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― Wedding Complex -2- ―

 

 右も左も、よく分からない。
 ただ、披露宴会場がやたら盛り上がってることだけは、飛んでくる歓声と拍手のボリュームから、よく分かる。なんだか、結婚式の時より、披露宴の新郎新婦入場の時より、桁外れに盛り上がってる気がする。その異様なハイテンションに、久保田と佳那子の嫌な予感はどんどん高まる。
 「はい、お疲れ様でした」
 どうやら、高砂席に到着したらしい。四苦八苦しながら会場側へと向き直った2人の膝裏に、椅子らしきものがトン、と当たった。
 「…す、座っていいの? これ」
 「どうぞどうぞ」
 本当にまともな椅子だろうな、と疑いつつも、2人一緒に腰を下ろす。座った感触では、確かに、先ほどまで座っていた高砂席の椅子のようだった。
 2人が着席すると、すぐに、それぞれの目隠しの布がスルリと解かれた。
 と同時に目の前に広がった光景に―――久保田と佳那子は、声の出ないほどの衝撃を覚えた。

 会場に並べられた丸テーブルは、人が何とか座れる程度の空間を保ちつつも、全て、壁の方へと寄せられていた。
 そして、会場のど真ん中に大きく開けられた空間には、忌まわしい記憶とは切っても切れない関係にある大道具。
 「な―――…っ、なんじゃ、こりゃあぁ!!?」
 「何って、リングだろ」
 久保田の素っ頓狂な声に、背後の瑞樹が、当然といった声で答えた。

 そう。
 格闘技の試合では御馴染みの、あのリングである。どこからどう見ても。
 披露宴会場のど真ん中に、ちゃんとロープまで張られた四角いリングが、ででんと設置されている。その頭上では、多分このホテルの宴会用備品であろう、豪華なミラーボールまでクルクル回っている。信じられないことに、リングの床にはご丁寧に「WEDDING BATTLE 2001」なんてロゴまで印刷されているのだから、どう考えたってこれは特注品だ。

 「レディース、エンド、ジェントルメーン! 久保田家・佐々木家御両家のご結婚を祝しまして、これより“ウエディング・バトル2001”を開催いたします!」
 披露宴の司会専門15年のベテランが、エコーかかりまくりのマイクで叫ぶと、会場から一際大きな歓声が上がった。披露宴専門なのに、何故こんなにリングコールが上手いのだろう。謎だ。
 「それでは、選手入場―――青コーナー! 新婦側代表、佐々木ぃ、昭ぃ夫〜!」
 コールと同時に、佳那子の体がガクリと傾いた。
 盛大な拍手の中、黒の礼服姿の佳那子の父が、にこやかに手を振りながら登場したのだ。
 「…冗談でしょ、やめてよ…」
 娘の嘆きなど完全無視で、昭夫は颯爽とリング上に上がり、声援に応えている。その肩には“佳那子命”というたすきが掛けられているのだから、佳那子からすれば卒倒物だ。
 「げ…、あのたすき、本当に掛けたのかよ」
 「久保田さんのおじいさんが掛けてるの見て、対抗意識燃やしたみたい」
 そんな瑞樹と蕾夏のやり取りを背後に聞いて、久保田の背中を冷たい汗が伝う。“佳那子命”で対抗しようとする、善次郎のたすきとは、一体―――そう考えた時、自分の名前がそこにあることは、ほぼ間違いないから。
 「続いて赤コーナー! 新郎側代表、久保田ぁ、善次郎〜っ!」
 一段と力のこもったコールと同時に登場した善次郎。
 羽織袴姿で扇子を振りながら声援に応える彼の肩には、予想通り、“隼雄日本一”のたすきが掛けられていた。
 「こらーっ! じじいっ! 勝手に何してやがる!!」
 思わず声を荒げ、久保田が立ち上がった。
 すると。
 「!!」
 「きゃああっ!」
 久保田が立つと同時に、手錠で繋がれた佳那子の腕が引っ張られてしまい、双方、バランスを崩して倒れそうになってしまった。
 ―――こ…こういうことかよ、この手錠の意味は!
 つまり、止めに入ろうとどちらかが立ち上がったりすると、相手が手枷になってしまう、ということだ。
 全く、やることが徹底している―――慌てて佳那子を助け起こしながら、久保田は、いたって楽しげな様子の背後の2人を肩越しに睨んだ。

