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― Introduction ―

 

 (そう)が、その写真に出会ったのは、11月―――ミレニアムに沸くロンドンの、とあるオフィスでだった。

 


 「奏君。風邪ひくよ」
 穏やかな声が、眠りの淵に引きずり込まれていた奏を呼び戻した。
 虚ろに開いた目が、見覚えのある背格好のシルエットを捉える。それが、この部屋の主であることは、ものの1秒でわかった。
 「…Don't disturb, Nosy Parker.(ほっとけよ、お節介)
 不機嫌極まりない声で吐き捨てるように奏が呟くと、ぼんやりとした影は小さく笑い、丸めた雑誌で奏の頭を軽く叩いた。
 「わかったよ、奏君が機嫌が悪いのは」
 奏が彼に対して英語を使うのは、機嫌が悪い時と相場は決まっていた。彼は、昼寝を邪魔されて機嫌を損ねている奏を無視して、デスクへと向かってしまった。
 バサバサと書類をデスクの上に放り出す音がする。奏は何度か目を擦ると、ようやく体を起こした。
 来客用の椅子に沈み込むようにして眠っていたので、首の後ろが痛い。うなじの辺りを揉みながら立ち上がると、ほとんど金色に近いその髪を掻き上げる。視線をめぐらすと、デスクの前に座り、DMのチェックに入っている彼―――時田の姿が目に入った。
 「奏君のそんな情けない顔、“Frosty Beauty(凍りついた美貌)”を求めてるクライアントには見せられないねぇ…」
 チラリと目だけを上げて笑う時田に、奏はむっとしたような顔を返した。
 「カメラの前では、完璧だろ」
 「そうだね」
 時田は笑ってそう言うと、仕分けの終わったDMを放り出し、傍らのパソコンの電源を入れた。多分、メールのチェックに入るのだろう。
 「けど―――モデルは体が資本だからね。仕事そのものより、日頃の自己管理の方が大切な位だよ。ちょっと売れたからっていい気になってると、クライアントはさっさと見切りをつけるよ。ちょっとは自覚した方がいいんじゃないかな」
 「…なんか、回りくどい言い方してるな。要点だけ言えよ」
 「たまには自分の部屋のベッドできちんと眠れ、ってこと」
 ―――遊びもほどほどにしろ、って意味だな。
 もっとはっきり言えばいいのに、と毒づきながら、奏はデスクの上に乱雑に広げられた書類やDMに視線を落とした。
 超一流で、広告代理店がわざわざ時田を指名して起用するほどのカメラマンなのに、時田はアシスタントもマネージャーも持たず、たった1人で仕事をしている。だから、こんな雑多なデスクになってしまうのだ。たまに(るい)がやってきては、ぶつぶつ言いながら片付ける。奏と同じ顔をしているのに、累はマメだ。奏は、これ以上書類が積めない状態のデスクを見ても、片付ける気は微塵も起きない。
 何気なくその辺のものを手に取って眺めていた奏は、ふと、1枚の写真に目を留め、眉を寄せた。
 「…(いく)。何、これ」
 「え?」
 メールチェックをしていた時田は、奏の言葉に、くるりと振り向いた。

 奏が手にしている写真は、時田の写真ではなかった。
 どこだろう―――酷く原始的な、深く静かな森。全体は、青緑色の苔に覆われ、光の射さない森をほんのりと明るく照らしている。その中央に、根をうねらせた巨大な木が1本、立っている。
 そして。
 1人の少女が、その巨木を抱きしめるように腕を伸ばし、頬を寄せていた。
 妖精がいる―――奏は、そう思った。
 白人の持つ白さとはまた違う、神秘的で神聖な感じの、真っ白な肌。その白さと絶妙なコントラストをなしている、癖のない真っ黒な長い髪。アルカイック・スマイルとでも言うのだろうか、穏やかで優しい笑みを口元に浮かべ、静かに目を閉じている。
 まるで巨木の内なる声に耳を澄ますかのように、耳を幹につけて佇んでいるその姿は、ただの人間とは到底思えなかった。妖精―――もしくは、天使。そんな別次元から来たもののように、静かにそこに佇んでいる。

 「…僕の、運命の1枚だよ」
 時田は、穏やかにそう答えた。
 「奏君は、どう思う?」
 「どうって―――やたらと、ピュアだよな」
 「あはは、そうだね」
 「郁が撮ったんじゃないだろ、これ。誰の写真だよ」
 「全く無名の、素人だよ」
 それまで、写真から目を離さなかった奏は、その言葉に、驚いたように目を上げた。
 「…これが?」
 「そうだよ」
 改めて、写真に目を落とす。奏の目には、それがどうしても素人の趣味の写真には見えなかった。
 ―――でも。
 「確かに…こんな純粋なヤツじゃ、カメラで食ってくのは無理か…」
 そう、呟く。奏は、昔から写真を見る目に長けていた。奏の的確な感想に、時田は笑みを見せた。
 奏の手から写真を抜き取った時田は、その目に、憧れのような、懐古のようなものを滲ませ、写真を眺めた。
 「純粋―――そう、純粋だよ。2人とも、ね。純粋すぎて、真っ直ぐすぎる」
 …2人とも。
 この写真に写っているモデルも―――そしてこの写真を撮ったカメラマンも。
 「―――怖いよ。あの子達は」
 「…え?」
 「奏君も、会えばわかるよ」
 時田はニッ、と笑い、写真をデスクの上に戻した。
 「奏君にとっても、きっとこの写真は、運命の1枚になる―――楽しみにしておいで」
 謎の時田のセリフに、奏はただ、眉をひそめるしかない。面白くない気分を味わいながら、デスクの上の写真に目をやった。

 ―――時田郁夫を、心酔させた写真。
 純粋で、真っ直ぐすぎる写真。

 その時奏は、たった1枚の写真に、微かな嫉妬を覚えた。

 

 

 世界は、1999年で終わるんだと思っていた。
 ノストラダムスの大予言を信じるならば、恐怖の大王が降ってきて、この世は終末を迎える筈だから。


 まさか、1999年の最後の最後になって、新しい世界と出会うことになるなんて―――この時の奏は、まだ、その予感すら覚えてはいなかった。


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