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  だれもしらない - HAL side -

 秋の空に、真っ白な雲が1つ…2つ、3つ。
 そんな空を背景に、銀杏の木の葉が、だんだんと色づいてきている。
 枝にとまっているのは、雀。親子なのか、つがいなのか…微妙に大きさが異なる2羽の雀が、じゃれるように同じ枝の上を交互に跳ね回っている。
 ―――空が、高い。
 夏の熱気が日に日にどこかへ吸い込まれていって、それと入れ替わるように、澄んだ透明な空気が密度を増していく。夏は嫌いだ。だから、夏の後に来る秋が、全ての季節の中で一番好きかもしれない。

 「な・り・た・君」
 体育館のひさしの下に座り、ぼんやりと秋の風景を眺めていた瑞樹は、突如視界に現れた顔を見て、露骨に不愉快そうな顔をした。
 「なぁに、その顔。それが、写真部創設のためにせっせと働いてあげてる先輩に対する顔?」
 「…働いてんのは、あんたの彼氏だろ」
 「私だって圭の手伝いしてるんだから、同じようなもんでしょ。ほら、ちょっとは愛想のいい顔しなさいよ」
 唇をとがらす女子生徒に対して、瑞樹は、相変わらず不愉快そうな顔を向け続けた。
 私は男にモテます、という自信ありありの態度に、ますます嫌気がさす。男前で性格が良くて成績も優秀な彼氏が既にいるのに、一体誰の視線を気にして開襟シャツの襟をギリギリまで開けているのだろう? …まぁ、今更確認するまでもないが。
 ―――なんで俺は、このタイプにすぐ目をつけられるんだろう…。
 うんざり、という顔で、瑞樹は深い溜め息をついた。彼女からすれば、その態度は余計面白くない。
 「人の顔見て溜め息つくって、あんまりなんじゃない」
 「…消えろ」
 「消えろ? 何それ」
 「邪魔だっつってるんだよ」
 目つきを鋭くして瑞樹が睨むと、彼女は、その気迫に飲まれたかのように、一歩後ろに退いた。
 せっかく穏やかにのんびり過ごしていたところを邪魔された瑞樹は、いつもより少々機嫌が悪い。普段ならここでもう無視するところだが、そうはせず、皮肉っぽく口の端を上げると、僅かに蒼褪めている彼女を見上げた。
 「一度寝た位で、馴れ馴れしい態度取るんじゃねぇよ」
 「……ッ」
 「圭先輩ひとりじゃ物足りねぇんなら、夜の新開地の道端にでも突っ立ってれば」
 「ひ…酷い」
 新開地と言えば、神戸では有数の歓楽街だ。客を取る女と同レベルに言われた彼女は、ショックを受けたような表情で、唇を震わせた。
 けれど、瑞樹から言わせれば、そういう女性達の方が何倍もましな人間だ。彼女らは生活のため、生きていくためにそういう仕事をしている。一時の快楽を求めている訳でも、欲求不満を解消したい訳でも、スリルを味わいたい訳でもない。純粋に、それが仕事だから、そうしている。
 瑞樹の目には、目の前にいる今時の女子高生より、そうした客商売の女性の方が上等な人間に映っている。なのに、まるで「自分より下等なものと同レベル扱いされた」と憤ったような顔をする彼女を、瑞樹はまた心の中で嘲った。
 「け…圭に話すからっ」
 それでも強気に反撃を試みる彼女を、瑞樹は軽蔑しきった目で睨んだ。
 「好きにすれば」
 「……」
 「とっとと消えろ。俺は、あんたに興味ない」
 吐き捨てるようにそう言いつつ、もう一度彼女を睨むと、瑞樹はぷい、とそっぽを向いた。
 彼女は、まだ瑞樹の前から動こうとしない。けれど、瑞樹の方も、これ以上彼女と口をきく気など微塵もない。先ほどのまでの殺気を僅かに残し、彼女とは無関係な方向を眺める瑞樹の頭の中からは、既に彼女の存在は締め出されていた。

