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2人は、ある建物の前で、入るか入らざるべきかで
いや、正確には2人ではない。蕾夏ただ一人が、逡巡していた。
「ここまで来て“やっぱりやめた”とか言わないよな?」
「う…うん」
「挑発に乗ったのもお前だし、それ位どーってことない、と強気なことぬかしたのもお前だよな?」
「わ、わかってるってば」
「じゃ、覚悟決めろって」
瑞樹が蕾夏の腕を引っ張って歩き出す。途端、蕾夏の腰が完全に引ける。
「や―――やっぱり、やめよっかな! こ、こんなお天気いいんだしさ、外で写真撮った方が楽しいと思うよ」
「今日カメラ持ってきてねーもん」
「じゃ、じゃあ、他の所にしようよ! ここはちょっと…」
「何、お前、外観でビビってんの? でも、ここでしかやってないから、他は無理」
ズルズルと引きずって行かれた先は、ボロボロのチケット売り場。瑞樹は、所々ヒビが入ってしまっているガラスの窓をノックして、短く告げた。
「大人2枚」
***
蕾夏は、スプラッタ映画が苦手である。
怖い映画自体は、嫌いではない。むしろ好きだ。『羊たちの沈黙』や『セブン』、『エンゼル・ハート』などは、サスペンス色が濃くて楽しめる。が、ドロドロした美術や、意味もなく血しぶきのあがる映像は、どうにも好きになれない。気持ち悪くなってくる。
だから、『13日の金曜日』も観てないし、『エルム街の悪夢』も観ていない。ドロドロした美術のせいで、あれほど著名である『エイリアン』ですら観ていないのだ。
それなのに、あっさり瑞樹の挑発に乗ってしまった。
『マニアを自称するもの、食わず嫌いはよくないなぁ』
「…別に、観なくたって、映画人生に支障はないもん」
『ははは、何強がってんだよ。よーするに、怖いんだろ、お前』
そう言われ、蕾夏は思わずむきになった。
「べっ、別に怖い訳じゃないよ! 何が起ころうが、フィクションなんだからどーってことないじゃんっ」
まさか、間もなく取り壊されるというボロボロの映画館で「懐かしの映画祭り」なんて企画をやっているとは―――しかも今週の演目が『13日の金曜日』だとは、夢にも思わない蕾夏だった。
『よし、その言葉に嘘はないな』
と念を押す瑞樹に、思わず、
「お…女に
と言い切ってしまった。
電話の向こうの瑞樹の声が微妙に勝ち誇っているように聞こえたのは、気のせいではないだろう。
***
館内は、とても客商売とは思えないほど、照明が暗かった。
当然、採算がとれないから売店なんてものもなく、自動販売機が2台並んでいるだけだ。しかもそのうち1台は商品見本のガラス部分に大きなヒビが入り、もう1台は扉部分に大量のガムテープが貼り付けられている。
「子供の頃、窓ガラスのヒビを全部ガムテープで直してる家が近所にあったなぁ」
そんな妙な感慨にふける瑞樹をよそに、蕾夏は既に周囲のムードに飲まれていた。
―――不気味すぎるよ、ここ。
同じ“13日の金曜日”でも、大勢観客がいて照明も明るい映画館で観るのと、誰もいない古くて薄暗い映画館で観るのとでは、全然意味が違う。絶対、後者の方が怖い。冷房をしている訳でもないのに寒気を感じ、蕾夏は思わず身震いした。
―――駄目だ。この段階で飲まれてちゃ、到底本編まで辿り着けない。他の事を考えよう。
改めて見てみると、天井の空調設備にもガムテープが貼られていた。
「…ガムテープってすごいね。なんでも直しちゃうんだもの」
「え?」
「エアコンのルーバーも直してるし、蛍光灯の接触不良の調節までやってるよ。凄い」
蕾夏の視線を辿って、瑞樹も天井を見上げた。蕾夏の言う通り、空調設備のルーバー部分にはガムテープがペタンと1枚貼られているし、蛍光灯の端っこはガムテープでぐるぐる巻きになっている。
「―――確かに」
「この映画館って、ガムテープ補修の宝庫かもしんない。あれもそうだし、あれもそう」
続いて蕾夏が指し示したのは、廊下に置かれたベンチの脚と、劇場内に続く扉の取っ手。どれもガムテープで補修されていた。
「もうすぐ取り壊しになるらしいから、今更ちゃんと直す予算もないんだろ」
「芸術だなぁ…」
微妙なストライプ柄に巻かれた取っ手を見つめて、蕾夏は感心したような声をあげた。そんな蕾夏を見て、瑞樹はくっと笑った。
「なんだ、結構余裕じゃねーか」
「えっ? ―――ああ、べ、別に、この位どーってことないもん」
「外で散々弱腰になってた癖によく言うな。その強気に免じて、俺が飲み物をおごってやろう。何がいい?」
「…ウーロン茶」
―――飲み物って、その不気味な自販機から出てくるんだよね?
