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― 予兆

 

 奏がモデルを務めたMP3プレーヤーのポスターは、7月上旬、一斉にあちこちに貼り出された。

 「ひええええぇ、誰これ!」
 ポスターと同じ写真が使われた商品カタログを見た咲夜の、それが第一声だ。
 「誰、って、オレに決まってんだろ」
 「詐欺ー! 絶対詐欺!!」
 「どこがだよっ」
 ビールを口に運びかけた手を止め、奏は思わず、ムッとしたように眉を顰めた。が、咲夜の方は、写真にウケまくっていて、笑いながらテーブルを叩いている。そのせいで、テーブルの上の“百恵と竹彦”が栽培されているグラスが、時折ガタガタ音をたてた。
 「しっつれーな奴…。人がせっかく持って来てやったのに」
 「だってさぁ。こっちの“もしかして女の人?”バージョンはいいよ?」
 そう言って咲夜は、カタログ表紙の右半分、全体のトーンが白っぽい写真の方を指差した。俯き加減で微笑む奏の横顔の、ブレストショットだ。
 「いや、こっちもまぁ詐欺っちゃ詐欺だけどさ、私、これ撮ってんの見たから、“ああ、マリア様モード入った奏じゃん”って思うよ。うん。ていうか、綺麗だよねぇ、この写真…。やっぱうまいね、成田さん。あ、奏の演技力が凄いってのもあるけど」
 「…当然だっつーの」
 「でも! こっちは、ちょっとねぇ」
 指差したのは、左半分、全体のトーンが黒っぽい方の写真。
 こちらは正面向きの、同じくブレストショットだが、普段明るい色の地毛のままの髪は、すぐに落とせるタイプの染料で黒く染めてある。それ以外は、どこをとっても奏そのものなのだが―――なんというか、咲夜の知らない類の奏だった。
 「恥ずかしいよ、これ。色気出すぎ。裸だしさぁ、風呂上りですか、って感じで髪とか濡れてるし。男性グラビア誌の逆バージョンっぽい。寂しい女とかが、キャー、とか言いながらこの写真抱いて寝てそう。ああああ、照れるなー。こういう表情で女とか口説いてる奏、想像したら、日頃を知ってるだけに悶絶しそう」
 「想像すんなっ!! 大体、裸でMP3プレーヤー聴いてる段階で非日常だろ! プライベートのオレと結びつけんじゃねぇっ!」
 「そう言いつつ、自分でも赤面してんじゃん…」
 「指摘されるとこっちも恥ずかしいんだよ、バカ」
 実際、かなり恥ずかしい。撮影中はその世界に入っているので何とも思わないし、できあがった物を見ても「商品」として客観的に捉える癖がついているので平気だが……自分の日常を知っている人物に指摘されてしまうと、どうも客観的な視点が欠けてしまうのだ。
 「で? お前の感想は、結局“詐欺”で終わりかよ」
 赤面した不貞腐れた顔、という不可思議な顔で奏が睨むと、咲夜は真面目な顔で、もう一度写真を見つめた。
 「うーん……うまく言えないけど、凄い」
 「凄い?」
 「素を知ってるから照れが入っちゃうけど、それ抜かせば―――うん、やっぱり、“凄い”が一番しっくりくる。駅にバーンと貼り出されたら、道行く人の目、一気に吸い寄せちゃいそうなオーラみたいなもん感じる」
 そう言うと、咲夜は目を上げ、ニッと笑った。
 「やっぱりプロって凄いね」
 「…サンキュ」
 あまりストレートに評価されるのも、やはり照れるものがある。褒められて嬉しいが、礼を言う奏の声は、少々ぶっきらぼうなものになってしまった。


