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no025:
手負いの獣
-odai:19-

 

ソノ男、期間限定デ、凶暴ニツキ。

―98.06―

 和臣は、思ってもみなかった展開に、目をパチクリさせた。
 目の前で微笑んでいるのは、先月コール・センターを辞めたばかりの、和臣と同い年の女性。結構自信ありげに微笑んでるだけのことはあって、なかなか美人だと思う。でも、正直な話、名前は今日初めて知った。
 会社帰りにビルを出たところで呼び止められ、空腹も手伝って彼女の夕食の誘いに応じてしまったが、こういう展開は予想していなかった。
 「あの…気持ちは嬉しいけど、オレには奈々美さんがいるから」
 キミだって知ってるでしょ? というニュアンスで、和臣は彼女に言った。
 そう、社内の人間なら、誰でも知っている話だ。和臣は奈々美以外眼中にない。だからこそ、これほどの人気者にもかかわらず、和臣に告白してくる女性はこれまで誰もいなかった―――今、この瞬間までは。
 「知ってるわよ。神崎君は、木下さんが好きなのよね」
 それがどうした、といわんばかりの笑顔だ。ますます、訳がわからない。
 「でも、木下さんは、成田さんが好きなんじゃないかな」
 「え? なんで?」
 不思議がる和臣に、彼女は爆弾発言をした。
 「だって、見たもの。屋上でキスしてるとこ」

***

 「“氷の微笑”よりは“危険な情事”かな」
 お好み焼きを勢い良くひっくり返しつつ、蕾夏は難しい顔をする。
 「“危険な情事”は、ストーリーもいいし、エンディングも納得いくもの。“氷の微笑”って、結局シャロン・ストーンが本当に犯人だった訳?」
 「だろうな。あの後マイケル・ダグラスが殺されたかどうかは微妙だけど」
 「まぁ、どっちにしても、マイケル・ダグラスのラブシーンってのが生理的にイヤだけどね」
 「ライはあのタイプは苦手か」
 ザクッと鉄板上のお好み焼きを半分に切り、瑞樹が訊く。蕾夏はそれに答えず、
 「…お好み焼きにマヨネーズかけるのって、関西じゃ普通なの?」
 瑞樹のお好み焼きを見て、不思議そうな顔をした。
 「関西とかいう問題か?」
 「だってハル、関西に住んでたじゃない」
 「関東でもかけるヤツはかけるだろ。お前の周り、誰もかけねーの?」
 「かーけーまーせーん」
 「じゃなんで、東京のど真ん中の店に、青海苔と並べてマヨネーズが置いてあんだよ」
 「…それもそうだね」
 蕾夏からすれば、マヨネーズはサラダにかけるものなのに、という不可解さの方が勝っている。どんな味なんだろう、という興味はあるが、自分の分にかける気にはなれなかった。咳払いをひとつすると、蕾夏はさっきの瑞樹の質問に戻った。
 「―――マイケル・ダグラスって“いかにも”じゃない。ニヤけてる、っていうか、そういうシーンばっかやってるっていうか。だからイヤ。ミッキー・ロークも勘弁して欲しかった」
 「というより、ラブシーンが全部苦手なんだろ、お前の場合」
 「あ、なにそれ。どういう意味よ」
 「お子様だって意味」
 瑞樹のお好み焼きに、蕾夏のコテが振り下ろされる。問答無用に一口サイズを切り取り、自分の皿に乗せてしまった。
 「おい…」
 「馬鹿にした罰!」
 むくれた顔をして、初めてのマヨネーズつきお好み焼きを頬張る蕾夏に、思わず苦笑してしまう。
 そういうところが子供なんだ、と追い討ちをかけそうになった時、机の上に置いた携帯が震えてガガガガガと机を叩いた。
 隣の席の人までが何事かと振り返ったので、慌てて携帯を掴んだ。
 「はい」
 『成田! 今どこだ!』
 和臣の大声が耳を直撃して、瑞樹は一瞬携帯を遠ざけてしまった。怒り爆発といった感じの声に、俺何かした? と自問する。
 「今? “みやけ”でお好み焼き食ってる」
 『なんでこんな時間まで携帯繋がらないんだよっ!』
 「試写会行ってた。上映中は電源オフが原則だろ?」
 向かいに座る蕾夏と目が合った。「誰?」という目をしたので、声には出さず「カズ」と答えた。
 『“みやけ”って、有楽町の“みやけ”だな!?』
 「…そうだけど」
 『すぐ行く!』
 「はぁ!?」
 そして電話は切れた。もう答えない電話を呆然と見下ろしつつ、俺何かした? と再度自問した。

