←BACKStep Beat TOPNEXT→

 

no037:
皆無
-odai:22-

 

We need fighting spirits.

―98.09―

 朝は綺麗に晴れていたのに、午後から曇り出したと思ったら、帰宅する頃は雨に変わっていた。
 「やだ、傘忘れちゃった」
 奈々美がロッカーで慌てふためいているところへ、佳那子が入ってきた。
 「あっ、佳那子。もう帰る?」
 「ええ。今日はもう終わり」
 「駅まで傘に入らせてくれない? 置き傘、この前もって帰ったままになっちゃってるのを忘れてたのよ」
 「あー、いいわよ、って言いたいところなんだけど…」
 佳那子は困ったような笑顔を見せ、自分のロッカーを開けた。
 「ごめん。私今日、迎えが来ることになってるから」
 「迎え?」
 「だから、駅には行かないの。神崎ももう帰るみたいだから、神崎に頼んでみたら?」
 奈々美の疑問には答えず、佳那子はそう続けた。
 「う…うん。わかった。頼んでみ…る…!?」
 奈々美の語尾が、驚愕で妙にうわずってしまった。
 佳那子のロッカーには、日頃の彼女からは想像できない、薄いピンク色のフェミニンなワンピースが入っていたのだ。汚れないよう、半透明のガーメントバッグに入っている。
 「か、佳那子!? 何なの、その服は!」
 驚く奈々美をよそに、佳那子はてきぱきと今着ているベージュのパンツスーツを脱ぎ、明らかにお嬢様仕様のワンピースを着始めた。
 「何、って、私の服に決まってるでしょ」
 「で、でも、佳那子がそんな女っぽい服着るなんて…」
 「私も着たくはないんだけどねぇ」
 佳那子の支度は、いつも早い。早くもワンピースのファスナーを上げ、おかしなところがないか姿見でチェックしている。
 「…ねぇ、今日って、何があるの?」
 「お見合い」
 驚きの声さえ、あげられない。
 ―――佳那子が、お見合い!? ありえないっ!
 奈々美の頭の中では、佳那子は常に久保田とワンセットである。特に付き合ってるという話を聞いたことはないが、入社当時から仲がいいし、久保田以外の男と佳那子をセットで考えるのは、かなり難しい。
 「ごめん、急ぐから。お疲れ様〜」
 呆然とする奈々美をよそに、佳那子は慌てたようにロッカールームから出て行った。
 「えっ、ちょっ、ま、待ってよ」
 奈々美も思わずそれを追うと、ロッカールームを出てすぐの所で、偶然通りかかった久保田と遭遇してしまった。
 「おー、佐々木、めかしこんでるなぁ」
 見慣れない服装の佳那子を一瞥し、久保田はニヤリ、と笑った。佳那子の方はそんな久保田を冷たく見返し、
 「どうせ案山子(かかし)がドレス着てるみたいだとか言うんでしょ」
 と先手を打った。
 「ははははは、そんな事言う訳ないだろ。俺だって命は惜しい。…ま、頑張れよ。10回目の見合い」
 ―――じゅ…10回目!?
 「いちいち数えないでよ、嫌味ねぇ。じゃ、お疲れ様ぁ」
 「おう、お疲れぇ」
 ひらひらと手を振って佳那子を見送る久保田を、奈々美は唖然とした表情のまま眺めた。
 何故佳那子が今日お見合いである事を知ってるのか、しかもそれが10回目であることまで何故知ってるのか、そこまで知っていながらニコニコと手を振って見送れるその神経はなんなのか。奈々美には、さっぱりわからない。
 ―――やっぱり、この2人の関係って、謎だわ。
 奈々美は眉をひそめたまま、悠然と席に戻って行く久保田の背中を見送った。