 お隣さんから友達に変わった辺りから、奏と咲夜は、こうして飲み物や夜食を手に隣の部屋にお邪魔することが、たまにある。もっとも、双方が早く帰ってきた時のみなので、これまでにお邪魔した回数は、2回か3回といったところだが。
 その話を、この前の日曜、マリリンの部屋で羊羹をご馳走になった時に口走ったら、マリリンと優也に思いっきり引かれた。
 『そ…それは、ちょっとまずいんじゃないのかしら。仮にもいい歳の若い男女なんだから―――ねぇ? 優也』
 『そ、そう、だなぁ…。確かにまずい気するんですけど……一宮さんと咲夜さんだと、あんまり違和感がないのは、何故なんでしょう?』
 『咲夜が女っぽくないから?』
 『奏が美女だから?』
 誰が美“女”だよ、と奏にどつかれた咲夜の脳裏には、当然、このMP3プレーヤーの写真の撮影風景画があったのだが―――過去に怪しい質問を奏から受けていたマリリンは、まさか本当に女装趣味に走ったのか、と疑いの眼差しを奏に向けていた。勿論、その視線を感じて、即座に首を振って否定しておいたが。
 優也のセリフではないが、本人達は、この状況を全然おかしいとは思っていない。どっちにも下心がないのなら、男同士や女同士の友達と何ら変わりないだろう、と思うのだ。
 でも、周囲は、やっぱり色眼鏡で見てしまう方が多いのかもしれない―――そんなことを考えていたら、以前、蕾夏が言っていた話が、ふと頭を過ぎった。

 『ビデオ見てるうちに眠くなっちゃって、同じ部屋で雑魚寝してたら、当時の瑞樹の職場の先輩が半分泣き入りながら“蕾夏ちゃんは無防備すぎるわよっ!”なんて怒ったりとかね。仲間が傍にいるのに、お店の外で大喧嘩になったこともあったし』

 ―――ああ…なるほど。あの2人の原点って、こんな感じだったんだ。
 そんな馬鹿な、自覚がないだけで、どこかで相手に興味があったんじゃないか? と思っていたのだが、自分が咲夜という友人を得た今では、なるほどな、と納得する。同じ「興味がある」でも、そこに恋愛感情の伴わない興味というのも、この世にはあるんだな、と。あの2人の場合、その当時のムードがそのまんま残っているから、ああいう「本当に恋人同士なんですか?」っぽいオーラが発せられているのかもしれない。
 彼らにも、こんな時代があった―――いや、今もこういう関係は、彼らの一部。
 そう思ったら、蕾夏への絶ち難い想いを抱えた自分に、咲夜のような友人ができたことは、もの凄くラッキーなことなのかもしれない、と奏は思った。