 「えー、新郎新婦以外の皆様には事前にお伝えしておいたと思いますが、この特別バトルは、久保田善次郎氏の“孫自慢”ぶりと、佐々木昭夫氏の“娘自慢”、どちらが上かの決着をつける大変重要な頂上決戦であります」
 ベテラン司会者が、流れるような口調で説明する。
 孫自慢と娘自慢の頂上決戦、というのも意味不明だが、冒頭の「皆様には事前に…」という下りが、ちょっと引っかかった。事前に、とは、一体いつのことを言うのだろう?
 「この晴れの試合の審判は、スピーチを依頼され、その時間を快く“ウエディング・バトル”に譲って下さった来賓の皆様に勤めていただきます。7名の皆さん、ご協力ありがとうございます」
 「―――…」
 司会者の説明に続いて、ゾロゾロとリング脇に姿を現したのは―――確かに、2人がスピーチを頼んだ面々だ。学生時代の友人が新郎側・新婦側それぞれ2名、上司代表で部長2名、そして同僚代表の和臣。全員、赤と青の2枚のプラカードを持っている。
 あいつら、一体いつの間に―――2人が呆気に取られていると、背後の瑞樹と蕾夏が、2人の目の前にすっ、と何かを置いた。
 それは、全く見覚えのない往復はがきだった。

 『退屈なスピーチ・タイムを、世紀のトーク・バトルに変えませんか!』

 暑気日ごとに加わります折りから、久保田・佐々木両家の結婚式にご出席の皆様には、益々ご繁栄のこととお喜び申し上げます。

 さて、きたる8月に執り行われます両家の披露宴で、我々実行委員会は、ある余興を計画しております。
 「WEDDING BATTLE 2001」と題しましたこの余興は、昨年の某テレビ番組を再現し、新郎の祖父・久保田善次郎氏と、新婦の父・佐々木昭夫氏に「私はいかに孫(娘)を愛しているか」を主張しあってもらい、「KING OF 孫(娘)自慢」を決定しよう、というものです。
 特設リングは、善次郎氏が快く寄付してくださるとのことですが、問題が1つあります。
 新郎新婦が立てた披露宴の式次第には、これ以上、新たな余興を挟み込むだけの時間的余地がない、ということです。
 ちなみに、新郎新婦が計画している余興は、計7名、1人10分ノルマのスピーチです。
 スピーチをされない方々も、単純計算でも1時間を裕に越えるスピーチなど、我慢できるでしょうか?
 眠たいスピーチより、国会の壊し屋・久保田善次郎と、経済界のロマンスグレー・佐々木昭夫のトーク・バトルの方が楽しい、そうは思いませんか!

 この計画を実行するには、最低でも4名の方のスピーチの辞退と、リング設置のためのスペースを確保するため、お色直し中の30分間に、出席者の皆様にテーブルの移動をお願いする必要があります。
 この計画にご賛同いただける方は、返信用ハガキの“バトル希望”に丸を打ってご返信下さい。
 また、スピーチを依頼されている方で、その時間をバトルに譲って下さる有志の方は、“スピーチ辞退”にも丸を打って下さい。
 ご返信いただけた方には、追って余興の詳細を郵送いたします。

 なお、この余興は、新郎新婦に対するサプライズ・プレゼントとする予定です。
 当人たちと接触の可能性のある方は、当日まで決して知られないよう、ご注意下さい。
 ご協力のほど、よろしくお願いします。

 「WEDDING BATTLE 2001」実行委員会

 そして最後に、何故か、善次郎と昭夫のツーショットのプリクラ写真が、1枚貼られていた。両名、笑顔なのが怖い。
 実行委員会が誰なのか書いてはいないが、聞かずもがな、という奴だろう。返信ハガキのあて先は善次郎になっているから、取りまとめ役は善次郎らしい。
 「会社の人はまあ予想通りだけど、親戚やお友達も、みーんな“バトル希望”に丸打ってくれたの。さすが、久保田さんと佳那子さんの関係者だよね」
 「っつーか、普通、スピーチよりは断然こっちだろ」
 「司会者さんもラッキーだったよねぇ。元々、K−1の大ファンで、リングアナに憧れてたんだって」
 「企画ぶち上げてからは、俺らより乗り気だったしな」
 「―――…」

 …こいつら…。
 じゃなくて。
 ここにいる全員、グルか―――!!!

