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瑞樹は先ほどから、無意識のうちに足をイライラと揺すっていた。
「神崎さんはみんなのアイドルなんでぇ、どうも敷居が高いっていうかぁ」
…だから何なんだ、早く言え。
「総務の中野さんもかなりのイケメンだと思うんだけど、会社公認の彼女がいる訳だしぃ」
“イケメン”ってお前、高校生かよ。変な言葉使うな。
「で? 結局、何?」
思わず結論を急がせると、L字ソファで瑞樹の右隣に座る新たなチャレンジャーは、にっこりと微笑んだ。
「で、やっぱり成田さん! ってことになるんですぅ」
「なんで」
「何考えてるかわからないから、かなー。秘密を自分にだけ見せてー、みたいなー」
…貴様、ふざけるのもいい加減にしろ。
今にもテーブルをひっくり返したくなる衝動を、瑞樹は必死に抑えた。
***
蕾夏は先ほどから、相手の勢いに押されて、体が壁際ギリギリまで引いてしまっていた。
「そうは言うけどね。女は可愛いだけでは駄目だろ?」
…はぁ、まあ。勿論、可愛い方がいいに決まってるけど。
「あ、そりゃ、外見要素が全然不必要とは言わないよ。でも、その点藤井さんは合格だし。僕なら、100点満点で200点はつけるよ」
野崎さん、100点満点のテストに200点はつけられないですよ。変ですってば。
「でも私、生意気で色気のない奴って評判ですから」
思わずそう反論すると、向かいに座る野崎は、半ば体を乗り出すようにした。
「いや、課長も篠沢次長も目がおかしいんだよ。なんというかこう、表現し難い色っぽさがあるんだよ、藤井さんには」
「あ、あはははは、いや、でも、補佐の水口さんの方が色っぽいですよ。スタイルいいし」
「駄目だよ、あんな軽そうなの。僕からすれば、藤井さんより上はいないし。なのに、なんでわかってくれないかなぁ?」
…なんで今日に限ってそんな事言うかなぁ?
今にも猛ダッシュで逃げ帰りたくなる衝動を、蕾夏は必死に抑えた。
***
なんでこうなるかなぁ、と、気の乗らない相手と表面上穏やかに食事をしつつ、瑞樹は店の窓際を、蕾夏は店の壁際をチラリと見た。
視線の先には、やはり自分と同じように仮面を被ってこの場をやり過ごしている「親友」。
更に、そんな2組のカップルを、不自然なほど低い姿勢で食事をとりながら見守る、4人の男女。
「なんで蕾夏ちゃんまでこの店にいるのよ。あの子の会社、新宿でしょ?」
極当たり前な疑問を口にする佳那子。
「彼女、今日は有明の展示会の見学だって言ってたから、その関係じゃないかな」
やはり動揺が隠しきれず、窓際側を見ようとしない和臣。
「ふーん。あれ、会社の先輩かな。結構男っぽい、いい顔立ちしてるわよね」
そんな感想を述べて、隣に座る和臣をフリーズさせている奈々美。
「瑞樹の相手、コール・センターの新人だよな。…さてはまた公衆の面前で拉致られたな…」
そして、相変わらず女運の悪い友に同情する久保田。
4人は、ただ単に、この店の割引券を持っていたから来ただけである。瑞樹は久保田の想像通り、コール・センターの新人に大勢の前で抱きつかれ、拉致された先がこの店だっただけ。蕾夏は和臣の想像通り、展示会の帰りに野崎に引っ張られて来たのが、たまたまこの店だっただけだ。
―――だからって、全員が同じ店、同じ時間帯に揃わなくてもなぁ…。
6人全員、ため息をついた。
***
「なんで今日に限って、って…別に今日に限ってる訳じゃないよ。仕事中にそんなムードを漂わせたら、君だって仕事し辛いだろうと思って遠慮してるだけだよ。それとも、日常レベルで口説いて欲しい?」
「…遠慮しときます」
…時々レベルでも、耐えられないのに。
そんな本心を隠しつつ野崎に適当に相槌をうっている蕾夏は、さっきからどうしても壁際の様子が気になってしまっていた。
―――つまんなそうにしてるなぁ、瑞樹。よく相手の子、怒らないなぁ。
それにしてもあのL字ソファって嫌だな。相手と近すぎて。向かい合って座るのも目線がバシバシ合って気まずいけど、あれよりはマシかも。
ベティさんのような体型の瑞樹の相手を観察しつつ、思わず自分と比較する。思い出されるのは、さっき言われたあの言葉。
―――私のどこに、「表現しがたい色気」あるって?