 「ねー、このカタログ、貰っちゃってもいい?」
 突如咲夜が、そんなことを訊ねた。
 「ああ、別にいいけど。佐倉さんの事務所に山積されてるから、必要ならまた持ってくるし」
 「ほんと? やった!」
 「…まさか、そのカタログ抱いて寝る気か?」
 さっきの咲夜のセリフをそのまま引用してやったら、問答無用でストレートパンチが飛んできた。
 「んな訳ないでしょーが!! 違います! 拓海に見せんのっ!」
 「は?」
 咲夜のパンチをよけつつ、思わず目を丸くする。
 「なんで、麻生さんに?」
 「決まってんじゃん。自慢するの」
 「自慢…」
 奏が時々、瑞樹が撮った写真を店の連中に「これ、友達が撮ったんだ」と見せる時の心境みたいなものだろうか? もしそうなら、なんとなく気持ちもわかるが。
 「ああ見えて拓海、絵とか写真とかの芸術部門にうるさいからね。“楽屋で会ったお隣さんとその友人”の作品だぞ、って言ったら、絶対驚くよ。明日会う予定だったから、超ナイスタイミング」
 「ふーん…」
 ―――明日会う予定、ねぇ…。
 でも、デートとかそういう類の“会う”ではないのだろう。いまいち、つまらなそうな声で相槌を打った奏は、ちょっと眉根を寄せてぐいっ、とビールをあおった。
 咲夜の方も、奏の表情の変化に気づき、不思議そうな顔をした。
 「どうかした?」
 「いや、別に。どうした、っていうか―――…」
 「ん??」
 「―――やーっぱ、どうも腑に落ちないんだよなー。咲夜の惚れてる相手が、あの人ってのが」
 「何それ」
 「ま、年の差はいいと思う、今更だし。ルックスに文句つける気ないし、才能も認めるし、咲夜の過去の話聞いてるから、ただフラフラ遊び歩いてるだけの男じゃないのもわかったし、その辺は納得いくんだよ。ただ、なぁ―――お前、嫌じゃない? “日替わりランチ”してる男」
 「…それも、今更な話だと思うけど」
 「そうだけど、その……お前の場合さ。親父の件があんじゃん」
 ムッとしたように眉をひそめていた咲夜が、そのセリフに、ちょっと表情を変えた。
 「親父の一件で、そーゆー男女関係が、吐き気するほどダメだった過去があるだろ? 麻生さんが、いろんな女と一晩限りの関係続けてるの見てて、気持ち悪いとか許せないとか、そういう風に思うんじゃない?」
 「ううん、そんなことないよ」
 即答。
 疑わしげな目で奏が見ていると、咲夜はニッと笑い、もう一度はっきりと言った。
 「ほんとだって。この顔見て、嘘ついてるかどうか、わかるでしょうが」
 「…咲夜の笑った顔は、信用できないからな。すげー苦しくても、ぜーんぜん、って顔して笑ってるから、優也に“悩みがなさそうで羨ましい”なんて言われるんだよ、お前は」
 「アハハ、まー、そうかもしんないけど、奏には正体見られちゃってるもん。今更嘘笑いする必要もないよ」
 そう言って笑った咲夜は、ビールの缶を手に取り、2口3口、飲んだ。
 「…確かに、男と女の関係の全てが汚らしくて気持ち悪かった時期もあったけど―――成長して、自分の中にもいろんな“欲”があるって自覚してくにつれて、理解した。私が気持ち悪いのは、セックスそのものじゃなく、“父親”の存在そのものだって。肉親だから、気持ち悪いんだよ。ただでさえ、親のそういう場面って、想像したくないじゃない?」
 「…それは、わかる」
 「しかもうちの場合、不倫だったことと、母親が死の淵を彷徨ってたって事情があるから、余計、想像すると吐き気するんだと思う。その点―――拓海は、誰も裏切ってないし。相手の女も、それが“遊び”であることを承知で、拓海を誘ってる。お互いに目的を納得し合った上なら、楽しむためだけのセックスってのもあるんだろうな、って思うよ。私はやりたくないけどさ」
 「ふーん。すげー割り切り方」
 「なに言ってんの。奏だって結構遊んだって話じゃん、ロンドンいた頃」
 「う……、その話を持ち出すのは卑怯だろ」
 くすくす笑って咲夜が放った言葉に、奏は気まずそうに座りなおし、ちょっとだけ咲夜を睨んだ。
 確かに、拓海ほど酷くはないが、奏も昔は“楽しむためだけ”の関係がいくつもあった。本来、拓海の所業を「けしからん」などと偉そうに言えた立場じゃないのだ。そこを指摘されるのは、さすがに痛い。
 「…ま…、ちょっと心配だっただけだよ。麻生さんの私生活を見せつけられるたび、咲夜がトラウマのせいで吐いたり摂食障害起こしたりしてるんじゃないか、って。でも…そういうこともなく、すっぱり割り切れてるんなら、とりあえず安心した」
 「……」
 「うん…、安心した」

 他人事とは思っていないかのような、妙に感慨を伴うその口調に、咲夜は少し眉をひそめ、奏を見つめた。
 その視線に気づき、奏が「何?」という顔をする。咲夜は、あまり見つめすぎていたことに気づいて、慌てて笑みを作った。
 「どうかしたか?」
 「ううん。ただ―――ちょっと、驚いた」
 「え?」
 「奏って、思いのほか、そういう心理学的なことに頭が回るんだね」
 「……」
 「あの話から、性的トラウマ抱えて今も苦しんでる、なんて状態まで想像して心配してるとは、私自身でも思わなかった。なんかちょっと、意外」

 奏の顔は、嘘笑いが得意な咲夜とは反対に、正直すぎた。
 動揺に瞳を揺らした奏は、それを誤魔化すかのように、テーブルの上のおつまみに手を出した。

 「…母親が、カウンセラーなんて仕事してるせいかな」
 さり気なさを装いながら、奏が咄嗟に口にしたセリフ。
 咲夜も、奏の表情の変化を、内心不審には思っていたが―――「そっか、なるほどね」と軽く言っただけで、それ以上その話には突っ込みはしなかった。


