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スタジオに駆け込んだ奏は、まだ撮影が終わっていないことが分かり、ホッと胸を撫で下ろした。
半開きになった扉から中を覗き込むと、カメラを構える瑞樹の姿が見えた。
今日の被写体は、どうやらノートパソコンとPDAらしい。雑然とした机の上が再現されているので、ビジネス雑誌か何かの表紙なのかもしれない。商品撮りのせいか、やたら静かな現場だ。
もうすぐ終わってくれるんだろうか―――少々不安になった時、シャッターを切り続けていた瑞樹が、腕時計に目を落とした。
瑞樹がその場にいた数人に何やら声をかけると、それぞれがざわざわと動き出した。どうやら、商品の差し替えついでに、休憩に入ったらしい。
スタジオマンらしき若い男と、商品管理の人間らしき女性が、セットの中を慌しく動き出す中、当の瑞樹はカメラを置いて、こちらへと歩いてきた。
撮影中から、奏が来たことには気づいていたらしい。扉の横でうろついている奏を見つけても、瑞樹は特に表情を変えなかった。
「―――悪い。1カット目が、ちょっと長引いた。…休憩時間、大丈夫か?」
「あ…ああ、うん。黒川さんには2時間貰ってるから」
「こっちは30分だ。早いとこ、話に入ろう」
瑞樹に促されて、スタジオ外の自販機コーナーへ向かった。
瑞樹の方が「何にする?」と訊いてきたが、今日は奏の方の用事で時間を作ってもらっているのだから、と、奏が飲み物を買うことにした。
「忙しそうだな、成田も」
自販機のボタンを押しながら奏が言うと、一足早く休憩コーナーの椅子に腰を下ろした瑞樹が、少し疲れたようにため息をついた。
「今日は特に、な。まあ、予定変更は俺の責任だから、仕方ない」
その“予定変更”の末に、今、昼日中から奏がこんな所まで押しかけている訳だ。
本来なら、奏は、今晩瑞樹や蕾夏と会う予定になっていた。が、昨晩、急に瑞樹から電話があって、突然の予定変更となったのだ。スケジュールの都合で、別の日の打ち合わせが今晩になったから、悪いが撮影現場まで来てくれないか―――当然、蕾夏はこの時間は仕事中なので、蕾夏抜きになってしまうが、奏に異論はなかった。
「なんで急に予定変更になったんだよ?」
「週末、ちょっと遠出する用事ができてな。日帰りも無理じゃねーけど、一応土・日を丸々空けることにしたんだ」
「ふぅん…」
ギリギリ日帰り、という距離―――となると、北海道とか九州が限界かな、などと考えながら、奏は、コーヒーの入ったカップを2つ持って席に着いた。
「ええと…蕾夏に頼まれた件は、蕾夏に電話した方がいいよな?」
「俺が聞いても仕方ないからな」
遠慮がちに確認する奏に、瑞樹は、当たり前だろ、という顔でそう言って、コーヒーを受け取った。
「―――で? 何だよ、相談って」
それぞれがコーヒーを一口飲んだところで、瑞樹が奏を促した。
カップを置いた奏は、小さく息をつくと、まだ迷いを残した目を、真っ直ぐに瑞樹に向けた。
「うん。実は―――これから先のことで、迷ってる」
「これから先?」
「“Clump Clan”が終わった後」
「…気が早いな。明日からやっと5月だぜ?」
「う…ん、まあ、確かにあと1ヶ月あるんだけど―――予想だにしない誘いが、立て続けにあったもんだから」
怪訝そうな顔をする瑞樹に、奏は、2週間ほど前にあったことを、一通り説明した。
代理店から誘いを受け、とりあえずポートフォリオだけは渡したこと。佐倉みなみから、自分が立ち上げる事務所と契約しないか、と誘われたこと―――とはいえ、佐倉との間にあったことは、さすがに口にはできなかったが。
「…佐倉さん、なぁ…」
一通りの説明を聞き終わると、瑞樹はそう言って眉をひそめ、コーヒーをくいっとあおった。
「成田は、苦手なんだよな。あの人」
「まあな。でも、味方につけるには、悪くない相手だと思う」
