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no027:
ベストフレンド
-odai:74-

 

最強コンビ、誕生。

―98.07―

 「幕張のフェア、私担当になった」
 『そうか。良かったな』
 「…嫌味?」
 『もちろん』

 翌週の火・水と幕張で開催されるITテクノロジー関連のフェアには、蕾夏の会社も瑞樹の会社も参加が決まっていた。
 瑞樹の会社は、この秋発売のセキュリティソフトを出品し、実際のデモや商品説明は、佳那子が担当になっている。が、瑞樹もそのソフトの開発に携わっているため、展示会も現場でサポートすることが既に決まっていた。
 蕾夏の会社は、親会社がこの夏発表したばかりの新しい汎用機を出展する。蕾夏はデモ担当と言われたが、その実態は、営業が「あれ調べて」「これ作って」と現場で頼むための「何でも屋」だ。

 「同期の丸山君もデモ担当だけど…彼、プログラム作ること以外は僕の仕事じゃありません、てタイプだもんなぁ…私だって、デモなんて苦手だよ」
 ベッドの上でクッションを抱えてた蕾夏は、以前一緒に客先へインストに行った際の丸山の覇気のなさを思い出し、ゴロンとベッドに転がった。
 『俺もどっちかっつーとそのタイプだから、何も言えない』
 「あはは、そうかも。ハルが愛想良くお客さんに説明してるところなんて、想像つかないよ」
 でも、丸山はまだ問題ではない―――と、蕾夏は思った。
 問題は、フェアを担当する営業のほう。篠沢というベテラン営業マンだが、蕾夏とそりが合わないことで有名である。どうやら、先輩だろうが上司だろうが「へつらう」ということを一切しない小娘に対して、彼は常に「女のくせに生意気」と思っているようだ。
 どうせまた、難癖つけて文句を言うんだろうな―――そう考えるだけで、気が重かった。

***

 月曜日は、会場の準備作業だった。
 蕾夏の会社も、力がありそうな男性社員を何名か強制連行し、展示ブースのセッティングを行った。
 蕾夏は、マシン類以外の資料やカタログ、販促グッズなどを丸山と一緒に運ぶ。大柄な丸山はマシンを運んだ方がいいんじゃないだろうか、と思ったのだが、本人が率先して販促グッズの入った紙袋を手に歩き出してしまったので、そのまま運ばせることにした。とにかくやる気のない男である。
 一番問題の営業の篠沢は、この日は商談に出ていて不在だった。彼がそばにいるだけで不快になってしまう蕾夏は、とりあえずほっとした。
 「藤井さん、暫くどっかで休憩とってなよ。今日は篠沢次長来ないし、今のうちに息抜きしないとバテるよ」
 準備作業に参加していた先輩の野崎が、そう言った。体を鍛えているので重労働は苦にならないようだが、やはり額にびっしょり汗をかいている。その後ろにいる丸山の涼しげな顔と対照的だ。丸山の方が、はるかに図体は大きいのに。
 「野崎さんこそ休憩した方がいいんじゃないですか?」
 「僕はいいよ。配線やっちゃいたいから。あ、でも、昼は後で一緒にとろう」
 と、ここで野崎は、少し声を落とした。
 「ディナーはいつも断られてるからね。昼くらい、構わないだろ?」
 「そ…そうですね―――じゃあ、他のブースの様子、見て回ってきます」
 蕾夏は、幾分引きつり気味の笑顔で野崎にこたえ、他のメンバーにも声をかけてから、ぶらぶらと会場内を歩き出した。
 野崎は、蕾夏より3つ年上のシステムエンジニアで、瑞樹と蕾夏が電話するきっかけとなった英語の本を蕾夏に薦めたのは、実はこの野崎である。更に言えば―――蕾夏に交際を何度となく迫っているのも、この野崎である。
 コンピューターマニアで、かつ、格闘マニア。背はさほど高くないが、均整のとれた体格と顔立ちをしているし、性格的にも温厚でバランス感覚に優れている。仕事の面でも優秀だ。
 ―――いい人、なんだけどなぁ…付き合いたい、なんて言いさえしなければ。
 無意識のうちに、ため息をついてしまう。

