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no009:
10000
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愛、総額1万円。

―98.02―

 メールを開いた瞬間、なんだこりゃ? と、瑞樹は思わず目をディスプレイに近づけた。
 いつもなら2、3行の文章だけのメール。なのに、何故か添付ファイルがついている。拡張子は「JPG」だ。
 不思議に思いつつも、アンチウィルスが反応しなかったし、一応プロであるライからのメールなので、信用してダブルクリックした。
 パッと画面に表示された写真を見て、瑞樹は、会社内であることも忘れて、吹き出してしまった。
 「…? 成田、どうかしたの?」
 隣の佳那子が不思議そうにこちらを見る。慌てて画像を閉じ、
 「いや、別に」
 と取り繕ったが、まだ佳那子はおかしな物でも見るような目で見ていた。

 ライからのメールのタイトルは「こんなの貰いました」。
 本文は、「今朝メールチェックしたら、mimiからこんな画像が来てました。ウケたので送ります」。
 添付されていた画像は―――ホワイトチョコで「raiさん I Love You !」とデカデカと書かれている、ハート型のチョコレートの写真だった。
 ―――ああ、そうか。今日は2月14日だったか。
 写真を見て、ようやく瑞樹はそれに気がついたのだった。

***

 「カズくーん、はい、これ」
 最近お気に入りの、高菜の入ったコンビニのおにぎりを頬張っていた和臣は、目の前に差し出された色とりどりの四角い箱を見て、キョトンとした目を、居並ぶ女性陣に向けた。
 全部で6人。コール・センターの子と経理の子、それに奈々美の後輩である営業補佐の女の子だ。
 「なに? これ」
 「やーだ。今日はバレンタイン・デーじゃないのぉ」
 「えっ、そうだった?」
 土曜出勤であることばかり頭にあって、そんなイベント事などすっかり頭から抜け落ちていた。
 「あっ、言っとくけど、私たち全員、義理チョコじゃないからね!」
 「そう! 神崎さんにだけ買ったんですからね!」
 「うん。オレ、甘いもの好きだから、すんごい嬉しい。ありがとう」
 ニコニコ笑いながら、和臣は6つとも受取った。でも、そこでふと不安になり、一言だけ言い添えた。
 「でも、オレには奈々美さんがいるから、気持ちには応えられないよ。いいの?」
 「もーぉ、やだあ! 神崎さんてば! そんなの、社内中の人間が知ってることじゃなーい!」
 経理の女の子がバン! と和臣の背中をはたく。あまりに勢いが良かったので、危うく高菜のおにぎりを落としてしまいそうになった。
 「そうそう。カズくんは社内のアイドルだから、誰のものにもなっちゃ駄目なのよ。だから6人揃って渡しに来たの。お返しなんて考えなくていいからね」
 「ふーん…なら、ありがたく貰っとくね」
 ほっとしたように最上級の笑顔を向けると、それだけで6人は満足そうな笑みを浮かべた。
 “誰のものにもなっちゃ駄目”ということは“奈々美さんのものにもなっちゃ駄目”という意味だ、ということに、和臣は気づいていない。
 和臣という人間は、とことんトクな性分に出来ているようだ。

