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― クラスメイト -2- ―

 

 “Jonny's Club”でのバイトを始めて1週間と少し経ったある日。
 ―――ま…まずかった、かも。
 店のほぼ中央の、4人がけのテーブル席。そこに集う男女3人の姿を見つけた理加子は、自分の考えの浅さに、頭の中が冷たくなるのを感じた。
 この店は、ついこの前まで咲夜たちが働いていた店だ。ラストライブを開いての円満解雇だったとトールから聞いた。ならば、辞めた後も、何かの機会にこの店を「客として」利用することがあるだろう、ということは、前もって想像できて然るべきだった。然るべきだったのに……思いつかなかった。今、この瞬間まで。
 「ど、どーしよう…、絶対何か言われるよね、咲夜さんが出入りする店に、あたしがいるなんて」
 別のスタッフが注文を取っているのを遠くから眺めつつ、理加子が小声で言うと、トールは困ったような顔をした。
 「いやー…あの人のことだから、何も言わないんじゃない?」
 「嘘っ。そんな訳ないじゃないっ」
 「だって、おれですら、ここで働き続けられてんだぜ?」
 そう理加子に耳打ちするトールの声は、他の客に聞かれることを気遣ってか、やっと聞こえる程度の小声だった。
 「並みの神経の持ち主なら、自分を危ない目に遭わせかけた男なんて、自分と同じ店に置いとかないだろ。それを、弱みを握ってれば脅しとしては十分だと踏んで、あえて辞めさせなかったんだぜ、あの人。その方が店の利益になるし、ハルキやリカの動きを掴みやすくなる、って考えてさ」
 「…でも…あたしは、直接何かした訳じゃなくても、ほんとの当事者だし…」
 「でも、それももう“前”の話じゃん。リカの方には、もうあの2人に横槍入れる気なんてないんだろ? リカが脅威でも何でもないことくらい、咲夜さんなら十分わかってると思うよ。危険察知能力の高さは、おれの時で証明済みだし」
 「……」
 もう脅威でも何でもない―――確かに、トールの言うとおりだ。
 今でも、奏のことは心の一番奥に引っかかったままで、失恋の痛みを引きずっている部分はあると思う。彼が咲夜を残して海外に行った理由はよくわからないが、あれだけ咲夜を大事にしていた奏が咲夜のいる日本を離れる決意をしたのだから、きっとそれは咲夜のためなのだろう。そう思うと、今も妬ましい部分があるのは事実だ。
 それでも、以前と今とでは、感じ方が違う。諦めがついた、というのもあるが、何より、理加子が根本的に抱えていた「寂しさ」と、やっと向き合ったから―――両親とすれ違い続けた苦しさや悲しさを、全て奏に向けていたのだということに、気づいたから。
 咲夜はきっと、そんな理加子の変化に気づいているだろう。気づいていれば……トールの言うように、何も言わないかもしれない。
 ―――ど…どうしようかな…。
 気づかないふりだって、勿論、できる。けれど。
 「…あ…っ、あのっ!」
 ちょうどその時、咲夜たちのオーダーをとったスタッフが、ドリンクを揃えてカウンターの向こうから出てきた。あまりのタイミングの良さに、理加子は一瞬で決心した。
 「あのっ、あたしがそれ、運びますっ」
 「え?」
 突然の申し出に、当然スタッフは困惑した顔をした。が、断るほどの理由も思いつかなかったのか、理加子の勢いに気圧されたように、あっさりトレーを理加子に渡してくれた。
 チラリと背後を見ると、トールが驚いたような顔でこちらを見ていた。彼の知る「姫川リカ像」からは程遠い行動だろうから、驚くのも無理はない。ちょっと苦笑を返すと、理加子は再び前に向き直り、1歩、踏み出した。