 バサッ!
 考え事をしていたら、突如、蕾夏の行く手の床に、大量のファイルがばら撒かれた。驚いて、蕾夏も足を止めてしまった。
 「あちゃー…やっちゃった」
 見れば、パンツスーツ姿の若い女性が、2、3冊のファイルを手に、額に手を当てている。どうやらファイルを運んでいて、落としてしまったらしい。
 蕾夏は床にしゃがむと、自分の近くにあるファイルを数冊集めた。当の本人も、同じようにしてファイルを集めているようだ。
 とりあえず全部集め終わって彼女の方を見、その腕に抱えられているファイルと自分の腕の中のファイルを頭の中で合算した。どう見ても、1人で抱えられる分量ではない。
 「どちらのブースですか? 私も運びます」
 「えっ、悪いわよ、そんな」
 「いえ。私、今、休憩中ですから」
 「…そう? じゃ、頼んじゃおうかな」
 彼女がニコリ、と笑う。蕾夏より10センチほど背の高い彼女は、明るいショートヘアーときりっとした顔立ちのせいか、どことなく宝塚の男役を思い起こさせた。
 「あなた、学生アルバイト?」
 歩き出してすぐ彼女にそう訊かれ、蕾夏は苦笑いを返した。
 「学生に見えますか…私、今年25になるんですよ?」
 「え…ええーっ! 私と2つしか違わないの!?」
 「あはは、そう言われるの、慣れてますから」
 慣れてるけれど―――今日は、ちょっとショックかもしれない。今日は珍しく、ちゃんと上着もついたビジネススーツを着ているのだ。この格好でも学生に見られるとは「若く見られてラッキー」などと喜んでる場合ではない気がする。
 彼女の会社のブースは一番奥のようだった。道すがらいろいろ話をして、彼女も自分と同じSEだとわかった。さばさばした話し方や態度のせいか、女の子が全般的に苦手な蕾夏も、楽しく話すことができた。
 「あ、うち、ここだから。荷物置いたら名刺頂戴ね。フェア中に食事でもしましょ」
 「はい、喜んで」
 まだ看板も出ていないブースに到着すると、彼女は展示機を置く台の上にファイルを載せた。そして、奥にいる数名に声をかけた。
 「おーい、マニュアル類全部運んだわよー」
 「あ、お疲れ様でーす」
 営業らしき男の人が2人ほど、彼女に軽く頭を下げた。そして最後に顔を出した人物を見て、蕾夏は目を丸くした。
 「あ!!」
 「なんだ、お前か。よくここがわかったな」
 珍しくスーツを着た瑞樹が、少し驚いた顔で歩み寄った。そう、まだ看板がついてないのでわからなかったが、ここは瑞樹の会社のブースだったのだ。
 「え? 成田、知り合いなの?」
 「カズの入院騒動ん時、世話になった友達」
 瑞樹にそう言われ、佳那子はポン、と手を打って、笑顔で蕾夏を振り返った。
 「ああ! 藤井さんね! スズランの子」
 「…もしかして、佐々木さんですか」
 「そうよ。佐々木佳那子。佳那子でいいわ。一度会ってみたかったのよ。すごい偶然ねぇ」
 「そうですねぇ。藤井蕾夏です。はじめまして」
 瑞樹から相当な女傑と聞かされていたが、佳那子の第一印象は柔らかで気さくな感じだ。いい意味での女傑なんだろうな、と蕾夏は微笑んだ。
 と、背後から、押し殺したような笑い声が聞こえてきた。振り返ると、笑い声の主は瑞樹だった。
 「…何よ」
 「いや…その格好。お前が紺色の上下揃った服着ると、なんか学生服みたいだよな、と思って」
 ―――なんですってぇ!?
 「ひっどーいっ! 学生服な訳ないでしょ! クライアントのインストも親会社との打ち合わせもこの格好で行ってるけど、そんな失礼な事言った人、これまでいないわよっ!」
 「ははははは、みんな言うに言えねーんだって、きっと。ま、いいんじゃねーの? 若く見えて」
 「何よっ! ハルのその格好だって、着慣れてないから大学生のリクルートスーツ姿と大差ないじゃないっ!」
 憤慨する蕾夏をよそに、瑞樹は蕾夏がムキになればなるほど、可笑しそうに笑った。
 そんな2人を、佳那子と営業2名は、呆然と遠巻きにしていた。
 「…佐々木さん、今から車に戻って、デジカメ取ってきていいですか」
 営業の1人が、呆然としたまま言った。
 「どうして?」
 「大口開けて笑う成田なんて、二度と見られないかもしれないから、記念に撮っとこうと思って」
 「…それ、いいアイディアね。きっと写真でも見せないと、会社の誰も信じないもの」
 ―――なんだか、超常現象を目撃したような衝撃だなぁ、これ…。
 初めて見る「大笑いする成田瑞樹」に、佳那子以下3名は、深い感慨にふけってしまった。

