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03 : BORDER LINE (1)

 真新しい学生鞄に“お守り”を結びつけた透子は、満足げな笑みを浮かべ、鞄をポン、と一度叩いた。
 「透子ー、準備できた?」
 「うん、今降りるー」
 慎二の声にそう答えつつも、姿見の前でくるりと一回転してみる。濃紺のチェック柄のプリーツスカートに、濃紺無地のブレザー、そしてワインレッドのリボンタイ。中学はセーラー服だったから、服装ひとつで高校生になった実感が湧いてきて、思わず口元が緩んでしまう。
 最後に前髪をちょっと直した透子は、ベッドの上に投げ出してあった鞄を手に、1階へと降りた。先生と慎二の反応がちょっと楽しみだ。知らず、階段を下りる足がリズミカルになってしまう。
 「お待たせっ。準備できたよ」
 居間に透子が顔を見せると、朝食後のお茶を飲みながら新聞を読んでいた先生が顔を上げた。
 「おお、やっと私服じゃない透子が見れたな」
 「えへへ、どぉ?」
 「…“似合うと言え”って顔に書いてあるぞ」
 「字が書けるほどノッペリした顔やないもんっ」
 「冗談だ。似合ってる似合ってる。―――ああ、“みんな”も学校に連れて行くのか」
 学生鞄からぶら下がっている深緑色の小さな袋を見つけ、先生は目を細めた。透子が作った“お守り”―――透子もそれを見下ろし、同じように目を細めた。
 「うん…でも、明日からは部屋に置いておく。大事なもんやから」
 この“お守り”の中には、両親と紘太の遺灰、そして焼け跡から出てきた熔けかけた腕時計が入っている。入学式の今日だけは学校に持って行こうと、前から決めていた。生きていればきっと、入学式には出たかった筈だから。
 「慎二は?」
 「ネクタイ締め直しに洗面所に行っとったぞ。もう戻るだろ」
 ずずず、とお茶をすする先生のセリフに、透子の大きな目が更に大きくなった。
 「え…、慎二、スーツなんて着てんの?」
 「当たり前だ。入学式に“保護者”として出るんだぞ。いつもの格好で行ける訳なかろう」
 「……」
 「あ、透子」
 透子が言葉に詰まっているところに、ちょうど慎二が戻ってきた。
 名前を呼ばれた条件反射のように振り返った透子は、そこに、慎二らしからぬ慎二を見つけて、余計に言葉を失った。
 いつもは、あろうことか輪ゴムで束ねられてしまっている、ダークブラウンの肩につきそうな髪。自然に伸びただけだから、当然毛先もバラバラなその髪は、今日は整髪料で無造作に掻き上げられて、邪魔な分は襟元で束ねられている。
 黒に近いグレーのシンプルなスーツは、道行くサラリーマンと同じ服装の筈なのに、それを着た慎二はどう見ても「普通の社会人」には見えなかった。そして当然ながら―――“父兄”とか“保護者”という言葉にはそぐわなかった。
 喩えて言うなら、ファッション雑誌にでも出てきそうな風貌。
 「仕度できた? だったら行こうか」
 春霞みたいなフワフワしたいつもの笑みを浮かべる慎二。
 ―――なんか、悔しい。
 理由なんてないけど、なんだか、悔しい。
 「…ちょっと、慎二」
 「ん?」
 「私見て、何か言うことない?」
 鞄を持っていない方の手を腰に当てて軽く胸を反らせてみせた透子は、憮然とした表情で慎二を見上げた。
 キョトン、と目を丸くした慎二は、直後、難しい顔で眉を顰め、透子の顔を凝視した。やがて何かに考えが行き着いたらしい慎二は、ああそうか、と納得のいった顔になり、にっこりと微笑んだ。
 「ああ…ごめん、まだ言ってなかったっけね」
 「?」
 「新入学おめでとう」
 「―――…」
 透子の頭をポンポン、と叩くように撫でる慎二の背後で、先生が湯飲みを口に運びながら一言、「乙女心のわからん奴…」と呟いた。