***


 「亘から、電話あったぞ」
 いきなり拓海に核心に斬り込まれ、咲夜は、口に運びかけていたケーキを落としそうになった。
 「…っ、な、なんて!?」
 「この前、咲夜から電話で聞いたとおりの話を、もう1回聞かされただけ。お前が最初は俺のとこに居た、って話にやたら固執してたなぁ」
 「で…、なんて、答えたの」
 「姉貴があの頃実際に近所に言ってたとおり、妊娠するやら芽衣が生まれるやらで姉貴の方に余裕がないから、生活が落ち着くまで咲夜だけうちに来てただけだ、って答えといた」
 「…そっか」
 そう言えば“母”は、当時から周囲にはそういう風に説明していたのだった。亘に説明を求められた時点でそのことを思い出せばよかったのに―――やっぱり、ちょっと普通の状態じゃなかったんだな、と咲夜は小さくため息をついた。
 「親父さんの妙な敵対心にも興味ありそうだったから、“俺んとこが居心地良すぎて、咲夜がなかなか帰らなかったから、嫉妬してんじゃない”って言っといた」
 「うん。サンキュ」
 「“俺にロリコン疑惑かけて暴れた”とは、さすがに言えないからなぁ。ハハハハハ」
 ―――…笑えないよ、それ。
 パイプ椅子に腰掛けて、背中を反らして大笑いする拓海を、軽く睨んでしまう。
 さすがに“ロリコン”なんて単語は飛び出さなかったものの、父が拓海と咲夜にかけた疑いは、まさしくそういうことだった。同年代の興味ばかり先走ってる連中が言うならまだしも、いい歳をしたオヤジのおぞましい発想に、父の方こそ変態なんじゃないか、と当時の咲夜は本気で疑ったものだ。
 「ま、亘も成長したってことだな。良かったじゃないか。気を遣う相手が1人減って」
 「…まあ、ねぇ」
 ため息をつきつつ、咲夜がケーキをぱくっと一口食べたところに、コンコン、というノックの音がして、背後のドアが開いた。
 「麻生ー、うちのマネージャー、こっち来てる?」
 顔を出したのは、拓海とよくセッションをするベーシストだった。今日の音合わせに関係のない人物が、のんびり休憩室でケーキを食べているのを見た彼は、ちょっと怪訝そうにしながらも軽く頭を下げた。咲夜も、フォークを下げ、ひょいと頭を下げておいた。
 「いや、来てないけど」
 「そうか。…ったく、どこ行ったのかな」
 舌打ちしつつも、彼の視線は、誰だろう、といった目つきで、頻繁に咲夜の方に注がれる。拓海もそれに気づき、訊かれる前に答えた。
 「姪だよ」
 「どうも」
 咲夜がもう一度会釈すると、彼も「ああ、そうなのか」と、少し落胆した顔で会釈し返した。
 「音合わせ、30分後だからな」
 「わかった」
 そんな短いやりとりを拓海と交わし、ベーシストは去って行った。パタン、とドアが閉まると同時に、拓海の大人の笑顔が、即座に抜け落ちる。
 「…全くあいつは…」
 「拓海の姪じゃなかったら、どうする気だったんだろうね」
 「そりゃ、上手いこと言って、今夜食事でもどう? と持ち込むだろうな」
 あのベーシストは、拓海とは別の意味で「女癖が悪い奴」として有名なのだ。しかも素人好きな上、女は若ければ若いほどいい、という思想の持ち主ときている(さすがに下限はあるが)。来るもの拒まず去るもの追わず、の拓海より、ああして素人を引っ掛けて回っている男の方が質が悪い。ムッとした顔のまま、咲夜は、少し大きめのケーキの切れ端をパクリと口に放り込んだ。

 拓海には、初めて組むドラマーを迎えてのライブが、3日後の火曜日夜に迫っていた。
 ライブ直前の、スタジオを借り切っての音合わせ。午前中も用事があった拓海には、この音合わせ前の時間は貴重な休憩時間だろう。亘が訪ねて来た件を心配して、拓海の方から作ってくれた時間とはいえ、あまり長居するのは申し訳ない気がする。
 ―――音合わせまで、30分かぁ。
 チラリと壁に掛かった時計を見た咲夜は、残りのケーキを全て口に入れ、足元に置いたバッグに手を伸ばした。

