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― Tea for two

 

 土曜日の午後、1階に下りた咲夜は、アパートの入り口に佇んでいる人影を見つけて、首を傾げた。
 「優也君?」
 咲夜が声をかけると、振り返った優也は、少し驚いたような顔をしながら会釈した。
 「咲夜さんって、土曜日、お休みでしたっけ」
 「うん。夜のライブはあるけど、会社は休みだよ。何してんの、そんなとこに立って」
 ミルクパンと遊ぶにしても変な場所だ。不思議に思って訊ねると、優也は、少し照れたような笑いを咲夜に返した。
 「友達、待ってるんです」
 「ともだち?」
 「実はこの前、来期取る予定のゼミの見学に行って……その時、たまたま一緒に見学に行った奴と、なんだか、意気投合しちゃって」
 「へえ…、そうなんだ」
 思い出すのは、ちょうど1年前―――クラス替えなどで新しい環境に放り込まれる春が怖い、と言っていた優也のこと。友達が出来ないことを気に病んでいた優也の口から、こんなセリフが出てくるとは…。おめでたい話に、咲夜は自然、笑顔になり、優也の背中を軽く叩いた。
 「良かったじゃん」
 「…うん」
 はにかんだような優也の笑みが、無理して付き合っている訳じゃなく、本当にその新しい友人が好きなのだとわかる。
 ―――どんな子なんだろうなぁ…? この優也君の友達って。
 「優也君と同期なら、実際には優也君よか1つ上だよね。やっぱ、タイプ似てたりする?」
 咲夜が訊ねると、優也は何故か苦笑を浮かべ、首を振った。
 「あー…それが、全然。正直なこと言うと、最初、見た目で引いちゃって、この人とはあんまり話さないようにしよう、って思ったんです。でも、見学中に疑問に思ったことを、隣にいる僕にこっそり訊いてきて―――それが結構、的を射てた、っていうか、僕と似た観点だった、っていうか。それで、なんとなく誘われるままに学食でお昼を一緒に食べたら、僕以上の凄い読書家で、もの凄く知識が豊富な奴だってわかって」
 「へー…」
 ―――見た目で引いちゃった?
 どうもその部分に引っかかりを感じたが―――とにかく、第一印象があまり良くなかった分、気が合う部分が見つかった時のインパクトは大きかったのだろう。案外、その友達の方も、優也を見た目で苦手と思い、話してみて「なんだ、いい奴じゃないか」と思った口なのかもしれない。
 「あ、来た」
 ふいに、優也がそう言って、少し身を乗り出した。咲夜もつられて、優也と同じ方向に目をやる。そこで咲夜が見たものは―――颯爽と走ってくる、1台のバイクだった。
 「えっ…」
 予想外な展開に、咲夜の目が丸くなる。が、勘違いではなく、そのバイクの人物が優也の友達だったらしい。ほどなく、鮮やかな赤のラインが入ったバイクは優也と咲夜の前に止まり、ライダーは被っていたヘルメットを取った。
 「……」
 ―――こ…っ、これは、確かに、優也君なら引くかも。
 逆毛が立ったような短い金髪、やたらシャープな顔つき、不機嫌そうな三白眼―――しかも、片耳にはピアス2個。全身真っ黒の革スーツも、ロックバンドなどと親交のある咲夜にとっては見慣れた格好だが、優也の大学では相当目立つだろう。なにせ、エリートばかりがウヨウヨしている、秀才君大学なのだから。
 「待たせたな、秋吉」
 三白眼は、低くそう言い、優也に笑いかけた。笑えばそれなりにフレンドリーな顔になるんだな、と、咲夜は妙に感心してしまった。
 「ううん、大して待ってないから。すぐ行く?」
 「ああ。眼鏡、外しとけよ。邪魔だから」
 ぽん、と予備のヘルメットを優也に渡した彼は、そこで初めて気づいたように、咲夜の方をチラリと見た。ひょこっ、という感じで軽く頭を下げる彼に、咲夜も会釈程度に頭を下げ返した。
 眼鏡を外した優也は、慣れない手つきでヘルメットを被り、ちょっと恐々といった感じで、彼の後ろに乗った。どうやらバイクでこれからどこかに行くつもりらしいが、ベージュのチノパンにチェックのネルシャツ、という格好の優也には、ヘルメットもバイクも酷くミスマッチだ。
 「じゃ、咲夜さん。また」
 「あ、うん。いってらっしゃい」
 まだちょっと唖然としている咲夜を残し、優也を乗せたバイクは、あっという間に走り去ってしまった。
 「……」
 ―――なんか…いろんな意味で、カルチャーショック。

 「あらぁ? 咲夜ちゃん、どうしたの?」
 背後から声をかけられ、咲夜はハッとして振り向いた。
 101号室のドアが開き、そこからマリリンが顔を覗かせていた。その足元にはミルクパンがじゃれついていて、みぃ、と鳴き声を上げている。
 そうだ、マリリンさんに用があって、下りて来たんだった―――本来の目的を思い出した咲夜は、小脇に抱えていた雑誌を、マリリンに掲げて見せた。
 「これ、返しに来たんだ。マリリンさんに」

