝てると見込んでるのか、よその新人が場所を横取りしようと力で押してきたりもした。もっと男らしい、ごっつい顔に生まれればよかった―――絡まれる度、和臣はそう思ったものだ。
 ―――やだなー、今年も多分絡まれるんだろうなー。よその会社の女の子が遊びに来てくれるのは嬉しいんだけど、その後必ず、その会社の男どもがいじめに来るしなぁ…。早く景気良くなって、新人入ってこないかなぁ。
 時間は既に午後2時。そろそろ行かないと、場所がなくなってしまう。
 行きたくないという本音と、行かねばならないという義務感で揺れてるところに、ちょうど瑞樹がコーヒーカップを手に歩いてくるのが見えた。
 「成田ぁ」
 「まだいたのか? 今日って花見だろ?」
 「うん。久保田命令が下って、もうそろそろ出撃しないとまずいんだけど…去年は大変だったからなぁ。オレ嫌だよ」
 「あー…去年は最悪だったよな。ひげ生やした巨大な女に抱きかかえられてるカズ見た時には、全員唖然としたから」
 「…あれは女じゃないよ。男だよ」
 「わかってるよ。しかもミニスカートに網タイツ履いた、カーリーヘアーの“男”だったよな」
 「言うなーっ! 思い出させるなあぁ!」
 和臣にとっては過去最悪の記憶のため詳細は割愛するが、つまりは去年、ひたすら皆が来るのを待っている間、そういう人物に迫られてえらい目にあったのだ。
 「成田ぁ、一緒に行かない? お前来れば、ちょっとはマシかも」
 「なんで」
 「お前の不機嫌顔は、凄みがある」
 「失礼な…。第一、今就業時間内だぜ? 勝手に出られる訳ないだろ。営業と違って、俺は事務所に篭りっ放しなんだから、誤魔化し利かないぜ?」
 「大丈夫! 佐々木さんにも、久保田さんにも了解取るから!」

 そして約10分後。
 和臣が、佳那子や久保田に一体どういう言い訳をしたのかは不明だが、とにかく瑞樹は「花見陣地取り部隊」として、外出を許されてしまった。

***

 日比谷公園は、既に花見客に占拠されていた。目ぼしい桜の下は既に宴会が盛り上がっており、空いてる所といえば葉桜状態の木の下。これでは花見にはならない。
 こういう場合どうするか。
 「あのー、盛り上がってるところを恐縮ですが」
 満開の桜の下に陣取っている一団の、幹事とおぼしき人物に和臣が声をかける。おそらく久保田あたりと同年代の、ワイシャツ姿の男。和臣の顔を見るなり、ちょっと嫌そうな顔をした。
 「…なんでしょう」
 「もし夜までに撤退されるんでしたら、その後を僕らに使わせていただけませんか?」
 無邪気さの残る笑顔を浮かべた和臣に、幹事の背後から顔を覗かせたその会社の女子社員が騒ぎ出す。幹事の男は、ますます嫌そうな顔になる。
 「あー、僕ら、今日は夜桜までずっと陣取るつもりだから。悪いけど他あたってよ」
 「ええと、じゃあ、幹の反対側の荷物とかをちょっと寄せていただければ…」
 「どうぞどうぞぉ、ご一緒しましょうよーぉ」
 女の子たちが、ハートマーク大盤振る舞いな声でそう言ってくる。幹事の男は、あからさまに舌打ちをした。
 「どけるったって、通行の邪魔になるようなどけ方はできないよ。それとも何? キミ、そういう公共のマナーを破ってまで、この桜の下を占拠するような非常識なヤツな訳?」
 さすがにムッとくる。たいした量じゃない荷物が乱雑に散らばってたからお願いしてみただけなのに、なんでこいつにこんな言い方されないといけないんだ、と。しかもその男は、更にチクチクと嫌味を言ってきた。
 「ここよりさぁ、あっちの女の子の多い団体の方がいいんじゃないの、キミの場合。喜んであけわたしてくれると思うよ?」
 「…ちょっと、それ、どういう意味ですか」
 「なんだよ、やる気かよ」
 酒が入ってるのも手伝って、好戦的になった相手が半分立ち上がる。
 と。
 何故か、和臣の背後を見て、その男の動作がピタリと止まる。いや、その男だけではない。後ろで騒いでいた女の子たちの動作も止まる。
 「……?」
 不思議に思って振り返ると、和臣の背後には、不機嫌全開モードの瑞樹が立っていた。
 別にそれほど怖い顔をしている訳ではないし、凄みを利かせている訳でもない。ジャケットのポケットに手をつっこみ、いつもの無愛想な顔つきで突っ立っているだけだ。
 ただし、目がいつもと違う。僅かに細められた目は妙に殺気を帯びていて、そのせいで、瑞樹を取り巻くオーラが「それ以上言ってみろ、ぶっ殺すぞ」という色に見える。
 「と、とにかく、ここは駄目だから。他あたってくれよ、な」
 命が惜しくなったのか、幹事の男はそう言って腰を降ろした。女の子たちも「またね〜」と言って、そそくさと宴会の輪の中に戻っていった。
 「―――成田。その顔、やりすぎだよ」
 「え。何が?」
 「知らない奴が見たら、人の2、3人は平気で殺してそうな奴に見えちゃうぞ。何考えてたらそんな顔できるんだよ?」
 「何って…」
 瑞樹は、心底「意外」という顔をする。
 「今考えてたのは、後ろにいた女たちがうざってーなぁ、ってこと位かな」
 「…そっちかよ」
 「幹事の男の方は、無様だったから、あんまり気にならなかった」
 向うにいる、女性ばかりの団体に声をかけることを、和臣は諦めた。瑞樹のオーラで女の子が泣き出したら大変だ。