ほんとかよ、と疑いの目を奏が向けると、瑞樹は一度、軽く頷いた。
「異様に人脈豊富だし、ビジネス絡むと恐ろしいほど計算高いし、利用できるもんなら何でも利用するからな」
「……」
…確かに、味方につけるには心強い相手だが、敵対したり利用されたりする立場の人間にとっては、勘弁して欲しい人物なのではないだろうか。
―――そんなの相手に、弱みを見せまくったオレって…。
やっぱりロンドンに帰ろう、と思っても、帰してもらえないかもしれない。そんな風に思えて、奏の顔色が、だんだん悪くなっていく。
「それで? お前は、どうする気なんだ?」
奏の顔色の変化などお構いなしの瑞樹は、そう言って首を傾けた。奏も、とりえあず佐倉に弱みを握られた件は置いておくことにして、再び口を開いた。
「…結構、グラついてる。向こうに戻っても、思うように仕事はできそうにないし。けど…だからって日本に鞍替えするのは、“逃げ”になるんじゃないか、っていう、変なプライドもあるんだよな。妨害に屈したみたいで、悔しいっていうか」
「…なるほど」
「でも―――オレ、あと2年って決めてるから、モデルをやってくのは。来年の10月に、27の誕生日迎えて―――年越したら、そこですっぱり、辞めようと思ってる。それ考えると、古巣に対する意地なんかにかまけてる暇があったら、1つでも多くいい仕事した方がいいんじゃないか、って…そう、思う」
「―――なら、俺に相談するまでもなく、答えは決まってるな」
静かな目をしてそう問いかける瑞樹に、一瞬、言葉に詰まる。
「何を、迷ってる?」
「……」
瑞樹にだって、分かっているだろうに。奏が迷う、その理由は。それでもあえて言わせようというのか―――奏は、思わず眉根を寄せた。
「…あんた達は?」
「俺達が、何」
「成田と蕾夏は…オレが日本に居続けて、迷惑とか思わない?」
声が、掠れる。
どうやったって、覆ることのない事実―――2人にとって、自分は“蕾夏を傷つけた加害者”なのだということ。
2人と相対する時、奏と2人の間には、その事実がどうしても挟まってしまう。ただの“ロンドンの下宿先の息子”とか“時田の甥”とか、あるいは…ただの“蕾夏に片想いをし続けてるバカな奴”とか―――そういう存在には、どんなに望んでもなり得ない。2人が奏と顔を合わせれば、そこには必ず、“あのこと”が横たわっている。どんなに意識しないようにしようとしても、ピンと張り詰めた緊張の糸として、間違いなくそこにある。
今回の仕事が終わるまで、という期限付きのことだからこそ、緊張に耐えることもできる。
でも、この先ずっと、となったら―――拒絶されて、当然だと思う。
「…そりゃ、オレが日本に暮らしても、あんた達とは無関係に生きてくこと位、簡単にできるし、そうすべきだってことも分かってる。でも―――でもオレ、会おうと思えば会える距離にいて、それでも我慢して目を瞑って生きるなんて器用な真似、絶対できないタイプだから」
「……」
「だから―――…」
それ以上、言葉は、出てこなかった。
身勝手なわがままであることは、奏自身が、一番よく知っているから―――瑞樹に受け入れてもらえるだけの立派な言葉など、何も出てこない。
だから―――ロンドンを発つ前、千里が奏に告げた言葉だけが、奏の望みを支えている。
『あの2人の傍にいたいと思うのなら、自分を誤魔化したり、嘘をついたり、卑屈になって捻くれたりしては駄目。あんたが抱える後悔も、切望も、葛藤も、全部あの2人に曝け出しなさい。正直であれば、2人もきっと、受け入れてくれる。それが、どんな形になるかは、私にも分からないけれど―――きっと瑞樹が、その道を教えてくれる。彼は、人の弱さを、誰よりもよく理解してる人だから』
「…できることなら、日本に残って、仕事がしたい。でも―――あんた達が、オレが周囲をうろつくことで不愉快な思いをするんなら…ロンドンに、帰ろうと思う」