 「さて、それでは、簡単にルールのご説明をさせていただきます」
 ハガキを手にふるふると震える新郎新婦を完全無視で、司会は順調に進行していく。
 「これからお2人には、計5つのお題について、それぞれ主張していただきます。制限時間は1問につき3分。審判の皆さんには、どちらの主張の方がよりお孫さん・娘さんへの愛を感じられるか、をジャッジしていただき、勝っていると思われる側のカードを挙げていただきます」
 そこまで説明が進んだ時、ホテルの従業員が、久保田と佳那子の所に何かを運んできた。
 「?」
 ドン! とテーブルの上に置かれたのは、何かの瓶だった。その瓶に貼られたラベルを見て、久保田と佳那子の目が丸くなる。
 「新郎新婦は、会社でも1、2を争うほどの酒豪とのお話です。各バトルで勝たれた側は、祝杯ということで、その都度、この高砂席に置かれました“ワイルド・ターキー12年もの”を、シングルで1杯ずつ、一気に飲んでいただきます」
 「はあ!?」
 祖父と父が勝手にバトルするのに、その結果で、なんで自分達がバーボンを飲まなければいけないのだ。
 無茶苦茶だ、と憤る2人のことなど、誰も待ってくれない。
 「なお、5回戦に関しては、スペシャル・シークレット・ルールが設けられておりますが…それは、最終バトル終了までのお楽しみということで。さて! 久保田さん、佐々木さん、準備はよろしいですか!」
 「おお、待ちくたびれとるぞ、さっさと始めろ」
 「いつでもどうぞ」
 「ではいよいよ、“ウエディング・バトル2001”、スタートです!」
 盛大な音楽とともに、世紀の爺バカ・親バカバトルは、幕を開けてしまった。

***

 「まず第1回戦は、“私はこんなに孫・娘から愛されている”と感じられるエピソードです。それでは、レディー、ファイト!!」
 カーン、というゴングの音と同時に、ご丁寧なことに、リング下に待機しているタイムキーパー役(どうやらホテルの従業員らしい。入場の前段階で気づいてはいたが、ホテルもグルという訳だ)がストップウォッチをカチリと押した。
 先手は、一応格下扱いの、佐々木昭夫から。
 「佳那子は、はっきり言って“パパっ子”です。ええ、断言できます。小学校5年生までは一緒にお風呂にも入っていた位ですから」
 げ、そうなのか?
 という顔で久保田が見ると、高砂席の佳那子は、愕然とした顔で硬直していた。
 ―――そうか。事実だったか。
 「なんじゃ。風呂位なら、わしも何度も一緒に入っとるぞ。しかも成人してからな」
 「…それは、温泉の話でしょうが。それに佳那子は、父の日には必ずネクタイをプレゼントしてくれます。1年だって欠かしたことはないですよ」
 「そんな程度で“愛”と言うんじゃったら、わしんとこにも毎年、誕生日には隼雄から好物の羊羹が届くぞ」
 「年食って歯の悪くなった爺さんに、羊羹ですか」
 ふん、と昭夫が鼻で笑うと、善次郎の眉がピクリと動いた。
 「じじいになっても羊羹が好きで、何が悪い。そういうお前さんとこも、毎回毎回、版で押したようにネクタイなのは、怠慢すぎやせんか」
 「スーツを着る商売だから、ネクタイが一番ありがたい、とわたしがいつも言っていたんですよっ。佳那子はその言葉に忠実に従ったんです。あんたも、文句ばっかり言ってないで、自分のエピソード披露したらどうなんですか」
 「おお。わしにはいくらでもあるぞ。隼雄が上京してきたばかりの頃、チェスの対決であやつが5連勝した時には、お前の好きなもん何でも買ってやるとわしが言っても、隼雄は“物なんかいらないから、もっと戦略を教えてくれ”とわしに教えを請うたんじゃ。どーだ。爺としてだけでなく、師匠としても慕われとるんだぞ、わしは」

 違う違う。微妙に脚色入ってるから、それ。

 ネクタイの件は本当だが、ネクタイばかりになったのは父の言葉に従ったのではなく、ほかに思いつかないから「去年と同じでいいや、本人喜んでたし」という理由だ。
 5連勝の時に物を拒否したのは事実だが、善次郎に請うたのはチェスの戦略じゃなく、当時、善次郎に命じられて始めていた株式投資のことだ。チェスには勝ったが株が値下がりしたので、売り時を教えろと善次郎に迫ったのである。
 久保田も佳那子も、それぞれ突っ込みを入れたかったが、その結果が自分自身に跳ね返ってくるとなると、下手なことは言えない。
 いや、「勝ったら飲む」というルールなのが、余計辛い。自分の身内の足を引っ張ると、結果、相手が勝つことになる―――つまりは、久保田が善次郎の足を引っ張れば佳那子が、佳那子が昭夫の足を引っ張れば久保田が、ターキー 一気飲みの洗礼を受けねばならないのだ。自分じゃなく相手に跳ね返るのだから、余計何も言えない。

