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no018:
万有引力
-odai:24-

 

引キ合ウノガ、自然ノ法則。

―98.05―

 ―――なんで、目が惹かれたんだろう?
 不思議に思いながらも、瑞樹はその人物を、かれこれ5分近く眺めていた。

 瑞樹から4、5メートル離れた所に、瑞樹同様壁に寄りかかっている人物―――それは、年齢は定かではないが、高校生か大学生位に見える女の子だった。
 真っ黒で真っ直ぐな、長い髪。横顔なので詳しい顔の造作ははっきりしないが、伏せ気味の目元と、ナチュラルベージュに彩られた口元は見てとれた。髪の色のせいか、やたらと肌が白く見える。フォークロア調のシャツに細身のGパンという服装は別に特異でもなんでもないが、髪と肌のコントラストのせいか、やたらと瑞樹の目を惹いた。
 いい被写体だ、と直感的に思った。
 特別に美人でも可愛い訳でもないのに、何故か瑞樹にはそう思えた。それはもしかしたら、彼女が持つガラス細工のような繊細なムードのせいかもしれない。新宿東口の雑踏の中に居ながら、彼女の周囲だけは何故か深閑とした空気に包まれているように感じられる。深い森などをバックにして彼女を立たせたら、幻想的な写真に仕上がりそうだよな―――などと、具体的な絵まで浮かんできた。

 それまでじっとしていた彼女が、その長い髪を掻き上げた。急に動き出した映像に、瑞樹は我に返った。
 あまりジロジロ見ていると怪しまれるよな、と考えた瑞樹は、そのまま雑踏に視線を移した。


***


 "mimi"を迎えてのオフ会は、5月2日の土曜日と決まったが、問題が1つあった。
 全員、お互いの顔を知らない。なのに、どうやって集合するのか。

 『(猫柳)ボクがおるからだいじょーぶやで』

 と"猫柳"が豪語した。彼は関東の人間ではないが、東京に友人が多くいるとかで、このゴールデンウィーク中も、東京の友人宅に遊びに来るらしい。そのため、ついでだからボクも参加しますわ、と遠征を申し出たのだ。
 "猫柳"が何故そこまで言い切るのか―――幹事役を買って出た彼からのメールによると、こういう事だった。

 『集合場所:JR新宿駅東口 猫柳前 午後6時半
    猫柳は、男なのに肩まで髪があります。後ろで1つに縛ってます。髪の色は銀髪です。
    レイ・バンのサングラスを愛用しています。当日は赤いアロハを着ていく予定です。
    身長1メートル89センチ。体重63キロ。ひょろひょろしています』

 確かに、目立つ風貌ではある。もっとも、見つけたら見つけたで、声をかけるのがためらわれる風貌のような気もするが。
 瑞樹が新宿東口に着いた時、時計はまだ6時10分を指していた。
 適当に写真でも撮って待つか、と早めに来たが、休日の新宿東口は、見てると頭痛がしてきそうなほどに、どこまでいっても人、人、人―――人間の頭だけがひたすら(うごめ)いている。何も撮る気が起こらなくて、瑞樹は仕方なく、駅の外壁にもたれかかった。
 瑞樹同様、人待ち顔で壁にもたれている“彼女”に気づいたのも、そんな時だった。


***


 雑踏も見飽きてしまった瑞樹は、コンクリートの地面の上でスナック菓子をついばんでいる鳩を眺めた。が、それにもすぐ飽きてしまい、気づくとまた、例の彼女に目を向けていた。
 彼女は、どこか上の方を見ているようだった。何故か、少しうっとりしたような表情で、斜め上を眺めている。
 何を見てるんだろう、と思って、彼女の視線を追った。
 そこには何の変哲もないビルが建っていた。彼女が見ているのは、かなり上の方の窓らしい。そのまま視線を追った瑞樹は、目に入った光景に、思わず見惚(みと)れた。
 ビルの窓ガラスが、夕陽を映して、オレンジ色に染まっている。と言っても、強い光を反射している訳ではなく、ビルとビルの間から微かに射し込んだ落日の光が、かろうじて届いた程度だ。でもそれは、ビルだらけの東口で、奇跡的に見つけた夕陽だった。
 頭で考える前に、瑞樹はデイパックからカメラを取り出し、素早く構えてピントを合わせていた。
 シャッターを切った瞬間、微かなシャッター音が響く。と、驚いたように、彼女が瑞樹の方を見た。

 「え―――…っ」
 「え?」

 彼女の驚いたような小さな声に、瑞樹もカメラを下ろして、彼女の方を見た。
 黒曜石のような瞳が、驚いたように瑞樹の顔を見つめている。全く見覚えのない顔だが、今の短い声には聞き覚えがあった。