***

 それから15分後、ちょうど店を出たところに、和臣は凄い勢いで走ってきた。が、瑞樹の隣に蕾夏の姿を認めると、予想していなかったのか、驚いたように目を大きく見開いた。
 「あ、あれ? 藤井さん?」
 「こんばんはー。退院祝い以来だね」
 「一緒だったの?」
 「うん。随分前に応募してた試写会が当たっちゃったから、付き合ってもらったの」
 「でもカズ、随分早かったな。15分で来るとは思ってなかった」
 「オレも有楽町にいたんだよっ」
 ギロリ、と瑞樹を睨む和臣に、これはただ事ではないな、とようやく瑞樹も気づいた。
 「で…どうしたんだ?」
 蕾夏がいる所で聞いてもいいものかどうか迷ったが、和臣がじっと睨んだままなので、とにかく話すよう促すことにした。
 和臣は、一度深呼吸をすると、瑞樹の予想だにしなかった事を言った。
 「成田。奈々美さんと付き合ってるって、本当か?」
 「は?」
 なんでそんな話になるのだろう? 誰かが馬鹿げた噂でも流したのだろうか。
 「いいや? 何で俺が木下さんと?」
 「本当に付き合ってないのか?」
 「当たり前だろ」
 「じゃあ、屋上で奈々美さんとキスしたって話は?」
 「はあ!?」
 なんだそりゃ、と言いかけたが、次の瞬間、半年以上前の出来事がパッと頭に浮かんだ。
 “男は好きじゃない女に平気でキスできる”事を証明させられた、あの時のキス―――瑞樹らしくもなく、すっかり忘れていたのだ。あの後、個人的にあまりに多くの事があったので。
 思い出したら、和臣が何故今ここにいるのかも、大体見当がついた。そう、あの場面を見た人物が誰かいて、その事を和臣に言ったに違いない。
 「否定しないのかよ」
 「……あれは違うんだって……」
 「ちゃんと説明しろよ、成田っ! “違う”じゃなんだかわからないだろっ!」
 「あ、ねぇ、カズ君」
 ヒートアップする和臣とますます口が重くなる瑞樹の間に入るように、突然蕾夏が口を挟んだ。
 「どっか別の場所にしない? ここ、お店に迷惑だよ」
 「……」
 「怒鳴りあいしても、殴り合いしても、大泣きしても大丈夫なとこに移動しよ?」
 「…どこ?」
 ムスッとしながらも、和臣は蕾夏の提案に反対はしなかった。瑞樹もその方がありがたいので、反論しない。
 「そうだなぁ―――3人の家で、一番ここから近いとこ。明日は休みなんだし、ゆっくり話せばいいよ。ね?」