***

 『おー、どうだ、カズ。いい場所取れそうかー?』
 「それどころじゃありませんっ! 久保田さん、今年はもう諦めて下さいっ!」
 久保田からの電話に出ながら、和臣は、飛び交う紙皿やプラスチックコップを必死に避けていた。花見客の乱闘騒ぎに巻き込まれてしまったのだ。
 場所探しを始めてから既に30分以上。日が傾くにつれ、花見客の泥酔度もどんどんアップしている。片耳を指で耳栓しながら携帯電話を握り締める和臣の背後で、酒瓶の割れる音と悲鳴とけたたましい笑い声がごちゃまぜになって聞こえてくる。
 『なんか、賑やかそうだなー。また30分後に電話するわ。頑張れよ』
 「久保田さーん!」
 涙目の和臣を無視して、久保田からの電話は切れた。

***

 「…なんとか、取れました」
 『あ、そ。ご苦労さん』
 「その代わり、オレと成田、皆さんが来るまでに多分酔いつぶれてますので、後のことよろしくお願いします」
 『へ??』
 ピッ、と携帯を切ると、和臣は疲れたように後ろを振り返った。
 「あ、おにーさん、電話終わったの? さささ、早くこっち来て、一緒に飲みましょ」
 「…はぁ…」
 仕方なく、ズリズリとレジャーシートの上を移動し、宴席に加わる。和臣の真向かいには、完全に自棄(やけ)になってあぐらをかいている瑞樹がいる。
 「あー、ママ、今年の花見は当たりだったわねぇ」
 「そうね。絶世の美少年と、こんなかっこいいお兄さんとお酒が飲めるなんて、お店でも滅多にないもんねー」
 「…ありがとうございます」
 本当は、この一団は無視して通ろうと思ったのだが、そうは問屋がおろさなかった。
 和臣と瑞樹を加えてますます盛り上がっているこの団体は、某おかまバーのママと従業員。全員へのお酌と返杯を条件に、この後この場所を使わせてもらう契約が成立したのだ。総勢12名。飲みましょうよ、と言われても、和臣も瑞樹も、既に12人分返杯済みなので「もう結構です」状態である。
 とりあえず酒には手をつけず、陽気な女装集団に相槌を打っていた和臣の頬に、冷たいものがパラッと落ちてきた。
 「やだー! ママ、雨よ!」
 「あらま、本当。春の天気は変わりやすいもんねぇ」
 ―――雨?
 見ると、いつの間にか空はどんよりと曇っていて、まだ小雨ではあるが、パラパラと雨が降ってきていた。
 「やーん、坊やたちゴメンねー。もうお開きにするけど、このレジャーシートは置いてくから、好きに使ってね」
 大慌てで食べ物や飲み物を撤収するママと従業員を、和臣も瑞樹も呆然と眺めていた。