***

 昼休み後、通りかかった瑞樹が、和臣の目の前に大きな紙袋をどっかと置いた。
 「…なに、これ」
 「怨念の塊」
 「はぁ!?」
 藁人形でも入ってるのかと思って恐る恐る覗き込んで見ると、ざっと20個程度のカラフルな箱が、無造作に入っていた。
 「…これ、もしかして、バレンタイン・チョコなんじゃないの?」
 「当たり」
 「どこでこんなに貰ってきたの」
 「午前中は事務所で、昼は下のファミレスで。店員から5個、会社の女が13個、見知らぬ人が1個だ」
 「……」
 見知らぬ人の1個が妙に気になるが、それについての瑞樹の説明はなかった。というより、数そのものに圧倒されて、和臣も説明を求める気すら失せたのだ。
 「食うなら全部やるよ」
 「オレだってもう10個近く貰ってるのに、食える訳ないだろ? 第一なんでお前が食わないんだよ。失礼だろ、それじゃ」
 「チョコレート嫌いなんだ」
 涼しい顔で瑞樹がそう言うと、和臣はがっくりと肩を落とした。
 「なら断れよ…」
 「断ったけど、押し付けられたんだ」
 「…お前ってホント、女運があるんだかないんだかわからないよなぁ」
 「で? 1個位引き取る? いらねーなら、全部売るよ」
 「は!?」
 売る!?
 「…いらない。さすがのオレも、自分の分だけで手一杯」
 「ふーん。じゃ、女子社員一同の義理チョコだけ譲る。どのみち食わねぇし、売れないから」
 見覚えのある白い包み紙の箱が、ぽいっと机の上に投げ出された。確かにそれは、女子社員一同という形で男性社員全員に配られたものだった。
 そのまま瑞樹はすたすたと自分の席に戻ってしまったが、和臣の頭の中にはクエッションマークがどっかりと居座っていた。
 ―――売るって…一体、誰に?

***

 夕方に、雑用で瑞樹の所にメモを届けに行くと、足元の紙袋の中身は更に増殖していた。
 「…なあ、一体何個あるんだ、これ」
 「まだ30はいってない」
 ディスプレイから目を離さずに、さらりとそう言ってのける瑞樹の横顔を眺める。女を寄せ付けるフェロモンでも持ってるんだろうか。男の和臣には、さっぱりわからない。
 「あ、成田っ!」
 突如、滅多にシステム部に足を踏み入れない営業マンが顔を出した。
 和臣の知る限り、この人物が瑞樹と話をするところなんて、これまでに一度も見た記憶がない。なのに、話しかけてきた彼の顔は、ニコニコの笑顔だ。
 驚いて思わず道を明け渡すと、営業マンは身を屈めて小声になった。
 「どう、調子は。今年も分けてもらえるかなあ」
 「どうぞ。そこにあるから、適当に選んで持ってって。代金はそっち」
 瑞樹は、やはりディスプレイから目を離さず、紙袋を指さし、続いて机の上を指さした。机の上にのっていたのは、10枚組のフロッピーディスクについてくる、透明なフロッピーケースだった。
 「ええと、じゃあ2つもらってくよ。見映えがいいの選んだから、千円奮発しよう」
 営業マンはそう言って、確かに見映えが良さそうなチョコ2つを袋から抜き取り、フロッピーケースに千円札1枚をねじ込んだ。
 「今年は2つでいいんですか? 去年ごっそり買いこんでいったのに」
 「あはははは、去年はねぇ、ちとやりすぎたな。かみさんがかえって嫉妬しちゃって、浮気してるんじゃないかとか疑われて厄介だったんだ」
 「だから止めたのに…」
 「ゼロだとバカにされるしねぇ。娘も幼稚園でバレンタイン・デーなんて覚えてきちゃってるし。…じゃ、もらってくよ」
 そう言って彼は、チョコを上着のポケットに仕舞いこんで去っていった。その後姿を見送りつつ、和臣はポカンとしていた。
 「―――売る、って、このことかよ!」
 「そう。需要と供給、結構いいバランス取れてるんだぜ」
 「守銭奴…」
 「俺は売る気なんてなかったんだ。手持ちのチョコが寂しい連中が“いらないなら買う”って言うから売ってるだけだ」
 つまり、実家から通っている独身男性や、既に家庭を持ってる男性社員が、家族に自慢するために購入している、ということのようだ。まぁ…わからないではないが、金を払ってまで欲しいものか? と和臣は首を傾げるしかない。
 まさかそんな恒例行事があったとは知らなかった。前からちょっと変わった会社だとは思っていたが―――和臣はにわかに頭が痛くなってきた。
 「気の毒だなぁ、女の子たち。せっかくのチョコ、売られる為に成田に渡したってことか」
 「バラしてもらってもいいんだけどな、俺は。男共が結託して秘密を守っちまうもんだから、性懲りもなく持ってきちまうんだよ」
 「…成田。いつか絶対誰かに殺されるぞ」
 本気で不安になって、和臣は少し青い顔で瑞樹をたしなめた。
 が、瑞樹はちょっとだけ和臣の方を見て、ふっと口元に笑いを浮かべて言い放った。
 「いいよ。別に長生きするつもりないし。どうせなら劇的に死にたい」
 ―――こういうところが、女を()きつけてるのかもしれない、と、和臣は少し思った。