目を逸らしては、いけないと思った。奏は、瑞樹の目を真っ直ぐに見据えて、そう言いきった。
瑞樹も、目を逸らすことなく、奏の目を見据えていた。何を考えているのか分からない、静かな表情で。
暫し、そのままで沈黙が流れる。やがて―――瑞樹は、小さくためいきをつき、視線を落とした。
「―――その言葉、ほとんどそのままお前に返せるってことに、気づいてないんだな」
瑞樹が呟いた言葉に、奏の緊張気味の表情が、崩れた。
「……えっ?」
「お前の仕事のこと考えたら、俺達も、日本に残った方がいいって言うと思う」
そこで言葉を切った瑞樹は、再度、目を上げた。
「でも―――お前がこれ以上、苦しい思いするんなら、ロンドンに帰った方がいいと思う」
「……」
「顔を合わせた時、一番キツい思いして、一番緊張して、一番落ち着かない顔してんの、誰だか分かってんのか? …奏。お前だろ」
「―――…」
「そういうお前見てんのも、結構、辛いもんがある。…問題は、俺達の反応じゃない。お前自身を縛ってる“罪悪感”だ」
“罪悪感”―――…。
思わず、息を呑んだ。
確かに、驚くほどさり気なく接してくれた2人に比べて自分は、妙に緊張し、ぎこちない表情しか返せなかった。
撮影の時みたいな空間に、ずっと居たいと思った。2人の前で、自然体の自分を曝け出したい―――そしてそれを、2人に認めて欲しい、と。でも…それは、仕事の上でのこと―――個人に戻った自分には許されないことだと思った。
自分は罪を犯したのだから―――そう思って、楽しげに笑うことにも、冗談を言い合うことにさえも、罪悪感を覚えていた。つい楽しげにしてしまう、素に戻って感情的になってしまう自分に気づいては、何を調子に乗ってるんだ、と自らを戒めていた。そうすることが、自分のすべきことだと思ったから。
でも―――違っていたのかもしれない。
罪を忘れず、自らを戒めることは、確かに必要だ。けれど―――今までの自分は、ただ単に、2人からの拒絶を怖がって、必死に感情を殺して殻に閉じこもっていただけのことだったのかもしれない。
後悔も、切望も、葛藤も―――全てを曝け出す。
千里が言った意味が、やっと…本当の意味で、理解できた気がした。そして、思いのほかそれが難しいことであることを実感した。
この、押しつぶされそうな罪悪感がある限り。
たとえ2人が責めるような目をしていなくても―――自らがんじがらめに縛られている、この罪悪感がある限りは。
「―――まあ。お前だけじゃねーけど」
はぁ、と息をついた瑞樹は、ついでのように小さくそう付け加え、残りのコーヒーを飲み干した。その意味が分からず、奏は眉をひそめた。
「オレだけじゃない、って…何が?」
「…負い目に翻弄されてんのが、ってこと」
「? 負い目って…成田が負い目を負ってることなんて、あったか?」
誰に対しての負い目だか知らないが、少なくとも奏には覚えがなかった。が、瑞樹は、それには答えず、なんとも言えない曖昧な表情を奏に返した。
「な…なんだよ?」
「―――…いや。なんでもない」
そう言って薄い笑みを浮かべた瑞樹は、大きく息を吐き出して、手にしていた紙コップを握りつぶした。何の話しなのか気になりはしたが、その様子を見ていたら、とても確認する気にはなれなかった。
紙屑と化した紙コップをごみ箱に放り込んだ瑞樹は、改めて奏の方に向き直った。
「とにかく―――今すぐ結論出すこともねーんだから、ショーが終わるまで、じっくり考えればいい」
「…うん」
「悪いな。気の利いたアドバイスをするだけの余裕がなくて」
苦笑混じりに瑞樹が付け加えた一言に、奏は、少し目を丸くした。
「余裕がない、って―――なんか、あったのか?」
「ちょっと、な」
「…なんだよ。もしかして、オレのことで何か…」
「いや、お前は関係ない。ただ―――“Clump Clan”の仕事が終わるまでは、ちょっと、他のこと考える余裕、ねーんだよ」
「……」
―――オレが出てるから、って訳でもないんだよ…な?