そういえば野崎さん、かなりの近眼だったっけ。私、色が白いから、野崎さんの目には膨張して見えるのかもしれない。実際触ったら驚くだろうな。少女体型のまま25になるとは、自分でも思わなかったもの。
「藤井さん、スティックシュガー1本もらえるかな」
「え? あ、はいどうぞ」
蕾夏は、コップに挿してあるスティックシュガーを1本取り、野崎に差し出した。
と、野崎は蕾夏の手を、スティックシュガーごと両手で握ってきた。
「の、のの野崎さん!?」
「…で、どうかな。前回口説いてから、もう1ヶ月経ったと思うけど。少しは気持ち変わった?」
―――前回口説いた時は手なんか握らなかったじゃないですかっ!
こういう行動に出られると、蕾夏はどうしてもフリーズしてしまう。なんとか理路整然と、何回トライしても無駄なんだよ、という事を説明したいと思うのだが、うまい言葉がさっぱり出てこない。
「な、なんでそう何回も口説いてくるんですかっ。もう私、最低5回は断ってますよね?」
「いや、これでも一応、振られる度に別の人をって探しはするんだよ? けど、毎日そばにいるし、仕事仲間としては親しく接してる訳だし。諦める機会がないんだな」
「…そ、そう言われても…」
助けを求めるように、思わず瑞樹の方を見る。が、そこで蕾夏は、あまりの事態に、目を丸くした。
―――え、ええええ!? あの女の子、なんでこんな所で瑞樹に抱きついてるのっ!?
どんなに善意的に解釈しても、その光景は「女の子が瑞樹に抱きついてる」以外の何物でもなかった。瑞樹は何かを言っているようだが、振りほどくとかその類の行動はとっていない。
―――ちょっと、瑞樹っ! ここ店内じゃない、公衆の面前じゃない、しかもあの4人の目の前じゃない! 何余裕あり気にしてんのよっ! ちゃんと振りほどきなさいよっ!
なんだか自分が抱きつかれたような焦燥感。周囲の人間が気づく前になんとかして欲しいと思うのに、やっぱり瑞樹はなんらアクションを起こさない。
「例えば、藤井さんに彼氏でも出来れば、まぁ諦めるけど…って、藤井さん? 聞いてる?」
野崎に声をかけられても、蕾夏は反応が鈍かった。そのせいで、野崎の視線までが、瑞樹に抱きついてる女の子に向けられてしまう。
「うわ、積極的な子もいるんだなぁ。さすがにあれはやりすぎだけど、藤井さん、ガード固すぎるよ。もう少し積極的になれないかなぁ」
なんで野崎さん相手に積極的にならなくちゃいけないんですか。
それより手、離してくれませんか。
瑞樹に対する苛立ちと、フリーズ状態が解けない自分への腹立たしさで、蕾夏は泣きたくなってきた。
***
「前のカレシなんてすっっごいムード無い人でー、プレゼントっていうとバカのひとつ覚えみたいにティファニーばっかり。たまには花束とか欲しいのが女心なのになー。バリエーションなさすぎでつまんないから、私の方から振っちゃったんですよ」
「…ふーん」
―――バカなやつ。そんな奇特な男を、自ら振るなんて。
先ほどから自分にしなだれかかるようにするコール・センターの新人・
―――早く帰りたいって顔してんなぁ、あいつ。表面的には繕ってるけど。
あれが前から言ってた「振っても振っても不死鳥の如く甦る野崎先輩」だな。根性ありそうな面構えしてるよ、確かに。でも、あれじゃあ押し過ぎだろ。蕾夏、完全に体逃げてるし。
それにしてもあいつ、なんで今日に限ってミニスカートなんだ? 危なっかしいよなぁ。そんな格好してるから野崎に誘われるんだよ。
そんな風に考えつつ、里谷に不審がられない程度に蕾夏たちを観察していた瑞樹は、ある光景を
―――おい…何あの男、手なんか握ってるんだよ。
テーブルの上で野崎に手を握られた蕾夏は、完全に硬直していた。とっとと振り払えばいいものを、そんな気配は微塵もない。必死に何かを説明しようとしているようだが、手は依然握られたままだ。
そんな蕾夏を見ていたら、自分が手を握られてる訳でもないのに、腕のあたりに鳥肌が立ってきた。
―――バカ! フリーズしてる場合じゃないだろ! 早く振りほどけ! 丁寧に振ろうなんて考えるんじゃねーよ! その男が、説得とか説明とかに素直に応じる奴に見えるのかよ、お前はっ!