 雨って―――雨だったら、花見大会は、どうなるんだ?

***

 『結構降ってきたんで、中止にするんだとさ。お前、もう帰ってきていいぞ』
 「はああ!?」
 思わず大声で叫んでしまう。
 持参したビニールシートを瑞樹と半分づつ使って雨は凌いでいるが、酔いが覚めるにはまだ暫くかかりそうだ。瑞樹の方は和臣の倍以上飲まされたせいか、幹に寄りかかって完全に熟睡している。
 「中止って何ですかっ! オレたちの苦労は全部水の泡ってことですか!?」
 『だってしょーがねーだろ、この雨じゃ。もういいから、早く帰ってこい』
 「嫌ですっ!」
 『は?』
 「オレ1人でも花見しますからねっ! 意地でも帰りません!」
 『おいおい、カズ…』
 携帯電話の向うから、久保田の苦笑が聞こえる。
 「冗談じゃないですよっ! 中年のオバチャンにナンパされかけるし、オヤジどもの乱闘には巻き込まれるし、おかまの集団に拉致監禁されるし、女の子は泣くし成田は人殺すし、ものっっっっ凄く大変だったんですからね! 雨位で中止なんて納得いきません! オレだけでも“春の大花見大会”をやりますっ!」
 呂律(ろれつ)は回っているとは言え、酔いも回ってて言ってる事が一部変だったが、とにかくそうまくしたてて、和臣は電話を切った。
 途端、眠気が襲ってくる。
 「あーもう…。来年は新人入ってきてくれないかなぁ…」
 ビニールシートをガサガサと引き寄せ、和臣は浅い眠りに落ちていった。

***

 「―――か・ん・ざ・き・君」

 どの位眠っただろう。ふと、名前を呼ばれた気がして、和臣は重たい瞼を上げた。
 最初に目に入ったのは、先ほどと寸分違わぬ格好で熟睡している瑞樹の姿。次に目に入ったのは、差し出されている「お〜い、お茶」の缶だった。
 のろのろと顔を上げると、鮮やかな黄色の傘が目に飛び込んでくる。そして、その傘の下から和臣を見下ろしてる、くりりんとした目。
 「なっ、奈々美さんっ!」
 「残念だったね、お花見。せっかくこんないい場所取ったのに。…はい、お茶。それと、傘」
 見れば、奈々美の腕には、和臣が会社にいつも置いておいてる紺色の傘がかけられていた。
 「成田君の分は、わからないから持ってこれなかったの。2人で相合傘して帰ってね」
 「…ヤロー2人で相合傘しても、全然絵にならないよ―――でも、ありがとう。迎えに来てくれたの?」
 「ううん、私も、お花見しに来たの。久保田君から、神崎君が1人でお花見してるって聞いたから」
 そう言って、奈々美はスプリングコートのポケットから「お〜い、お茶」をもう1缶取り出し、くすっと笑った。つられるように、和臣も微笑む。よいしょ、と立ち上がり、傘を差して、お茶のプルトップを開けた。
 「…じゃ、2人で雨のお花見でもしますか」
 「うん―――あー、この桜、すっごく綺麗ね」
 桜の木を見上げて、隣の奈々美が嬉しそうに笑う。

 全く…もうこんな役目二度と御免だけど―――でも、今年はこんな花見ができたんだから、まぁ、いいか。

 和臣は一人、春の小雨にひそかに感謝した。


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