***

 ちょうどお茶の時間だから寄ってらっしゃい、と言われ、久々にマリリンの部屋を訪れた。
 執筆の途中らしく、資料と思しき本が床に散らばり、机の上のパソコンも電源が入っている。その机の下辺りがミルクパンの指定席らしく、昼寝モードのミルクパンは、さっそく引き出しの前に丸まり、一眠りしようとしていた。
 「へえぇ…、優也にそんな友達が、ねぇ」
 コーヒーカップをテーブルに置きつつ、マリリンが楽しげにそう言った。
 「そう言えば、今年に入ってから、ちょっと優也、雰囲気変わったしねぇ。相変わらず弱気ではあるけど、病的に自信なさげだった部分が減ったんじゃないかな。別に“イマドキ”に迎合しなくてもいいや、って思えるようになった、って感じで」
 「そっかぁ…。そう思えるような体験が、何かあったのかもしれないね」
 同じ「高圧的な父親」を持つ者同士、だからだろうか。優也のことは、なんとなく気になっていた。萎縮していた優也が、やっと手足を伸ばせるようになったらしい様子に、咲夜は、コーヒーを掻き混ぜながら僅かに口元をほころばせた。
 「あの位の歳の頃は、彼氏だ彼女だって恋にばっかり気が行きがちだけど―――ただ楽しいだけじゃない、本当に気の許せる友達ってのも凄く大事な時期だからね。いい傾向だこと」
 「……」
 マリリンの一言に、咲夜の表情に、影がさした。
 さほど顔色を変えたつもりはなかったが、マリリンにはその微かな変化がわかってしまったらしい。コーヒーカップを口に運ぶ手を止め、少し眉をひそめた。
 「どうかした?」
 「えっ」
 「なんか、雰囲気暗くなったから」
 「ハハ、そーかな」
 即座に、別に大したことじゃないね、という何食わぬ笑いを浮かべ、コーヒーに口をつける。咲夜の、そのあまりにも自然で手馴れた誤魔化し方に、マリリンは心配げに眉を寄せ、密かにため息をついた。
 「あ、今回の読みきり短編、面白かったよ」
 床に置いてある、先ほどマリリンに返した雑誌に目を向けつつ、咲夜がそう言う。一瞬見せた暗い表情など掻き消す明るい調子に、マリリンもそれ以上訊くのはやめておいた。
 「ホント? 咲夜ちゃん、恋愛モノは苦手だって言ってたのに」
 「んー、でも、これって、主人公の恋愛そのものより、主人公と親友の友情の方がメインの話だから」
 「ああ、まあ、確かにそうねぇ」
 とある雑誌に掲載された、海原真理の書き下ろし短編。主人公とその大親友が、同じ女の子を好きになってしまう、という、なかなかに葛藤に満ちた内容だった。
 でも、親友の気持に気づいた主人公が「お前、アタックしてみろよ」なんてけしかけたり、逆に親友の方がその気遣いを気づいて「善人ぶるな」と憤ったり―――その内容は、恋愛小説というより友情小説だと、咲夜は思った。読んだ後に残るものも、主人公のヒロインへの想いより、親友同士2人の間にある絆や信頼だった。咲夜が最近読んだ小説の中では、ダントツで共感できるストーリーだった、と言っていいだろう。
 「いいなぁ、男の友情って。この話のラストもさ、男の親友同士だからこうなるけど、女だとこんなに気持ちよく終われない部分ある気する。なーんか湿っぽいというか、密かに引きずってるっていうか……女の友情って、表向きだけが多い気がして嫌だなー、私は」
 「あららら…、女の咲夜ちゃんがそんなこと言っちゃ、咲夜ちゃんの女友達も浮かばれないわねぇ」
 大丈夫だよ。女の友達、いないし。
 けれど、それは口に出して言わない。咲夜は、あはは、と笑うだけにしておいた。

 女の友達には、古い、古い、もう化石になってるんじゃないかって位古い、嫌な思い出がある。あれ以来、男女を問わず、誰のことも“友達”とは呼ばなくなった―――その位、咲夜にとっては苦しくて辛くて、心が壊れそうな出来事だったのだ。
 その場その場を一緒に楽しめる相手なら、いつだっていた。それが度重なる人も、何人かはいた。その人達は、咲夜を“友達”と呼んだし、咲夜も否定しなかった。実際、世間一般ではそういうのを“友達”と呼ぶのだろう。それは、わかっている。
 でも、違う。
 少なくとも、「咲夜にとっての友達」という意味では……違う。
 “友達”―――決して使おうとはしなかった言葉。だからこそ、咲夜にとって、この言葉の意味は、重い。
 だからこそ……“友達”と呼ぶ相手の存在は、咲夜にとって、とても重いのだ。