 「第一、隼雄が幼稚園の時に書いた卒園文集の作文は“ぼくとおじいちゃん”なんだぞ!」
 「佳那子が小学校の時に書いた夏休みの作文だって“わたしのおとうさん”だ!」

 カンカンカンカーン、と、忙しなくゴングが鳴り、3分間終了。
 「さあ、1問目から激しいバトルとなりましたが、審判団の判定は!? さあ、みなさん、勝者の札をどうぞ!」
 7名のジャッジの札が、一斉に上がった。
 「青、青、赤、赤、青、赤、赤! 4対3で、辛くも赤コーナー、久保田善次郎氏の勝利ー! 新婦の大学時代のご友人、伊藤さんは、赤の札を上げておいでですね。佐々木先生の敗因は何ですか」
 「えー、だって、いくら娘だからって、小5の女の子とお風呂に入るなんて、大人としてサイテー」
 「なるほど、ごもっともです」
 腹蔵ない友人のコメントに、佳那子がテーブルに突っ伏した。ああ、気の毒に―――憐れみの目で佳那子を流し見る久保田の目の前に、ターキーを注いだグラスがドン、と置かれた。
 「それでは勝者の新郎・隼雄さん、勝利のワイルドターキー 一気飲みをお願いいたします!」

 …だから。
 勝ったのはあくまでじじいであって、俺じゃないだろっつーの!

 と思いながらも、盛り上がっている会場を前にしてはキレることもできない。憮然とした顔でグラスを睨んだ久保田は、自棄になったように、ワイルドターキーを一気難いっとあおった。
 「おおおお、さすがです、新郎! 皆様、新郎の男気溢れる一気飲みに、盛大な拍手を!」
 感嘆の声と共に盛大に振舞われる拍手の中、背後で、瑞樹が必死に笑いを噛み殺しているのに気づき、久保田は腹いせにその向こう脛を蹴飛ばしておいた。

***

 2回戦は、“これが孫・娘から貰った最高の贈り物だ”対決。
 事前に対決内容は伝えられてあったらしく、どちらも実物を持参した。しかも、久保田も佳那子も悲鳴を上げたくなるような。
 「おお! これは、どちらも“小学校時代に描いた似顔絵”だー! これはご本人たちの当時の画力が問われます。さあ、審判の皆さん、ジャッジをどうぞっ!」
 今回は大差だった。圧倒的多数をもって、佳那子の勝利となった。
 「おい、久保田ー。これ、まずいよ。辛うじて人間て分かるレベルじゃん。お前、一体いつこれ描いたの?」
 「うるせえ!」
 大学時代の仲間のコメントに怒鳴り返す。ちなみに、小学校3年生の図工の時間の作品である。
 「それでは、勝者の新婦・佳那子さん。一気にどうぞー!」
 もう、文句を言う気力もなくなったらしい。佳那子は大人しくグラスを受け取り、会場がどよめくような見事な飲みっぷりで、あっという間にグラスを空にした。


 3回戦は、“私は孫・娘のこんな秘密を知っている”対決。ディープな秘密を知っているほど、娘や孫と親密である―――という判断らしい。
 「佳那子は、中学校を卒業するまでずっと、童謡“ふるさと”の冒頭部分を“兎おいしい”だと思い込んでいた!」
 「隼雄は、3歳の時、母親の好奇心から女装をさせられて、その写真が今も九州の実家にはしっかり残っている!」
 「佳那子が、女子高に通ってた時に女子生徒から貰ったラブレターの数の記録は、年間13通!」
 「高校時代、空手部で隼雄と練習試合をした生徒で、挑発しすぎたせいで骨折以上の怪我を負わされた生徒が、最低2人いる!」
 「こらーっ! バラすな!!!」
 この勝負は、久保田の女装写真のエピソードがあまりにインパクトが強かったらしく、6対1で久保田善次郎の勝利。「じじい、覚えてやがれ」の言葉と共に、久保田が2杯目のターキーを一気に飲み干した。