「…ちょっとお、成田さん、あのカップルがそんなに気になるのー?」
明らかに不機嫌な声で、里谷がそう言う。瑞樹が蕾夏たちの方を凝視したまま動かないので、さすがに気づいてしまったようだ。だが、瑞樹はすぐには反応できなかった。
「そーんな態度とるんなら、ちょっと困らせちゃおうかなー」
里谷はそう言うと、瑞樹の首に腕を回して、べったりと抱きついた。
さすがにこれは、効果があった。さっぱり里谷の方を見ようとしなかった瑞樹が、ぎょっとしたように、里谷の方を見たのだ。
「あー。やぁっと成田さんがこっち見たぁ」
「…何の真似だよ、おい」
「だぁって成田さん、声かけても全然無反応だったじゃないですかぁ。だから、困らせちゃおうかなー、と思ってぇ」
「困ってないけど、重い」
「あっ。ひどいっ。そんな事言うなら、ずっとこのままでいますよぉ?」
勝手にしろ。困るのはお前だ。
瑞樹は憮然とした表情で里谷のギブアップを待った。そんなことより、まだ手を握られて困り果てている蕾夏の方に、ひたすら苛立った。
***
「すみません。今日はちょっと、この後用事があるから」
蕾夏にそう言われ、野崎は露骨に残念そうな顔をした。
「そ、か。…じゃ、駅まで一緒に」
「いえ、ここで」
ここ、とは、店の前である。蕾夏はそこから、もう1センチも動く気配がなかった。店の前で、一体何をしようというのだろうか。ちょっと不審に思ったが、野崎は素直に引いた。
「―――そう。じゃ、また明日」
「はい、おやすみなさい」
にっこり、と笑う蕾夏は、やっぱりどことなく変だ。おかしい、と思いつつも、野崎は一人、店を後にした。
そこから5メートルほど離れた、やはり店の前の路上で。
「酷いですよ、成田さん。私があの店員が料理運んで来た時に目つけてたの、チェックしてましたね?」
「当たり前だろ」
里谷が、恨みがましい目で瑞樹を見上げる。
あの後、瑞樹がちょっと顔立ちのいい店員に水を持ってくるよう声をかけたせいで、里谷はギブアップせざるをえなくなったのだ。ちょっといいな、などと思っている店員の前で、男にべったり抱きつけるほどの度胸は、里谷にはなかった。
「リベンジですっ! もう1軒行きましょうよぉ〜」
「嫌だ」
「ええぇ〜、じゃあ、駅まで一緒に行きましょ〜」
「断る。ほら、信号青になるぞ。さっさと渡れ」
まだ、えぇ〜、という抗議の声をあげながらも、里谷は渋々帰っていった。
店の前の路上に、瑞樹と蕾夏の、2人だけ。
戦いの火蓋は、切って落とされた
***
「バっっっカじゃないの!? なにあれ! なに人前で抱きつかれてデレデレしてんのよっ!」
「誰がデレデレしたよ!? お前こそ何手握られて困ってんだよ! とっとと振り払えばいいだろうがっ!」
「それはこっちのセリフでしょ!? なんで抱きつかれたままでいるのよ! すぐ振り払えばいいじゃない、恥ずかしいっ!」
「無理矢理引き剥がして大騒ぎされる方が目立って恥ずかしいだろ! ちゃんと考えてんだよっ! 手も振りほどけないような奴に言われたくねーよ!」
「大体瑞樹は隙がありすぎるから、あんな目に遭うの! もっとこう毅然としてなさいよっ!」
「お前がそれを言うか!? 大体お前、なんで今日に限ってミニスカートなんだよ!」
「たまには私だってミニスカート位穿くの!」
「相手の男を挑発すんだよ、そういうのはっ! お前、警戒心強いようでいて、肝心なとこで隙がありすぎる!」
「隙なんてないっ!」
「ある!」
「あーりーまーせーんー!!!」
「いーや、絶対ある! 隙があるからあの男に手握られたり、カズにキスされたりすんだよ! もっと自分の見てくれ考えろよ!」