***

 「…だからさ。朝からそんな不機嫌な顔はやめようよ、透子」
 「知らないっ」
 「ごめんってば。制服を褒めて欲しかったとは、ちょっと気がつかなかったんだよ」
 「別に褒めて欲しかった訳と違うわ」
 いつもより2割増しに広い歩幅で歩いていた透子は、チラリ、と慎二を振り返った。数歩後を歩く慎二は、困ったような笑みを浮かべて、余裕の歩幅で歩いている。
 「―――もーっ、なんで慎二って女心がわからへんかなぁ」
 「オンナゴコロ?」
 「…もう、いい。慎二には、説明するだけ無駄やわ」
 「透子ちゃーん」
 ちょうど透子が溜め息をついた時、背後から聞き覚えのある声が透子を呼んだ。
 透子と慎二が同時に振り向くと、そこには、入学式ファッションに身を包んだ荘太の母と、その後ろからもの凄く不機嫌な顔でついてくる荘太の姿があった。透子たち同様、これからバス停に向かうところらしい。
 「おはようございまーす」
 「おはようございます」
 透子と慎二がそれぞれ会釈すると、追いついてきた荘太の母と荘太も挨拶し返した。
 「まー、透子ちゃん、可愛いなぁ。制服似合ってるわ」
 「えへへ、ありがとうございます」
 「工藤さんも、決める時は決めるんじゃねぇ。一瞬、誰だか分からんかったわ。あははははは」
 「…あ…ありがとうございます。小林さんも誰だか分かりませんでしたよ」
 透子にむくれられたことで学習したのか、慎二もそんな言葉を返す。いや、でも、本当に一瞬誰だか分からなかったのだ―――荘太の母と言えばいつもノーメイクなのに、今日はかなり気合を入れてメイクをしているから。
 でも、荘太の母はそれを褒め言葉と取ったらしい。少女のように頬を染めて「嬉しいわー」と喜んでいる。その背後で、荘太がケッ、という顔をしていた。
 せっかくなんでご一緒しましょう、と言われ、結局4人連れ立ってバス停に向かった。同じ学校に行くのだし、バスも同じなのだから、逃れる術など見つからなかった。
 「それにしても工藤さん、若いのに偉いんじゃねぇ。25歳ってゆうたら、親元でふらふらしとる人も多いのに、親戚でもない子を引き取って、高校まで行かせてあげるなんて」
 「は…あ、まぁ、オレも居候の身なんで、オレより先生が偉い気がしますけど…」
 ちょっとハイテンションで褒めまくる荘太の母に気圧されて、慎二はしどろもどろに相槌を打った。
 「でも、ゼロからのスタートってことは、服から日用品までみーんな揃えんにゃぁいけんってことじゃろ? 大丈夫なん?」
 「―――あの、子供の前でそういう話は…」
 「…透子、先行こうぜ」
 思わず眉をひそめた慎二の横をすり抜けるようにして、荘太が透子の肩をポン、と叩き、大人2人を追い越した。
 先に、と言っても、バス停までなんて大した距離はない。けれど、“大人”の会話にちょっと居心地の悪さを感じていた透子は、荘太の誘いに頷いた。慎二の隣を離れる瞬間、その顔を盗み見たら、彼も居心地の悪そうな困ったような顔をしていた。
 「ごめんな、朝っぱらから、気分悪い話聞かせてさ」
 透子と並んで歩き出した荘太は、透子に済まない、というよりは、自分の憤りを抑えてるみたいな口調でそう言って、背後をチラリと見た。ムッとした表情の荘太の様子に苦笑しつつ、透子は首を振った。
 「ううん、別にええよ、あの位。慎二が金銭的に大変なのは本当やし」
 「やっぱり大変なのかぁ…」
 「無一文やからね。親が貯金とかしてた筈やけど、通帳も印鑑も焼けたし、どの銀行に預けてるかも全然知らんかったし。お父さんの厚生年金手帳だけは会社で保管してて遺族年金とか出るけど、それこそ下着まで全部新しく買うんやから、塵も積もれば山となる―――絶対、義援金とか年金じゃ足らへんよ。その上、これから授業料かかるし」
 「…随分、詳しいなぁ。“大人”の話なのに」
 「慎二が引き取るって言ってくれる前までは、自分ひとりで生きてこうと思ってたんやもん」
 慎二が後見人を申し出た時だって、父の会社の人たちからは「年金目当てなんじゃないか」と疑われて大変だったのだ。誤解が解けてからは進んで協力してくれたが、その過程で年金や保険の話を知り、自活しようと考えていた自分がいかに甘かったかを知った。あんなにいろんな義務を背負ってるなんて、大人は大変だ。
 「うちの母ちゃん、美談に弱いんだ。しかもその美談の主がアイドルの工藤さんだもんだから、お前引き取られてからこっち、ずーっとあの調子でハイテンションだよ。いい年して何やってんだか…」
 忌々しそうに眉を顰めた荘太は、そう言って地面に落ちていた小石を蹴った。
 「あはは、確かに、いつもより声が3音位高いね。今日のおばさん」
 「俺、早く大人になりたいよなー…」
 「大人に?」
 「そしたら、家出てけるじゃん」
 「…家に居たくないの?」
 「―――うーん、そういう訳じゃないけど…なんか、慣れないよなぁ。いまだに」
 そうだ―――荘太はずっと、千葉の祖父母の家で育っていて、両親や兄弟とは長く離れていたのだった。年甲斐もなく若い男に頬を染めている母をやたらと嫌がるのも、そういった経緯と無関係ではないのかもしれない。
 みんな、色々あるんだな、と透子が小さな溜め息をついた時、はるか遠くの曲がり角をバスが曲がってくるのが見えた。
 「うわ、急がないとまずいじゃん」
 「うん。おばさんと慎二も急いで!」
 早くも駆け出した荘太を気にしつつ、透子は背後の大人2人にも声をかけた。
 「ほらっ、慎二、早く」
 「えっ」
 あたふたと走り出す荘太の母の隣で目を丸くしている慎二の手を咄嗟に掴み、透子は、慎二を引っ張るようにして駆け出した。それまで街路樹の陰になって見えなかったバスが、それで目に入ったのだろう。慎二も慌てて走り出した。