 「―――何か、あったの?」
 マリリンが、静かに訊ねる。
 咲夜の表情は、また少し、曇ってしまっていた。さすがに二度目となると、咲夜も誤魔化しが難しい―――マリリンの問いに、日頃の咲夜らしくない曖昧な、影のある笑みだけを返した。
 それを見て、マリリンはコーヒーカップを置き、大袈裟な位に大きなため息をついた。
 「…あのねぇ。ホント、情けないわよ? 少なくともアタシは咲夜ちゃんより10年は長く生きてるし、こんな仕事をしてる分、人間の心やら感情やらについての専門書も結構読んでるんだからね? 第一、咲夜ちゃんがまだ経験してない結婚もしちゃったし、“妻の出産に立ち会う”なんて経験までしちゃってるし、杏奈が小さい時なんか“保育園のお遊戯会”をビデオカメラで録っちゃったりしたんだから。どんなディープな悩み事が出てきても、ちょっとやそっとじゃ動じやしないわよ」
 「……」
 想像、してみたが―――いかんせん、このマリリンの姿しか知らないので、妻の出産に立ち会うシーンも、お遊戯会で親バカ丸出しでビデオを回すシーンも、ただのコントにしか見えないような映像しか浮かんでこない。咲夜は、思わず吹き出した。
 嘘じゃない笑いが体の底から溢れてきたら、ちょっと、気が楽になった。「何笑ってんの」とムッとするマリリンを眺めつつ、暫く笑い続けた咲夜は――― 一頻り笑ったところで、大きく息をついた。
 「…別に、ディープな悩み事、って訳じゃないんだけどさ」
 テーブルの上のクッキーに、手を伸ばす。一口だけそれを齧り、咲夜は、ポツリ、ポツリ、と語り始めた。

