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no022:
ミルクティー
―Memories / Nanami Side―
-odai:66-

 

醒メテシマウ夢ナラ、見ナイ方ガイイ。

 佳那子は私を「成就しない恋が好きな女」と称した。
 私の初恋の相手は、姉のボーイフレンドだった人。次に好きになった人も、その次に好きになった人も―――静岡にいる間、私が恋した人は、全員「姉のもの」だった人。
 実家から離れ、姉から離れても、私は同じ事を繰り返していた。「他人のもの」でないと―――恋人のいる人、奥さんのいる人でないと、心が動かない。
 私は「成就する恋愛」を知らない。私の恋は「諦めること」で終結してきたから。
 つまり私は、恋に恋しているタイプ―――ひっそりと誰かを思っているシチュエイションが好きで、本当の意味での恋には消極的なのかもしれない。

***

 5階オフィスの中央に並んだ新人たち。右から順に自己紹介をしていって、トリを務めたのが、彼だった。
 「神崎和臣です。何故かシステム部に配属になりました。右も左もさっぱりわかりませんが、よろしくお願いします」
 ―――そうか。この子が理由ね。4階の女の子たちが、今朝やたらと廊下にウヨウヨしてたのは。
 顔を上げた彼を見て、私は息を呑むのと同時に、深く納得した。
 柔らかそうな、明るいブラウンの髪。色素の薄い目。美少年がそのまま成人してしまったような、どこかあどけなさを残した顔だち。背も高くて、一見ハーフかと思ってしまう。
 「…なんだか、とんでもない美形が入ってきちゃったわね」
 同じ部の所属になる佳那子が、少々うんざりした顔でそう呟く。佳那子の気持ちは、ちょっとわかる気がした。
 「佳那子のとこ、成田君もいるもんね」
 「そうよ。また4階の連中が仕事の邪魔しに来る確率が高くなるわ。勘弁してよ」
 成田君は佳那子の1つ下の後輩で、やたらと女の子にモテる。神崎君のような美形ではないし、私にはどの辺が魅力なのかよくわからないけど、女の子たちに言わせると「ミステリアスでゾクゾクする」んだそうだ。睨まれて、怖くてゾクゾクすることはあるけど、彼女たちの目には怖く映らないのかしら。
 「でも神崎君って、5月には久保田君が引き抜いて行くんでしょ? 企画に」
 「…の、予定。新人研修で目をつけといたんだって」
 たった3日間の新人研修で、新人たちの素質をある程度見極められちゃうんだから、久保田君は凄いと思う。ああいうところは、年齢不相応よね、久保田君て。
 「ま、新人教育は成田に任せてあるから、私は静かに仕事に没頭させてもらうわ」
 「あのっ」
 突如、聞き慣れない声が頭上から降ってきて、私と佳那子はびっくりして顔を上げた。
 声の主は、話題の主・神崎君だった。視線ははっきりと、私の方を向いている。ドギマギしつつも、一応笑顔を作ってみせた。
 「な、なぁに? 神崎君」
 「これ、お近づきのしるしに、どうぞ!」
 「え?」
 彼が差し出したものを、思わず素直に受け取る。
 それは、缶入りの“午後の紅茶ロイヤルミルクティー”だった。
 「…?」
 「オレが一番好きな紅茶なんです。良かったら、飲んで下さい」
 ―――どういう意味?
 訳がわからず、彼の顔を不審気に見てしまう。
 でも神崎君はそれ以上何も言わず、にっこりと極上の笑顔を見せただけで、そのままシステム部へと引き上げてしまった。
 「…なに、これ。どういうこと?」
 ほんのり手のぬくもりの残る缶を握ったまま、説明を求めるように佳那子の方を見た。でも、佳那子にも意味はわからないようで、
 「なんなのかしら…ちょっと変わった子ね」
 と、神崎君の背中を見送りながら呟いていた。