***

 準備作業も大詰めを迎えた午後6時、丸山が帰ってしまった。
 「野崎さんがいるし、僕いなくても大丈夫でしょう」
 まだデモ機の確認作業があるのに、と蕾夏は思ったが、今までも丸山が役に立った場面などほとんどなかったので、「いいよ、帰れば」と冷たく答えた。
 野崎が電話で席を外している時を狙ったとしか思えない、このタイミング。戻って来た野崎は、丸山が帰ってしまったのを知ると、眉をつり上げた。
 「藤井さん、明日丸山を絶対こき使ってやりなよ。あいつもちょっとは苦労すればいいんだ」
 丸山をこき使えるような場面などあるだろうか? ―――どんな仕事も、彼に任せるのは不安な気がした。
 「それに、僕もちょっと戻らないといけなくなったんだ」
 「え、どうしたんですか」
 「クライアントでマシントラブル発生らしい。現地で営業が待ってるから、車で直行しないと」
 「そうですか…。大丈夫ですよ、あとは確認作業だけだから、1人でやれます」
 マシントラブルでは仕方ない。2人は急遽、野崎がやりかけていたマシンチェックの引継ぎをした。
 と、そこに突如、篠沢がやってきた。商談先から直行したのだという。
 「あれ? 丸山君は?」
 少し焦ったように、篠沢は辺りを見回した。
 「もう帰っちゃいましたよ」
 野崎が諦め半分の口調でそう答えると、篠沢は忌々しそうに蕾夏の方を見た。
 「しょうがないなぁ…じゃあ、藤井さんに頼むか」
 「え?」
 「このデータ、打ち込んでおいてくれ。今日商談に持ち込んだ客の、今使ってるデータなんだ。明日の朝来るから、帳票類が出せるように、デモ機に入れといて欲しいんだ」
 そう言って篠沢が突きつけたのは、A4用紙の分厚い束だった。
 その分量を目算して、無理だと感じた。会場は午後9時で閉まってしまう。3時間弱で入力できる量とは思えない。
 それに―――蕾夏はふと、以前篠沢と組んだ時の仕事を思い出し、まさかと思いつつ訊ねた。
 「…篠沢次長。もしかしてそのお客様に、今使ってるデータをそのまま使えます、って説明してないですか?」
 「してるよ。できるだろ?」
 「できませんよ! この前の賀川鉄工の時だって、パンチャーさん雇って全部入力し直したじゃないですか!」
 「そういうの、客は嫌がるんだよ。大丈夫、パンチャー雇う費用は、他の名目で上乗せしとくから。社内で入力すれば、お客さんからすれば同じ事だからさ」
 費用の話をしてるのではない。丸山の無気力ぶりは我慢できた蕾夏も、これには完全に頭に血がのぼった。
 「お客さんに嘘ついて売るなんて、そんなの嫌です! 営業がいい加減な説明をして、それが嘘だとバレた時、窮地に立たされるのは納品やインストに出る技術者なんです! 少しは考えて下さい!」
 不穏な空気を察して、野崎が蕾夏のスーツの裾あたりを引っ張った。が、転がり出した状況は止まらない。篠沢の顔色が変わった。
 「嘘も方便てのがあるだろう!? だいたいね、キミは前から営業に口出ししすぎなんだよ!」
 「不正をしようとしてるのを止めるのが“口出し”ですか!?」
 「女の癖に口の減らない奴だなぁ、キミは! いいからデータを揃えるんだ! まさか無理だなんて泣き言は言わないよな!? 女なのに“優秀”で“一番使える”藤井さんなんだから」
 「―――…!」

 怒りで、体中が焼け爛れそうな感覚。あまりの憤りに、体が小刻みに震え、声が出ない。
 『あいつ、黙ってりゃ可愛いのになぁ。仕事となると生意気で扱い難いよ。なまじアメリカで男女平等なんて風潮に慣らされたから、つけあがってるのかもな。所詮は女なんだからさ、少し男の怖さを身にしみてわからせる必要があるんじゃないか?』
 ―――所詮は、女。
 以前、偶然聞いてしまった、篠沢の言葉――― 一言一句違わず、頭の中に甦ってくる。結局女は男にかなう筈もない、という傲慢さ。力で女をねじ伏せるのを男の強さとはき違えている奴。
 この男に屈するのだけは、死んでも嫌だ。