 「…曖昧な話になるかもしんないけど、さ」
 「? うん、」
 「友達が、いるのね。男なんだけど、凄く気が合う、凄く大事な友達」
 「…うん、」
 「そいつ、現在彼女募集中で……前に彼女が出来そうになった時、私、本当に心から応援したんだ。あいつのこともだけど、相手の女の子のことも。上手くいってくれたらいいな、幸せになってくれたらいいな、って。…結局、ダメだったんだけど、それ知った時には自分のことみたいに悲しかった。もっと自分にも何かしてやれたんじゃないかな、って…ちょっと、落ち込んだんだ」
 「…うん…」
 「そういう、私なのにさ。なんでだろ―――1人、ダメな女の人がいるんだ」
 「ダメ?」
 マリリンが、怪訝そうに眉をひそめる。咲夜は小さく頷き、崩していた脚を引き寄せて、膝を抱えるようにした。
 「友達にとっては、凄く恩がある人で、友達より大人で、分別もある人で……私も、結構好きなんだよね、その人のこと。友達とは、火遊び程度の関係はあるみたいなんだけど―――それ知った時だって、別にいいんじゃない? って思った。お互い大人なんだし、本人達がそれでいいなら…、って。…なのに…最近、ダメなんだ」
 「……」
 「別に、その人のこと、嫌いになった訳じゃないけど……なんか、友達とその人のこと考えると、凄く嫌な気分になる―――そういう自分が、最近、凄く嫌なんだ。彼女候補だった女の子のことより、その彼女の方が好きだし、友達にも合ってるって思うのに―――なんで、あの子のことは応援できたのに、その人のことは考えるだけで嫌になるんだろう?」
 「…ふぅん…」
 咲夜の顔をまじまじと見ながら、マリリンは短く相槌を打った。
 それから、暫し無言で、咲夜の顔を凝視し続け―――何かに納得したように、大きく息をついた。
 「ふぅーん…なるほどねぇ…」
 「…何、なるほど、って」
 「まあ、待ちなさい。考え事するには、甘いものが必要なのよ」
 マリリンはそう言って咲夜を制し、クッキーを2枚ほど口に運んだ。ついでにコーヒーも飲む。回答のおあずけを食らった咲夜は、少々イライラしながら、マリリンの腹ごしらえが終わるのを待った。
 「…さて、と。改めて確認するけど」
 カチャン、とコーヒーカップを置き、マリリンは真っ直ぐに咲夜を見据えた。
 「その彼は、今も咲夜ちゃんの“友達”なのね?」
 「うん」
 「でもって、今、咲夜ちゃんをいやーな気分にさせている相手のことは、今も好きだし、いい人だと思ってる訳ね?」
 「うん」
 「だとしたら、考えられるのは―――対抗意識、かな」
 思ってもみなかった言葉を聞き、咲夜はキョトンと目を丸くした。
 「何、それ」
 「多分、ね。前に友達と恋人同士になりかけた女の子は、咲夜ちゃんが今いる位置を脅かすような存在じゃなかったのよ。大体、恋人と友達じゃスタンスが違うしね。でも、今度の人は、その彼とは恋愛関係にない―――ある意味、咲夜ちゃんと同じ“人間的信頼関係”で繋がってる相手でしょう?」
 「…うん…」
 「だったら、咲夜ちゃんにとっては、“彼にとって一番信頼できる友人”の座をめぐる、ライバルな訳だ。彼女は」
 「……」
 思わず、眉間に皺を寄せる。確かに、そう言われてみればそうかもしれない、と思える部分があるだけに―――そんな感情を自分が抱いているのか、と思うと、自分自身にムカついた。
 「…なんか、嫌だなぁ…それ。男めぐって争ってる女同士みたいで」
 「アハハ…、まあ、友達が男で、咲夜ちゃんが女で、その相手も女なんだから、そういう図に見えちゃうわよねぇ。でも、嫉妬って感情が恋愛以外でもいーっぱいあるのは、事実だから」
 「……」
 嫉妬―――嫌いな言葉だ。
 何年か前までは、咲夜は嫉妬の塊だった。アメリカから戻って、人が変わってしまったみたいに、女から女に渡り歩くようになってしまった、拓海を見た時から―――醜い独占欲を封じ込めることに慣れるまで、毎日、毎日、苦しかった。顔も名前も知らない、今拓海と一緒にいるであろうどこかの女を想像しては、嫉妬で狂いそうになっていた。咲夜は、嫉妬という感情を、嫌というほどよく知っていた。
 けれど、咲夜が知っている嫉妬は、恋愛における嫉妬だけだ。それ以外でも嫉妬はあり得る、と言われ、説明されれば確かにそんな気もしたが……いまいち、ピンとこない。
 ピンとこない、という顔をして咲夜が黙り込んでいると、マリリンはくすっと笑い、コーヒーカップの持ち手を指先で弾いた。
 「―――うちも、そうだから」
 唐突に、マリリンが口にした言葉に、咲夜は眉間に力を入れるのをやめ、マリリンの方を見た。
 「マリリンさんところも…、って?」
 「うちの場合は、娘の杏奈。杏奈にとっての“いい親”の座をめぐって、アタシと梨花さん、ある意味ライバルだから」
 ―――いい…親の、座??
 意味がわからず、目をパチパチと瞬く。そんな咲夜に、マリリンは苦笑し、続けた。
 「杏奈はねぇ…昔から、典型的ママっ子でね。アタシが抱っこすると泣いて、梨花さんが抱っこすると泣き止む子だったのね。そりゃもー、悲しかったわよ。今考えると、どうも男の人が苦手な赤ちゃんだったみたいだけど。ああ、だから、女装したパパがウケるのかなぁ、あの子には」
 「…ウケてんの?」
 「ウケてんのよね」
 「…楽しそうな家族じゃん」
 「アッハハ、まあ、そうね。ま、とにかく―――杏奈にとって梨花さんは“大好きなママ”で、アタシは“それなりに好きなパパ”だったのよ。長年ずーっと。だから、梨花さんが仕事の都合でロスに行かなきゃいけないって決まった時―――たった3年だから、お互いの仕事を尊重しあおう、って言って、別々に住む選択をした時も、杏奈は梨花さんが連れて行く、ってことで、誰もが納得したのよね」
 そこまで言うと、マリリンは言葉を切り、はぁっ、とため息をついた。
 「実際、上手くいってたのよ。梨花さんも慣れない土地で大変だったろうけど、杏奈にだけは愛情注がなきゃ、って、体がキツくても家の中では目一杯杏奈を可愛がって。でも―――結局杏奈は、アメリカの生活に馴染めなかった。しかも、学校で苛められちゃってね」
 「えっ」
 「最終的には、不登校―――クリスマス、梨花さんが泣きながら国際電話かけてきたんで、慌ててロスに飛んだら、驚いたわよ。あれだけお喋りだった杏奈が、まるで貝みたいに口閉じたまんまになっちゃって」
 「……」
 「“ママ、大嫌い”、だって。…いじめっ子たちに向けられずに飲み込んでた怒りが、自分をアメリカに連れてきた梨花さんに向いちゃったみたい」
 ―――だから、まだ仕事が残ってたのに、帰国しちゃったのか…。
 この前、不思議に思ったことに、やっと合点がいった。
 「そんな訳で、今梨花さんと杏奈は、日本で親子関係再構築中よ。杏奈は“パパがいい、パパと暮らす”って言ってくれるし、梨花さんは“私はずーっと杏奈と一緒なのに、いいとこ取りのあなたばかりモテはやされて、ずるい”って拗ねてる。…まあ、今はアタシは少し離れてフォローしながら、2人の関係がもうちょっと落ち着くのを待ってから一緒に暮らした方がいいでしょうねぇ…。今ノコノコ割り込むのは、いい結果にはならないと思う」
 「……そうだったんだ」
 どうりで、家族は一緒にいなきゃあいかんです、と木戸にまくしたてられても、マリリンが困った顔しかできなかった訳だ。どこの親子も、結構難しい問題を抱えてるんだな―――咲夜は、抱えた膝に顎を乗せて、小さくため息をついた。
 「まあ、そんな風に、仲のいい夫婦でも、こと子供に関しては張り合っちゃう場合もあるし……友達でも、似たような部分はあるかもよ?」
 「うーん…、親同士が、子供をめぐって争うライバル、ってのは、少しわかった気もする。離婚する時の親権争いなんか見てると、そういう部分あるな、と思うし。でも…」
 「友情に関しては、ピンと来ない?」
 「…ていうか、私達のことに関しては、まだピンと来ない。確かに、あの人の方が私よか大人だから、色々負けてるなー、とは思って、ちょっと悔しい気もするけど―――…」
 「……」