 慎二の手は、透子の握りこぶしをすっぽり包み込める位、大きい。
 手のひらも大きいけれど、それ以上にこの長い指が理由だろうな、と透子はいつも思う。慎二の手の指は、スラリとしていて、長い。絵筆がよく似合う、なんとなく芸術家っぽい手だ。
 父の会社の人に質問攻めにされている間も、祖父が眠っている墓に3人の骨を収めている間も、神戸を離れる前焼け落ちた自宅を最後に見に行った時も―――慎二はこうして、手を繋いでいてくれた。1月の寒さの中、慎二の手はとても温かくて、ただこの手に繋がれているだけで、不思議な位に安心できた。

 ―――大人、かぁ…。

 日頃、忘れている事。自分は子供で、慎二は大人。
 この手の大きさの違いに、透子はそれを思い出させられた気がした。

***

 高校に行って、クラス分けの貼り出しを見てみたところ、意外にも、透子と荘太は同じクラスになっていた。
 「あ、ラッキー。“こ”って1組と2組に分かれてるじゃん」
 「“こばやし”はギリギリ1組やね」
 「ほんじゃあ、1年ヨロシク」
 ニッ、と笑って手を差し出す荘太に合わせて、透子もニッ、と笑ってその手を握った。
 「こちらこそ、ヨロシク」
 ―――やっぱり、全然、手の大きさって違うんだなぁ。
 荘太の手は、透子より大きくはあるけれど、やっぱり慎二に比べるとまだ小さい。“尾道の先輩”っぽい態度を取りたがる荘太だが、こうしてみると自分と同じ子供なんだなぁ、と改めて実感した。
 「帰りは別々に帰ろう。また母ちゃんの“恋する乙女モード”を見るのは嫌だから」
 そう耳打ちされて、透子はくすくす笑って頷いた。確かにあれは、傍で見ていてもの凄く落ち着かない。帰りは慎二を連れてとっとと帰った方が得策そうだ。