 4回戦はいよいよ、予告通り“私の孫・娘自慢”。親バカ・爺バカぶり炸裂のコーナーだ。
 この回はトークバトルではなく、それぞれ持ち時間1分半で、思う存分語ってもらう方式になった。じゃんけんの末、先攻は赤コーナーの善次郎から。
 「経済の鬼と呼ばれたわしが認めるんだから、間違いない。隼雄は、スーパークラスのビジネスマンだ。大学生で株デビューしたが、学業の片手間でも、勝ち負け繰り返しながら常に300万の原資は確保しとった。こう見えて仕事となりゃ口も立つしな。教授とディベートしてやりこめた伝説も1つや2つじゃあない。かと言ってビジネスライクに非情になるばっかりじゃあなく、人一倍人情に篤い。頂点に立たせれば、間違いなく最高のリーダーシップを発揮するんじゃ。だからこそわしは、隼雄には国会議員になってもらって、ゆくゆくは総理大臣になってもらおうと思っておったのに、こやつは、昔から“名誉”や“肩書き”へのこだわりが足りん奴ときていて」
 と、自慢ではなく愚痴に傾きかけたところで、カンカンカーン、というゴングと共に持ち時間終了。
 続いて、親バカ代表・佐々木昭夫。
 「見れば分かるとおり、佳那子はとにかく、美しい。わたしの娘にしておくのがもったいない位に美人なんだ。しかも健康! 小学・中学・高校と、計12年間、学校を休んだのはたったの2度なんだぞ。健康に勝る美徳はない! うん! 間違いなく佳那子は最高の美女だ! 頭もいいし親思いだし、礼儀作法もしっかりしていて、お茶やお花だってできるんだぞ。確かに掃除や料理はいまひとつ苦手だが、そこまで完璧だと、これだけの美女では嫌味というものだろう? 適度に欠点もあって、可愛いじゃないか! 畜生、久保田隼雄にはもったいないんだぞ! か、佳那子が惚れた男でなけりゃあ、わたしがずーーーーっと嫁になど出さずに大事に大事に」
 カンカンカンカーン。
 感情が高ぶりすぎて、半分泣きが入ったところで、持ち時間終了。
 「それでは一斉に、どうぞ! 赤、青、青、青、赤、青、青。5対2で、佐々木先生の勝ちー! 同僚の神崎さん、隼雄さんの後輩なのに、佐々木先生に入れた理由は?」
 「いやー、なんて言いますか、もう、同じ娘を持つ男としての感動と言いますか、同情と言いますか」
 0歳児の花嫁姿の妄想に涙する男は、佳那子の父にシンクロして、半分涙目になっていた。
 「…なんか、今から愛華ちゃんが気の毒になってきたわ」
 ポツリと呟いた佳那子は、またも、“男前”と言いたくなるような飲みっぷりで、ターキーを一気に飲み干した。


 そして、5回戦。
 「さあ、いよいよ最後のバトルは、特別企画・“変り種フィーリング・カップル”! 新郎と善次郎氏の、新婦と佐々木先生の意思がどれだけ通じ合ってるかの対決です」
 という説明と同時に、善次郎と昭夫の手元にスケッチブックが1冊ずつ配られた。ついでに、久保田と佳那子の目の前にも。
 「これから、新郎新婦に関する質問を3問お出しします。それについての答えを、新郎新婦、および善次郎氏と佐々木先生にスケッチブックに書いていただきます。あ、新郎新婦は手が使い難い状態にありますので、実行委員のお二人が答えを聞き取って書くことになっております。実行委員の方、よろしくお願いします」
 手錠で繋がれている久保田と佳那子に代わり、背後の2人がスケッチブックとサインペンを手に取った。まるで見張りのように後ろに居座っていると思ったら、こういう役目があったらしい。
 「真相を書いていただいてもよろしいですし、回答拒否もOK、全くのでたらめを書いても構いません。祖父と孫、父と娘で同じ答えを書いていれば、1ポイント。3問全てに答えた時点でポイントの高い方が勝者となります。勝者への豪華プレゼントは、また後ほど発表いたします。ではー、よろしいですかー?」
 「おい、豪華プレゼントって、何だよ」
 久保田から答えを聞き取るために腰を屈めてきた瑞樹に、ぼそりと耳打ちする。
 が、そんなおいしい話を自白するような瑞樹ではない。ニヤリと笑い、「秘密」としか答えてくれなかった。
 期せずして、それとほぼ同じタイミングで。
 「ねえ、豪華プレゼントって、何なの?」
 佳那子の方も、蕾夏の耳元に同じ質問をぶつけていた。が、こちらもあっさり教える筈もなく、本心の見抜けないニコニコ笑いで、
 「とりあえず、がんばって勝った方がいいと思うよ。負けると悲惨だから」
 という、かえって意味深な言葉を返して、余計佳那子を混乱させた。