***

 一番近い家、それは結局、瑞樹のアパートだった。
 本当なら蕾夏はこの件に全く無関係なのだが、「私がいた方がカズ君も冷静になれるだろうから」と瑞樹に耳打ちし、一緒に瑞樹の家に行くことになった。
 ―――余計な口出ししちゃったかなぁ。
 初めて訪れた瑞樹の部屋で、向かい合って座っている2人から少し離れた場所に腰を下ろした蕾夏は、落ち着かない様子で部屋のあちこちを眺めた。2人きりにしたら和臣が何をしでかすか心配だったので来てしまったが、部外者の自分が、よりによって男同士の話し合いに立ち会うべきではなかったかも、と不安になってくる。
 「…で、どういう事なんだよ」
 ここまで来る間に少しは頭が冷えたのか、和臣が、いつもより幾分低い声で言う。
 「説明するけど―――絶対嘘は言わないから、お前、怒るなよ?」
 「…うん、怒らない」
 大きく息を一つついて、瑞樹はできるだけ忠実に事実説明をした。奈々美が中本に言った言葉、自分が屋上にいた理由、奈々美に言われた事など、全てを。
 和臣は、黙って聞いていた。膝を抱えて、床の一点をずっと見つめたまま、時折先を促すように頷くだけだった。奈々美さんがそんな事を言う筈ない、という反応を予測していた瑞樹は、少々意外に思った。
 「―――今まで言わなくて悪かったよ。つい面倒を避けるためにした事とはいえ、こんなの知ったらお前、絶対怒ると思ったから」
 「…そっか。わかった」
 説明を全て聞き終わると、和臣は俯いたままそう言った。
 「でも―――オレもまだキスしてないのに、成田が先にしちゃった、ってのは、やっぱりショックだなぁ…」
 和臣は、顔を上げると、涙の浮かんだ目を瑞樹に向けた。
 「なぁ…奈々美さんとのキスって、どんな感じだった?」
 「は!?」
 ―――何を言い出すんだ、こいつ!
 慌てふためく瑞樹の目と、顔が心持ち赤くなっている蕾夏の困ったような目が一瞬バチッと合った。ますます動揺する。
 「なぁ、どんな感じだった? ってば」
 「そ、そんなの、一瞬だし覚えてる訳ないだろ! 俺の中じゃあんなの数のうちに入ってない位で」
 「馬鹿っ! 数のうちに入らないだなんで勿体無い事言うな! オレなんて1年以上も奈々美さん一筋なんだからなっ! お前だって、ものすごーくものすごーく大事にしてる女とのキスを他の男に先越されれば、オレのこの悔しい気持ちもわかるさっ!」
 「だからカウントに入れるな! 俺は除外しろ! 第一俺より前に中本さんがしてるだろ!? その前にも多分いるぞ!?」
 「他の男はいいんだよっ! 相手が成田ってのが嫌なんだっ!」
 「だからカウントから除外しろって!」
 どんどん妙な方向にテンションが高まって行く会話に、第三者である蕾夏はますます顔を赤らめる。
 ―――奈々美さんて人、まさかここでこの2人が、自分のキスの遍歴で大騒ぎしてるなんて、想像もしてないんだろうなぁ…気の毒に。
 ボロボロ泣きながら「奈々美さーん、なんでオレじゃないんだよー」と悲痛の声をあげる和臣を見かねて、蕾夏は膝歩きで2人のそばににじり寄った。
 「ね、ねぇ」
 蕾夏が、顔を覗き込むようにして声をかけると、和臣は、まだ泣いたままの目を少しだけ上げた。
 「とりあえず、カズ君は、ハルと奈々美さんが何でもないって、ちゃんとわかったんだよね?」
 「―――うん」
 「自分が先じゃなかったのは悔しいしショックだけど、ハルのこと怒ってるとか、そういうんじゃないよね?」
 「…うん」
 「じゃ、仲直りね」
 「うん」
 ぐすっと鼻をすすりあげながら、和臣は小さく答えた。
 その答えに蕾夏は少し安心し、ぐったりした顔をしてる瑞樹に向かって“何か飲み物買ってきて”とサインを送った。少し2人を離しておいた方が良さそうだし、実際、蕾夏自身も喉が渇いていたのだ。
 同じく喉が渇いていた瑞樹は、蕾夏のサインに頷くと、疲れたように緩慢な動きで立ち上がった。
 「カズ、なんか飲みたいもんあるか?」
 「―――プリン」
 「…飲み物じゃねーよ」
 「それとエクレア」
 「…わかった。ライ、何にする?」
 「コンビニ行くんなら、ポカリのペットボトルお願い」
 「了解」
 蕾夏の後ろをすり抜ける瞬間に、瑞樹は蕾夏の頭をポンポンと2回軽く叩いた。
 彼流の「ありがとう」なのだとわかり、蕾夏はちょっと嬉しくなった。