 「…やります」
 篠沢の目を睨んで、蕾夏は低くそう答えた。その答えに満足したのか、篠沢は蕾夏をひと睨みすると、無言で会場を後にした。
 野崎が、憤慨したようにその背中を追おうとしたが、蕾夏が止めた。
 「いいですから、野崎さん。早くマシントラブルの方、行って下さい」
 「そうは言うけど、あれじゃあ…!」
 「大丈夫です。最悪、明日の朝フェアが始まる前に入力する手もありますし」
 「でも…」
 まだおさまらない表情の野崎の背中を、蕾夏はポンと叩いた。
 「大丈夫ですよ! 篠沢さんになんて負けないです。私、慣れてますから」
 精一杯、元気な笑顔を見せる。これまでに何度もやってきた事―――だから、うまく笑えた自信はあった。
 その笑顔を信用したのか、野崎は振り返りつつも会場を後にした。ほっ、と息を吐き出す。客に嘘をつかねばならない事を考えたら涙が出そうになったが、なんとか我慢した。
 ―――そう、藤井蕾夏は強いんだから、篠沢のあんな嫌味になんて負けない。涙なんて絶対に見せてやらない。涙を見せれば思うつぼだ。あんな言葉で傷つくほど、私は弱くない。

 「ライ」
 突如、頭上から声が降ってきて、蕾夏は驚いて顔を上げた。
 そこには、神妙な面持ちの瑞樹が立っていた。その表情から、今までのやりとりの全てを見られてしまったのだと、蕾夏は悟った。
 その途端、それまで保ってきた何かが、崩れかけるのを感じた。
 「おい、ライ!」
 弾かれたように、蕾夏は瑞樹を振り切り、会場の外に飛び出した。

***

 「待てよ、ライ!」
 蕾夏は、瑞樹の呼ぶ声を振り払うように、急ぎ足で歩く。瑞樹は、そんな蕾夏を諦めずに追った。リーチの差もあって、少しずつ差は狭まる。が、蕾夏は一向に立ち止まる気配を見せない。苛立った瑞樹は、足を止め、最後の賭けに出た。
 「―――おい、蕾夏!」
 蕾夏の足が、ピタリ、と止まる。
 驚いたように振り返った蕾夏は、怒ったような顔をした瑞樹の姿をすぐそばに見つけ、顔を背けた。
 「人が待てって言ってんだから、待てよ、お前」
 「…ごめん、今私、ハルと話してる余裕ない」
 「いいから、話せって。ほら」
 瑞樹の手が、蕾夏の肩をつかんで、ちゃんと瑞樹と向き合わせた。
 「さっき、あいつ相手に飲み込んだ言葉を、今ここで全部吐き出せ」
 「…ハルに言ったって、仕方ないよ」
 「そういう問題じゃねーんだって。飲み込むな。言っただろ? お前らしくない、そういうの」
 蕾夏の体が震え出す。押さえようとしても駄目だった。
 もう何年も泣くことのできなかった自分を、たった電話1本で泣かせた人。そう―――瑞樹の前だと、感情のコントロールが下手になる。そんな自覚があったから、立ち止まりたくなかったのだ。
 「―――こんなの…嫌だ」
 なんとか声を絞り出す。まだ体の底が震えていた。
 「嘘をつくのも誤魔化すのも嫌だ。ちゃんと仕事がしたいだけ。なのに、それを口にするとあいつらは必ず言う、“女のくせに生意気だ”、“帰国子女だと思って思い上がってる”、“自信過剰だ”―――女だから? 帰国子女だから? 私は私じゃない、なんでそんなカテゴリーで括るの?」
 一度言葉が滑り出してしまうと、止まらなかった。こんな自分は見せたくない、そう思っても、どうしても止まらない。
 「バカなのはあいつらの方だってわかってる。だから傷ついてなんかいない、そう思いたい。なのに、やっぱり胸は痛むし、泣きたくなる―――もう嫌だ! こんなこと位で泣くような弱い自分は、もう嫌―――…!」
 涙が溢れそうになる。涙を人に見せるのは嫌いだった。咄嗟(とっさ)に唇を噛み、涙を押し留めた。
 「泣けって」
 瑞樹にそう言われたが、蕾夏は首を横に振った。小さくため息をつくと、瑞樹は蕾夏の頭を引き寄せ、少々乱暴に抱きしめた。
 「お前なぁ、俺の前でまでそうやって我慢すんなよ。情けなくなるだろ」
 「……っ」