 「回答時間は各問15秒ですよー。それでは、第1問! 新郎新婦の初恋の人の名前を書いて下さい! よーい…スタート!」
 なんなんだ、その質問は。
 さすがに、呆れる。佳那子の父はどうだか知らないが、久保田の初恋の相手を、善次郎が知っている筈もなかろうに。
 祖父が何と答えるかが不安なところだが、久保田はとりあえず、ありのままを瑞樹に耳打ちした。その答えを聞いて、瑞樹が僅かに眉をひそめる。
 「…マジかよ、それ」
 「悪かったな。マジだ」
 「若年性健忘症か」
 「バカ野郎。初恋なんて普通は遠い昔の話なんだよっ。ついこの前なお前が特殊ケースなんだ」
 その言葉の意味を理解してか、瑞樹はむっとした顔で口を閉ざし、言われたとおりの答えをスケッチブックに書き記した。ささやかながら反撃できたことで、久保田の沸騰しそうな憤りも僅かに収まった。
 制限時間の15秒が経過したらしく、カーン、とゴングが1回だけ鳴った。
 「はい、書けましたかー? それでは、まずは久保田家のご両人から、ボードオープン!」
 司会の合図に従い、瑞樹と善次郎が、それぞれの手元のスケッチブックを観客―――いや、披露宴客の方に同時に向けた。
 「えー、隼雄さんの答えは“名前を忘れた”。善次郎さんの答えは…おおお! “あやつのことだから、どうせ名前は覚えていやせんだろう”! 素晴らしい! お見事です!」
 その回答に、久保田はギョッとして、リング上の善次郎を凝視した。
 当の善次郎は、会場から浴びせられる拍手喝采に余裕の笑みで応え、チラリと久保田の方に目を向けると、自慢げにニヤリと笑ってみせた。
 「…さすが。あんたの性格、よく分かってんな」
 「…うるせえ」
 「さて、こうなると佐々木家の回答が気になるところです。それでは佐々木家のご両人、ボードオープン!」
 合図と同時に、今度は蕾夏と昭夫がスケッチブックをひっくり返した。
 「佳那子さんの回答は、“ケンイチ君”。そして佐々木先生の答えは―――こ、これは凄い! “鈴木健一君”! フルネーム、しかも漢字表記です!」
 「―――なんでお父さんが知ってるのよ」
 善次郎の時に勝るとも劣らない拍手が起こる中、佳那子が呆然と呟く。テレビ用笑顔で声援に応えた昭夫も、佳那子の方に目を向け、ふっ、と笑ってみせた。
 「ねえ、ちなみにそれ、いつの話なの?」
 眉をひそめた蕾夏が佳那子に訊ねると、まだ呆然としたままの佳那子は、
 「…小学校1年生の時の話よ」
 と答えた。
 ―――その頃から、娘の身辺調査をやってんだな、あの親父は。
 あの佳那子と手を繋いでいる不埒な小学生は誰だ、と、部下やら影の組織やらを動員して調査しまくる昭夫を想像し、佳那子以外の3人は、うんざりした気分になった。
 「さあ、双方1ポイントずつ、ますます目が離せない展開となりました。いよいよ注目の第2問ー!」


 第2問は、新郎新婦にとっては、更に厳しい内容だった。
 佳那子にとっての久保田は何人目の彼氏で、久保田にとって佳那子は何人目の彼女か、という、世にも恐ろしい問題だったのだ。
 「それでは今度は、佐々木家からオープン! えー…、佳那子さんの答えは“ノーコメント”、佐々木先生の答えは…おっと、これは大問題だ、“2人目”と書かれています!」
 「佳那子! 本当のことを書かなきゃダメじゃないか!」
 「それより、いちいち数えてるお父さんの方が信じられないわよっ!」
 親子喧嘩が勃発する中、今度は久保田家のボードがオープンとなった。
 「隼雄さんの答えは“3人目”。善次郎さんの答えは…おおおおっと、こ、これはもっと大問題だ、“5人目”と出ています! 数が違うのには、どういう事情があるのでしょう!?」
 「じじいっ、大嘘書いてんじゃねぇっ!!」
 「ばかもん、男なら少し位見得を張らんかっ!」
 こうして、両家とも回答が食い違い、得点ならず。ポイントは両家1ポイントのままとなった。


 「さあ、いよいよ、運命の第3問! いいですかー? 最後の問題らしく、かなりシビアな質問ですよー?」
 諦めの境地で質問を待った2人だったが。
 「では、問題! 新郎新婦、それぞれの初体験は何歳の時かお書き下さい!」
 質問を聞いて、同時にむせそうになった。
 「よろしいですか? それではよーい…スタート!」
 何を書けっつーんだ、何を。
 無茶苦茶やりやがるな、と、スケッチブック片手に「早く答えをよこせ」という顔をしている瑞樹を睨む。が、久保田のその視線の意味を察して、瑞樹は不愉快そうに片眉を軽く上げた。
 「…最終問題は、あんたの大学時代の仲間のリクエストだぜ?」
 「……」
 目の端に、わくわくした顔で回答を待つリングサイドの大学時代の仲間が映る。怒りのあまり、手錠で繋がれた拳が震えた。