***

 瑞樹が出て行ってしまうと、今度は急に静かになって、逆に気まずい空間が生まれてしまった。
 もう和臣は泣きじゃくるほどの状態にはないが、まだ目からはポタポタ涙がこぼれていた。抱えた膝の上に顎を乗せ、不貞腐れたように口を尖らせている。
 何を話せばいいんだろう、と蕾夏はまた部屋のあちこちを眺めてしまう。奈々美さんの話、はまずいよね…と一瞬浮かんだアイディアを即却下し、会社の話題がいいだろうか、瑞樹の話がいいだろうか、といろいろ考えてみるが、どの話題も爆弾を抱えてそうで、口に出す前に飲み込んでしまった。
 「…なんで奈々美さんは、オレを頼ってくれないんだろう」
 「え?」
 一番避けた方がいいと思った人の名前がいきなり和臣の口から飛び出し、蕾夏は驚いて和臣の顔を覗き込んだ。
 「やっぱ3つも年下だからかなぁ。成田みたいに自信あり気じゃないし―――オレ、成田と入れ替わりたい」
 「そ、そんなのダメだよ。カズ君にはカズ君の魅力があるじゃない。ハルと入れ替わったら、それがなくなっちゃうよ」
 蕾夏は慌ててそう言った。
 「どんなとこだよ」
 「え?」
 「オレの魅力って」
 「え? ええと、だから…」
 和臣に正面から見据えられて、思わず顔が赤くなる。
 「なんていうか…母性本能をくすぐられるというか」
 「母性本能?」
 「そうやって泣いてると、ヨシヨシしてあげたくなるというか、放っておけないというか―――」
 「じゃあ、藤井さんがヨシヨシしてよ」
 また涙がポタン、と落ちる。
 「―――カズ君、もしかして、酔っ払ってる?」
 ふるふる、と頭を振る和臣は、なんだか捨てられた犬のように見える。放っておくとまた「奈々美さーん」と泣き出しそうな気がして、思わず蕾夏は、和臣の頭に手を置き、子供をあやすような感じで撫でた。まさに「ヨシヨシ」という感じで。
 ―――わー、髪、柔らかい。
 目の色と同じ、明るいブラウン。多分ブリーチじゃなくて、元々こういう色なんだろうな。なんか、手触りのいいぬいぐるみでも撫でてるみたい。この子犬みたいな愛嬌のある目で見つめられたら、女の子なんてイチコロだろうなぁ…。
 ポタポタと涙を零す瞳を見つめながら、そんなことを考える。女の子ならイチコロなその目で見つめられているのだから、蕾夏でもさすがにクラクラくる。
 ―――こういうの、「酔っちゃいそうな目」って言うんだろうなぁ。
 そんな風に感じた蕾夏は、ふと唇に違和感を感じて、我に返った。

 ―――え?

 目を何度かパチパチと(まばた)く。
 何故か和臣が、床に置いた自分の手を握っている。伏せられた綺麗な睫毛が、とんでもなく至近距離にあって驚いた。
 そして、唇に感じる、温かくて柔らかい感触―――それが和臣の唇だとやっとく気づき、蕾夏は和臣の頭に載せていた手を慌てて外した。
 「ちょっ…カ、カズ君!?」
 必死に和臣の肩を押し返し、なんとか距離を置く。それでも超至近距離にあの「酔っちゃいそうな目」があって、心臓がバクバクしてしまう。
 「な、な、なんで!?」
 「…ダメ?」
 「駄目に決まっ―――」
 言いかけたが、また唇が触れてきて、思わず言葉を飲み込んだ。
 ―――なんでなんでなんで!? さっきまで「奈々美さん」て言って泣いてたじゃない!
 頭がガンガンしてくる。心臓の乱れが、吐き気に変わりそうな気配がする。まずい……セクハラ親父に背中を撫でられた時の二の舞になる予感に、蕾夏は余計焦った。
 とその時、玄関に近づく足音に気づいた。暴走していた心臓が、一瞬にして凍りつく。
 ―――やだっ、こんなとこ、絶対ハルに見られたくない―――!
 蕾夏は反射的に、あらん限りの力で和臣を押し戻すと、頬を思いっきり平手打ちした。
 「バカっ!!」
 叫んだ瞬間、ドアが開いた。