 マリリンは、暫く黙って、何かを考えていた。
 そして、気を落ち着かせるように、コーヒーを一口飲むと―――思い切って、もう1つの可能性を口にした。

 「そっちがピンと来ないんなら―――もう1つの方かもね」
 「もう1つ?」
 「咲夜ちゃんも、薄々は、気づいてるんじゃない?」
 咲夜の眉が、ぴくん、と僅かに動いた。
 「友達としての嫉妬じゃないんだとしたら―――残るのは、恋愛の嫉妬。そっちでしょ」
 「……」
 「前の子の時は、純粋に友人として彼との仲を応援できたのに、今度はそれができない。それは、そこに友情以外の感情があるから――― 一番、単純な答えなんじゃない?」
 一番、単純な答え―――…。
 咲夜の瞳が、揺れる。少し視線を彷徨わせた咲夜は、唇を引き結ぶと、不愉快そうな表情で目を背けた。
 「それは、ないよ」
 「どうして?」
 「…好きな人、いるから」
 これは、マリリンも想定外だった。さすがに驚いて、ちょっと目を見開いてしまう。
 「片想いだけど……苦しくなる位、好きな人、いるから。叶う恋だとは思ってないけど、だからって他の奴好きになろうとは思わない。寂しくても、辛くても、好きな人は1人でいい―――叶わないからハイ次の人、なんて、私には思えないから」
 「…その好きな人、すぐ傍にいる?」
 唐突な質問に、咲夜は逸らしていた目を、再びマリリンに向けた。どういう意味、という、怪訝そうな目つきで。
 「すぐ傍で、咲夜ちゃんが辛い時、手を貸してくれる? 会いたい時、会ってくれる?」
 「……」
 「…物理的な距離って、心の距離にも繋がるんじゃないかな。どんなに好きな人でも、一番会いたい時、一番必要な時、その人じゃない別の人が傍にいて、手を差し伸べてくれたら―――心が動くのは、仕方ないんじゃない? 人間て、やっぱり弱い生き物だから、」
 「私は、嫌だから」
 マリリンの言葉を遮るように、咲夜は、鋭い口調で言い放った。その声に滲む、あまりに強い拒絶に、マリリンは息を呑み、続きの言葉を飲み込んだ。
 「わかってる―――人間が弱い生き物だってこと位、わかってるよ。他の人がそうでも、別に責めたりしない。仕方ないことだって思う。でも、私はイヤ。絶対イヤだ、そういうの。一方通行でも、報われなくても、その人が好きなうちは、絶対他の人なんか好きになりたくない―――自分の気持ちを、裏切りたくない。辛いからって逃げる位なら、誰も好きにならない方がマシだよ」
 「……」
 「…本当にいて欲しい人の身代わりに、誰かを求めるなんて、卑怯だよ」
 呟くように、そう言って。
 咲夜は、視線を落とした。
 「…そんな卑怯な真似…この世で一番大事な友達に、したくないよ」

 “友達”―――咲夜にとっては、重い、重い言葉。もしかしたら、“好きな人”という言葉より、ずっと。
 だから、奏だけは、好きになりたくない。
 なんだか、離れて行っている気がする拓海のことが、不安で、不安で、どうしようもなくても―――奏だけは、好きになりたくない。

 ぎゅっ、と膝を抱える腕に力を込める咲夜を、マリリンは、どこか痛々しいものでも見るように、黙って見ていた。
 マリリンは、咲夜の事情など、何も知らない。ただ―――激しい拒絶を見せた咲夜に、去年の年明け、ただ一度だけ見た咲夜の素顔をもう一度見た気がして、心が痛んだ。
 『帰らなきゃよかった』―――笑顔で口にした、家族を拒絶する言葉。あの時の咲夜が、目の前にいる気がする。どうしてそう感じるのかは、わからないけれど…そんな、気がした。
 「…まあ、あんまり、深刻に考えなさんな」
 テーブル越しに腕を伸ばし、咲夜の頭を、ぽんぽん、と宥めるように叩く。
 チラリと目を上げた咲夜は、少し落ち込んだ顔で、マリリンに「ごめん」と呟いた。そして、それまでの空気を断ち切るように、膝を抱えていた腕を解いて、大きく伸びをした。
 「あーあ、面倒なこと考えてたら、おなか空いてきた。クッキー、もうちょい貰っていい?」
 「どうぞどうぞ」
 「おいしいよね、このクッキー。麦芽だか胚芽だかが入ってるんだっけ? なんか普通のクッキーより香ばしい香りがしない?」
 そう言ってパクパクとクッキーを食べ始める咲夜は、すっかりいつもの咲夜だ。
 その痛みの見事な隠し方も、悲しくなるほど手馴れているように見えて―――マリリンはそれ以上、咲夜の傷に触れるのはやめておこう、と思った。