ちゃんと買えるの? と思って見守っていると、ガチャン! という音と共に、ウーロン茶が自販機から吐き出された。
***
「うわー…観客席もまた、凄いなー…」
ガムテープで補修された取っ手を引き劇場内に足を踏み入れた蕾夏は、思わずそう呟いた。
まだ上映前なのに、上映できそうなほどに、暗い。ここでも、椅子を直すのにガムテープが大活躍している。スクリーンに何か染みか焦げのようなものがついているが、あれは何だろう? 一番わからないのは、床に所々ガムテープが貼られていることだ。あれは一体、何を補修しているのだろう?
「良かったな。貸切状態だ」
「…見事にね」
上映まで5分を切ったというのに、観客数2である。もっとも、これだけ客が入らないからこそ、取り壊しが決定されたのだろうが。
なにせ、客席数100以上のところに、たった2人だ。席は選び放題である。とにかくスクリーンからは距離を取りたいタイプの2人は、一番後ろの席を選び、座ることにした。
シート部分を手前に倒し腰を降ろすと、ギギギッ、という不吉な音がした。
「…これ、途中で椅子が分解しちゃうとか、そういうオチじゃないでしょうね」
「分解はしなそうだけど、背もたれはヤバいな」
試しに背もたれにもたれてみた瑞樹がそう言った。クッションがすっかり弱ってるらしく、もたれるとスクリーンが見えないほど沈み込んでしまう。仕方なく2人は、時折不気味な音をたてる椅子に、極力浅く腰掛けることにした。
「なんかこの映画館、演目関係なく何か出そうだよね」
「出るかもなぁ。戦争中はこのあたり、焼け野原になったらしいから、焼け出された人間がうようよ
「うわ、やめて。私、結構霊感強いって周りから言われてるんだから。全然霊感の強くない翔子が、サイパン旅行から帰ってきて最初に言った言葉が“蕾夏ちゃん、蕾夏ちゃんは絶対バンザイ・クリフにだけは行っちゃだめよ。連れてかれるから”だったもん」
翔子という名前は、瑞樹も既に知っていた。蕾夏の話の中に度々登場する、蕾夏の幼馴染だ。
「いくつの時の話だよ」
「高校生の時かな」
「…おめでたいな、そいつ」
霊なんている訳ねーだろ、と瑞樹はコーヒーのプルトップを開けながら苦笑いした。蕾夏はそんな瑞樹を横目で睨み、
「何それっ。ハルが先に言ったんじゃん、“出るかもしれない”って」
と口を尖らせた。
と、次の瞬間、あまり意味のない客電が消え、館内が真っ暗になった。なんのCMも広報も挟まないまま、『13日の金曜日』の上映は開始されてしまった。
***
上映開始から暫くすると、瑞樹の隣の席が、やたらと賑やかになってきた。
―――こりゃ「体感ムービー」だな。
半ば呆れながら、大半は笑いを抑えながら、瑞樹は隣の蕾夏を眺めた。『13日の金曜日』なんて、過去に何回も観ているから筋も仕掛けも覚えている。蕾夏を見ている方が、はるかに面白い。
前のめりになって、膝の上で拳をぎゅっと握り締めている蕾夏は、最初のうちはその状態でじっとスクリーンを見つめていた。痛そうな場面などになると目を
が。いよいよ
体を
「…お前、それ、観てるって言わねーよ」
「みっ、観てるよっ!」
音楽が変わったので殺戮シーンが終わったと判断したのか、蕾夏はおそるおそる元の前のめりの姿勢に戻った。100メートルダッシュしたみたいに肩で息をしているが、一体何にそんなに体力を使ったのだろうか。
「観てる、って、平和なシーンだけだろ。スプラッタ・ホラーで殺戮シーン観なかったら、それは観たうちに入らねーんだって」
「だ、だってさ―――う、うわうわ、この音楽、やばい。絶対来るよね」
今度は前の席の背もたれに
「だから、それじゃ観た事にならないだろって」