 咲夜と一緒にいる2人は、この店でライブをやっていた、あのピアノの人とウッドベースの人らしい。何やら真剣な面持ちで話し合っているので、声をかけるタイミングに迷ってしまうが―――咲夜が、ほんの少しだけ笑みを見せた瞬間を狙って、1歩、テーブルに歩み寄った。
 「お待たせしました」
 若干上ずり気味の声で理加子が言うと、3人の視線が、一斉にこちらに向いた。
 何の感情も含まない男性2人の目が並ぶ中、咲夜の目だけが、はっきりと驚きに見開かれる。途端、後悔を覚えた理加子だったが、続く咲夜の反応は、理加子の予想を裏切るものだった。
 「リ…、リカちゃん!? どーしたの、その髪!」
 「えっ」
 驚くべき点はそこじゃないでしょ、と突っ込みを入れたくなる横道への逸れっぷりだ。拍子抜けのあまり、理加子の声は裏返ってしまった。
 「一瞬、誰だかわかんなかったよ。私よか短いんじゃない? その髪形。あ、勿論、似合ってるけどさ」
 「…あ…ありが、と」
 リアクションに困り、理加子はとりあえず「似合っている」という言葉にお礼を言った。すると、状況を把握できていない様子だった男2人のうち、大柄な方がポン、と手を叩いた。
 「あー、思い出した。どっかで見たと思ったら、前に、咲夜の彼氏や雪だるまと一緒に店に来てた美少女だ」
 「雪…??」
 確かに、奏の恋人がどんな人か気になって、彼にくっついてこの店に来たことはある。が、雪だるまを引き連れていた記憶はない。理加子はキョトンと目を丸くして、首を傾げた。
 だが、彼らの間では雪だるまが誰なのかは既知のことらしく、もう1人の男性も「ああ」と納得した顔になった。
 「そういえば、あの時の子だ。髪形違うから全然わからなかった」
 「女の子を見分けるのに髪形と服装で判断するタイプだもんな、一成は」
 大柄な男性にそう茶化され、彼は少しムッとしたように軽く眉をひそめた。心外な、という表情だが、理加子の目にも、彼は、女性にもファッションにも疎いタイプに見えた。
 ―――ちょっと、蓮と似てる、かも。
 そう感じた途端、ファッション雑誌のネタを振られて困惑していた蓮の顔を思い出してしまい、理加子は知らず、クスッと笑ってしまった。
 「何、ここでバイト始めた訳?」
 男2人への面通しも終わったと判断したのか、咲夜がようやく、話の本筋を切り出してくれた。ほころんだ表情を慌てて引き締めた理加子は、コクン、と頷いた。
 「いつから?」
 「…1週間と、少し、くらい」
 「へー。モデル辞めたとは聞いてたけど、また随分方向転換したもんだね」
 「今までとは違うこと、したかったの」
 理加子が答えると、咲夜は「そっか」と言い、ニッと笑った。
 「変な客もたまにいるけど、比較的働きやすい店だと思うよ。トール君もいることだし、まあ、頑張んなよ」
 「…う…うん」
 それだけ言うと、咲夜はヒラヒラと手を振り、話を終えてしまった。仕事に戻りなよ、という意味らしい。
 「……」
 …大いに、拍子抜け。何かもっとネガティブなリアクションがあるのでは、と思っていたのに、まるっきりゼロとは気が抜けてしまう。
 なんとも中途半端な気分のまま、理加子は注文されたドリンクをテーブルに置き、ペコリと頭を下げてその場を立ち去った。


 ―――うん。咲夜さんて、ああいう人なんだ。
 改めて、実感した。理加子が、咲夜のことがどうしようもなく苦手で、それでいて酷く憧れて、妬ましく思ってしまう、本当の理由。
 絶対に譲れない大きな夢を持っていて、そのために実際に行動していて……行動できるだけの実力も、力になってくれる仲間も、ちゃんと持っていて。大手のプロダクションから声をかけられても、自分のポリシーを一切曲げずに貫く強さも持っていて。
 あんな素敵な恋人がいても、他の女に取られることを心配するでもなく、いつも超然といていて。か弱い女性なのに、自分の身に降りかかった危険をたった1人で回避した挙句、敵の弱みまで握って自分の味方に引き入れてしまうほど、強くて。

