←BACKanthology2 TOPNEXT→

&-01:昼寝と体温


 1+1=2。
 当たり前の計算が、これほど恨めしく思えたことはない。

 「荷物部屋が必要だと思う」
 ごちゃごちゃとメモ書きされたA4の紙を睨みつつ、蕾夏はそう断言した。
 拡大コピーした間取り図に数字を書き込んでいた瑞樹は、そのセリフを聞いて、顔を上げた。
 「荷物部屋?」
 「荷物専用部屋。荷物さんだけのためにある部屋」
 「…俺の部屋もお前の部屋もないのに、なんで荷物だけ部屋があるんだよ」
 「瑞樹と私の体積足しても、荷物さんの半分にもならないからだよ」
 そりゃそうだ。冷蔵庫とベッドと本棚。これだけで2人の体積くらい、軽く超すだろう。にしても、人間が荷物に追いやられるような生活は、いかがなものかと思う。
 となれば、結論は、1つ。
 「捨てるしかないだろ」
 「…だよねー…」
 ため息をついた蕾夏は、ボールペンをローテーブルの上に投げ出し、困ったなぁ、という顔をした。


 一緒に暮らす、と決めた後、とりあえず考えねばならないのは、住む所の問題だ。
 元々、ひとり暮らし同士。どちらかの家にもう一方が転がり込む、ということもちょっとだけ考えたが、あまり現実的ではない。やはり、今住んでいる部屋は引き払い、大人2人が住むのに耐え得る部屋を新たに借りるべきだろう。
 ということで、さっそく2人は、住む所を探した。

 1.現在の2人分の家賃を足した金額より安い家賃
 2.LDKがある
 3.LDK以外に部屋が1つ以上ある
 4.洗濯機を置く場所がある
 5.駅から15分以内

 挙げた条件に合う物件は、むしろ多すぎて、なかなか絞り込めなかった。が―――ある情報誌に載っていた部屋に、間取り図でピンと来た。即座に見に行って、即決。手はずさえ整えば、7月中には引越し可能なところまでこぎつけた。
 住む所は決まった。窓の位置も、間口の広さもわかった。となると、次に来るのが「どう住むか」の問題―――つまり、2人の荷物を、この限られたスペースに、どう押し込むか、だ。
 お互いの持ち物を書き出して初めて、2人は、あることを認識した。
 それは―――瑞樹も、蕾夏も、意外に「物持ち」だということだ。