***

 「ほんなら、バスケ部辞めるんか」
 「まぁな」
 部活の終わった体育館で、バスケットボールをその場でドリブルしながら、瑞樹は壁際に佇む木村の方を流し見た。
 「圭先輩、写真部本格的に立ち上げる気らしいから」
 「そうかぁ…。けど、もったいない気もするなぁ。うちの高校、バスケ強いらしいやんか。お前も幽霊部員せんと真面目にやっとれば、インターハイとかに行けたかもしれんのに」
 そう言って眉を寄せる木村の方は、現在、完全に帰宅部だ。彼がやりたいような部活がこの学校にはない上、瑞樹にとっての圭先輩のように、同じ趣味を持って新たに部を立ち上げようという有志もいなかったので、仕方なかった。その分、彼は今、地元のボランティア団体に入って、三ノ宮あたりの治安維持や美化に努めている。アメリカのガーディアン・エンジェルズのような活動だ。
 人の好い、責任感の強い木村らしい活動だと、瑞樹は思う。動物が好きで、植物が好きで、命あるものの役に立つのが大好きな木村には、ありきたりな部活動などよりは、そういうボランティア活動の方が似合う。瑞樹同様、ブレザーを床に投げ出して、シャツにタイという格好になってバスケットボールを弄んでいる木村を見て、瑞樹は無意識のうちに微笑んでいた。
 「あ、けど―――ほんなら、あの人も写真部できたら入部するんやない?」
 「誰?」
 「みどり先輩。圭先輩の彼女」
 「…ああ、あれね」
 途端、瑞樹の顔が不機嫌そうになる。思い出した苛立ちを解消しようとするように、ドリブルしていたボールをゴールに向けて放り投げる。ボールは、大きな音をたててバックボードにぶつかり、リングの中へと落ちた。
 「無視すりゃいいって、あんなの」
 「…まぁなあ。けど、したたかやからなー、あの人。僕でも願い下げやわ、あの人は。圭先輩、趣味悪…」
 「先輩の前では仮面被ってんだろ」
 ゴール下でバウンドしているボールを取りに行こうと、瑞樹が一歩踏み出した時、体育館の開け放した扉の外から憤慨したような乱暴な足音が聞こえてきた。
 一体誰だ? と思わず扉の方へと目を向けた瑞樹と木村は、直後、これまで見た事もないほど怒りの形相をしている圭先輩を目撃する羽目になった。
 「あれ、圭先輩。どないしはったんですか」
 目を丸くしてそう言う木村をよそに、圭先輩はズカズカと体育館の中に入り込んでくると、同じように目を丸くしている瑞樹の頬をいきなり平手打ちした。
 「ちょっ…け、圭先輩っ!」
 「お前は分かってるよな、成田! なんで俺が、お前のことひっぱたくのか!」
 ボールを放り出して駆け寄る木村を無視し、圭先輩は、叩かれた反動でよろけた瑞樹の胸倉を力任せに掴んだ。その頬は、怒りのあまり紅潮している。
 「…わ、かんねーって。何が…」
 「あーそーかよ! みどりに全部聞いたんやからな!」
 あのバカ本当に話したのか、と頭の隅で思った瞬間、瑞樹は圭先輩に胸元を掴まれたまま、体育館の床に押し倒されていた。
 「人の女に横恋慕するのは勝手やけどな、手まで出すとはどういうつもりや!? え!?」
 「…は!? 何言って…」
 事実とは異なる話の展開に、瑞樹は床で頭をしたたか打ちつつも、慌てて抗議しようとした。
 が、次の瞬間、その言葉が喉元で止まった。
 圭先輩の手が、瑞樹の首にかかったのだ。