 『そこら辺の歌手よりすごぉい歌、歌うのに、あーんなチンケな店で下積みなんかもしちゃっててぇ。その上、あーんなハイレベルな彼氏持ってても、平然とした顔しちゃっててぇ。なぁんか、変にカッコイイの。カッコイイ女なんて、なんか、反則技って感じぃー』

 酔っていたので記憶にはないが、晴紀から聞かされた。素面では決して口にしなかった、自分の本音。
 あんな風になりたい―――そう思うほど、理加子にとって咲夜は、眩しすぎる存在なのだ。

***

 「はい……はい、わかりました。じゃあ、リカにもそう言っておくわ。あ…、それより、あなたから直接言う? …ああ、そう」
 風呂から上がって廊下に出ようとした時、ドアの向こうから母のそんな声がした。
 声色と口調で、電話の相手が父であることはすぐわかる。短くなった髪をタオルで包む理加子の表情が、一瞬で暗く沈んだ。
 「じゃあ、また。…はい、おやすみなさい」
 電話が終わるのを待ち、ドアを開けると、受話器を置いた母が大きなため息をついていた。ドアの音に顔を上げ、理加子の強張った顔を見るけると、母は諦めたような、疲れた笑みを見せた。
 「パパからよ。明日の約束…仕事で、ちょっと行けそうにない、って」
 「…そう」
 ―――“あなたから直接言う? …ああ、そう”、か。
 家族3人での、滅多にない食事会。約束を反故にすることを、父は直接、理加子に詫びることを拒んだ。…そういうことだ。
 別に、父に何かを期待している訳ではない。元々離婚を前提に始めた別居なのだし、家族バラバラだったこの家での生活を考えれば、1人きりになった父が家族のいる生活のありがたみを実感して…なんてドラマにありがちな展開も、まずあり得ない話だとわかっている。
 でも―――父からこういう態度を示されるたび、胸が痛まないと言ったら、嘘になる。
 父を嫌いだった訳じゃない。嫌いなら無視すれば済む。嫌いじゃないからこそ、親の関心を惹きたくてあれこれバカな真似もしてきたのだ。そんな父から、避けられている―――関心を向けてもらえないではなく、あからさまに拒絶されている。その事実に、傷つかない子供がいるだろうか?
 「パパは、後ろめたいのよ、きっと」
 理加子の心情を察してか、母が取り繕うように、そう付け加えた。
 「本当に忙しいのかもしれないし…そうじゃないとしても、パパが本当に会いたくないのは、リカじゃなくママの方よ。リカは悪くないのに、リカの望みを叶えてやれないから、申し訳なくて話をするのが怖いのよ」
 …そうなのかも、しれない。けれど、やっぱり、それだけではない気がする。
 父は、弱い人だ。争いごとは避けて通るタイプで、不満があっても口にできず、嫌なことからは逃げ回る。長年冷えた夫婦関係だったのに離婚に至らなかったのは、父のそういう性格のせいでもあるのだ。
 父は今、気まずい関係にある母から、逃げている。そして何より、関係修復を望んでいるであろう理加子と対峙することから、逃げているのだと思う。たとえ電話であっても、理加子から「どうして約束を守らないの?」と追及されるのが嫌なのだ。
 ―――パパは、あたしの顔が見たいとは、これっぽっちも思わないのかな…。
 生まれてからこれまでの父の態度を見ていれば、思わなくて当然な気もする、けれど……わからない。やっぱり、母親と父親とでは、子に対する感情は大きく異なるのだろうか? たとえ自分の子であっても、所詮自分が産んだ訳ではないから、面倒さや後ろめたさと折り合いをつけるより、顔を見ない方がまだマシだ、と思える程度の存在としか感じられないのだろうか?
 それとも、そんな父を恨めしく思うのに―――会いたい、と切実に思えない自分にも、何か、問題があるのだろうか。
 「ごめんね、リカ。リカに責任はないのに、ママたちのせいで、パパと会えなくなっちゃって」
 父に会う機会が流れてしまってガッカリしている、と思ったのか、母はそう言って、理加子の頭を軽く撫でた。こういうことをする人だとは思わなかったが、最近はこんな母に、少し慣れてきた気がする。祖母の存在が母と理加子の間を隔てていたのでは、という真理の推測は、それだけではないにしろ、真相のかなりの部分を占めているのかもしれない。
 「…ううん。別に、いい。期待してなかったし」
 理加子がそう言うと、母はまた、少し悲しそうな目をして微かに微笑んだ。
 理加子が両親の離婚を快諾していれば、別居も定期的な食事会もなかっただろうに―――母にこんな顔をさせている原因の半分は自分にもある、ということを思い出し、理加子の胸はチクリと痛んだ。