 「あ、そうそう。拓海に見せたいもんがあったんだ」
 「見せたいもの?」
 何? という顔をする拓海に、咲夜は、バッグの中から引っ張り出した商品カタログを差し出した。二つ折りのそのカタログの表紙を見た拓海は、まず商品名に目が行ったらしく、怪訝そうに眉を寄せた。
 「MP3プレーヤー? なんだ、咲夜、パソコンも持ってないのに、こんなもん買うのか?」
 「ちーがーう。よく見てよ、表紙の写真」
 「え?」
 「右にいる女の人と、左にいる男の人。実は同一人物だってわかる?」
 咲夜に言われ、拓海は改めて写真を見直した。まじまじと2つの写真を見比べ、確かに同じ人物だと理解し―――更には、咲夜の言わんとしていることにも、ようやく気がついた。
 「あー…! もしかしてこのモデル、前に咲夜が楽屋に連れてきた、あのお隣さんか!」
 「そう! でさ、撮影したのが、あの時一緒に顔出したカメラマンの人。こっちの女性バージョンの方さ、私も撮影現場にいたんだよ」
 「咲夜が?」
 拓海が「なんで?」という顔をするのも当然だろう。咲夜は、奏のイメージ作りのために『Amazing Grace』を歌った経緯を、簡単に説明した。写真が出来上がってから言って拓海を驚かせてやろうと、あえて今までこの件は黙っていたのだ。
 「へーえ……“Amazing Grace”、か。確かにそんなイメージだな、こっちの白っぽい写真の方は」
 「でしょ」
 「しっかし…一宮君、だっけ? 見事に対照的な2つの顔を演じ分けてるなぁ」
 まるで絵を見る時みたいに、ちょっとカタログを離して眺め、拓海はうーん、と感心したように唸った。
 「綺麗な顔してるとは思ったけど、右の写真の中性的な感じは、あの時見た顔とはまた違った印象だし―――左の写真なんかは、第一印象よりワイルドだなぁ。貴公子ってタイプに見えたんだけど」
 「…中身は、貴公子からはほど遠いんだけど…」
 ミックスナッツを放り投げて口でキャッチしている奏を思い浮かべ、苦笑する。ああいう奏を知っている咲夜からすれば、時計のポスターの奏の数十倍、こっちの奏の方が実物に近い。
 「奏見てるとさぁ、モデルって職業に対する認識、かなり変わるよ。あー、モデルも、プロに徹してくと、歌い手とおんなじ“表現者”なんだなー、とか思って、結構感動する。もう長くは続けないつもりらしいけど、私、遅ればせながらちょっとファンになっちゃったよ」
 「お。もしかして、惚れたか。隣人君に」
 からかうように拓海に言われ、咲夜は、とんでもない、と首を横に振った。
 「ジョーダン! そういう意味で言ったんじゃないよ! てゆか、やめてよね、そういう色眼鏡で見るのさ。奏は大事な友達なんだから」
 「友達…」
 拓海の顔から、からかいの表情が消える。
 少し驚いたように目を丸くした拓海は、やがて、どことなく感慨深げな笑みを浮かべた。
 「―――その単語、咲夜の口から聞くの、10年ぶりだな」
 「……」
 「楽しみを共有するだけじゃない存在な訳だ。一宮君は」
 「……うん」
 知らず、咲夜の表情も、ほころんだ。

 ただ、その場限りの楽しさを共有する“友達”。それはそれで、楽しいと思うし、要らないなんて思わない。
 でも、ただ楽しみだけを共有する“遊び仲間”の間に、友情が存在するかどうか、咲夜は疑問に思っている。だから、友情を感じられる“友達”という言葉は、そうした関係に使いたくなかった。
 咲夜が言う“友達”は、かつて、由希子を信じていた頃に使っていた“友達”の意味。ただ楽しみを共有するだけの存在ではなく、お互いの悩みを打ち明けたり、励ましあったりする“友達”―――友情を感じられる存在のことだ。
 こんがらかった感情を抱えたままの自分の隣に、奏のような友人ができたのは、ラッキーだったかもしれない。ここ最近の心の軽さを考えると、つくづくそう思う。