 教室に入ってみると、男女で席が分かれていて、それぞれに五十音順に並んでいるようだった。
 透子は窓際の席の一番後ろ。廊下側の列を見ると、ギリギリ1組に入った荘太が、その一番後ろの席に陣取っていた。縁があるなぁ、と思って手を振ると、荘太も手を振り返してきた。
 と、ちょうどその時、2人の間に割って入る形で、女の子が透子の目の前を通った。
 自分が2人の邪魔をしたと気づいたらしく、慌てたように透子の前をすり抜け、透子の前の席にストンと腰を下ろした。
 「あ…っ、ごめんなさいっ、邪魔して」
 「ううん、別に構わへんよ。私の前やったんやね」
 「うん―――あ、小林君と知り合いなの?」
 透子と手を振り合っていた相手が荘太と気づくと、その女の子はちょっと目を丸く見開いた。小動物を思わせる、クルンと丸みを帯びた目だ。
 「うん。家が近所やから」
 「あたし、3年の時、小林君のクラスメイトだったの」
 今度は透子が目を丸くする番だった。
 「えっ、そしたら、私と同じ中学やったんや! わー、凄い偶然」
 「良かったぁ…。知らない人だらけで怖かったんだけど、小林君の名前見て、ちょっとホッとしてたの。小林君の友達が後ろの席だなんて、凄く嬉しい」
 本当にホッとした笑顔を見せた彼女は、机の上に貼り付けてあった紙の名札をはがして、透子に差し出した。
 「あたし、安藤真奈美」
 「私は、井上透子。透子でいいよ」
 「…じゃ、じゃあ…あたしも、真奈美で…」
 どうやら彼女は、凄くシャイな性格らしい。初対面で名前で呼び合うなんて、慣れなくて恥ずかしいのだろう。たったこれだけの会話で真っ赤になっている。可愛いなぁ、と、同性ながら思ってしまう。
 「うーん、私はどっちかと言うと“真奈”って呼びたいなー」
 「ま、まな?」
 「うん。嫌やったら別の呼び方するけど」
 「ううん、真奈でいい。家でもそう呼ばれてるから…」
 真奈美はそう言って、ことさらに嬉しそうな顔をした。やっぱり可愛いなぁ、と思った透子は、ついつい笑みを深くしてしまう。けれど、同性の真奈美を見て、可愛いという理由でへらへら笑うのはちょっとヤバいのではないか、と気づき、慌てて笑いの度合いを弱めた。
 小さい弟の面倒を嬉々としてみていた頃から、どうやら自分は“世話焼き”な血を持っているらしいことには、薄々気づいていた。はにかみやで、すぐ赤面してしまう真奈美も、透子のそういう“世話焼き魂”をくすぐるタイプなのかもしれない―――とそこまで考えて、はたと思い当たる。
 慎二も、そのタイプなのかも、と。
 ―――だから、あんだけ毎朝迷惑かけられてんのに、ぶちぶち言いながらも目覚まし止めるのがやめられへんのかなぁ…。荘太が言ってた“母性本能”とはまた別のもんかな。
 連想繋がりで、なんとなく荘太の方を見る。荘太も透子同様、前の席の男子生徒と、なにやら楽しそうに談笑していた。
 「あの子も同じ中学?」
 視線を荘太の前の席の子に合わせつつ、透子は真奈美に訊ねた。
 「ううん、知らない子―――多分、別の学校じゃないかしら。全然見覚えないもの」
 「へー…。なんか、凄い親しそうに話してるんやけど」
 「小林君はいつもそうよ。どこに行っても、真っ先に友達作っちゃうの。物怖じしない性格って羨ましいなぁ…」
 「…確かに、物怖じはせーへんね、荘太は」
 物怖じする性格の奴が、いきなり初対面でテストの解答を訊ねたりしないだろう。
 「でも、井上さんも物怖じしないタイプじゃない?」
 くすくす笑って言う真奈美に、透子はキッ、と目を吊り上げた。
 「井上さん、やなくて、透子っ」
 「―――ほら。そういうとこも、小林君と同じ」
 「……」
 言われて、最初に自分も「小林君」と呼んで頑なに拒まれたことを思い出した。
 …似ているかもしれない。
 でも―――なるほど、似たもの同士だから、相手の嫌がることが察せられるのかもしれない。荘太が透子に同情めいたことを一切言わないのも、荘太が母親となんだか上手く接せられない気持ちが透子に理解できるのも、2人が似たタイプだからだと考えれば納得がいく。
 偶然、話すようになった相手だけれど、案外荘太は得がたい友人となるかもしれない―――透子は、なんだかそんな予感を覚えた。