 ―――贅沢な、望みなのかも、しれないけど。
 誰かに、言って欲しい。あたしが必要だ、って。
 物心ついた頃からずっと、あたしがいない方が幸せなんじゃないか、とか、あたしがいても意味ないんじゃないか、とか…そんな風に思ってばかりいたから。
 愛して欲しい、なんて、おこがましいから、言わない。愛なんていらない。ただ、必要とされたい。
 パパやママじゃなくてもいい。一宮さんが咲夜さんを必要としていたみたいに―――咲夜さんの歌声聴きながら、安心して眠ってた一宮さんみたいに、あたしがいてくれて良かった、って…他の誰でもない“あたし”に一緒にいて欲しい、って言ってくれる、誰かが欲しい。


 それは、恋がしたい、とは、また少し違う望みで。
 そんな誰かがいてくれたら、少しは、自分が好きになれるかもしれない―――理加子は、そんな風に、心のどこかで思ったのだ。

***

 4月も終わろうかというある日のことだった。

 「え…っ、コンパ?」
 目の前に立っている女の不満顔をパチクリと見つめ、理加子は呆けたような声を上げてしまった。
 あまり顔は覚えていないが、声だけはしっかり覚えている。この女は、間違いなく、理加子のことを率先して噂していた女―――つまり、向こうも理加子を良く思っていないし、理加子の方も嫌な奴リストの筆頭に挙げていた女だ。
 「な、なんで急に、あたしに?」
 「…別にアタシらは、姫川さん誘う予定じゃなかったんだけどさ」
 心底不本意そうな顔の彼女は、そう言ってチラリと背後に目をやった。
 「けど、浦上君たち誘おうとしたら、姫川さんも行くなら参加する、とか言うもんだから。あなたって話しかけ難い感じだから、きっかけ欲しかったみたい」
 「…あ、そ」
 彼女が気にした背後に一瞬目をやると、今まで存在すら気にしたことのなかった、背ばかりがやたら大きい男子学生の姿が目に入った。なるほど、理加子は、彼をコンパに引っ張り出すための餌、という訳だ。理加子が来ないと彼が来ないから誘いはするが、これであの彼と理加子が親しく喋ったりするのは絶対許せないのだろう。
 馬鹿馬鹿しい―――内心、ため息をついてしまう。目の前の女にも、浦上君とやらにも、全く興味が湧かないというのに、当人たちは勝手に理加子を材料に駆け引きを繰り広げているというのだから、甚だ迷惑な話だ。
 「で、どう? あ、急な話だから無理にとは言わないから。来れないなら来れないで別に…」
 呆れる理加子をよそに、彼女がそう畳み掛けてきた。その、いかにも「来て欲しくない」という本音がミエミエな口調に、馬鹿馬鹿しいと思いつつも、ついカチンときてしまった。
 ―――何よ、そっちから誘ってきたくせに。腹立つっ。
 カチンとくると、“お姫様モード”にスイッチが切り替わる。無愛想だった顔に、これでもか、と言わんばかりの笑みを浮かべた理加子は、彼女が言い終わる前に、速攻で返した。
 「あー、ううん、大丈夫よ、行けるから」
 「えっ」
 彼女の顔色が、目に見えて悪くなる。だが残念。実際、今日はたまたまバイトがない日なのだ。
 「でも、迷惑なんじゃあ…」
 「あら、だってあなた、浦上君とやらにコンパに出て欲しいんでしょ?」
 「……」
 「で、浦上君は、リカが行かないと、“来てくれない”んでしょ? なら、いいわよ。リカ、今日ヒマだし、“行ってあげる”」
 気合の入ったメイクに彩られた彼女の眉間に、深い深い皺が2本走る。当然、冗談じゃないわよ、と言われるものと思ったが。
 「…じゃあ、6時に、渋谷駅中央改札口に集合だから」
 彼女はそう言って、クルリと踵を返し、さっそく浦上君の所へ行ってしまった。理加子の参加が決まったことを伝えに行くらしい。
 ―――プライドない奴ぅ…。こんだけリカに見下されてでも、あの程度の男の関心惹きたいなんて。
 呆れるのを通り越して、哀れになってきた。“お姫様モード”のスイッチが切れた理加子は、承諾したのは失敗だったかな、と、またため息をついた。


