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  異邦人 - HAL side -

 一番廊下に近い席に座っている木村は、こんな女子生徒の会話を、偶然耳にしてしまうことが多い。

 「いいよね〜、成田君って」
 「うんうん。あの目がたまんない。でもなぁ、上級者向けって感じだよねぇ」
 ―――なんやねん、その「上級者向け」っちゅーのは。成田は登山コースかい。
 次の授業まで10分という、眠るにも遊ぶにも中途半端な時間を持て余す木村は、廊下から聞こえるヒソヒソ話に、心の中で突っ込みを入れる。
 話しているのは木村のクラスの女子生徒2名。窓ガラス1枚隔てたところにいる木村の存在までは、どうやら気が回っていないらしい。
 「そう? 私は好みとちがうなー、ああいうの」
 たまには、そういう意見も出てくる。ちなみに、今この意見を言っているのは、瑞樹と同じクラスの女子生徒である。
 「何言ってんの。ノリちゃんてば、成田君と同じクラスで羨ましい立場だっていうのに」
 「だって、愛想悪いもん。いつも一緒にいる木村君が愛想いいから、愛想悪いのが余計目立つし」
 「それはノリの贔屓目!」
 「そうそう! 恋は盲目やもんねー。ノリには木村君が仏頂面してても天使の微笑みに見えるに違いないっ」
 頬杖をついていた木村の手が、がくっ、と外れる。
 ―――まあ、極たまに、こんな会話を耳にしてしまうケースも、あるには、ある。瑞樹と木村はセットと思われているから、瑞樹の話題で木村の名前が出てくるのはよくあることだ。
 「けど、成田君てクラスの女子にはあんまり人気ないよ」
 「なんで?」
 「怖いって。全然喋らないし、いっつも無表情で冷めてるし、ちょっとうるさくしてると露骨に“うるせー”ってオーラをバシバシ放つし。まぁそれに、うちのクラスには“王子様”いるしね。あの甘いマスクのフェミニストと比較すると、やかましい女どもはどっか行け、って顔してる成田君の株は、どうしても下がるわ」
 “王子様”は、木村も知っている。少女漫画から出てきたような甘いマスクをした、瑞樹のクラス委員長だ。ファンクラブがある程の人気者で、“ノリちゃん”が言うように徹底したフェミニスト。知り合いでもない女の子にも笑顔で挨拶するのだから、女の子の前で笑顔なんて欠片も見せない瑞樹とは対照的だ。
 「やーねー、そういう冷たいところも、成田君の魅力なのに。なんで分かんないかなぁ」
 「そーだよねー。あの無表情がたまーに笑ったりすると、最高にトキメクんじゃないのー」
 「その笑顔、あたしだけに見せてー、みたいなー」
 あはははは、と盛り上がる瑞樹ファン2人に、どうやら木村ファンらしき“ノリちゃん”は沈黙気味だ。彼女らのハイテンションについていけないらしい。でも悲しいかな、瑞樹は、こういうハイテンションな女の子は大嫌いときている。彼女たちが瑞樹の前でもこんな風だとは思わないが、まぁ、彼女らの未来は、あまり明るくないだろう。
 多分今、瑞樹の目の前に3人を並べて「誰か1人選べ」と瑞樹に迫ったら、きっと瑞樹は「他の2人よりはマシ」と言って、自分に対して興味ゼロの“ノリちゃん”を選ぶんだろうな―――想いの需要と供給は、なかなかうまくいかない。木村はそう考え、苦笑いした。


***


 典子の頭上を、白いチョークが高速で飛んで行った。
 授業中に窓の外を眺めていた不埒な生徒の頭に、そのチョークはぶつからなかった。ぶつかる少し手前で、本人にキャッチされてしまったからだ。
 「こらぁ、成田っ! キャッチするな!」
 かなり短気なタイプの教師のこめかみには、青筋がしっかりと浮かんでいる。典子の後ろの席に座る瑞樹は、そんな教師に涼しい顔でチョークを差し出した。
 「すみません。つい手が出てました」
 「……」
 教師の溜め息と、クラスメイトのクスクス笑いがオーバーラップする。この教師は、瑞樹に限らず、よく生徒にチョークを投げる。紺色のブレザーにそれがぶつかると跡がついてしまうので、生徒の間では不評だ。多くの生徒の笑いの裏には、いい気味だ、という本音が隠れている。
 「せんせー、チョークも学校の備品や。ほいほい投げてボキボキ折ったらあかんでー」
 クラス一のお調子者が、笑いに混じってそんな風に茶化して、更に笑いをとる。瑞樹の手からチョークをひったくった教師は、忌々しさをぶつけるかのように、茶々を入れた生徒にそのチョークを投げつけた。
 彼は、瑞樹のような芸当は身につけていなかったらしい。素直にチョークをぶつけられ、ブレザーの肩のあたりに白い跡をくっきりとつける羽目になった。