「やだっ! 絶対見ないっ!」
その後も蕾夏は、危なそうなシーンになるとオロオロと姿勢を変え、殺戮シーンの瞬間には絶対スクリーンを見ない、という妙なホラーの見方を続けた。蕾夏がそういうアクションをとる度に、古くなった観客席はガタガタ音を立てる。他に観客がいなくて本当に良かった、と、瑞樹は苦笑した。
「お前なぁ、ここはクリスタルレイクじゃないぞ。自分が逃げようとしてどうすんだよ」
「そんな事言ったって…」
また前のシートにしがみついていた蕾夏は、瑞樹が話しかけたせいで顔を伏せるタイミングを逸し、殺戮シーンを思い切り直視してしまった。
「きゃーっ! バカっ! 見ちゃったじゃないっ!」
「ははははは、大丈夫大丈夫。見てもライが殺される訳じゃないから」
「そういう問題じゃないでしょ! やだもうっ! 今晩絶対眠れない!」
―――面白い。
また、非常口から逃げ出しそうな姿勢をとる蕾夏を眺めて、瑞樹は声を殺して笑った。
その後も最後まで蕾夏の「体感ムービー状態」は続き―――エキサイティングな『13日の金曜日』は終わった。
***
「もうフラフラかも…」
客電が点き、少しだけ場内が明るくなる。よろよろと立ち上がった蕾夏は、完全に空になったウーロン茶の缶を頬にあてた。金属の冷たさで、少し頬の熱が冷まされた気がする。
「スポーツ・ジム行くより運動になってそうだなぁ、今の。あー、面白かった」
「もう二度と観ない、ホラーなんて」
「で? 感想は?」
「…そこそこ、面白かった」
「だから食わず嫌いはダメだって言うんだよ」
ガムテープで固定された取っ手を握って、扉を開けた。案の定、次の上映を観に来ている客はいないらしく、自動販売機の前はガランとしたままだ。
自動販売機の中の蛍光灯が切れかけているらしく、不安定に点滅している。ついでに天井の蛍光灯も切れかけらしい。廊下全体が、時折ふいに暗くなったりしている。そんな廊下に、自動販売機のブーンという低い音だけが響く。
「―――なんか、映画より、こっちの方が怖いね」
「幽霊が出るとしたら、そいつも映画好きだろ、きっと」
「それはちょっと、楽しいかもしれない」
心持ち早足で廊下を抜け、外に出た。まだ太陽が高くて、さっきまでの陰鬱な館内のムードが嘘のようだ。
「まだ明るいな。CD屋行くけど、ついてくる?」
「うん、行く」
そう答えた蕾夏は、ふとあることを思い出し、隣を歩く瑞樹を見上げた。
「そういえばさ。さっき、映画観てる最中に、もう1人来たよね」
「は? もう1人?」
意味がわからない、といった表情で、瑞樹は蕾夏を見下ろした。
「どの辺りだったかなあ、最後の15分位だと思うけど、1人来たじゃん、若い男の人」
「…来た、って、あの映画館に、って意味か?」
「あれ? 気づかなかった? 前から2番目に座って暫く観てたけど、ラスト5分前位にまた出てっちゃったから、変な人だなぁ、と思ったんだけど」
「……」
柄にもなく、瑞樹の全身に、鳥肌がたった。
「若い男、って、どんな奴だった?」
「自衛隊。迷彩服みたいなの着てたもん」
…馬鹿。自衛官が迷彩服で映画観に来る訳ねーだろ。
瑞樹は、そのセリフを辛うじて飲み込んだ。
出ちゃいましたか。本当に。
真相を蕾夏に話そうかとも思ったが、やめておいた。殺戮シーンを見ただけで「今晩眠れない」などと言っているのだから、真相を知ったら卒倒間違いなしだ。
―――そいつ、やっぱり生前は映画好きだったんだろうな。
あの不気味な映画館が取り壊されたら、彼はどこに行くのだろう? そう考えたら、取り壊しが少し惜しい気がした。
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