 頬に、肩に、瑞樹の温かさが伝わる。その温かさに、溢れてきた涙が止まらなくなる。
 蕾夏は、肩を震わせ、泣いた。これほど泣いたのは生まれて初めてかもしれない、と思うほど、激しく泣いた。何度も何度もしゃくりあげ、息が苦しかった。
 「お前は、弱くなんかない。最高に強い奴だ。俺が保証する」
 瑞樹の言葉に、蕾夏は必死に首を振る。が、狭い空間なので、あまりうまくできなかった。
 「強いって。誰にも屈してないし、自分に嘘もついてないだろ? お前が俺やカズに優しくなれんのも、お前が強いからだよ」
 「そん、なこと、ないっ」
 「俺が唯一、親友と認めた“女”だぞ。最強の女でなくてどうするよ」

 ―――親友?

 蕾夏は、泣きじゃくったまま、そろそろと顔を上げた。その真意を確かめるかのように、瑞樹のダークグレーの瞳をじっと見つめる。
 「私、が…ハルの親友?」
 「…なんだよ。お前の方は違うのかよ」
 ちょっとムッとしたように―――というより拗ねているように、瑞樹が蕾夏を睨む。その言い方が可笑しくて、蕾夏は、涙を手で拭いながら、思わず吹き出した。
 「…ううん、親友でないと、こんな風には泣けないよ」
 「だろ?」
 蕾夏が笑顔を見せたので、瑞樹は少し安心したように、蕾夏の頭をぐしゃぐしゃっと撫でた。
 「なら、呼び方変えよう」
 「呼び方?」
 「ハンドル、やめよう。お前、佐々木さん以外の会社の連中にも会いたいって言ってたけど、今朝佐々木さんにやったあの説明を、また隼雄たちに繰り返すだけの気力、あるか?」
 今朝、佳那子に「ハルって誰?」と訊かれ、まずチャットの仕組みからハンドルネームの意味、果てはどうやって会話が進むのかまで、延々説明する羽目になったのだ。
 「…ない。そっかぁ…そうだね。本名で呼んだ方がいいのかも」
 「よし。じゃあ―――とっとと仕事を片付けるか。データ、何件だって? 2人でやりゃ、なんとか終わるだろ」
 蕾夏はキョトンとした目をした。
 「え? 手伝ってくれるの?」
 「あのオヤジ気に食わねーから、一泡吹かせるためなら協力する。それに、この間迷惑かけたからな。カズの一件で」
 「…でも、外部の人間に手伝わせるのは、まずくないかなぁ」
 「もう会場に人ほとんどいねーし。何かあれば、2人で土下座して謝りゃ、なんとかなるだろ」
 「土下座なんてさせない! いい、大丈夫、何かあれば、篠沢さんの嘘っぱち営業をぜーんぶ暴露してやるから」
 強気な目線の戻った蕾夏を見て、瑞樹はニッと笑った。
 「勝負しようぜ。あいつと俺らと、どっちが勝つか。もっとも―――あいつの嘘っぱち営業トークを封じ込めるのは、お前一人だけど」
 蕾夏も、瑞樹を真似たように、悪戯(いたずら)をたくらむような笑顔をみせた。
 「当然、一緒に作戦立ててくれるんでしょ?」
 「当然。俺らが勝つ方に、新作映画のチケットを賭ける」
 「私も、私たちが勝つ方に新作ビデオ1本賭ける」
 「はは、それでこそライだ」
 「ちーがうでしょ」
 くすっと笑うと、蕾夏は瑞樹の胸をトン、と指さした。
 「“それでこそ蕾夏だ”、でしょ。自分から言い出しといて間違ってちゃ世話ないよ、瑞樹」

***

 さて、その結果どうなったかと言うと―――。
 瑞樹は新作ビデオを1本ゲットし、蕾夏は新作映画をおごってもらった。篠沢はますます蕾夏が苦手になり、二度と蕾夏の悪口など言えなくなった。
 どうやってそんな奇跡を起こしたのかは―――残念ながら、2人の企業秘密である。


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