じゃあ、何故―――何か引っかかるものを感じながらも、奏はそれ以上、瑞樹に詳しい事情を訊く気にはなれなかった。なんとなく…瑞樹の苦笑いが、それ以上の追及を拒んでいる気がして。
「…っと、そろそろ様子、見に行かねーと、まずいな」
時間を確認した瑞樹は、そう言って席を立った。奏も、あまり悠長にしていられる立場ではないので、つられるように席を立った。
「じゃあ―――オレも、ショーが終わるまでは、結論は保留にする。でも…もし、日本に残るって結論になったら―――あんた達は、それでもいい?」
「…お前が、よく考えた末の結論なら」
にっ、と笑って瑞樹が返した答えに、奏の表情もやっと緊張を解き、笑みを見せた。
「サンキュ。忙しいとこ、相談乗ってくれて助かった。…じゃあ、オレ、行くから」
そう言って、奏はその場を立ち去ろうとしたのだが。
「―――奏、」
空になった紙コップを捨てようとした奏を、ふいに、瑞樹が呼び止めた。
その呼び方が、なんだか、さっきまでの口調とは微妙に違う気がして―――奏は、少し眉をひそめ、振り返った。が、振り返った先にいる瑞樹の表情は、別段、普段と変わった様子はなかった。
「なに?」
「あ、いや―――蕾夏から、ちょっと聞いたけど…」
「え?」
「お前、今度のショーの音楽担当の奴と、仲がいいって?」
考えてもみなかった言葉に、奏はちょっと目を丸くして、瑞樹の方に向直った。
「ヒロのこと? ああ…うん。音楽の趣味が似てるんで、一緒にCD漁りに行ったり、ライブに行ったりしてるけど―――それが、なに?」
「いや…、ただ、打ち合わせで顔合わせた時、俺以上に無愛想な奴って初めて見たな、と思ったから。お前がなんで急に親しくなったのか、不思議に思っただけ」
「あー…、確かに無愛想だよな、一見。けど、話してみると結構気さくだよ。70年代から80年代のロックとかパンクの話になると、メチャクチャ熱く語り出すしさ。ただ、人見知りするのか、普段の喋り方はボソボソしてんだよな。顔立ちがシャープすぎるのもあって、損してると思うぜ、マジで」
「……」
「…なに、ヒロと、打ち合わせで何かあった?」
何か考え込む風な瑞樹の表情に、ちょっと不安になる。
けれど瑞樹は、僅かに口の端を上げ、首を軽く振った。
「―――いや。なんでもない」
「ほんとかよ?」
「ああ。…ま、俺や蕾夏のこと、ベラベラ喋んなよ。仕事相手にプライベートなこと握られんの、好きじゃねーから」
瑞樹はそう言って、コツン、と奏の頭を軽く小突いた。
***
留守番電話サービスに切り替わるギリギリで、電話が繋がった。
『はい』
「蕾夏? …オレ。奏」
こんな一言でも、実はかなりの緊張を強いられる。けれど、返ってきた蕾夏の声は、いつもどおりフワリと心地よいトーンだった。
『あ、お疲れ様ー。どう? 瑞樹に会えた?』
「ああ、うん。会えた。色々相談に乗ってもらったから、ちょっと気持ちの整理がついたし」
『私も行けたらよかったんだけど、ごめんね』
「そんなこと…」
―――だから、そういうこと言って、人を和ませるなってっ。
蕾夏に抱く感情は、いつも複雑だ。優しくされると嬉しくて幸せな気分になる―――けれど、その優しさに、つい図に乗って大事なことを忘れてしまいそうな自分に、毎回うんざりする。
「それより、取材の件だけど」
『うん。どうだった?』
「黒川さんから話して、なんとかOKとれた。トップレベルの取材はダメだけど、広報部の人が取材に応じてくれるって」
『ほんと!? ありがとー、奏君! すっごい助かっちゃった! それで、いつならいいって?』
「それが…時期が時期だけに、広報も色々忙しくて―――4日の午後しか空いてないらしいんだ」
『4日、って…今週の金曜日だよね。ちょっと待ってて』
電話の向こうの気配が、一旦、遠ざかった。
微かに「瀬谷さーん」という蕾夏の声が聞こえる。どうやら、取材の件を頼んだのは、その人物だったらしい。多分、スケジュールの確認をしているのだろう。
―――っつーかさ。今日にしろ4日にしろ、今ってゴールデンウィーク中だろ? 成田にしろ、蕾夏の会社にしろ、黒川さんにしろ…まるで平日みたいな仕事ぶりだよなぁ。