***

 神崎君は、外見だけ見るなら、はっきり言って「非日常」そのものだ。
 私たちとは接点のない世界の人―――たとえて言うなら、芸能人。会社中の大半の女の子が彼の登場で浮き足立ったけど、全員ぐるりと取り巻いてただ見てるだけ。彼は、入社2日目にして、会社のアイドルとして定着してしまった。
 でも―――正直、中身は、ちょっと変わっていた。
 「奈々美さーん!」
 出勤途中の路上で、背後から大声で名前を呼ばれて、私は心臓が止まりそうになる。
 振り向けば、神崎君が満面の笑顔でこちらに走ってくるところ。周囲の視線が痛い。思わず顔を赤らめてしまった。
 「奈々美さん、おはよう!」
 「お、おはよ…」
 キラキラ光る、女の子なら誰だってイチコロな、うっとりするような笑顔。私だって女の子だから、ただの朝の挨拶だけで、もうクラクラきてしまう。
 「はい、これ」
 そう言って差し出すのは、やっぱり“午後の紅茶ロイヤルミルクティー”だった。
 「あ…ありがとう。でも、神崎君…」
 「おいしいよね、午後ティーのロイヤルミルクティーって」
 にこにことそう言われると、何故くれるの? とは、どうも訊き難い。
 「―――そ、うね」
 「奈々美さん、紅茶って好き?」
 「え? あ、うん。好きよ。昔からコーヒーより紅茶派だし、紅茶ならミルクティー派なの」
 「そうなんだ。オレと一緒だねー」
 …だからって、なんでそんなに嬉しそうに笑うの?
 「久保田さんも成田さんも佐々木さんもコーヒー党みたい。紅茶党の人が見つかって嬉しいな」
 …だから、どうしてそこまで嬉しそうな顔をするの?
 神崎君が何を考えてるのか、全然わからない。なんだか妙に嬉しそうだってことはわかるんだけど、私と嗜好が同じだったことが、どうしてそこまで嬉しいんだろう?
 第一。この午後ティーは、一体なんなの?
 「奈々美さん」
 「はい?」
 名前を呼ばれて、つい条件反射みたいに返事をしたら、神崎君は、まるでさっきの話の続きみたいに、サラリとこう言った。
 「オレ、奈々美さんが好きです」
 これまでで一番の、笑顔。
 これまでで一番、頭の中が真っ白になった。

***

 「は!? それってもしかして、告白!?」
 「…なのかどうか、イマイチ自信がない…」
 小さくそう答えたら、佳那子がますます眉を上げた。昼食のサンドイッチがパタンと倒れたけど、それにも気づいてない様子。
 「自信がない、も何も、“好き”って言われたんでしょ?」
 「そうなんだけど…なんかそれって、午後ティーが好き、とか、鳩サブレが好き、とかいうのと同じ“好き”なんじゃないかという気もするし」
 「何故そこで鳩サブレが出てくるのよ」
 「今日、神崎君が食べてたから」
 佳那子、同じ部なのに気づかなかったのかしら。ちょっと不思議。
 ところが佳那子は、ふふん、と意味深な笑いを浮かべて、優雅に足を組みなおしたりした。私がやってもサマにならないけど、佳那子がやるとハリウッド女優みたい。
 「なんだ。ナナったら結構、神崎のこと見てるんじゃない」
 「…だって、なんで午後ティー手渡してくるのか、さっぱりわからないんだもの」
 「ナナが好きだからなんじゃないの? あ、鳩サブレが好き、っていうのとは違う、“好き”、よ?」
 ―――神崎君が、私を、好き?
 だって、初めて顔合わせてから、まだ4日じゃない。しかも、会話をするのも、午後ティー渡す時だけじゃない。たったそれだけのことで、人を好きになったりするもんなの?
 第一、なんで私? 佳那子ならまだわかる。でも、よりによって私だなんて。絶対ありえない。
 「―――やっぱり、神崎君の言う“好き”は、鳩サブレ並の意味だと思うわ」
 私はそう結論づけて、サンドイッチを頬ばった。

***

 それからも、神崎君は朝一番に、必ず“午後の紅茶ロイヤルミルクティー”を手渡しに来た。
 その僅かなひととき、短い言葉を交わす。会社には慣れた? とか、システム部の人とは仲良くやってる? とか―――気づけば、私から話題をふってる回数が、だんだん増えてきている。最初の何日かは、一方的に神崎君が質問したり喋ったりするばかりだったのに。
 神崎君が入社して1週間後には恒例の花見大会があって、新人である神崎君は場所取りで四苦八苦していた。翌日の午後ティーの時の会話で、「社会人って、ああいう苦労もあるんだねぇ」と、妙に感慨深げに言っていた。大変そうだけど、仕事にしろ場所取りにしろ、彼は1つ1つの事を新鮮に感じて、いちいち感動している様子だった。
 若いんだね、と、思う。
 私も3年前は、ああだったのかしら…。あまり何事にも感激しなかったような記憶がある。私、見た目と違って、中身はドライだから。
 いいなぁ、神崎君。いろんな事を“楽しい”って思えて…。