***

 簡単なクラスミーティングの後、入学式が体育館で行われた。
 ―――が、しかし。

 「ねぇ、透子。あそこの人、誰の父兄かなぁ?」
 「…うん…」
 隣に座る真奈美が、興味津々の目で透子の肘をつつく。そう言われても、透子は真奈美が目で指し示す方向を見ることはできなかった。
 見なくても、そこに誰がいるのか、分かるから。
 真奈美だけではない。前に座る子も、その隣の子も、隣のクラスの前の方の子も―――真奈美が見ているのと同じ方を見てヒソヒソ話をしているのが分かる。
 「なんだか芸能人みたいー…。お兄さんとかかな。父親な訳ないよね。あ、笑った。笑顔も綺麗ー」
 「……」
 チラリ、とだけ、そちらを窺う。
 視線の先には、スーツ姿で壁際に佇んでいる慎二がいた。
 笑っているのは、どうやら父兄の一人と話をしているせいらしく、その父兄は荘太の母ではなかった。荘太の母は、慎二の反対側の隣に立って、ちょっと面白くなさそうな顔をしているから。
 ―――うわぁ…バカ、慎二のバカバカバカ! おばさん相手に愛想振り撒かんといてよっ。恥ずかしいっ。
 ぐるん、とまた前を向いて、顔を極力下に向ける。慎二が同級生やその親の視線を集めていると思うと、無性に恥ずかしい。
 ―――みんな、騙されたらあかんよ。慎二、今日はびしーっと決めてるからまともに見えるけど、普段はしょーもない位ぼーっとした性格してるんやからっ。先生が「剣道の稽古つけてやる」って言うと慌てて逃げ出すし、野良猫にエサやろうとして顔を2ヶ所もひっかかれたし、お風呂で眠っちゃって一度溺れかけたし…ほんとに、ほんとに、ぜーんぜん格好良くないんやからねっ!!
 今すぐ立ち上がって全部暴露してしまいたい衝動に駆られるが、そんな真似できる訳がない。だから、ひたすら下を向いて、周囲の人々の視線を気にしないように努めるしかない。
 あのスーツ姿は、ちょっと、ずるいと思う。
 慎二なのに、慎二じゃなく見えてしまう。
 ああいう慎二は、嫌いだ。いつものパーカーシャツ姿の慎二の方がいい。もし次に学校に来ることがあるとしたら、その時は絶対にいつもの服装にしてもらおう―――透子は、固く心に誓った。
 「? 透子?」
 「うん」
 「…なんで下ばっかり向いてるの?」
 さすがに透子の異常に気づいたらしい。真奈美が不思議そうな声でそう訊ねてくる。
 その質問に透子は答えなかったが、話の流れから、何となく察する事ができたのだろう。真奈美は、透子と同じ位まで顔を下げ、耳元でこそこそと訊いて来た。
 「―――あのお兄さん、透子の父兄の方?」
 「…うん」
 「嘘っ! な、何? 何にあたるの? お兄さん? 従兄弟?」
 「…ごめん。説明に結構手間かかるから…後で話すわ」
 「え?」
 ―――遠縁のお兄さん、とでも言っとこかなぁ…。
 慎二との関係を説明するのは、結構、面倒だ。嫌でも震災の話をしなくてはいけないし、両親や弟、住む家も財産も失ったことも話さなくてはいけない。せっかく何の先入観もなく友達になれた相手に、そういう話をしたくはなかった。
 いや、それ以上に。
 何故、赤の他人の慎二が引き取ったのか―――それが、透子にも説明できないところが、辛い。
 慎二が目立つと、こういう質問をされてしまう。やっぱり金輪際スーツでビシッと決めるのはやめてもらおう、と、透子は再度誓った。

