Psychedelic Note | size: M / L / under800x600 | |
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ギラギラ照りつける太陽の下、人間がゴロゴロしている江ノ島海岸を見て、瑞樹と蕾夏はげんなりした顔をした。
「プールの方がマシだ…」
「人の頭しか見えない…」
「何ネガティブになってるんだ、2人して。そこに海があるから泳ぐ。それが普通の感覚だぞ」
「あんただけだよ、そんな感覚は」
すっかり体調回復して泳ぐ気120パーセントな久保田を、瑞樹はげんなり顔のまま睨んだ。
「それに私、水着持ってないし」
「俺も持ってきてない」
「…お前ら、何しに江ノ島来たんだよ」
久保田はそう言うが、江ノ島行きが決定したのは、実はおとといの事なのだ。元々水着を持っていなかった瑞樹も蕾夏も、新たに買う以外道はなかった訳だが、昨日も一昨日も2人揃って残業。帰る頃にはデパートも閉まっていた。買うチャンスすらなかった2人が、水着を持ってきていないのは当たり前だ。
「久保田ー! 早く着替えてきなさいよ。神崎もナナも着替え終わってるんだから」
既に水着に着替え済みな佳那子が、手をメガホン状態にして久保田を呼んでいる。背の高い佳那子は、大きく背中のあいた黒のワンピーススタイルの水着を着ている。健康美をそのまま具現化したようなスタイルで、航空会社のポスターにでもそのまま採用したくなる感じだ。
「あら。成田も蕾夏ちゃんも、着替えないの?」
小走りに走って来た佳那子が、荷物も持たずに佇んでいる2人を見て、少し目を丸くした。
「時間がなくて、水着を用意できなかったんだとさ。ついでに、芋洗い状態の江ノ島じゃ、泳ぐ気が失せるらしい」
「えぇ? 江ノ島来て、泳ぐ以外に一体何する気なのよ」
「心配しなくていいよ、佳那子さん。その辺を適当に散策してるから。みんなが疲れた頃合見計らってアイスの差し入れするね」
蕾夏はそう言って、安心させるように佳那子に笑顔を向けた。
***
「疲れたんだろ」
隣を歩きながら、肩の凝りをほぐすみたいに腕をぐるぐる回している蕾夏を見て、瑞樹は思わず苦笑した。
周囲からどう見えていたかはわからないが、瑞樹から見れば、今日の蕾夏は「よそ行き仕様」だ。笑顔を見せてはいるが、それは以前"mimi"に対してやったように、努力してフレンドリーさを醸し出しているに過ぎない。もっとも、それに気づくのは瑞樹位のものだろうが。
「うーん、まぁね。ね、瑞樹から見てどうだった? 奈々美さんに変に気を遣わせたりしてないかな?」
「大丈夫だろ。普段からあんな感じだし」
「なら、良かった。奈々美さんと気まずい感じになるのが一番嫌だったんだ。カズ君とうまくいって欲しいしさ」
「俺は、お前とカズがくっついた方が面白かったんだけどなぁ」
瑞樹の言葉に、蕾夏はキョトンと目を丸くした。
「なんで?」
「気に入ってる奴には、気に入った奴と付き合って欲しいから」
「奈々美さんだって、別に気に食わない訳じゃないでしょ? カズ君には、奈々美さん以上の女の人なんていないんだから、奈々美さんとくっついた方がいいに決まってるじゃない」
「…カズにとってはそうなんだろうなぁ」
俺にはわからねぇ、という風に、瑞樹は肩を竦めてみせた。
「はぁー…それにしても、人だらけだねぇ。私、海なんてほとんど来ないから、驚いた」
蕾夏は、真夏の陽射しに目を細めながら、歩く場所がほとんどない状態の砂浜を見やった。
お盆に入るとくらげシーズンに突入するので、おそらく今日は海水浴客のピークだろう。子供連れ、カップル、学生らしきグループ、会社の慰安旅行風―――とにかく人、人、人で溢れている。
「人しか目に入らないなぁ。瑞樹、一体何撮る気でいるの?」
蕾夏は、瑞樹の手の中にあるカメラを見下ろしながら、そう訊ねた。
「ん? 適当。とりあえずこの先に大きな橋あるから、そのあたりの風景でも撮ろうかと思ってる」
「ふーん…写真撮るって言ってたから、てっきり海岸撮るのかと思ってた」