 吐き捨てるようにして伝えた答えを瑞樹が書き終わると同時に、カンカンカンカーン、とゴングが鳴った。
 「試合終了ー! さあ、注目の最終問題。先に書き終わっていたのは佐々木家のご両人でしたね。では、佳那子さんと佐々木先生から先に、ボードオープン!」
 合図に従い、蕾夏と昭夫が、スケッチブックをひっくり返す。
 「はい、佳那子さんの答えは“思い出したくありません”、そして佐々木先生の答えは―――おお、これまたお見事! “思い出させるな”です! 佐々木家、これで1ポイント追加ー!」
 ―――当然だよな。佐々木の初体験って言ったら、去年、瑞樹と藤井さんに闇に葬り去られた最低男・牧野恭介だろ。
 佳那子だけじゃなく、昭夫にとっても「思い出したくない相手」なのだ。2人の回答に、久保田は深く納得した。
 親戚連中や中年以降の女性出席者から「佐々木先生、すてきー!」などと黄色い声が飛んだ。と同時に、久保田の悪友や佳那子の旧友からは、軽いブーイングが起きた。勝ち負けなんてどうでもよくて、要するに、どんな答えが出るかを楽しみにしていたのだろう。
 「さあ、これで隼雄さんと善次郎さんの答えがピッタリ合っていれば両家同点、外れていれば佐々木家の勝利となります。それでは、運命の久保田家の回答を見てみましょう。ボード、オープン!!」
 司会の合図と同時に、瑞樹と善次郎は、スケッチブックをくるりと回転させた。
 その、2冊のスケッチブックを見て―――会場が、一瞬、息を呑んだ。
 「こ…っ、これは…」
 司会者までが言葉を失うその様子に、久保田は嫌な予感を覚えて、瑞樹のスケッチブックを覗き込んだ。そして、そこに、自分が言った答えとは違う文字を見つけ、愕然とした。
 「隼雄さんの答えは“13歳”、善次郎さんの答えは“19歳、相手は大学の同期のすみれちゃん”です! さあ、みなさん! どちらが本当のことを書いているのでしょう!?」
 「こらあああ!! 隼雄! 見得を張るにも程があるぞ! 恥を知れっ!」
 「ちがーう! 俺は“ノーコメント”って答えたんだ! 第一、なんでじじいが答えを知ってるんだよ!?」
 「…へー、あの根性悪そうな女だったんだ、あんたの最初の相手」
 諸悪の根源が、感心したように背後で呟くのを聞いて、久保田の神経の最後の1本が切れた。
 「っ、瑞樹、お前…!」
 衝動的にガタリと席を立つ。
 そして、当然の如く―――ぐいっ、と手錠で腕を引かれてしまった佳那子が、椅子から転げ落ちそうになる。
 「久保田家、ポイント追加ならずー! よって5回戦は、2対1で佐々木家の勝利です。皆様、盛大な拍手をー!」
 また慌てて佳那子を助け起こす久保田をよそに、会場は歓声と拍手に包まれた。その中には何故か、「善ちゃん、よくやったー!」という謎の声援も混じっていた。多分、久保田の大学時代を知る大学の仲間だろう。

 ―――な…何が“善ちゃん”だ、何が。
 大学の時付き合ってた女のことなんて、じじいが知る訳ないだろ。お前らが事前にネタばらししたんだろーが!!