働くなぁ、日本人は―――休日完全無視の状況に、呆れつつ感心してしまう。
蕾夏は、都合1分近く経ってから、電話口に戻ってきた。
『お待たせ』
「どうだった?」
『うん、それが…取材予定の人、4日は他の取材がもう入っちゃってたの』
「…なあ。今日も4日も、巷じゃゴールデンウィークってやつだろ? どうなってんだよ、あんたの会社」
『あはは…、まあ、今日は振替休日だし、4日は国民の休日で昔は休みじゃなかったし。それより何より、締め切りが迫ってるのが一番いけないんだよね、きっと。累君も、締め切り前はお休み無視で会社に詰めてるでしょ?』
「まあ、いいけど。…それで、4日は?」
『うん。それで、ちょうど私は予定が空いてたから、私が取材することになった。当日、黒川さんか奏君に、広報さんへの橋渡しお願いしたいんだけど、いいかな』
それは、かえって好都合だったかもしれない。取材を受ける予定の“Clump
Clan”の広報担当は、ポスター撮影当日、蕾夏と一応顔を合わせているのだ。
「いいよ。ポスターの撮影にいた人だから、オレと蕾夏が知り合いなのも、知ってるし」
『良かった。じゃ、お願いします』
ホッとしたような蕾夏の声に、奏の顔も緩んだが。
―――だから、そういう、こっちがへらっと笑っちまうような声、出すなって。
緩んだ表情は、直後、また落ち込んだ表情に戻り、がくりとうな垂れた。
こういうアップダウンの激しさが、瑞樹にああいうセリフを言わせるのかもしれない―――密かにため息をついた奏は、瑞樹の顔を思い出した連想で、あのことも思い出した。
「…あ、そうだ。今日、成田に聞いたけど―――あんた達、ヒロと、何かあった?」
『ヒロ?』
「ほら。今度のショーで音響担当する奴」
『……』
一瞬―――電話の向こうの気配が、息を呑んだ気がした。
が、そのことに奏が違和感を覚えるより早く、答えが返ってきた。
『ああ…、別に、何もないよ? ただ、今度のスタッフの中で、音響さんだけ、奏君と親しいみたいだから』
「え?」
『つまり…この前の打ち合わせ、私も出たけどね。…実際のショーには、私、参加しないことになったから』
―――ショーに、参加しない…?
意外な話だった。思わず、携帯を握り直してしまう。
「ちょ…っ、えっ? だ、だって蕾夏、今度のショーの撮影でも、成田のアシスタントをやるって…」
『…うん。そのつもりだったんだけど―――打ち合わせの様子からすると、かなり現場に慣れてる人でないと、アシスタントはきついみたいで。瑞樹と相談した結果、どこかのスタジオで、改めてアシスタントさん探すことになったの』
「でも―――ああいう、待ったなしで撮影し続ける時って、カメラマンとアシスタントの呼吸が必要だろ?」
ああした撮影の場合、スタジオなどでの撮影と違い、フィルムが切れたからと言って、一旦流れを止めてフィルム交換、なんてことができない。カメラを2台用意して、フィルムが切れたら“カメラを”交換する場合が多い。
だからアシスタントは、フィルムが切れると同時に素早くカメラを渡し、受け取ったカメラからフィルムを抜き取って、新たなフィルムを装填する必要がある。この、カメラマンとアシスタントの呼吸が合っていないと、シャッターチャンスを逃してしまう。
この前のポスター撮影の時―――バスケットをさせられたり、ジャンプさせられたりした撮影の時に、瑞樹と蕾夏の撮影の様子を時々見ていたのだが、あの時の2人は、まさにそういう「カメラ2台方式」で撮影していた。アシスタント業を本職としていない蕾夏だが、奏が見た限り、瑞樹との呼吸は抜群だった。フィルム交換するその慣れた手つきに、正直びっくりしたほどだ。
「そりゃ、蕾夏は、アシスタント歴短いし、慣れてもいないだろうけど―――成田とのコンビネーションでは、どんな優秀なアシスタントより上なんじゃないか? ああいう現場だからこそ、蕾夏がやった方がいいように、オレは思うけど…」
『…うん、ありがと。でも、色々考えた結果だから』
どうにも納得がいかない奏だが、蕾夏の答えはキッパリしていた。