***

 ―――また今回は随分と自信ありげなのを寄越したわねぇ。
 フランス料理の向こう側にいる男を一瞥し、佳那子は内心苦笑した。
 プロフィールになどあまり興味はない。社長令息、代議士の息子、医者、弁護士…それらのうちの、どれかに違いない。とりあえず佐藤さんという名前だけ頭にインプットして、とにかく微笑みまくる。
 見合いとは言っても、当人同士だけの見合いである。親や紹介者は、店の前で引き合わせておしまい。このスタイルでなければ受けない、と佳那子が態度を硬化させたため、10回中9回がこのスタイルで行われている。
 「ふーん…ということは、佳那子さんはキャリア志向ですか」
 佐藤が、穏やかな「見合い用笑顔」で訊ねる。佳那子も「見合い用笑顔」で応えた。
 「キャリア志向、と呼ぶほどじゃないかもしれませんけど、結婚には興味がありませんね」
 「…全く?」
 「はい、全く」
 「…なのに、今日ここにいるんですか?」
 佐藤が訝しげな顔をする。当然だろう。見合いとは単なる交際相手を見つける場ではない。結婚相手を見つける場なのだから。
 佳那子は、ワインを一口含むと、極上の笑みを浮かべた。
 「義務ですので」
 ―――でなけりゃ、10回もやってないわ。
 佐藤が、呆気にとられたような顔をした。
 「そこまではっきり言う人も珍しいですね」
 「佐藤さんだって、その笑顔の習熟度からすると、かなりの回数お見合いをされてるみたいですけど?」
 「まぁ、そりゃあ、相当数の社員を抱える会社の社長の家に生まれたのでは、30にもなれば見合いの1回や2回は経験してますけどね。気が乗らなくても、親の顔を立てるためにやむなく受ける場合もありますし。…けど、面と向かって“見合いは義務”とまで言い切る女性は、あなたが初めてですよ」
 「いけないかしら」
 「あまり気分良くはないですね。勿論、こちらも“義務”で来てはいますけど、相手がいい人であれば、正式にお付き合いする事も考えた上で、ここに座ってる訳ですから」
 ―――なるほど。「勿論自分も義務で来てる」って言うあたり、女に高飛車に出られると余計虚勢を張らずにはいられない訳ね。社員数が結構多いところをさりげなくアピールしてるとこみると、会社の業績には自負があるって事か…自分の業績でもないのに。バカではなさそうだけど、弱点は案外普通だわ。
 …さて。久保田プロファイリングによれば、このタイプの攻略法はなんだったかしら?
 「―――佐藤さんは、将来お父様の会社を継ぐそうですけど。その事には満足してらっしゃいます?」
 「は?」
 佳那子の質問に、佐藤は、少し間の抜けた声をあげた。
 「だって、“二代目”でしょう? 万国共通で、“二代目=ダメ男”みたいな扱われ方しますし、親に与えられたおもちゃで満足しなきゃいけない人生なんてつまらなそうだし。私ならなりたくないなー、と思って」
 佐藤のこめかみに、血管が浮き出て来たように見える。
 「結婚には興味ないですけど、もし一緒に生活する相手を選ばなくてはいけないなら、私、“史上最強の男”でないと嫌なんです。親の脛をかじり倒してるような甘えた奴や、男の面子ばっかり気にしてる化石みたいな男じゃ、話にならないわ」
 「…何がおっしゃりたいんですか」
 「あら、嫌だわ。そんな顔しないで」
 怒りに震える佐藤に、佳那子は極上の笑顔を更に深めた。
 「別に、佐藤さんがそんな奴だとは言ってませんよ?」

***

 「さっそく断りの電話が入ったぞ」
 「でしょうね」
 しらっとした表情の佳那子を見て、佳那子の父は眉間に皺を寄せた。
 「どんな手を使ってるのかしらんが、毎回毎回相手から断ってくるってのはどういうことだ? え?」
 「さぁ? お見合いに向いてないんじゃないかしら」
 ―――仕方ないでしょ。私が断ったんじゃあ、お父さん、無視して話を進めちゃうもの。相手から断られれば、いくらお父さんでもごり押しできないものね。
 内心そう言って舌を出す。
 実際には、毎回毎回、徹底的に「相手が嫌いそうな女」を演じているだけだ。昔の佳那子には到底無理な芸当だったが、こんな事を繰り返しているうちに、すっかり芸達者になってしまった。
 娘の考えなどとうにお見通しである筈の父は、大きなため息をつき、書き物のためにかけていた眼鏡をはずした。
 「まさか“恋人がいる”などと吹聴してるんじゃあないだろうな?」
 「やだわ、そんな事言う訳ないでしょ」
 「見合いの度に久保田隼雄が乱入してるってことも無いのか?」
 「する訳ないでしょっ!」
 「いーや、あの久保田隼雄のことだ、何をするかわからんっ!」
 父はギッ、と佳那子を睨んだ。佳那子は、大きなため息をつき、腰に手を当てた。
 「…お父さん。大人げないわよ」
 「―――で、あいつは元気なのか」
 父のいきなりのトーンダウンに、佳那子は頭痛がしてきた。
 父の久保田に対する感情は複雑怪奇だ。気に入ってるのか憎んでるのか、佳那子ですら時々読み取れなくなることがある。一言で表現するなら「気になる相手」なのだろう。
 「元気元気。風邪ひとつひかずにピンピンしてるわ」
 「あの一族は、誰も彼も無駄に元気だからな」
 「…会った事あるの、久保田とお爺様だけのくせに…」
 「あのじーさんとあの孫なんだから、親や兄弟も容易に想像つく。絶対に全員、バカがつくほど元気に決まっている」
 「絶対私怨が入ってるわよ、それ…」
 「―――まあ、いい。たまには顔を出すように言っておけ」
 「…いたぶって遊びたい訳ね。わかったわ」
 ―――懲りないわねぇ…そうやって呼び出しても、結局久保田に“いたぶられる”だけなのに。
 それは口に出さず、佳那子は肩を竦めて、書斎を後にした。