 変な人、と、典子は思う。
 異性に人気のあったりすると同性からは倦厭されるのが普通なのだが、瑞樹はちょっと違う。勿論、けっ、という目で見る輩も少なくないが、意外と同性にも人気がある。例の“王子様”が徹底的に同性に嫌われているのとは対照的に。
 それは、言い寄ってくる女の子を迷惑がっているのがミエミエなのもその理由だが、さっきのチョークの件のように、瑞樹が年上年下関係なく評判の悪い人間を軽々とおちょくってみせる部分も、大きな理由だろう。
 「スネ男のやつ、いい気味だよな」
 「今時チョーク投げる教師なんておらんわ。生まれてくる時代間違えたんちゃうか、あいつ」
 クラスの中では比較的仲の良い男子生徒が、瑞樹の席の周りに集まって楽しげに話している。スネ男とはさっきの教師のこと。当然“ドラえもん”に出てくるキャラクターと似ているからついたあだ名だ。
 「でも成田、なんで外見てたんだよ」
 「…別に。空見て、雲の数かぞえてた」
 「はぁ? なんだそりゃ」
 「じっと前見てると、眠くなるから」
 「確かにスネ男の授業って眠いもんなー、ハハハハハ」
 愉快そうに笑う友人につられるように、瑞樹もふっと笑う。日直の典子は、黒板の文字を消しながらその笑顔を目撃し、ちょっとドキリとした。
 ―――確かに、ときめく部分はあるかも。
 休み時間に聞いた友達の話を思い出し、なんだかちょっと負けたような気分になる。
 いやいや、でも、だからってそれで「好き」と呼べるレベルになんてならないぞ、と考え直す。
 外見にときめいたり熱を上げたりするのは、なんか、違う。その人となりとか、行動とか、言葉とか、そういうものに心惹かれるのが典子の理想とする恋愛だ。見た目がいいから素敵、なんて安直だ。
 友達が茶化したとおり、典子は、瑞樹の親友である木村に好意を持っている。
 優しくて、真っ直ぐで、熱血漢―――木村は、分かりやすい男だ。彼は自分の素の部分を一切隠さない。全てを曝け出している。だから、男子生徒も女子生徒も、そして先生も、彼のことを信用するのだと思う。見た目は地味な彼だが、典子は木村を見ていると温かい気持ちになれる。
 でも―――瑞樹は、ダメだ。
 彼は、何も見えない。何を考えているのか、そこにどんな感情が眠っているのか、普段の瑞樹は一切表に出さない。成田瑞樹はどんな人間だ、と訊かれたら、大半の人間がこう答えるだろう―――「よく分からない奴」、と。
 よく分からない人間など、どうやって好きになるのだろう? 典子には、瑞樹を見てキャーキャー言う友人たちの心理が、さっぱり理解できない。やっぱり顔とかスタイルに騙されてるんだろうな、と、冷めた目で見てしまうのだった。

***

 ―――ああ、もう、やだなぁ。
 校舎へと引き返しながら、典子はイライラとリボンタイを弄った。一度、帰宅の途に着いたのだが、英和辞書を教室に忘れてきてしまったことに気づき、慌てて戻ってきたのだ。
 ―――辞書なかったら、今日出た課題、やれないもんなぁ。ああ、面倒…。
 思わず眉間に力が入ってしまう。はぁ、と溜め息をついた典子は、次の瞬間、校舎へ向かう途中の渡り廊下の辺りに人影を見つけ、足を止めた。
 柱に寄りかかるようにして佇んでいる人物―――それは、瑞樹だった。
 とっくに帰っていたと思ったが、そうではなかったらしい。もしかしたら、何か約束があって、今委員会に出ている筈の木村を待っているのかもしれない。
 こんな風に、一人きりの瑞樹を教室以外で見るのは、初めてだ。というより、興味が無いから、あまり注意を払って見たことがなかった。