 「それでは、勝者の佳那子さんには、ここでスペシャル・プレゼントです!」
 と司会者が言うと、落ちかけた椅子に再び腰掛けようと四苦八苦していた久保田と佳那子の腕を、瑞樹と蕾夏が取った。
 「ごめんね、ここで席を立ってもらう手はずなの」
 「え?」
 何が始まるんだ? と目を丸くする間もなく、2人は腕をぐっと引かれ、立ち上がらされた。
 そして、気づいた。
 なんだか、デジカメやカメラを持った連中が、大急ぎで高砂席の前の撮影スポットへと集まってきていることに。
 ―――…嫌な予感…。
 「これから、敗者の隼雄さんには、勝者の佳那子さんへ、勝利を祝福するあつーいキスをプレゼントしていただきます!」
 「「はあぁ!?」」
 わーっ、と会場が沸く中、素っ頓狂な声が2つ、重なった。
 1つは勿論、あつーいキスをプレゼントしなくてはいけない久保田の声。
 そして、もう1つは―――何故か、リング上にいる昭夫だった。
 「わ、わ、わ、わたしは何も聞いてないぞ! そんなプレゼント、誰が決めたんだっ!」
 「まあまあまあ」
 どうやら、プレゼントについては、事前に何も聞いていなかったらしい。気色ばみ、ロープを乗り越えようとする昭夫を、善次郎が背後から羽交い絞めにした。
 「し、司会者っ! 取りやめろ! 訂正しろーっ!」
 「いえ、決めたのは、わたしじゃございませんので…」
 「おい、久保田隼雄!」
 善次郎に羽交い絞めにされたまま、昭夫は、唖然としている高砂席の2人の方をキッ! と睨んだ。
 「いいか、わ、わたしは、確かに結婚は認めたが、キキキキスなんて不埒な真似は認めた覚えはないぞっ!」
 「―――……」
 結婚はいいけど、キスはダメ。
 もの凄い発言に、久保田も佳那子も、そして2人の腕を捕まえている瑞樹と蕾夏も、全く声が出ない。会場全体も、かなり唖然気味だ。
 「…結納の席で“女の孫が3人位欲しい”とかぬかしおった癖に…。まさかお前さん、佳那子さんはコウノトリが運んできたとでも思っとるのか?」
 善次郎が呆れたように言うと、じたばたしていた昭夫が、一瞬、善次郎をも睨んだ。
 「それはそれ! これはこれですよ! いいか、久保田隼雄っ! キスなんぞするんじゃないぞっ! わたしは絶対許さんからなーっ!」
 「……」

 あまりにも、呆れすぎて。
 頭のどこかが、壊れてしまったのかもしれない。
 というか―――この期に及んで、佳那子に対してまだそんな摩訶不思議な執着の仕方をしている昭夫に、久々に怒りが湧いてきたのかもしれない。こいつには荒療治が必要だ、なんて言葉が頭に浮かんだ。

 「と、とにかく、進行させていただきます。さあ、隼雄さん! 祝福のキスを、どうぞー!!」

 司会者の声と同時に、憮然とした顔の久保田は、覚悟を決めた。
 パニック状態で固まっている佳那子の背中に手を回すと、勢いに任せて、その唇に唇を押し付けた。

 一段と大きな歓声や口笛、フラッシュとシャッター音が飛び交う中。
 「お、おいっ! しっかりせんかーっ!」
 愛娘のキスシーンを目撃してしまった佐々木昭夫は―――善次郎に羽交い絞めにされたまま、気絶してしまっていた。


***


 「いやー、楽しい披露宴だったよ」
 来賓を見送るため、披露宴会場の出口に並んでいる久保田と佳那子に、中川と須藤の部長コンビが機嫌良くそう言った。
 そう言われた当人2人は、すっかりボロボロだ。身なりこそ披露宴らしい華やかさだが、その表情には精神的に疲労が色濃く現れている。
 「久保田と佐々木の優等生カップルが考えた披露宴じゃあ、きちっとはしてるが面白くも何ともない、無難な披露宴になるんだろうな、と思っていたんだが―――うむ、今回は、成田のお手柄お手柄」
 ちょうど中川と須藤に続いて並んでいた瑞樹の肩を、元上司でもある中川が愉快げにポンと叩いた。
 「お前がいなくなって、うちの会社も面白いネタが随分減ったからなぁ。藤井さんとまとめて、2人でまたうちに転職してこないか?」
 「…遠慮しときます」
 少々顔を引き攣らせてそう答える瑞樹と蕾夏は、ついさっきまで、来賓たちから胴上げをされていたせいで、髪が少しばかり乱れていた。どこの世界に、披露宴で来賓同士が胴上げしあうなんて話があるんだ、と思うが、久保田と佳那子の決定的シーンをデジカメに収めて上機嫌な連中(主に久保田の悪友達と、この中川部長、そして和臣なのだが)にとっては、2人の立てた企画は胴上げ物だったらしい。
 確かに、胴上げレベルの価値はあるだろう。
 なんといっても、ただのキスシーンではなく、マリーアントワネット風のドレス姿と貴族風のタキシード姿という、日常では絶対にありえないコスプレ状態のキスシーンなのだから。
 「ま、これからも、仲良くやんなさい」
 「…ありがとうございます」
 部長2人に、久保田と佳那子が深々と頭を下げると。
 「ああ、そうそう」
 帰りかけた須藤部長が、思い出したように付け足した。
 「新婚旅行、行き先決まったら、必ず社長に報告するようにね」
 「―――……」

 久保田隼雄、30歳。佐々木佳那子、29歳。
 年下からも、年上からも、弄ばれ続ける運命にあるカップルらしい。

 自分達のキスシーンを印刷した年賀状が複数名から届き、2人が郵便受けの前で卒倒しそうになるのは、この結婚式から約5ヵ月後のこと。


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