***


 さすがにもう終わってるかな、と考えながら立ち寄ったスタジオは、まだ撮影真っ最中だった。
 ―――なんか、随分時間かかってんなぁ…。
 ただし、予想とは違い、現在ホリゾントのど真ん中に鎮座しているのは、人間ではなくピアノだった。撮影内容の詳細を聞いていなかった奏は、どういうことなんだろう、と首を傾げた。
 セット替えの途中だったのか、いろんなスタッフが右往左往している。そんな中、見覚えのある人物が、いち早く奏に気づいた。
 「あれっ、奏君」
 どうしてここに、と、蕾夏が目を丸くする。駆け寄ってくる彼女に、奏は微笑を作り、よっ、と手を挙げて見せた。
 「どうしたの、一体」
 「いや、その―――オレが一応顔つなぎした仕事だから、さ。まんざら知らない相手でもないし…。どうなってるかちょっと気になったから、来てみた」
 そう。この撮影は、奏が拓海に頼まれて瑞樹に持ちかけた仕事―――拓海のニューアルバムのジャケット、およびライナーノーツ用写真の撮影なのだ。
 勿論、アシスタントを務めている蕾夏も、その流れは瑞樹から聞いているのだろう。納得した表情になり、ニコリと笑った。
 「今日だってお店あったんでしょ? 相当急いで来たんじゃない?」
 「ああ、まあね。もう終わってるかな、と思って急いだんだけど……まだまだっぽいな」
 「麻生さんの写真は別のセットで撮り終えたんだけど、そこで予定より時間食っちゃったから」
 「ふーん…」
 ―――なんだ、もう終わったのか。
 でも、奏をここに入れてくれたのが拓海のマネージャーだったことを考えると、まだ拓海はいる筈だ。奏はキョロキョロとスタジオ中を見回し、拓海の姿を探した。
 そして、スタジオの一番端っこの隅で、誰だかわからない人物とやけに楽しそうに話している拓海を見つけた。
 いた―――認識した途端、無意識のうちに、眉根に力が入る。この前感じた不愉快さというか苛立ちというか、あの嫌な感じが、奥の方からせり上がってくる感じだ。完全に表に出てきて、崩れないよう形作られる前に、奏は拓海から目を逸らし、はぁ、と小さく息をついた。
 「あれ? 成田は?」
 そう言えば、肝心のカメラマンがいない。不思議に思って訊ねると、蕾夏は苦笑して、スタジオ奥のドアの方を見た。
 「今、ちょっと休憩してるの。疲れた、って」
 「疲れた? 成田が? 珍しいな…あいつ、カメラに関しては疲れ知らずかと思ってた」
 「あー…、うん。そんなハードなことやった訳じゃないんだけどね。麻生さん、基本的に撮られるのが嫌いな人みたいで―――“そんな角度からじゃ誰だかわからない”っていう瑞樹と、“これ以上顔を前に向けたくない”っていう麻生さんと、“絵コンテ通りお願いします”っていうレコード会社で、もう、30分前まで大騒ぎ。新しいレーベルだから、前作までと売り方の方針違ってて、麻生さんも苦労してるみたいだよ」
 「……」
 それは……撮られることが商売である連中ばかりを相手にしている瑞樹からすれば、相当やり難い仕事だっただろう。
 「ご…ごめんな、変な仕事紹介して」
 冷や汗ダラダラで奏が謝ると、蕾夏は小さな笑い声を立てながら首を振った。
 「大丈夫。ここから先は、瑞樹も楽しみにしてた撮影だから。ジャケットも、こっちのピアノの方だし。これから、バラの花大量に運び込んで盛大に撒くから、奏君も一緒に撒いたら?」
 「バラ?」
 「そう。アルバムのタイトル、知ってる? “La vie en rose”だって」
 “La vie en rose”―――“バラ色の人生”。それで、大量のバラと、ピアノか。なるほど。
 バラを大量に散りばめるシーンは、ちょっと見てみたい気はした。けれど―――奏は、再び拓海の方にチラリと目を向けた。
 瞬間―――拓海と目が合って、心臓がドキン、と跳ねた。
 「藤井さーん、ちょっとー」
 「あ、はい!」
 スタッフに呼ばれ、蕾夏は現場に戻ってしまった。それと入れ替わるように、拓海がこちらに歩いてくる。去りぎわ、じゃあね、と挨拶する蕾夏に笑みを返すのも忘れて、奏は拓海の方をずっと見ていた。