 一人きりで佇む瑞樹は、酷く、静かだった。
 いや、一人きりなのだから賑やかな訳がないのだが―――なんというか、彼を取り巻く空気までが、静かだった。
 典子の背後では野球部のランニングの掛け声が聞こえるし、体育館の方からは盛んにボールの弾む音や生徒の声が聞こえてくる。なのに、瑞樹の周りだけは、そういった音が消えているように見える。そこだけ別世界―――まるでカプセルか何かで周囲の騒音をシャットアウトしたかのように、ぽっかりとそこだけが異空間に見える。

 ―――なんだろう、これ。
 なんだか、成田君だけ、別の世界の住人に見える。

 今、あの場所へ行って「木村君でも待ってるの?」と自分が訊ねても、なんだか瑞樹にはその声が聞こえないような気がする。何故、そんな風に見えるんだろう?
 少し離れた場所から瑞樹を眺めつつ、典子は、これと似た経験を昔したことがあった気がする、と記憶の糸を手繰り寄せた。そして、思い出した―――半年間だけ、クラスメイトだった子のことを。
 小学生の時、典子のクラスに転校してきた、女の子。彼女は、日本人ではなかった。名前も、見た目も。
 みんなと仲良くしているように見えたけれど、彼女は時々、今の瑞樹みたいに、たった一人でぼんやりしていることがあった。そんな時の彼女は、とても寂しそうに見えた。
 彼女は、表面上そういう顔はしなかったものの、自分が他の子とは違うという意識から、周囲の子供達との間に見えない“心の壁”を築いていたのかもしれない。その壁が、彼女をひどく孤独そうに見せていたのかもしれない―――成長した今、典子にはそう思える。そして、その彼女が見せた“心の壁”と同じものを、あそこに佇む瑞樹は見せていた。

 何が、彼に“心の壁”を築かせているのだろう。
 それは、わからない。でも―――彼は孤独の世界に生きてる人なんだな、という事だけは、なんとなくわかった。


 「おおーい、成田ぁ」
 ふいに、頭上から木村の声が降ってきた。
 驚いて見上げると、委員会が開かれていた教室の窓から、木村が瑞樹に向かって手を振っていた。
 瑞樹も、そんな木村を見上げる。夕日が窓ガラスに反射してまぶしい。瑞樹は手を目の前にかざし、目を細めた。
 「すまんなー、待たせて。あと5分で降りてくから」
 顔の前で手を合わせてみせる木村に、瑞樹も軽く片手を上げて応える。その口元は、フワリと柔らかに微笑んでいた。
 ―――こんな笑い方、できるんだ、この人も。
 ちょっと意外だ、と目を見張っているうちに、木村の姿は窓の内側へと消えていた。が、典子はそれにも気づかずに、初めて見る瑞樹の微笑に見入っていた。

 窓から目を外した瑞樹は、前髪が目にかかるのを嫌うように、軽く頭を振った。
 首を傾けたまま、前髪を掻き上げる。そのまま、また空を一度見上げて小さく息を吐き出すと、柱にもたせかけていた体を起こす―――その1つ1つの動作が、不思議な間合いを持っていて、典子もつい、じっと見つめ続けてしまう。
 空気が、動いた。
 瑞樹との間にあった“壁”が、ほんの少しだけ、動く。
 「こちらの世界」に僅かに足を踏み入れた瑞樹は、足元に放り出してあった鞄を掴むと、典子より一足先に、校舎の入口へと歩き出した。悠々と、のんびりした足取りで。


 ―――少し、分かる気がする。成田君に惹かれてしまう子たちの気持ち。

 心の見えない人―――“よく分からないもの”は、ミステリーだ。だから、その不思議さに心惹かれてしまうんだ。


 孤独の世界に生きる人。…でも、そんな生き方って、寂しくないのかな―――典子は、木村にだけ見せた瑞樹の一瞬の笑みを思い出し、なんだか悲しくなった。


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