「―――この海岸にカメラなんか向けたら、女の水着姿目的の盗撮マニアと間違われて、警官に職務質問受けるぞ」
「そ…それは、困るなぁ」
そう答えながら蕾夏は、そういえばさっきアロハシャツに一眼レフという怪しげな男の人が1人で海岸をぶらついてたなぁ、と思い出して、背筋が寒くなった。
***
「も…もう駄目、もう1メートルも泳げない」
和臣は、砂浜にぺったりと座り込んで、もう動けません、という意思を全身で表した。
「情けないなぁ、俺より3つも若いくせに」
「久保田さんと一緒にしないで下さいっ! 江ノ島まで来て遠泳競争やる奴なんていませんよっ!」
「いるだろ、ここに」
「…だから、久保田さん以外には、って事ですよ」
エビフライ定食でくたばってたとは思えないほど元気な久保田を、和臣は恨みがましく睨みあげた。
「休むんなら、瑞樹たち探してきてくれよ。アイス差し入れるって言ってた癖に、全然戻ってこないから」
「―――わかりましたぁ」
海に戻っていく久保田を見送りつつ、奈々美と佳那子の様子を確認する。2人は波打ち際に座り込んで、波で足が洗われるのを楽しんでるようだ。こちらの様子を窺った奈々美と一瞬目が合って、ちょっと鼓動が速まった。
「成田たち、探してくる!」
そう声をかけると、佳那子も振り返り、2人揃って「いってらっしゃい」と手を振った。
荷物をまとめて置いてある場所から自分のパーカーを引っ張り出して羽織ると、和臣は瑞樹と蕾夏の姿を探して歩き出した。
正直、今回の旅行に来るのには、勇気が要った。
和臣はまだ、心の整理がついていない。失恋したらしい、という事実はもう十分受け止めているが、それ以前の問題―――奈々美がいるのに蕾夏に心が動いた、という事実の方は、まだどうにも受け止めかねている。
実際、今こうしていても、蕾夏に見惚れてしまう自分はまだ存在している。彼女が「瑞樹」という名前を当たり前のように口にする度胸がチクリと痛むのも、まだ彼女に対して気持ちがあるからだ。
藤井さんに対する思いなんて、ひとかけらも無くなればいいのに―――和臣は、砂浜に落ちていた小さな石を、ビーチサンダルのつま先でコツンと蹴った。
瑞樹たちは、なかなか見つからなかった。
「どこ行ったんだろ…」
車の周囲にはいなかったし、カメラ片手に海水浴場の中をうろついてるとも思えない。
もしかして水族館にでも行ったのかな、と思い始めた頃、ようやく2人の姿を発見した。
2人は、どうやら橋を撮影しているようだった。
瑞樹がカメラを構え、その横に蕾夏が息を詰めるようにして立っている。邪魔しては悪いと思い、和臣は、撮影が終わるのを待った。
暫く見ていると、撮り終えたのか、瑞樹がカメラを下ろした。一瞬、2人の方へと1歩踏み出しかけた和臣だったが―――その矢先、蕾夏が瑞樹のシャツをくいくい引っ張って、何かを指さした。
「?」
蕾夏の指先を目で辿るが、何を指さしているのか、よくわからない。瑞樹もよくわからないのか、蕾夏の指さした方をじっと見つめたまま、動かなかった。それで、更に説明しようと思ったのだろうか、蕾夏は、少し背伸びをして、なにやら瑞樹に話しかけた。
と、何かに気づいたのか、瑞樹がそれを手で制す。慌てたようにカメラを構えたが。
「あ……」
瑞樹がカメラを構えるより早く、蕾夏が指し示していた辺りから、1羽の鳥が飛び立った。
―――ああ、あれを撮れって言ってたのか、藤井さんは。
上空高く舞い上がった鳥を暫し見送った和臣は、やっと納得して、視線を2人の方に戻した。
瑞樹と蕾夏も、鳥の飛んで行った方向をどこか呆然とした表情で見送っていたのだが―――その視線が、お互いの顔に戻った時。
いきなり、喧嘩が始まった。
遠すぎて、何を言ってるかはわからない。多分、タイミングを逸して撮り損ねてしまったことについて、お互いに文句を言っているのだろう。時折、風に乗って、エキサイトした声が和臣の耳にも届く。音声の聞こえない口喧嘩というのも、傍から見ていると、なんだかチャップリンの無声映画みたいで、奇妙な感じだ。
―――声をかけるタイミングが計れないなぁ。