 「…ライ?」
 「ハル?」

 その瞬間に、これまで想像したこともなかった「藤井蕾夏」の顔が、今目の前にいる彼女の顔とピタリと一致した。

***

 オフ会は、かなり異様なムードに包まれていた。
 参加したのは全部で9人。蕾夏と"mimi"以外は、全員男である。
 "mimi"は、やっぱり"rai"を男だと思い込んでいたようで、"猫柳"前で蕾夏と会った時、かなりのショックを受けていた。泣いたりはしなかったが、その代わり、極度に不機嫌になった。
 お目当ての"rai"が男じゃなかったのも原因の一つだが、男どもの多くがその"rai"、つまり蕾夏にばかり話しかけることの方が、不機嫌の大きな原因だろう。ムッツリとした顔のまま、無言でから揚げやピザを次々に頬張っている。まるでヤケ食いだ。
 蕾夏は、電話とは別人のように大人しい。周囲を男どもに取り囲まれて居心地が悪そうだ。やはり"mimi"の事が気になるのか、いろいろ話しかけてくる連中に適当に相槌をうちながら、時々"mimi"の方を心配そうに見る。そして、"mimi"が彼女と目を合わせることすらしないのを見て、ため息をつきながらウーロン茶をコクンと飲み込むのだった。
 蕾夏は、女、というよりは女の子と言った方がいい感じで、手足も直線的で、未発達な印象を受ける。瑞樹から見ても、とても1つ下なだけとは思えない。下手すると高校生でも通用しそうな雰囲気だ。まだ"mimi"の方が体格などは年相応かもしれない。結婚式帰りだからか、まるで舞台衣装のようなとんでもなくフリルの入った少女趣味なワンピースを着ているが、スーツでも着ればそれなりに見えるだろう。キューピーのような顔も、結構愛嬌がある。
 ―――なのに、なんでこっちにばっかり群がるかな。
 一人暮らし? とか彼氏いるの? などと愛想笑いを浮かべて質問攻めしている男たちを眺めつつ、内心疑問に思う。自分同様、やたら「女」な女は苦手な人間ばかりが偶然集まってしまったのだろうか。謎だ。

 「もーっ、キミら、あかんで! そっちの食いもんばっか、どんどん減ってっとるやないか!」
 見かねた幹事の"猫柳"が、テーブルの片側に比重が行ってしまってる男性陣にクレームをつける。実際、蕾夏の周りの皿ばかりが空になっていた。
 さすがにその言葉を無視できるほど鈍い人間はいなかったらしく、今度はテーブルの反対側に比重が移動する。瑞樹の隣で、蕾夏が一気に脱力するのがわかった。
 別に話題に参加するでもなく、"猫柳"や"江戸川"の質問に"mimi"がぽつぽつ答えるのを眺めていると、瑞樹のシャツの裾がくいくいと引っ張られた。振り返ると、蕾夏がゼスチャーで「ちょっと外出ない?」と告げた。
 席を立つ際、一瞬"mimi"がこちらを見た気がしたが、気づかなかったことにして、瑞樹は蕾夏と一緒に店の外に出た。

***

 店内が暑かったせいか、店の外に一歩出ると、適度に冷えた外気が肌に当たって心地良かった。
 「大丈夫か?」
 「…もう、いっぱいっぱい。ミミの顔見る度に帰りたくなっちゃう。私はミミにちゃんと謝りたいのに、あいつら全然解放してくんないし」
 げんなりした表情で、蕾夏は店の入口横の壁にもたれかかった。
 「モテてたなぁ、お前。こんなにモテるの、オフ会位だろうから、十分堪能しとけば?」
 「堪能できないよっ。あんな下心ミエミエな目に取り囲まれたのなんて初めてだもん。ハルもちょっとは助けてよ」
 「んなこと言ってもなぁ…下手なことすると、俺の方があいつらの恨み買いそうだし」
 「あーもう…ねぇ、二次会、放棄しちゃダメかなぁ?」
 助けを求めるような目が、瑞樹を見上げてくる。
 「ミミに謝んなくていいのかよ。この分だと一次会はチャンスないぞ?」
 「うー…、会ってみて再認識しちゃったもんなぁ…。私、やっぱりミミって苦手だ。どーしよう…」
 「一発殴られる覚悟で来たんだろ? もうちょいだから、我慢しようぜ」
 瑞樹は苦笑しながら、慰めるように蕾夏の頭をぽんぽん、と叩いた。