 「大きい物は少ないんだよねぇ…。被ってるから捨てられちゃうものも多いし」
 書き出された、お互いの家具や家電の一覧を見、蕾夏が眉根を寄せる。
 「でも、“本棚×3”と“カラーボックス×5”が1つの家に押し寄せるのは、確実だよね。だって、中身、捨てられない物だもん」
 「…要するに、“小物持ち”なんだろ、俺達は」
 そう。“小物持ち”なのだ。
 巨大家具とか立派な家電の類はないが、本、ビデオ、DVD、アルバム、雑誌、ノート、CD、パソコンソフト、カメラ機材等々―――衣食住そのものとはあまり関係のない趣味と仕事を兼ねた物が、どちらの部屋にもやたらと沢山あるのだ。
 仕事の資料も多いので、本やノートの類は捨てられない。この2人の間において、DVDやビデオを捨てるのは絶対にあり得ない選択だ。瑞樹の仕事が仕事なので、写真・カメラ関係は絶対現状維持。CD、ソフトの類も―――…。
 「…捨てられないよなぁ」
 「…とりあえず、捨てられるもんから、リストアップしようぜ」
 小物類のことを考えると、さっぱり前に進まない。2人は、思い入れのない大型持ち物からやっつけることにした。
 「冷蔵庫は、蕾夏のやつでいいだろ。一応、2ドアだから」
 「うん。でも、瑞樹の冷蔵庫、ちょっともったいないね。私の冷蔵庫より新しいんじゃない?」
 「ああ…、1回ぶっ壊れて、買い換えたからな」
 いかにも独身者仕様の1ドア冷蔵庫。でも、まだまだ現役でいける年数だ。とはいえ、これでは2人で使うには小さいし、冷蔵庫を2台置くのも変だ。リストのうち、瑞樹の列に並んでいた「冷蔵庫」に、バツ印をつけた。
 「んーと、レンジは……あ、そっか。瑞樹も途中から買ったから、私のと大差ないんだね」
 大学4年間、プラス年齢差1年分だけ、瑞樹の方が一人暮らし歴は長いのだが、レンジは社会人になってから買ったのだ。早い話、まともに鍋やフライパンを使っている暇がなくなったから。
 「じゃ、瑞樹のやつにしよっと。ちょっとだけ性能いいから」
 「…そうだったか?」
 「知らなかったの?」
 「全然」
 蕾夏の列の「レンジ」に、バツ印。
 洗濯機は、そもそも、瑞樹の方は持っていない。シャツの類は手洗いして濡れたまま風呂場に吊るし干し、それ以外はコインランドリー、という生活だったから。新しく買うか、という話も出たが、とりあえず様子見、ということで、蕾夏の洗濯機が生き残った。
 テレビやオーディオ関係は、当然ながら、瑞樹の持ち物を採用。冷暖房の類は、省エネのものを新しく購入することにしたので、両方のリストにバツ印。細かい家電は、基本的に蕾夏の方が新しいから、瑞樹のリストにバツ印―――と、サクサク選定作業は進んでいき。
 いよいよ、家具の出番。
 「……」
 「……」
 「ねえ。このバツ印つけたやつ、みんな捨てちゃうの? もったいなくない?」
 一種の、逃避だろう。話はまた、家電製品へと舞い戻る。
 「そうだなぁ……もったいない気もするな。特に、俺の冷蔵庫とか、お前んとこのレンジとか」
 「リサイクル業者に売る?」
 「…奏にでもやるかな」
 ふと思いついて瑞樹が呟いた一言に、蕾夏はポン、と手を打ち、笑顔になった。
 「あ、そっか! 奏君、家財道具ゼロからのスタートだもんね。じゃあ、私のテレビもあげちゃおうかなぁ」
 「まあ、あいつも、要るもんと要らないもん、あるだろうからな。後で電話しとくか…」
 ひとまず、そう結論付ける。
 結論が出てしまうと、もう逃げ場がない。2人は、リストを睨み、暫し黙り込んだ。
 「…家具は、いらないんだよね」
 「…家具は、な」
 問題は、中身の方で。
 また暫し、黙り込む。リストを睨み続け、出てきたのは、こんな意見だった。
 「…そもそも、DVDはテレビと同じ場所に置きたいよな。丸ごと収納できる家具、持ってねーけど」
 「机が欲しいなぁ。簡単なのでいいから、パソコン置いといて、ソフトも収納できるようなやつ」
 「カラーボックスばっかりあっても、場所とるばっかりだしな」
 「背が低いから上の空間がもったいないよね」

 新たな機能的な家具を購入し、何がなんでも押し込める。
 捨てるしかないだろ、と言っておきながら―――2人の間で、“中身”を整理する話は、一切出なかった。そういう点では、他に類を見ないほど、優先順位が一致している2人なのだ。

***

 そして、何だかんだで、引越し当日。
 土曜日は蕾夏の荷物を運び出し新居で瑞樹が受け入れ、日曜日はその逆、というスケジュールで、無事、全ての荷物が新居に移動を完了したのだが―――…。

 「…家具って、偉大だね」
 壁際に積み上げられた大量の段ボール箱を見て、思わず、呟く。
 「段ボールに移しかえただけの筈なのに、なんか、体積が一気に増えてない? あのひ弱そうなカラーボックスに、あれだけのものが本当に収まってたなんて、信じられないよ」
 「…ま、一部、緩衝材なんかも入ってるけどな」
 それとて、たかが知れている。しかも、段ボールの側面には中身が目印として書かれているのだが―――本、本、本、本……本だらけだ。どこにそんなに本が隠してあったんだ? そんなに読書家だったか? と首を捻りたくなる。
 一体どこから手をつければいいのやら―――暫し呆然としていた2人だが。
 「―――とりあえず、昼飯だな」
 「うん」
 決して逃避ではない。本当に正午なのだ。2人はひとまず、近所に昼ごはんを食べに行った。


 2人が選んだ新居は、5階建ての随分こじんまりしたマンションの、5階である。
 予算的にはギリギリの家賃だったのだが、この部屋には、2人を惹きつける決定的要素が、1つあった。実際に足を運び、それを見た瞬間―――瑞樹も、蕾夏も、この部屋にしよう、と即決したのだ。