 「あ…、そんで、さ。来週の日曜日、奏がファッションショーに出るんだけど…拓海、時間ある?」
 「え? 見に行くのか? 咲夜は」
 「今回の写真で、“モデル・一宮 奏”に興味が湧いたからね。“YANAGI”の服、拓海も持ってるから、まるっきり興味なしではないだろうし」
 「ヤナギ―――…」
 拓海が2着ほど持っているジャケットのメーカー名を聞き、拓海は、少し眉をひそめた。
 「“YANAGI”のファッションショーか…」
 「うん。何、どうかした?」
 「いや…、前に何かのパーティーで“YANAGI”の二代目ボンボンと話をしたことがあって、もの凄く嫌な男だった記憶があったから」
 実際、相当印象が悪かったのだろう。拓海の眉間に、深い皺が寄せられた。
 「嫌味な男だったよなー、あいつ。俺より年下なのに、目線がいっつも人を見下してるんだよ。1年か2年前かな。あれ以来、“YANAGI”の服は買わないことにした」
 「…ハ、ハハ…、そうなんだ。じゃあ、今回のお話はご縁がなかったことに」
 そう言えば、奏の時計のポスターだって、“YANAGI”の二代目社長経由のごり押しで決まった仕事だった筈だ。まだ会ったこともない人物だが、拓海からも奏からも悪評を聞いてしまった咲夜の中の“YANAGI”社長のイメージは、最低ラインまで下がってしまった。
 「でも、前に聞いた話じゃ、一宮君ってモデルとして相当ランクが上なんだろう? 海外の一流ブランドのポスター飾ったこともあるとか。“YANAGI”の仕事じゃ、一宮君には役不足っぽいな」
 「うーん…、実は、佐倉さんとこの事務所の資金、一部“YANAGI”が出してるらしくて。多分、その関係で、半強制的に出ることになったんじゃないかなぁ…」
 「ふーん…。佐倉ちゃんも大変だな、あの嫌味キザ男を相手に仕事してるんじゃあ」
 「ま、佐倉さんのことだから。出してもらった資金なんて、今年中にはポンと返済して、“YANAGI”からは自由の身になるんじゃないかな―――って、奏は言ってたよ」
 「ハハ、確かに。あの子は昔から、男より男らしい天性のビジネスマンだったからな」
 “あの子”―――…。
 …いや。拓海からすれば、佐倉といえども“佐倉ちゃん”で“あの子”なのだろう。下手すれば“佐倉様”と呼びたくなるほどの女傑でも、拓海視点では、8つも年下の「駆け出し社長」なのだろうから。
 ―――更に7つも下の私って、拓海から見たら、小学生とかと変わんなかったりして。
 と、一瞬考えた咲夜は、自分で考えておきながら、その絶望的な内容に、ガクリとうな垂れてしまった。
 「? 何してんだ、咲夜」
 「…なんでもございません」
 気力で顔を起こした咲夜は、軽く息をつき、バッグを手にして立ち上がった。
 「じゃあ私、そろそろ帰る」
 「えっ? まだ時間あるぞ?」
 唐突に帰り支度を始めた咲夜を見て、拓海が意外そうに言う。ケーキが載っていた紙皿をゴミ箱に放り込んだ咲夜は、拓海を振り返り、ニッ、と笑った。
 「私も結構忙しいの」
 「…まあ、それなら、引き止めないけど」
 「あ、それ、返してね。…じゃ、音合わせ頑張って」
 拓海からMP3プレーヤーのカタログを受け取った咲夜は、拓海に手を振って、笑顔で休憩室を出た。


 スタジオの建物の外に出ると、途端、湿度の高さにうんざりした。
 まだ太陽は、随分高い位置にある―――“Jonny's Club”の土曜日のライブは、平日よりちょっとだけ早めの7時半スタートだ。…にしても、まだまだ時間が余っている。

 『一生に一度の恋ならさ。…諦めないで、叶えて、ヒロインになってみせろよ』

 「…難しいこと、簡単に言ってくれるよなぁ、あいつ…」
 奏の言葉を思い出し、苦笑した。
 恋を叶えて、ヒロインになる―――それも悪くないな、と思うけれど……どうすればいいか、わからない。あまりに片想いが長すぎて。いろんな意味で、遠すぎて。