***

 「慎二ーっ!」
 入学式が終わり、オリエンテーションも終わると、透子は即座に教室を飛び出し、慎二の姿を探した。
 慎二は、なるべく目立たないようにしているのか、他の父兄とは離れて校門横の桜の木陰に隠れるように立っていた。それを見つけた透子は、大急ぎで駆け寄った。
 「お疲れさま、透子」
 待ちくたびれたような笑顔を浮かべた慎二は、寄りかかっていた木の幹に手をかけ、よいしょ、と体を起こした。
 「お待たせ。帰ろ」
 「え…、でも、荘太君はいいの?」
 「いいのいいの。荘太とは別に帰るから」
 さっさと慎二の手を取り、先に立って歩き出す。これ以上誰かの目に留まる前に、一刻も早く家に連れ帰らなくてはいけない。
 「な、なんか怒ってる…?」
 「怒ってへんよっ」
 「…の割りに、目が据わってるし、声が怖いんだけど」
 ちょうどその時、母親と連れ立って歩く真奈美が校門に差し掛かった。
 透子から事情を聞かされている真奈美は、ニッコリと微笑むと透子に手を振ってみせた。さすがにちょっと同情の表情を見せた真奈美だったが、極端に同情的な態度を取る様子はなさそうだ。透子もニッコリと笑い「また明日ねー」と手を振った。
 「友達?」
 「うん。真奈って言うの。前の席に座ってて、すぐ友達になった」
 「へーえ…透子ってすぐ友達作れる方なんだ。羨ましいな」
 成り行き上、透子に手を引かれているような形で歩く慎二は、そう言って目を細めて笑った。
 「慎二は友達作るの苦手やったの?」
 「うーん…苦手っていうか―――オレ、目立たなかったからさ。なかなかクラスメイトに気づいてもらえなくて」
 「…こんなに目立つのになぁ…」
 「は?」
 「…なんでもない」
 居並ぶ父兄の中で一人だけ浮いてた慎二を思い出し、透子はまた落ち着かない気分になって、ちょっと歩調を速めた。
 校門からバス停までは、歩いて2、3分といったところだ。ちょっと考えた透子は、足を止め、少し眉をひそめるようにして慎二を振り返った。
 「ねぇ―――歩いて帰ってもいい?」
 「え?」
 「歩いて帰るの。1時間近くかかるかもしれへんけど、坂道から海見えて、綺麗やったよ。受験の時」
 「…ふーん…いいよ? そんなことなら、スケッチブック持ってくれば良かった」
 いつものあのフワリとした微笑を見せた慎二は、そう言って先に一歩踏み出した。今度は透子が手を引かれるようにして歩き出した。

 バス停へと向かう人の流れとは逆に、坂道を下って行く。喧騒から遠ざかるにつれ、透子の訳の分からない落ち着かない気分も次第に影を潜めていった。
 繋いでいる手に視線を落とし、その視線をゆっくりと慎二の顔ヘと移動させていく。“父兄”の身だしなみが必要なくなったからか、慎二は、固めていた髪をぐしゃぐしゃと崩していた。いつも通りのラフな髪型に、ホッと心が和んだ。
 ―――やっぱり、こういう慎二の方が好きやなぁ…。
 ファッション雑誌なんかには絶対出て来そうにない慎二。ちょっと情けなくて、綺麗な顔してるのにどこか抜けてて、フワフワと漂ってる雲みたいに、どことなく…分かり難くて。
 保護者でもなく、監視員でもなく、ボランティアでも家族でもない。なんだろう―――慎二が自分にとって“何”なのか、うまく説明できない。後見人、という法律上の言葉は理解できても、自分にとって慎二が“何”か、と訊かれた時、咄嗟に答えが出てこない。
 分かるのは、一緒にいてホッとできる唯一の人だということ。
 そして、ホッとできる慎二は、あのビシッと決めてる慎二じゃなくて、今隣にいる方の慎二。中身は変わってない筈なのに―――なんでこんなに、感じ方が変わってしまうんだろう?

 「…どうしたの。急に機嫌よくなって」
 慎二に言われて、我に返る。気づくと、口元が自然と綻んでいた。
 「…えへへ」
 「? 何? なんか怖いな」
 「…乙女の笑顔に向かって怖いとか言うなっ」
 ―――この、女心の分からないところは、ビシッと決めようがフニャリと崩れようが、同じなんやね。
 まぁ、でも―――これで、この慎二が女性にお世辞の一つも言うとしたら、その方が気持ち悪いかもしれない。女心の分からないところも、ホッとできる慎二の要素だと思うことにして、透子は慎二の発言に目を瞑ることにした。

 まるで、春の縁側で、のんびり日向ぼっこしてるような気分。

 慎二と手を繋いで歩きながら、透子はそんな気分を楽しんでいた。


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