『そんな訳だから―――あの場にいた担当者さん達に、私の話はあまりして欲しくないの。打ち合わせにまで出ておいて、当日になったら違う人、じゃ、ね。特に、アシスタント本業じゃないとか分かると、瑞樹がいろいろ勘ぐられそうで…』
「…ふぅん…」
―――大丈夫かな。ヒロに、オレの知り合いだってことは、バレてんだけど…。
ヒロのことを疑うわけではないが、これ以上の情報リークは絶対にタブーだな、と、奏は少々冷や汗をかきながら肝に銘じた。
***
「あの女も、今度のショーで裏方やるんだろ」
「え?」
「お前が超虚しい片想いやってる、例の女」
スコアに目を落としていた奏は、その言葉に、耐え切れずむせてしまった。
ゲホゲホとむせながら、目を上げる。ギターの調弦に余念のないヒロは、そんな奏の様子を面白そうに見ていた。
「…なんだよ、急に」
「別に。ただ、惚れた女の前で、バカ正直な顔してる奏がどんな顔するのか、ちょっと興味があるだけ」
「…ほっとけっ」
―――どうせバカ正直な顔だよ。
不貞腐れたようにヒロを睨み、再び、スコアに目を落とす。が、おたまじゃくしの羅列を目で追っても、どんな曲やらさっぱり頭にイメージできない。
昨日、瑞樹に「べらべら喋るなよ」と釘を刺されただけに、瑞樹や蕾夏のことが話題に上るのは歓迎できることではない。なのにヒロは、まだその話題を引っ張った。
「わかんねーよなー…。なんでお前より、あいつの方がいいんだろ?」
「……」
「さっきのお前の態度見る限り、お前って女に優しいだろ」
「…冷たくは、ないと思うけど」
さっきの態度、とは、この小さな音楽スタジオに入る前のことだ。
今日は、ヒロが所属しているアマチュアバンドの練習を見せてもらうことになっているのだが、そのメンバーの彼女とやらが、2人ほど、スタジオ前に来ていた。見るからに一般人とは違う容貌である奏に、その2人は黄色い声をあげ、はしゃいだのだが、そんな2人に、奏は余裕の笑顔で対応したのだ。
「モデル業界は、やっぱ、圧倒的に女が多いからさ。女と上手くやってけないと、仕事現場のムードも悪くなるだろ。だから、女の扱いにいは、確かに慣れてると思う」
「やっぱりなぁ。俺が女なら、絶対奏の方選ぶぜ。顔いいし、性格も変に捻くれてないし、女に優しいし、金も結構稼ぐし」
ひたすらスコアを眺めるふりをする奏の顔を覗き込み、ヒロは、何故かちょっと真剣な目をした。
「そんなお前でも勝てないほど―――凄い奴なのか? あいつって」
「―――…」
これが、瑞樹や蕾夏のことでなかったら、きっと言っただろう―――“大した奴じゃない、あの女の見る目がないだけだ”。たとえ、そんな驕った考えが微塵もなくても、冗談めかして、そう言ったと思う。
けれど…何故か、そういう軽口は、出てこなかった。
妙な話だが―――あの2人を貶す気には、どうしてもなれない。蕾夏の相手が自分ではないことは確かに悔しいが、その相手が瑞樹なら…不思議と、納得がいく。苦しくても、痛くても…納得は、している。
「オレが敵わないのは、成田じゃない―――あの2人の“結びつき”そのものなんだ」
ヒロの目を見つめ、奏は、どことなく痛々しい笑みを返した。
「…敵わねーよ。恋人同士であるより前に、人間対人間の結びつきが強すぎて。ああいうのを、本物の“親友”って言うんだと、オレは思う」
「―――“親友”、ねぇ」
ヒロの眉が、皮肉っぽく片方だけ上がる。
ハッ、とつまらなそうに笑ったヒロは、屈めていた体を伸ばし、調弦の終わったギターの弦を弾いた。
「そんな単語使いながら、やることやってんだろ、そいつらも」
「……」
「虫唾が走るぜ、男と女で“親友”なんて」
興ざめしたようにヒロが吐き捨てたところに、ちょうど、スタジオの外に出ていたバンドメンバーが戻ってきた。
「おー、お待たせー。どうだよ、調子」
「まあまあ」
ベースを持った仲間に肩を叩かれ、ヒロの顔がまた、どこかふざけたような、脱力した笑顔に戻る。避けたかった話題がやっと終わり、奏はホッと胸を撫で下ろした。
―――しっかし…この年代になっても、まだアマチュアでバンドやってる連中って、本当にいるんだな。