 「そっち、大丈夫かー?」
 「うん、オッケー」
 無事、マットレスを運び込み終え、ホッと一息つく。蕾夏がマットレスの上に腰掛けたところで、瑞樹も梯子を上ってきた。
 「ああ、ちょうどいいサイズだったな」
 「でしょ」
 フロアタイプのベッドは、その空間にちょうどいい大きさだった。瑞樹も隣に腰を下ろし、大きく息をついた。
 LDKの隣の洋室には、ロフトがついていた。
 小さな四角い窓が、1つだけ設けられたそのロフトは、大きさといい、天井の高さといい、凄くよく似ていた。そう―――ロンドンの、あの部屋に。
 2人にとって、一宮家のあの部屋は、特別思い入れのある場所だ。たった半年だったが、プライベートも仕事も、まさに二十四時間ずっと一緒にいたせいか、自分たちの原点、と思えるほど、あの部屋には様々な思い出がある。
 もう少し広い部屋もあったし、駅から徒歩1分に同じ程度の家賃の物件もあった。それでも2人は、この部屋を選んだ。なんだか―――新居なのに、「帰ってきた」という感じがしたから。
 「やっぱり、フロアベッド入れると、つくづく似てるよね。あの部屋に」
 「そうだな―――ドアの位置は違うけど、外壁側にロフトってのと、天井が斜め、ってのが同じだからな」
 暫しのんびり、どこか懐かしさを感じるロフトの上で、ぼーっと過ごした。
 こんな所に2人並んで座っていると、ここ数日の引越し準備で疲れ果てている体が、眠気を訴える。が……明日はもう月曜。当たり前のように仕事が待っている。
 「…仕方ない。動くか」
 「…そうだね」
 なにせ、生活用品が何ひとつ荷解きされていない状態なのだ。これでは風呂に入ることも、お茶1杯飲むこともままならない。2人は仕方なく、重い腰を上げた。


 ―――ほんと、エアコン先に設置しといて、正解だったなぁ…。
 タオルや衣服の類の入っている箱を開けつつ、蕾夏は、窓の外の灼熱の太陽を感じて、つくづく思った。
 真夏の引越しは、はっきり言って地獄だ。荷物を運び入れる間は、ドアも開けっ放しだったので、業者も2人も汗だくだった。少々早めにこの部屋を契約しておいたので、先にエアコンだけは設置しておいてもらったから良かったが、これが引越しと同時の設置だったら、日中の作業などまず無理だっただろう。
 背後では瑞樹が、AVラックを黙々と組み立てている。家具とか家電とか、大きなものの設置は瑞樹の役割なのだ。
 「瑞樹、クローゼットの右と左、どっちがいい?」
 吊るさなくてはいけない服を腕にかけつつ蕾夏が訊ねると、瑞樹はちょっとだけ顔を上げ、
 「んー…、右」
 とドライバーで右を指した。洋室に戻った蕾夏は、作りつけのクローゼットを開け、その左半分のスペースに自分の服を掛け始めた。
 ―――やっぱり、手際いいなー。
 衣類の荷解きを進めながら、時折、瑞樹の手元を見て、そう思う。結構複雑な形をしたラックなのに、作業開始30分で、もう既にほぼ完成している。これが自分なら、まだ四苦八苦している途中だろう。
 大学を卒業して一人暮らしを始めた時は、少しずつ収納家具を買い揃えては、自分で組み立てていたっけ―――その頃を思うと、これから暮らし始める家の準備を、自分以外の誰かが一緒にやっている、という事実が、なんだか少しくすぐったい。
 ロンドンでは一緒の部屋で生活していたし、日頃、互いの部屋に寝泊りすることもあったけれど……2人で一緒に暮らす、というのは、やっぱり、そういうのとは少し違う感じだ。どういう感じ、って説明すればいいのかな、としっくりくる言葉を探したが、あまりいい言葉は思い浮かばなかった。