 とその時、いきなりドアが勢い良く開き、"mimi"が飛び出してきた。そして、瑞樹と蕾夏がすぐそばにいるのを認め、慌てたような表情をした。
 「どうしたの? 気分でも悪くなった?」
 蕾夏が、心配そうな顔で訊ねる。瑞樹は、誤解を与えそうなシーンであることに気づき、さりげなく手を蕾夏の頭から離した。
 「いっ、いえ…あの…2人が出て行ったから、どうしたんだろう、って思って」
 "mimi"の方は、まだ動揺してるような顔で、気まずそうに蕾夏のつま先あたりに視線を落としている。一体どうしたんだろう? 瑞樹と蕾夏は、顔を見合わせた。
 だが、なんにせよ、これはチャンスだ。瑞樹が蕾夏に「ほら、行け」という視線を送ると、彼女は意を決したように頷き、拳を1回ぎゅっと握った。
 「―――ああ、心配かけてごめんね。ちょっと暑かったから、外の空気吸いに出ただけだから。ミミは大丈夫なの?」
 「えっ…あ、うん、大丈夫」
 「そう。あの、ミミ―――ごめんね、チャット中に、女だって言わなくて」
 "mimi"の表情が、僅かに硬くなる。
 「…そんなの、さっきも謝ってもらったし、考えてみればあたしが勝手に勘違いしてただけだし…」
 「許してくれるんなら、もうちょっと笑って欲しいんだけどなぁ…」
 苦笑した蕾夏は、少し身を屈めて、俯いてしまっている"mimi"の顔を覗き込んだ。
 「ねぇ―――駄目、かな?」
 ―――うわ、これは、凄い。
 初対面の時、瑞樹も思ったが、蕾夏の深い漆黒色の瞳は、心にやましい部分のある人間にとっては相当曲者(くせもの)だ。その目で真っ直ぐに見つめられると、まるで本心を見透かされるような気がして、結構ドギマギしてしまうのだ。
 少し眉を寄せた蕾夏の真摯(しんし)な表情は、今やどうでもいいようなことでグチグチと拗ねまくっていた"mimi"を動揺させるのに、十分すぎる効果があった。案の定、"mimi"の顔が、首まで真っ赤に染まる。
 「そっ、そんなことっ、ないですっ! そ、そりゃ、女の人でちょっとがっかりしちゃったけど、ライさん、素敵ですから、お友達になれるんなら嬉しいですっ!」
 「ほんと? 良かったー。じゃ、仲直りね」
 そう言って蕾夏がニコッと笑うと、"mimi"もつられるようにニッコリ笑った。
 ―――さっきまで「帰りたい」って死にそうな顔してた癖に。本気出すと凄いなぁ、こいつ…。
 苦手な人間相手にこれほどフレンドリーな態度をとるなんて、瑞樹には死んでもできない芸当だ。蕾夏の本音を知ってるだけに、その役者ぶりに恐れ入る。
 心底感心しながら、ニコニコと笑いあう蕾夏と"mimi"を眺めていたら、いきなり"mimi"の視線が瑞樹の方を向いた。
 「ところでハルさんって、ライさんの何なんですか?」
 「は?」
 「こんなとこに2人で出てくるなんて、そーゆー関係ですか?」
 ―――こんなとこ、って…そーゆー関係って…なんで?
 唐突なことを言われ、瑞樹も蕾夏も思考がついてこない。
 「いや…別に、“そーゆー関係”では…」
 「なんだー、そうですか! 良かったぁ。あたし、今日猫柳前でみんなと顔合わせた時、ハルさんのこと"rai"さんだと思ったんですよ」
 「は!?」
 瑞樹と蕾夏の叫び声がシンクロした。
 「ライさんが女でも、ハルさんが好みのタイプでラッキー! こういうの、結果オーライって言うんですよね」
 ―――言わねぇよ。
 嫌な予感に寒気を覚えながら、瑞樹は心の中で突っ込みをいれた。
 「とにかく、今日からはハルさん狙いで頑張りますねっ」
 そう言うと、"mimi"は瑞樹の腕にスルリと腕を絡め、ぐいぐいと店内に引っ張っていった。こんなに小柄なのに、何故身長180センチの瑞樹をズルズル引っ張って行く事ができるのだろう? 化け物でも見るような目で、瑞樹は"mimi"を凝視した。
 「ハルさんって、おうちどこなんですかぁ〜? 遠距離恋愛ってのも素敵ですよね〜」
 パニック状態の瑞樹を無視して、"mimi"はご機嫌である。
 ―――やめろ、馴れ馴れしく触るな、第一店の中には他に男が大量に待ってるじゃねーか、この格好で引っぱってくのはやめてくれ。
 そう言いたかったが、あまりの事態の急展開に、声が出てこない。
 助けてくれ、という表情で蕾夏の方を見たが、蕾夏の顔はどう見ても、大笑いしそうなのをかろうじて抑えている表情だった。
 『がんばってね』
 声には出さず、唇の動きだけでそう瑞樹に言う。
 恨めしそうな顔で睨んでる瑞樹の唇が「覚えてやがれ」と動くのを見て、とうとう蕾夏は声をあげて笑ってしまった。


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