腕慣らしと言って、それぞれにアンプにプラグを繋がないままで演奏を始めるヒロやその仲間を眺めつつ、奏はちょっと感心した。
ヒロの説明によると、このバンドは、ヒロが専門学校にいた時に結成されたらしい。同じ音響技術コースの学生同士で作ったバンドで、それぞれに仕事を持った今でも、月に1度は集まり、こうしたスタジオを借りて演奏をしているのだという。
「よっ。退屈してない?」
ぼんやりヒロを眺めている奏に、ドラムの男が声をかけてきた。まだ本格的な練習に入らないので、暇にしているらしい。奏はスコアを閉じ、彼に笑みを返した。
「退屈そうに見える?」
「んー、そういう訳じゃないけど、俺らの練習に第三者が見学に来るって、滅多にないからさ」
人のよさそうな顔をしたドラムの男は、そう言って奏の隣に腰を下ろした。
「大体、ヒロが人連れてくること自体、珍しいんだよな。あんた、ヒロに気に入られてるね」
「…そうかな」
男であれ女であれ、気に入られるのは、悪い気はしない。ちょっと照れたように奏が笑った時―――突然の大音響が、スタジオ内に響き渡った。
一瞬、何の音か分からず、ギョッとして顔を上げる。そして、ヒロのギターから伸びるプラグがアンプに刺さっているのを見て、今の音がエレキギターの音であることが分かった。
狭い部屋で聴くと騒音に近いな、と、ハウリングを起こしそうな耳を指で塞ぎかけた奏だったが―――大音響に続いて、ヒロが演奏しだした曲を耳にして、その手を止めた。
「―――…」
―――なんだっけ、この曲。
ヴァン・ヘイレンか、デッド・オア・アライブか…とにかく、ハードロックかヘヴィ・メタルのバンドの、名曲。
素人の耳にも相当難しい演奏だと分かるそのギターパートを、ヒロは鮮やかに演奏していた。その演奏は―――さして耳が肥えていない奏の耳には、プロ級の演奏にしか聴こえなかった。
「……すっげ…」
思わず、呟く。
その呟きを聞き逃さず、隣に座るドラムの男が、ちょっと嬉しそうに笑った。
「凄いだろ、ヒロのギターって」
「…あいつ、なんでプロにならないんだよ」
当然、その疑問が湧いた。これだけ弾ける奴ならば―――そして、こうしてバンドメンバーとして実際の演奏に参加するほどならば、プロを目指して当然のように思えるから。
「―――ヒロも、昔はプロになる夢、持ってたらしいよ」
ドラムの男の顔が、気まずそうな表情になる。その表情の変化に、奏は眉をひそめた。
「じゃあ、なんで…」
「うん…実はあいつ、凄い腕は持ってんだけど、その―――あの演奏が持つのって、1曲か2曲が限界なんだよな」
「…えっ」
「気づかなかった? ヒロの左腕」
彼が、自分の左の二の腕を、トントンと指差す。奏は、意味も分からないまま、ヒロに目を向けた。
ギターのネックを握る、ヒロの左腕―――その二の腕に、明らかに傷跡と分かる部分が、1ヶ所、あった。
「あの傷、上手い具合に完治しなかったらしくて―――長時間弾いてると、激痛がくるらしいんだよね。だから、俺らのバンド、ギターが2人いるんだ。ヒロは、いわばスペシャルゲスト扱い」
「…なんで、あんな怪我を?」
「俺らもよく知らないけどさ。むかーし、やられたらしいよ」
「誰に?」
「さあ? ヤクザとか、隣の中学の番長とか、オンナとか、言うたびにコロコロ変わるからなぁ。あんまり、あの傷の話には触れたくないみたいだから、俺らも問い詰めたりしないし」
「ふぅん…」
「ただ、1度だけ、言ってたな」
ドラムの男は、記憶を辿るように宙を見つめ、呟いた。
「この傷は、俺に刺さった“棘”だ、って」
「―――トゲ?」
「抜けずに、いつまでもチクチク痛む“棘”に喩えるんだから…あんまり、いい思い出じゃないのは、確かだよな」
「―――…」
“棘”―――…。
暗示的なその単語に、奏は黙り込み、またヒロに目を向けた。
奏も、持っている。抜いてしまいたいのに、抜けずに、いつまでも小さな疼きを訴える、鋭い“棘”を。その疼きに、奏は胸の辺りを押さえた。
ヒロにも、こんな風に、痛みを覚える過去があるのかもしれない―――そんな風に、奏は、思った。
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