 思えば、普通の学生が参加するコンパの類に参加するのは、これが初めてだ。
 勿論、いわゆる業界人の集まる飲み会やパーティーには時々参加していた。ただ、そうした席は当然仕事絡みなので、同行していたマネージャーが挨拶回りに理加子を引っ張り回し、席の温まる暇もないのが常だった。挨拶回りが終われば、後は大体、話題の中心からは外れた場所で、分捕られた会費分は元をとらなければ、とばかりに黙々と飲み食いする―――それが、理加子の知る大人の飲み会だ。
 しかし、今回は極普通の、一般学生の集まりだ。しかも、参加者の大半が初対面の。
 …困った。まるで勝手がわからない。参加をOKしたことを、理加子は早くも後悔し始めていた。
 これまでの理加子を知る人のほとんどは、理加子を「派手好き」とか「遊び好き」だと思っているだろう。確かに、取り巻き連中や仕事の関係者など、大勢で飲み食いするのは嫌いではない。が、それは賑やかなのが好きだからではなく、大勢いれば自分以外が勝手に喋って勝手に盛り上がってくれるから、である。だから当然、自分から場を盛り上げた経験もないし、積極的に誰かと話そうとしたこともない。周囲のバカ騒ぎにもあまり興味を示さない、いわゆる「場を盛り下げるタイプ」に限りなく近いのだ。
 ―――どんな感じなんだろ、学生の飲み会って。親衛隊連中なら、あたしが何してても“いてくれればOK”って感じだったけど、普通の人はそうじゃないだろうし…。
 店へ向かう道すがら、理加子はずっと、渋い表情で黙りこくっていた。もっとも、理加子に話しかけてくるメンバーは誰もいなかったが。理加子という餌に釣られてのこのこ参加した浦上という男も、結局は、理加子に声をかけてきたあの女に捕まってしまい、始終彼女にべったりと貼りつかれて、理加子と挨拶すら交わせない有様だ。時々振り返っては、チラッと理加子の方を見て無念そうな顔をするが、理加子が救いの手を差し伸べる筈もない。もう1人の男性参加者も別の女性がずっと質問攻めにしているので、あぶれた理加子は既に孤立状態だ。
 ―――ま、孤立してた方が、あたしは好都合だけど。面倒がなくて。
 少なくとも、同じ専門学校から参加している男性2名には、これっぽっちも魅力を感じない。彼らを引っ張り出すのに尽力し、理加子と接触させまいとピリピリしている女2名が滑稽なくらいだ。どうやら店で他の学校からの参加者と合流するらしいが、この分では面白い人物に会える可能性は低そうだ。勝手のわからない飲み会だが、これなら会費分飲み食いするだけで済むかもしれない。