 「やあ。来てたんだ」
 「…どうも」
 にこやかに挨拶する拓海に、奏は少々ぶっきらぼうに会釈した。
 シンプルなシャツとビンテージジーンズに身を包んだ拓海の全身を、一瞥する。…別段、もの凄くカッコイイ訳でもないし、瑞樹のような人を惹きつけるオーラを持っているタイプでもない。なんでこいつが、そんなにモテるんだろう? 奏は改めて内心首を傾げた。
 「上手くいってますか、撮影」
 「ああ、まあね。俺の写真は飾りみたいなもんで、メインはこれからだけど」
 撮影中、煙草が吸えなかったのだろう。喫煙OKのコーナーであることを幸いに、拓海は早速煙草を取り出しながら、そう答えた。
 煙草をくわえるが、どうやらライターの類が見つからないらしい。おかしいな、という顔でポケットを探る様子を見かねて、奏は自分のライターを差し出した。
 「あ、悪いね」
 自分も付き合った方がいいか、とも思ったが…やめておいた。火を点け終えた拓海が返したライターを、奏はそのまま、バックポケットに無造作に突っ込んだ。
 「そう言えば、この前のライブ。咲夜のメイクと衣装、一宮君がやってくれたんだって?」
 煙を吐き出しつつ視線を向けられ、奏は「ええ、まあ」という意味で、僅かに笑みを返した。
 「その前のミニスカートスタイルも、一宮君だっけ。随分イメージ変えてきたね、あの時とは」
 「ああ…、あの時よりライブのメイクの方が、ジャズには合うかと思って」
 「確かに。さすがはプロだよなぁ…。化粧なんて、誰がやっても同じと思ってたのに」
 そう言うと、拓海は、少し奏の顔を覗き込むようにして、ニヤリと笑った。
 「ああやって手間かけてやると、案外いい女なんで、驚いただろ」
 「……」
 何故か、喧嘩を売られたような気分になる。軽く眉を上げ、奏は拓海に冷笑を向けた。
 「…オレより麻生さんの方が、子供時代知ってる分、驚いたんじゃないかと思ってたけど」
 「ハハ、逆だよ。長年、成長過程見てきたから、そう驚かなかったんだよ」
 そう言って笑った拓海は、背後にあった灰皿に気づき、煙草の灰を落とした。そして振り向き、意味深長な笑みを口元に浮かべた。
 「咲夜がいい女だってこと位、随分前から知ってたさ。本人、気づいてないみたいだけどな」
 「……」
 「あ、そうそう。この前のライブで、咲夜が歌ってるとこ録音したMD、ちょうど今日持って来てるんだけど―――咲夜に渡してもらってもいいかな」
 「…麻生さんから渡してやった方が、あいつ、喜ぶと思いますけど」
 誰が使い走りなんかやるか、という気分で奏が答えると、拓海はあっさり納得し、そうか、と頷いた。
 「確かに、そうかもな。じゃ、また今度にしておくか…」
 ―――ちょっと位否定しろよ、オイ。
 ムカムカムカ。よくわからない不愉快さに、さっきから神経が逆撫でされっぱなしだ。そして、奏は、非常に感情に忠実な顔をしている。多分このムカムカも思い切り顔に出てるんだろうな、と思うのだが……修正不可能だ。
 遠くの方で、「成田さーん」という声を聞いた気がして、奏は視線を声のした方に向けた。控室に続くドアから出てきた瑞樹を見つけた奏は、なんだか助かったような気分になった。
 「あ…、オレ、成田に挨拶してくるんで」
 奏が断りを入れると、再び煙草を口にくわえた拓海は、飄々とした態度で、口の端をつり上げた。
 「そっか。じゃ、咲夜によろしく」
 「…はあ」
 なんでこう、拓海の一言一言に神経がピリピリ反応するのだろう―――とにかく、早く離れた方がいい。奏は軽く拓海に頭を下げ、三脚の位置を調整し始めた瑞樹のもとへと駆け寄った。