実際には文句を言い合ってる場面なのに、なんだか仲が良いのを見せつけられてるような気分になってくる。和臣は、思わずため息をついて俯いた。
もういいや、ほっといて戻ろうかな―――そう思った矢先。
「あっ、カズ君!」
「……っ」
息を止めて顔を上げると、少し憤慨した表情の蕾夏が、和臣の方へ走ってくるところだった。
―――う、うわ、まず…。
動揺のあまり、視線を彷徨わせてしまう。気を張ってなかったので、顔が熱くなってくるのがわかる。でも、蕾夏の方はそんなことお構いなしのようだ。
「瑞樹に一言言ってやってよ! シャッターチャンス逃したの、私のせいだって言うんだよ?」
「お前のせいだろうが」
マイペースに歩いて来た瑞樹も、蕾夏に追いつき、ムッとしたように言い放った。憮然とした表情の瑞樹を睨みあげる蕾夏は、例えて言うなら、ドーベルマンに喧嘩を仕掛けるスピッツのような状態だ。
「確かに声はかけたけど、それとシャッター切り損ねたのとは無関係だもんっ!」
「声かけただけじゃねーだろ。腕掴んだだろ。あれでバランス崩して撮り損ねたんだよ。あーあ、せっかく珍しい羽根の色の鳥だったのに」
「いいもん、もう1回見つけるから」
「おー、そんなこと言うなら見つけてみろよ」
「や、やめようよ、2人とも」
見てられなくて、思わず2人の間に割って入ってしまった。すると、蕾夏が、今初めて気づいた、とでも言うように、キョトンとした目で和臣の顔を見た。
「そういえばカズ君、泳いでたんじゃなかったの?」
前後の繋がりを無視したような、ケロリとした調子。
―――なんでそうなるんだよ…。
心底、がっくりくる。人が珍しくシリアスになってたっていうのに、その原因である蕾夏はこの調子なのだ。脱力したくもなる。
「…アイスの差し入れもしないで行方不明になってるから、探して来いって言われたんだよ」
「あ! そうだったね、ごめん」
案の定、アイスのことを忘れて、被写体探しに夢中になっていたようだ。約束通りアイスを買って戻ろうと、3人は海の家に向かって歩きだした。
***
数歩先を、瑞樹が歩く。その少し後ろを、蕾夏が歩く。和臣は更に後ろを歩く。
和臣は、海風にあおられて揺れる蕾夏の髪に見惚れていた。思えば、最初に気に入ったのもこの髪だったよなぁ、と思いながら。
蕾夏は、海の方を向いて歩いていたが、何を思ったのか、急に前を行く瑞樹に並びかけた。
「…ごめんね?」
やっぱり、シャッターチャンスを逃した責任は蕾夏にあったらしい。反省したのか、ちょっとご機嫌を窺うような声の調子だ。
「―――馬鹿か。あれ位で、本気で怒るか」
「でも、ごめん。あの鳥の写真、すっごく欲しかったから…ちょっと、悔しい」
「…ま、明日もチャンスあるだろ」
そう言って、瑞樹は蕾夏の頭をぽんぽん、と撫でた。蕾夏は安心したようにちょっと笑うと、和臣の方を振り返った。
「あのね。背中から尾までが綺麗に青色が通ってて、体型もスラリと綺麗な、あんまり見たことないような鳥だったの。森なんかにいそうな鳥だったけど、なんで海に来てたんだろうね?」
「え? えーと…」
なんと答えればいいのかわからず、和臣は曖昧な返事を返してしまった。そんな和臣の様子に、蕾夏は少し眉をひそめた。
「どうしたの、元気ないね」
「あー…うん。ちょっと、泳ぎ疲れたかなぁ。奈々美さん、佳那子さんとばっかり遊んでるから、オレ、必然的に久保田さんの相手するしかなくて、かなり泳いじゃったんだよね」
実際泳ぎ疲れてはいるが、元気が無いのはそのせいではない。でも、誤魔化すように苦笑いを浮かべ、そう答えた。
それを聞いた蕾夏は、何かに思い至ったらしく、なるほどね、といった表情をして、和臣の頭に手を伸ばした。
「ははぁ…さてはカズ君、奈々美さんを佳那子さんにとられちゃって、寂しいんでしょ?」
「え?」
「しょうがないよ、奈々美さんと佳那子さん、すっごく仲いいもん。
よしよし、という風に、背伸びをした蕾夏が和臣の髪を撫でた。
途端―――ついさっきまで渦巻いてた感情が、ストン、とどこかに落ち着いてしまった。
―――あ、あれ? なんで?