 …まあ、いいか。
 とりあえず、今夜歌う歌のことだけ、考えれば。

 うーん、と伸びをした咲夜は、久々にCDでも漁りに行くかな、と、歩き出した。


***


 ―――…ったく…。
 気に食わない奴との電話の後は、煙草を吸わずにはいられなくなる。受話器を置いた佐倉は、苦々しい表情で舌打ちし、テーブルの上のバージニアスリムの箱に手を伸ばした。
 「社長、もう帰られるんですよね」
 アルバイトの事務の子が、せかせかと帰る準備を整えながら、佐倉に訊ねた。
 ライターを置いた佐倉は、ため息と共に煙を吐き出し、うんざり顔で首を振った。
 「…そのつもりだったけど、急遽変更。人と会う用事ができたから、それまで居残って仕事するわ」
 「えっ、そうなんですか? じゃあ、私も…」
 「ああ、気にしないで。先帰っていいわよ」
 「はあ…」
 本当にいいのだろうか、と不安げな顔をするので、佐倉は、煙草を一旦灰皿に置き、きちんと彼女の方を向いて笑ってみせた。
 「時間つぶしに仕事をするだけだから。あなたには臨時で出てもらったんだし、せっかくの土曜日でしょ、早く帰りなさい」
 「はあ…。じゃあ、お言葉に甘えて」
 まだ少し済まなそうな色合いを残しつつも、彼女はそう言って、ペコリと頭を下げた。
 そのまま帰宅すると思われたが、彼女は、ある物に目を留め、立ち止まった。
 「あ…っ、そう言えば、社長。それ、どうされるんですか?」
 ミーティングテーブルの上の、赤い薔薇の花束。ラッピングされた状態のまま、アルミホイルで包まれた根元部分を、ちょっと大き目のグラスに漬けてある。
 「ああ―――どうしようかな。欲しいなら、持って行ってもいいけど」
 「えっ。でも、社長が貰った物ですよね?」
 「まあ、ねえ」
 あまり気のない口調で相槌を打った佐倉は、煙草の灰を落とし、早くも次の書類に目を向けていた。
 「…やっぱり、私は遠慮しときます」
 「んー、いいわよ、どっちでも。遠慮は別に要らないけど」
 「それより、うちから花瓶、持って来ましょうか。前にもありましたよね、花束活けるものがなくて、困ったことが」
 「そーねぇ」
 「じゃあ、月曜にでもさっそく持ってきます」
 「うん、お願い」
 「じゃあ、失礼します」
 「お疲れ様ー」
 アルバイトの彼女は、まだ花束が気になっている様子だったが、やはり持ち帰る気にはならないらしく、一礼して事務所を後にした。


 ―――柳のやつ…。
 嫌味なビジネスパートナーの顔を思い出し、佐倉の眉間に皺が寄る。
 …ビジネスパートナー? 最近、それもどうやら怪しくなってきた。おいしい餌を吊り下げてみせたり、逆に「こんな弱小エージェント、いつでも潰せる」という態度に出たり。見えているようで、見えてこない―――あいつの本当の目的は、何なのだろう?
 極力、顔も見たくない相手だが……仕方ない。こういう時は、直に顔を見て、相手の表情を読まないことには、選択を誤ってしまう。
 「…お仕事、お仕事」
 だから我慢しましょうね。
 自分に言い聞かせ、佐倉はトントン、と書類を整えて、立ち上がった。

 バッグを肩から掛け、オフィスの電気を順番に消す。
 誰もいなくなったオフィスに、ぽつん、と残されている花束に目を向け、佐倉は、電気のスイッチから手を離し、ミーティングテーブルへと歩み寄った。
 水に浸していた部分を持ち上げ、ハンカチで水滴を拭う。佐倉はそのまま、ツカツカとゴミ箱の方へ向かい、手にした花束をそのまま放り込んだ。
 いや。
 放り込もうとした。

 「―――…」
 …花に、罪はないのだし。
 花束を抱えて現れた佐倉を見て、仰天するあの男の顔を拝むのも、それなりに面白いかもしれない。

 思いとどまった佐倉は、きびすを返すと、今度こそ全ての明かりを消し、事務所を後にした。


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