 「成田」
 奏が声をかけると、難しい顔で三脚を動かしていた瑞樹が、顔を上げた。蕾夏から奏が来ていることは聞いていたのだろう、奏の顔を見ても、さほど驚いた顔はしなかった。
 「ああ、お疲れ」
 「ごめんな。なんか、人物撮りで結構手間取ったって」
 仕事を紹介した責任から奏が一応謝ると、瑞樹は少し目を丸くし、続いて苦笑した。
 「ハ…、お前が謝る問題じゃねーだろ」
 「…まあ、そうなんだけど。で…、どうだった? 麻生さんの撮影」
 「んー…、なかなか面白い被写体だった」
 何か気になる部分があるのか、瑞樹はそう言いながらも、またファインダーを覗いて、細かい位置調整をし始めた。
 「本心見え難い奴だな、麻生拓海も。ファインダー通しても、お前みたいに内面がストレートに伝わってこない」
 「…ふーん」
 「時田さんと同じ“食えないタイプ”かもな」
 叔父の名前を出され、奏も苦笑した。確かに―――奏の叔父・時田は、無名も無名、一度も仕事で撮ったことのない瑞樹に、イギリス到着早々、いきなり自分の代わりに仕事をさせた、という、とんでもない前科を持っている。叔父はそこそこ人格者だと奏は思っているが(多少身びいきが入っているが)、数々のだまし討ちの歴史から、瑞樹が時田を「食えない奴」と思う気持ちは、よくわかる。
 ―――麻生さんも、食えないタイプではある…かもな。
 余裕あり気な、からかうような拓海の笑顔を思い出した奏は、そんなことを思いつつ、また眉を顰めた。


 撮影はこれからが本番らしかったが、奏は最後まで見て行くのはやめておいた。が、大量に運び込まれた真紅のバラを盛大に撒き散らす作業にだけは参加させてもらった。
 鬱憤を晴らすかのように、思い切りバラの花をピアノの周りにぶちまけたら、ほんの少しだけ気が済んだ。撮影準備に忙しい瑞樹と蕾夏にちょっとだけ挨拶し、奏はスタジオを後にした。

 本当は、拓海に訊くつもりで、行ったのだけれど。柳との関係や、CMへの楽曲提供の裏にあるらしい“何か”のことを。
 ―――やっぱ、やめといてよかったかもな。
 ぶらぶらと駅までの道を歩きつつ、そう思った。
 お節介もいいところだ。立ち聞きしてしまったから気になりはするが、そこに何があろうと、奏に関係などない。ただの興味本位なら、訊かない方がいいのだ。やめといて正解だった―――奏は、そんな風に自分を納得させた。
 それにしても、ただ咲夜の叔父、咲夜の想い人、というだけで、自分とは無関係な男なのに―――…。
 「…何やってんだろ、オレ」
 知らず、呟く。
 ―――何が“とっくに知ってた”だよ。そんだけ長い時間一緒にいたなら、あんただってどーせ咲夜の気持ちには薄々気づいてんだろ? だったら、さっさと白黒つけてやれよ。自分のものにするなり、きっぱり諦めさせるなりしろってんだよ。15も年上なんだから。
 …イライラする。
 中途半端な関係で咲夜を飼い殺しにしている拓海に、イライラさせられる。

 ―――でも…あいつはそれでも、麻生さんのことが好きなまま、なんだろうな。
 飼い殺しにされようが、白黒つこうがつくまいが―――ただ麻生さんへの想いさえあれば、あいつは歌えるんだよな。

 そう思ったら、勝手にイライラしている自分が、なんだか馬鹿らしく思えて―――奏は、ちょっと落ち込んだ。


***


 シャワーを浴び、頭を拭きながら冷蔵庫を開けていると、ドアチャイムが鳴った。
 「?」
 時計を見ると、午後11時近く―――首を傾げつつも、奏は冷蔵庫を閉め、玄関に向かった。
 レンズを覗くと、そこには咲夜がいた。“Jonny's Club”から帰って来たばかりなのだろう。まだ肩にはバッグが掛かっている。慌てて奏はドアを開けた。
 「あ、良かった。いたんだ」
 ドアから顔を覗かせた奏を見て、咲夜はホッとして微笑んだ。
 「ああ、いたけど―――どうした?」
 「うん、大したことじゃないけどさ」
 不思議そうな顔をする奏に、咲夜は、後ろ手に持って隠していたものを、奏の目の前に掲げた。形からして、どうやら、ケーキの入った箱らしい。
 「なんか、お客さんのおごりで、貰っちゃったんだよね。フルーツクレープを、しかも3個も」
 「へーえ。なんでまた客のおごりなんて?」
 「リクエスト曲歌ってくれたから、だって。賞味期限あるし、1人で3つも食べらんないから―――夜食代わりに食べない?」
 「え、オレも食っていいの?」
 奏の顔が、モロに「やった、ラッキー」という顔になる。
 その表情が、なんだか、「ほら、散歩行くよー」と言われて喜んでいる犬みたいに見えて、咲夜は思わず吹き出してしまった。
 「? なんだよ」
 「ううん、なんでもない。うちで食べる?」
 「いや、紅茶淹れるから、うちにしようぜ」
 奏の紅茶は、紅茶専門店レベルにおいしいのを、咲夜も知っている。笑顔で頷いた咲夜は、お邪魔します、と奏の部屋に上がりこんだ。


 紅茶の準備をする奏の傍らで、ティーカップを2つ用意しながら、咲夜は、こうしてお茶を飲めることを、幸せだな、と思った。
 と同時に―――まるでご主人様に尻尾を振るかのような、さっきの奏の嬉しそうな顔を思い出して、嬉しいような、泣きたいような、複雑な気分になった。


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