***

 ―――あーあ、全く。仕事で疲れてお見合いで疲れて、帰ってきて疲れて。もう散々だわ。
 自分の部屋に戻って普段着に着替えると、佳那子はベッドの上に身を投げ出した。
 枕元には、前日予習のために使ったメモ帳が転がっている。佳那子が勝手に「久保田プロファイリング」と名付けているメモ帳だ。
 ―――それにしても久保田、よくこんなメモ作ったわよねぇ…。相手のタイプ別に、見合いを“断らせる”ためのポイントを箇条書きするだなんて、久保田でないと思いつかないわよ。まぁ、これがあるから、今までの10回の見合い全部、断らせるのに成功してるんだけど。
 と、その時、サイドテーブルに置いた携帯電話が鳴った。佳那子は反動をつけて身を起こすと、通話ボタンを押した。
 「もしもし?」
 『よっ、俺』
 久保田の声だ。佳那子は僅かに口元をほころばせ、ベッドの上にしっかり起き直った。
 「珍しいわねぇ、携帯に電話だなんて」
 『まあ、たまにはな。で、どう? 10回目のお見合いは』
 「見事、断られたわ」
 『ほー。それは残念』
 ―――全く。余裕ありげな事言っちゃって。
 むっとした佳那子は、反撃に転じた。
 「ええ、凄く残念。私は気に入ってたんだけどね」
 『もう一度食い下がってみれば? 1回で相手の良さなんてわからないんだから、向こうももう一度会えば気が変わるかしれないぜ?』
 ―――ああ、そう。そういう態度に出る訳。
 「本当にするわよ?」
 『どうぞ?』
 「―――わかったわ」
 怒りに任せて、携帯を切った。
 ―――なんなのよ、その態度! 意地張るにもほどがあるわよ! ちょっと位、心配するとか不安がるとかすればいいじゃないの! 可愛くないわねっ!
 知らないわよっ、久保田なんかっ!
 携帯をベッドの上に放り出し、クッションをぎゅっと抱きしめる。
 いつもそうだ―――久保田は、凄く優しいと見せかけて、時々こうやって「別にどうってことない」といった風に人を放り出したりする。本当は全然余裕なんてない癖に、余裕ありげなことをしてみせる。
 そして悔しいことに、先に不安に駆られてしまうのは、いつも佳那子の方なのだ。
 ―――ほら。今回だって、そう。
 「…もー…っ」
 佳那子は携帯電話を拾い上げ、電話をかけた。1回コールが鳴り、すぐに電話は繋がった。
 『よ。機嫌直った?』
 「…なんであんた、そんなに余裕綽々(しゃくしゃく)なのよ」
 『別に余裕なんてないぜ? ただ、わかってるだけで』
 「何をよ」
 『佐々木が“見合いの場にへこへこ姿を現す程度の男”を気に入る可能性なんてゼロだってことを、だよ』
 ―――図星だ。親の命令に従ってるって段階で、佳那子的にはアウトなのだ。戦う男でないと、佳那子はさっぱり興味を持てない。
 『ファイティング・スピリットって点じゃあ、俺に敵う奴なんていないからなー。なんせ、うちのじじぃに加えて、お前の親父とも戦ってるんだから』
 「…そうね。その通りだわ。私が悪うございました」
 『全く、相変わらず短気だよなぁ…。カルシウム足りてないんじゃねーか? 骨焼きのウマい店あるから、冷酒でも飲みに行くか』
 「…その提案、乗るわ」
 『よっしゃ』
 久保田のニヤリ、と笑う顔が目に浮かぶ。
 ―――ああ、あの笑い顔にも弱いんだよなぁ、私は…。
 この男より強い奴なんて、この世にはいないのかもしれない―――佳那子はそう考えて苦笑した。


←BACKStep Beat TOPNEXT→


  Page Top
Copyright (C) 2003-2012 Psychedelic Note All rights reserved. since 2003.12.22