 合コンの会場である店は、ビール中ジョッキが1杯500円台という、いかにも学生御用達な居酒屋だった。
 「遅くなってごめーん」
 店内のある一角に向かって手を振って声を上げたのは、理加子を誘いに来た人物ではない方の女だった。てっきり、理加子を誘いに来た女の方がコンパをセッティングした張本人かと思っていたが、どうやら違うようだ。
 「大丈夫だよー、僕らも今来たばっかだから」
 彼女にそう応えたのは、他の大学かどこかの学生らしき男だった。その背後には、既に席についている男性が2人、女性が2人の、計4人がいた。横長のテーブルに10席分の椅子が並んでいるが、知り合い同士が固まってしまわないよう配慮しているのか、1つおきに空席が設けられていた。
 「ままま、とりあえずみんな、座って座って」
 ということになり、後から来た理加子たちは、自然と空いている席に収まった。
 理加子の右隣に座っていた女性は、なんとも微妙な表情で理加子の顔をチラリと見、申し訳程度にちょこんと頭を下げた。理加子もそれに倣い、椅子に腰を下ろしながら、ほんの少しだけ頭を下げてみせた。
 「えーと、まずはドリンク注文して下さーい」
 それぞれが席に着く中、幹事がそう声を張り上げた。来たばかり、という言葉は本当だったようで、テーブルの上にはまだグラスが1つも並んでおらず、幹事のすぐ隣に注文を聞くべく店員が控えている状態だった。
 ビール、という声があちこちから上がるが、理加子はあまりビールが得意ではない。
 「あのー、あたし、モスコミュールで」
 と、理加子が店員に向かって言うと、
 「あれ?」
 という声が、まだ目を向けていなかった左隣の席から聞こえてきた。
 反射的に左隣に顔を向けると、そこには、目を丸くした男性の顔があった。その表情は、怪訝そうな理加子の顔を確認して、ますます驚きの色を増した。
 「姫川っ!?」
 「え?」
 呼ばれ慣れない名前で突然呼ばれ、今度は理加子の方が目をパチクリと見開いた。が、男の方は確信を深めたらしく、満面の笑みになり、ちょっと興奮気味に続けた。
 「やっぱり姫川だ! さっき横顔見た時、似てるとは思ったけど」
 「あ、あの…」
 「姫川理加子だろ?」
 今度はフルネームで呼ばれた。否定するのも変なので、何が何だかわからないまま、理加子はコクコクと頷いた。
 「わかんないかな。スガだよ、高校の時、同じ3年2組だった」
 「…スガ…君? えーと、スガ君、スガ君…」
 「あ、そうだ。おい、タモツ、眼鏡貸して」
 何を思ったか、スガと名乗る男は、正面の席に座っている男性にそう頼んだ。ほえ? という要領を得ない表情をしたタモツという男は、素直に自分のかけていた眼鏡を外し、スガに渡した。縁のないシンプルな眼鏡を受け取ったスガは、それを自らかけ、改めて理加子の方に向き直った。
 「ホラ、これでどうかな。覚えてない?」
 「……あ!」


 『いいなぁ、直人。今期の委員、姫川さんと一緒だろ?』
 『クソッ、役得だよなぁ。あのリカちゃんとお近づきになれるなんて』
 『ああ、姫川? うーん…おれはあんまり好きじゃないなぁ』
 『はぁ!? 直人、テメー、眼鏡作り直せ!』
 『いや、確かに美人ていうか、美少女だよ? けどさぁ…なんかこう、お人形っぽくて、人間味ないじゃん』
 『お前なぁ、ちょっと自分がモテるからって、あのレベルの美少女に難癖つけようなんて、生意気もいいとこだぞっ!』
 『別にモテてないって』
 『チクショー、腹立つなー。俺と委員代われよっ』

 ―――思い出した。
 そうそう、思い出した、思い出した、余計なことまで。


 須賀、直人。それは、理加子の高校3年生の時のクラスメイトで、同じ委員会の役員で、席もすぐ近くで―――なのに、理加子から一番遠い所にいた奴だった。


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