***

 需給バランスがとれている、と瑞樹が言ったとおり、1日が終わる頃には、あれだけ沢山あったチョコレートが、残り2、3個という状態になった。
 驚いたことに、買い上げていった中には、女子社員もいた。「彼氏に買い忘れた」と言って買いに来たのだ。呆然と見守る和臣に「ナイショにしてねっ」とウィンクしていったが、渡されたチョコが実は他の男が貰ったものだと知ったら、彼氏はどう言うだろう?
 中には、返品されたチョコもあった。事前に開けてみたら、チョコに瑞樹の名前が入れられていたのだという。メッセージカード入りならカードだけ抜き取れば問題ないが、チョコに入れられた名前はなんともしようがない。
 「…買うんなら、デパートにいくらでも売ってるのに、なんで成田から買うんだろう」
 「割安なのと、男が2月14日に堂々とチョコレート買う訳にもいかない、ってのが理由らしいぜ」
 確かに、明らかにバレンタイン・デー仕様な売り場に男が行くのは、かなり気がひける。女子社員は―――多分、定時後に買いに行くだけの時間がないのだろう。
 全く―――需要と供給、うまく回っているものだ。
 「どう? 成田。今年の売上」
 客先に出ていた佳那子が戻ってきて、まだ呆然としている和臣に苦笑しながらも、そう瑞樹に声をかけた。
 「えーと…1万円か」
 「へぇ。去年より若干少なめ?」
 「名前入りチョコが敗因だな。カズ、食う?」
 「人の名前入ったチョコなんていらねーよっ!」
 「…だよな。しゃあない。3個持って帰るか。ゴミ箱行きだろうけど」
 その言葉に、和臣はがっくりとうなだれた。
 ―――この男にかかると、20数名分の愛は、1万円の価値しかないんだな。
 1万円で新作ビデオを2本買うと豪語している瑞樹を、和臣は横目で睨んだ。

***

 ―――しかし、あの名前入りチョコ、不気味だよなぁ。
 アパートの一室でメールチェックをしつつ、瑞樹は、台所のゴミ箱から半ばはみ出しているチョコの箱をチラリと見た。
 ―――確かあれ、ファミレスでいきなり「食べてください!」って押し付けて去っていった見知らぬ女のチョコだよな。なんで名前まで入ってるんだよ。“見知らぬ女”なのに。

 いつもより長めにかかっていたメールチェックがようやく終わり、メーラーが受信終了の音を鳴らした。見ると、プライベート用で使っているメールアドレス宛に、1通メールが届いていた。
 誰からだ? と思い開いてみると、それはライからだった。今朝のメール同様、何かのファイルが添付されている。拡張子は「MP3」―――音楽ファイルらしい。

 『to HAL : Happy Valentine!』

 というメッセージに、添付ファイルを開いてみた。
 途端、飾り気のないワンルームの中に、マイルス・デイビスが奏でるトランペットの音が流れる。覚えのあるその旋律に、瑞樹の表情が和らいだ。
 添付されていたファイルは、往年のジャズの名曲、「マイ・ファニー・バレンタイン」の音楽ファイルだった。


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