「ひっどーい! 奈々美さんとキスした奴にそんな事言われたくないもん! 一度くらい女を突っぱねてみなさいよ! 頼まれれば簡単にキスするし、抱きつかれても抵抗しないし! そのうちホテルに連れ込まれても知らないからねっ!」
「それはこっちのセリフだろ!? クライアント殴るだけの度胸があるのに、なんで手握られたりキスされた位でフリーズしちまうんだよ! とっととぶん殴れ! そのうち固まってる間に山奥に拉致監禁されるぞ!」
「“位”って何よ“位”って! 瑞樹には“位”かもしれないけど、私には大ごとなんだからね! 誰とでもキスしちゃう人と一緒にしないでっ!」
「誰とでもじゃないだろ!」
「誰とでもじゃないのっ!」
「お前とはしてないだろ、少なくとも!」
「バカっ!! 友達とキスなんてしてたら世の中滅茶苦茶でしょーがっ!」
「じゃあカズとしたお前は滅茶苦茶なのかよっ!」
「したんじゃないわよ! されたの! 何よっ、妬いてる訳!?」
「んな訳ねーだろっ!」
「…あのー、お客さん」
割ってはいる気弱そうな声に、瑞樹と蕾夏のバトルがピタリと止まる。
振り向くと、カフェ・バーの従業員が、おそるおそるといった感じでこちらを窺っていた。2人の剣幕に怖気づいたのか、足が微かに震えている。
「ど…どこか他の場所にしてもらえませんか。うちの店の前だと、ちょっと…」
「…あ…すみませ…」
一気にトーンダウンした2人は、ちょっと済まなそうに頭を下げかけた。が、従業員の更に後ろを見て、完全に硬直した。
全員、勢ぞろいしてたのである。久保田も、佳那子も、和臣も、奈々美も。4人とも、目が点である。
さーっ、と、血の気が引いた。
―――なんかよくわからないけど、とにかく、まずい。
くるり、と
とにかく、1メートルでも遠くへ早く行きたくて、せっせと早歩きで歩く。一気に興奮がおさまってはいたが、興奮していた間、何をしゃべっていたのかが判然としなかった。ただわかるのは、あの4人に聞かれるのは非常にまずい内容だった、という事だけ。
「…私、まずい事言ってた気がするけど…」
「…俺もかなりまずい事を言った気がする…」
早歩き状態で、互いの顔をチラリと見る。そういえば前喧嘩した時も、翌日、喧嘩の原因がさっぱり思い出せなかったんだよな―――と、頭の隅で思いながら。
「…なんか、怒鳴ったら、お腹すいた。ロッテリアのエビバーガーが食べたい」
「…そういえば、腹減ったな―――食いに行こ」
この辺にロッテリアあったかな、と考えつつ、2人はようやく、普通のスピードで並んで歩き出した。
***
一方、残された4名は、まだ目が点の状態だった。
本当は、瑞樹たちが表に出てすぐ、2人が大喧嘩になるんじゃないかと心配して、仲裁のために出てきたのだが…。
そう。彼らは聞いてしまった。最初の一言から、最後の一言まで、全部。
「…あいつ…喋ろうとすれば、あんなに沢山喋れるんだなぁ…意外だ」
久保田は、初めて目にした瑞樹の“口喧嘩”の凄まじさに、半ば放心状態になっていた。
「…成田とナナがキスした…って、なに?」
佳那子が、呆然としたまま、そう呟く。親友の知られざる過去に、頭の中は真っ白だ。
「神崎君…どういう事?」
和臣とこのところ急接近しつつある奈々美は、和臣の秘密を思わぬ形で知って、強烈なショックを受けていた。
そして和臣は一人―――何から、誰に、どう説明すればいいのかわからず、途方に暮れていた。
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