 「木下さん」
 「…えっ」
 ぼーっと考え事をしていたら、肩をトントン、と叩かれた。振り向いたら、そこに成田君が立っていた。
 「コピー、とりたいんだけど」
 「え…あっ! ごめんなさいっ!」
 コピー機に肘ついて考え事をしてたんだった。慌てて成田君に場所を譲った。実はコピーなんてしてなかったから、私は手ぶら状態。変な奴、って顔で成田君に一瞥されて、赤面しそうになった。
 …あ。そうだ。成田君て神崎君と同じ部よね、今。
 「成田君。神崎君、うまくやってる?」
 「ん? まぁな」
 …4文字で終わり。ほんとに言葉の少ない人だなぁ、この人。
 もうちょっと何か訊きたい気がするんだけど、実際、何を知りたいのか、自分でもよくわからなかった。中途半端な気持ちのまま、淡々とコピーを取る成田君の背中を眺める。
 と、私の視線を感じたのか、成田君が振り返った。
 「何か用?」
 「えっ…あ、ううん、別に」
 「なら、早く席戻れよ。神崎が心配するから」
 「神崎君が?」
 何故ここで神崎君が出てくるかわからず、私はついそう訊き返してしまった。すると、成田君は呆れたような顔をした。
 「神崎に言われたんだろ? “好き”って」
 「…言われた…けど」
 「―――もしかして、なんであいつが毎朝午後ティー持ってくるのか、全然わかってない?」
 「…ごめんなさい、全然わかってないわ」
 成田君は、少し困ったように天井を仰ぎ、それから、軽くため息をついた。
 「今も、俺がコピー取りに行くの、あいつもの凄く嫌がったんだぜ?」
 「どうして?」
 「嫌だったんだろ。俺と木下さんが2人きりになるのが」
 「―――…」
 「わかった?」
 「う、うん…」
 「じゃ、早く席戻れよ」
 呆けてしまったような私の様子に苦笑しながら、成田君はまた作業に戻ってしまった。私は、どこか気持ちが浮ついた状態のまま、席に戻るしかなかった。

***

 ―――何で?
 ううん、意味はわかった。神崎君の“好き”は、恋愛の意味での“好き”だってことは。
 でも…何故「私」なの?
 世の中の女の子全部が恋してしまいそうな、私とは次元の違う、王子様。
 そんなとてつもない人が、私の恋人になる?
 想像なんてできない。そんな幸せな恋、私は知らない。
 私が知ってる恋愛は、ひたすら苦しい。私に告白してくる人は、いつも全然好みじゃないタイプ。私が好きになる人は、私が想っても、相手は想い返してくれない―――それが、私の知ってる恋。

 怖い。何故か、そう思った。
 本気にするのが、怖い。冗談だと思ってた方がいい。
 3つも年下で、社会に出たばっかりの彼のことだもの。仕事に感動したり場所取りに感動したりしてるのと同様に、私のことも何か大きく勘違いしてるのかもしれない。この生活に慣れてきたら、他の可愛い子に目移りするかもしれない。ううん、その可能性の方が、ずっと私を好きでいる可能性より、よほど高い。
 もし、彼の気持ちを本気で受け止めちゃったら―――その時、きっと、辛い。今までの恋愛より、ずっとずっと辛い。
 いつか醒めちゃう夢なら―――見ない方がいい。

 「奈々美さん、おはよ」
 いつも通り、神崎君が朝一番で私の所に来る。極上の笑顔を(たずさ)えて。
 「…おはよう、神崎君」
 「はい、これ」
 そう言って差し出したのは、やっぱり“午後の紅茶ロイヤルミルクティー”。
 「でも、これが最後ね」
 受け取った瞬間、神崎君にそう言われて、私は全身が硬直した。
 ―――最後、って? どういう意味?
 にわかに、心臓がドキドキいいだす。私、嫌われるような事した? そんな思いで、足が震えそうになる。
 でも、神崎君は笑顔のままだった。私が要領を得ない顔をしていると、くすっと笑って、少し小声になった。
 「どうしてこんなもの渡すんだろう? って、ずっと思ってたでしょ」
 「え…う、うん。思ってた」
 「種を明かすとね」
 神崎君の笑顔が、ちょっとイタズラッ子のそれのようになる。
 「ただ毎日、喋るきっかけが欲しかっただけなんだ」
 「―――え?」
 「それに、奈々美さんに気にして欲しかったから。―――作戦勝ち?」

 ―――とんでもない人だ、この人。
 全身から力が抜けそうになる。
 世界中の女の子を惹きつけることだって可能なのに、こんなチビで平凡な女を惹きつけるために、こんな作戦立てるなんて。ただ立ってるだけで十分なのに、そんな罠仕掛けておくなんて。
 卑怯―――卑怯すぎる。
 「1ヶ月経って、オレも大分度胸ついてきたから、もう紅茶に頼るの、やめるんだ。あ、でも、飲みたければいつでも買ってくるからね、午後の紅茶」
 そう言って、にっこり微笑む。
 白馬の王子様は、私の使い走りまで買って出てしまうのだ。

 平凡でなんの取り柄もない私も、この瞬間だけは、自分が世界一いい女であるような錯覚に陥ってしまった。


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