 個人的な最低限の日用品を出し終えた蕾夏は、今度は、キッチンやランドリー関係の荷物を出し始めた。
 それとほぼ同じ頃、瑞樹もAVラックの組み立てを完了し、今度はライティングデスクの組み立てのため、洋室へ行ってしまった。
 キッチン関係は好きにしてくれ、と言われたので、瑞樹が持ってきた段ボール箱も開けたのだが―――…。
 「うーん…」
 さすがに、食器の類まで「どっちの使う?」なんて話はしなかったので、瑞樹も蕾夏も、手持ちの食器を全て持って来ていた。それらを全て段ボール箱から取り出してみた蕾夏は、思わず唸ってしまった。
 ―――絶対こんなに使わないよ。
 大した数持っていないと思ったが、2人分合わせるとかなりの数になっていたのだ。
 しかも、全然使っていない新品の食器セット、なんてものもある。蕾夏が持ってきたのは、会社の先輩の結婚式に出た時の引き出物だ。多分瑞樹のも、大学の同期の結婚式に出た時の引き出物だろう。角の欠けた古い皿を使う位なら、この際、貯蔵されっぱなしだった新品食器を出した方がいいのかもしれない。
 がしかし、そんな選定までやっていては、食器の片付けだけで、相当な時間が取られてしまう。蕾夏は、出ている食器の中からよく使いそうなものだけピックアップし、食器棚にそれらを収納していった。
 暫し、黙々と、その作業に没頭する。
 結構重たい食器を持って、しゃがんだり、背伸びしたり―――食器を片付ける作業は、思いのほか、疲れる作業だった。冷房はしているものの、いつの間にか首筋が汗ばみ始める。
 「あつー…」
 はぁ、と息をつき、Gパンのポケットからタオル地のハンカチを出して、汗を拭う。やっぱり夏の引越しはキツイなぁ、と、顔を顰めてしまった。
 昼に買ってきたウーロン茶のペットボトルが、冷蔵庫に入れてあるのだが―――瑞樹もそろそろ喉が渇いてるんじゃないかな、と、蕾夏は、開け放たれた洋室のドアの方を振り返った。
 「ねー、瑞樹ー! ウーロン茶飲むー!?」
 声をかけたが、返事がない。
 「……?」
 どうしたんだろう?
 「瑞樹ー?」
 ―――やっぱり、返事なし。
 首を傾げた蕾夏は、手にしていた食器をひとまず置き、洋室へと向かった。

 「みーずーきー…?」
 ひょい、と洋室を覗き込む。
 けれど、そこに瑞樹の姿はなかった。
 組み立てる予定だったライティングデスクは、既に完成し、所定の位置に置いてある。運び込んだ覚えのない段ボールが1つ、床に置いてあって、その側面には「服」と瑞樹の字で書かれているので、どうやら衣服関連の荷解きに作業を進めていたらしい。中身は既に空になっていて、クローゼットの右半分に、瑞樹の服が吊り下げられていた。
 キョロキョロ、と部屋の中を見回した蕾夏は―――そこであることに気づき、ハッ、と頭上を見上げた。
 ―――もしかして。
 ある予感を胸に、蕾夏は梯子を上ってみた。
 ロフトに上がったところで、全ての謎は解けた。

 瑞樹は、フロアベッドにごろん、と寝転がり、眠っていた。
 窓際には、さっきまでは洋室の床に置いてあった筈の、サボテンのテラリウム―――目覚まし時計と一緒に、小型のカラーボックスの上に置いてある。そう、ロンドンのあの部屋のロフトで窓際に置いたのと、同じように。
 ―――テラリウムを飾りに来て、そのまま眠っちゃったのか…。
 疲れちゃったんだね、と苦笑した蕾夏は、膝歩きで瑞樹の傍に歩み寄り、その寝顔を覗き込んだ。

 幸せそうだなぁ。
 見慣れた筈の寝顔を見て、そう、思う。
 時計を見ると、まだ3時前―――ま、いいか、と思った蕾夏は、自分もベッドに寝転がり、瑞樹に寄り添ってみた。
 「……」
 眠っていても、気配みたいなものを感じるのだろうか。瑞樹が、目を覚ましそうな感じに、眉根を寄せた。と思ったら、ごそごそと身じろぎをし、それまで頭を乗せていた腕を伸ばした。
 「?」
 何してるんだろう、と思って、少し、頭を上げる。すると、瑞樹の手が、蕾夏の背中に回り、ぽんぽん、と叩いた。
 ―――…無意識、なのかなぁ?
 どう見ても、腕枕モードだ、これは。
 既に寝息を立てているのだから、蕾夏の気配だけ感じて、眠ったまま無意識でやっていることなのだろう。蕾夏はくすっと笑い、瑞樹の肩の辺りに頬を埋め、目を閉じた。


 ―――…不思議…。
 あんなに暑い暑いって思ってたのに……こうやって寄り添って感じる体温は、全然、暑苦しくない。
 あったかい―――眠くなる。
 心地よさに、どこまでも、眠りに落ちてしまいそう―――…。


 1+1=2。
 2人で過ごしたまどろみの時間は、1人きりの日曜日の倍、穏やかで、あたたかかった。


←BACKanthology2 TOPNEXT→


  Page Top
Copyright (C) 2003-2012 Psychedelic Note All rights reserved. since 2003.12.22