 途端。
 記憶の底から甦ってきたものが、瑞樹の全身を一瞬にして強張らせた。

 「お前、俺がどんだけお前のこと信用してたか、全然わかってへんやろ―――え!? わかってへんやろっ!!」
 「ち…ちゃいますっ! ちゃいますって、圭先輩っ!!」
 無反応になってしまった瑞樹の首を怒りに任せてぐいぐい絞めていく圭先輩の腕に、木村は必死になってしがみついた。
 「成田は騙されただけやって! こいつが撮ったフィルムがなくなって、それをみどり先輩が見つけたって家に電話してきて―――それで先輩ん家に取りに行ったら、見返りに1回だけ相手しろ、って!」
 「アホか! 俺がおるのに、なんでみどりがそんな事言うんや! そんな嘘、信じろ言う方が無理あるわ!」
 「せやけど僕、見てたんです! みどり先輩が成田の鞄の中からフィルム抜き取るとこ!!」
 木村のセリフに、圭先輩の手が止まった。
 びっくりしたように目を剥いて、自分の腕にしがみつく木村の方を見る。そんな圭先輩に、木村は必死に、知っている事実を並べ立てた。
 「見たけど―――それ成田に言うつもりが、ちょうど先生に頼まれもんされて、その機会がなくて。翌日、僕がフィルムの件教えたら、成田の奴めちゃくちゃ怒ってた―――断るならフィルム渡さへん言うし、あのプライド高いみどり先輩が泣いて縋るから、嫌々やったけど仕方なく応じたのに、って。僕かて、好きでもない子とそんな事したいと思わへん。成田かてそうや。圭先輩かてそうやろ!?」
 「―――…」
 「なんでみどり先輩の言葉だけ信じて、こいつのこと信じてくれへんのですか! 信用してたんと違うんですか!?」
 「…だったら何で、俺に教えへんのや…」
 「…僕は、言うように言ったけど―――圭先輩が可哀想だから、って。みどり先輩が自分からボロ出すまでほっとけ、って」
 圭先輩のギラギラした目が、急速に落ち着きを取り戻していく。
 木村は、圭先輩にも信頼されている、実直で真面目な男だ。いくら親友を庇うためとはいえ、木村が嘘を言う筈がないことは圭先輩にもわかっていた。が…裏を返せばそれは、自分が大事に思ってきた彼女が自分に嘘をついた、ということを意味していた。
 圭先輩は、新たに芽生えた痛みに耐えるように唇を噛むと、まだ首の辺りの手を置いたままの瑞樹の方へと目を向けた。
 瑞樹は、驚いたように目を見開き、強張った顔で圭先輩を見上げていた。もう喉は絞めあげていない筈なのに、ぐっと息を詰めているように見える。
 その首から手を離した圭先輩は、瑞樹の頭を軽くポン、と叩いた。それでも、瑞樹の表情は変わらない。
 「―――アホか…。あんなレベルの女、掃いて捨てるほどおるわ。教えられたところで、可哀想なことなんてあらへん」
 「……」
 「…すまんかったな、成田」
 やはり、怒りに任せて暴力をふるったのが気まずいのか、圭先輩はそれだけ言うと立ち上がり、また乱暴な足音を立てて、体育館から出て行った。
 おそらく、今の怒りの矛先は「元彼女」に向いているのだろう。圭先輩は、中学時代は空手で県大会にまで進んだという猛者だ。この後、みどり先輩がどんな地獄を見るのやら、想像するのも怖い。

 ダンダン、という足音が遠ざかるのを確認した木村は、ほーっと息を吐き出し、まだ床に仰向けになったままの瑞樹の方へと、膝歩きでにじり寄った。
 「な…成田。大丈夫か?」
 首を絞められていたのも心配だが、その前に頭を打っていたのも心配だった。木村は、自分よりちょうど一回り小さい瑞樹の体を、よいしょ、と抱き起こした。
 が―――次の瞬間、瑞樹を抱き起こした木村の腕は、瑞樹自身によって振り払われた。
 「成田?」
 「…さ…触るな…」
 驚く木村を押しのけ、瑞樹は必死の思いで立ち上がると、体育館の外へとフラフラした足取りで脱出した。


 体の奥から、吐き気がせり上がってくる。
 ぐらぐらと頭の芯から揺さぶられるような、眩暈。思わず口元を手の甲で押さえ、なんとか吐き気に耐えようとするが、体を起こした途端にそれが強くなり、今では我慢できないレベルにまで追いやられている。
 体育館外の下駄箱に手をつき、胸元を押さえる。視界がぐるぐると回るが、ひさしの向こうに見える秋の空に、なんとか目を移す。大丈夫―――まだ、大丈夫。ここで、リセットすれば。

 今、自分の首を絞めたのは、女を寝取られたと勘違いした圭先輩であって、「あの女」ではない。
 自分が産んだ子供をその手で殺そうとした、「あの女」ではない。
 だから、落ち着け―――「あの女」は、もう、ここには居ないんだから。


 大きく息を吸い、吐き出す。深呼吸を無理矢理何度も続ける間、視線はずっと、抜けるように青い空を見つめ続けていた。
 「…な…りた…?」
 不安そうな声が、背後から遠慮がちに掛けられる。けれど、まだその方向を向くことは、到底できなかった。
 「―――悪い。もう少し…ひとりにしてくれ」
 「…でも…大丈夫か? ほんまに」
 その言葉に、無言で2度、頷く。それでも木村の気配は、心配そうな色合いを湛えたまま、瑞樹の背後から消えようとしない。
 「―――僕には、話す気にならへんか」
 これまでで一番、真剣な木村の声。
 彼は、気づいている。瑞樹が何かを抱えているということを。それを自分に打ち明けてくれれば、少しは力になってやれると思っているのかもしれない。
 でも―――言えない。言いたくない。
 「…木村…サンキュ。庇ってくれて」
 「……」
 「もう、心配するな。―――また明日な」


 仕方なさそうに瑞樹から遠ざかる木村の気配を感じながら、瑞樹の目はずっと、空を見つめていた。

 瑞樹がこの時、どんなことを思って空を見つめていたのか―――それは、だれも、しらない。


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