***

 ―――気まずい。
 画面には、ベット・ミドラーの快活な笑顔が映し出されている。膝を抱えた状態で、蕾夏はチラリと瑞樹の様子を窺った。片膝を抱えている瑞樹は、それとほぼ同時に蕾夏の方を見た。
 「…悪かったな、巻き込んで」
 憮然とした表情のままそう言う瑞樹に、蕾夏は力ない苦笑を返す。
 「ハルが謝ることじゃないよ。勝手についてきたの、私だし」
 思わず視線が、すぐ後ろのベッドで幸せそうにうずくまって寝ている和臣に向いてしまう。瑞樹もそちらを見た―――否、睨んだ。
 「どっちにしろ、元凶はこいつだよな」

 決定的シーンを目撃されることだけは避けられたが、何があったかは想像に難くなかった。第一、想像するまでもなく、事の真相は、全部和臣がご丁寧に暴露してくれた。
 「藤井さんが、あんまり優しくて可愛かったから、キスしちゃった」
 叩かれた頬を押えつつも平然とそうのたまった和臣は、プリンとエクレアを綺麗に平らげ、勝手に人のベッドを占領して、寝てしまった。
 寝る直前、和臣は、憮然とした顔で自分を睨む瑞樹の方を見て、彼らしくない不敵な笑いを浮かべて、こう言った。
 「これで、オレも成田と同罪ね」

 ―――どこがどう、同罪なんだよ。思考回路がいかれてんな、こいつ。
 瑞樹は、大きくため息をついた。もっとも、日頃の和臣なら、ここまで傍若無人な行動は考えられない。やはり痛手を負ったことで、平常心ではなくなっているのだろう。
 結局、終電もなくなってしまったため、始発が動くまでビデオを観て時間をつぶすことになった。
 蕾夏が大好きだという『ステラ』を選び、和臣を起こさないよう、最大限ボリュームを絞ってビデオをスタートさせたのが、今から数分前。2人とも、まだ映画に集中できずにいた。

 「…ライも“ステラ”を好きとは、知らなかったな」
 間がもたず、瑞樹はなんとなく、そんな事を呟いた。
 すると、蕾夏は、ちょっとホッとしたように表情を和らげた。
 「うん…ほら、途中にあるじゃない。母娘で鼻歌で歌う“夢のカリフォルニア”。あのシーンが好きなの」
 「あー…、俺もあのシーン、好き。あの2人の信頼関係、そのまま表れてる感じで」
 「だよね。なにげないシーンだけど、優しくていいシーンだよなぁ…」
 小声でそんな話をしていたら、やっと場の空気が和み始めた。2人はまた画面に視線を戻し、映画の世界に没頭しはじめた。

 主人公の生き方について話してみたり、カメラワークの良さを指摘してみたり―――見慣れた映画も、2人で観ていると新鮮だ。ほど良い距離で、同じ画面を並んで見ている、ただそれだけ。その空間が、とてつもなく心地良い。
 でも―――本当は2人とも、ほんの少し前に起こった出来事が小骨のように引っかかって、胸が痛んでいた。些細な刺激でその痛みが甦り、取り返しのつかない事を言ってしまいそうな衝動に襲われる。映画に没頭しているつもりでも、その痛みは常にくすぶり続けていた。
 それでも、この居心地の良い空間は壊したくなくて―――瑞樹も蕾夏も、その痛みを忘れたふりをした。


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