あれほどぐじぐじと悩んでいたのに―――嘘みたいに、消えている。蕾夏にはハンド・パワーでもあるのだろうか?
そして、感情の波がおさまると、それまで混乱のせいで霞んでしまっていたいろんなものが、急にクリアに見えてきた気がした。奈々美に対する“好き”も、蕾夏に対する“好き”も―――全てが、だんだんはっきり見えてくる。
―――もしかしたら。
和臣は、自分でも理解できなかった、自分の中の“好き”の正体を、朧気ながら掴んだ気がした。
***
アイスクリームを買って戻ると、残り3人が待ちくたびれていた。
「おいおい、どこ行ってたんだよ、2人とも」
「橋撮ってた」
事実報告のみ、といった瑞樹の答えに久保田が満足する訳がない。
瑞樹が久保田と、蕾夏が佳那子と、お互い何をしてたかの話をしている間、和臣は、あぶれた形になった奈々美に声をかけた。
「奈々美さん、疲れた?」
「ん、ちょっとね。佳那子ってば元気なんだもの。同じレベルで泳いだり遊んだりしてたら、こっちの体力が尽きちゃう」
奈々美はそう言って困ったように笑う。自分も久保田に付き合って体力を使い果たしてしまったところなので、和臣は「わかるなぁ」という顔で苦笑した。
「…あのさ、奈々美さん」
「ん? なぁに?」
「―――ちょっと、手、握ってみていいかなぁ?」
ためらいがちにそう言う和臣を、奈々美は、ちょっと驚いたように見上げた。断られるのを覚悟してるような和臣の目を見て、自然、赤面してしまう。
「な、なんなの? 急に」
「うーん…? なんだろう。カップルが多いから、ちょっと悔しくなった、かな?」
「やだ、なにそれ」
奈々美はクスクス笑うと、少し考えるように首を傾げ、やがて、おそるおそる右手を和臣に差し出した。
和臣も、おそるおそる、という感じに、奈々美の手を握ってみる。
小さくて、赤ちゃんを連想させるような手。握ってみると温かくて、指先から幸せが浸透していくような気がした。
―――ああ、やっぱり、そうだ。
和臣は、バラバラだったピースがストン、と綺麗にはまっていくのを感じた。
藤井さんに“触れたい”。そう思ってたけど、違う。逆だ。
“触れて欲しい”んだ。藤井さんに対する“好き”は、受身なんだ。
自分から彼女に触れようとは思わない。混乱して、ついキスなんかしちゃったから、見えなくなっただけ。彼女のことは遠くから、ああ綺麗だなぁ、って眺めてるのが一番いいような気がする。
名付けるとすれば―――「憧れ」。藤井さんに対する“好き”は、それだ。
オレが本当に“触れたい”のは、奈々美さん。
こうやって手を繋いでいると、絶対離しちゃ駄目だ、って思う。振り払われても、きっとどこまでだって追いかけてく。何年でも、何十年でも、こうして手を繋いでいようって思う。
この“好き”の名前は、もうわかってる。
こういうのを、「愛」って言うんだ。
そうか―――“好き”にも、いろんな種類があるんだよな…。
「神崎君? もういい?」
奈々美が戸惑ったように声をかける。
そんな奈々美に、和臣は、いつもの柔らかい笑顔を見せた。
「ごめん、もうちょっと、こうしてていい?」
―――勿論、断られても離す気なんてないけれど。
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