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no038:

-odai:72-

 

洒落ニナラナイ、シチュエイション。

―98.09―

 尋常じゃない寝苦しさを感じ、瑞樹は半ば強制的に目を覚まさせられた。
 起き上がろうとして、頭が痛いことに気づく。数年来経験したことがないので忘れかけていたが、この頭痛は二日酔いの時のものだ。
 「…痛ぇ…」
 思わずこめかみを押さえ、また枕の上の頭を乗せる。そこで気づいた。
 ―――どこだよ、ここ。
 見覚えの無い壁紙の模様が目に入った。壁の少し上にある窓から、朝陽らしき日の光が入ってきている。腕時計を確認する。午前6時過ぎだ。
 体を反転させようとしたが、うまくいかなかった。何かが瑞樹の体に乗っかっていたのだ。寝苦しさの原因は、これのようだ。
 目線を自らの体に移動させると、そこには、どう考えても自分のものではない腕があった。
 ―――ちょっと待て。誰だよ、これ。
 自分に抱きついてる腕を引き剥がし、瑞樹は後ろを振り返った。
 するとそこには、見覚えのある顔が、満足げな笑みを浮かべて、すやすや眠っていた。
 その顔を見た途端、霞のかかっていた記憶が、嫌というほどはっきり甦ってきた。
 水分が抜けきったようなパサパサの赤毛、童顔を隠すためのど派手な化粧―――そう、この人物に、昨日もまた待伏せされたのだ。自宅のある駅の改札口で。
 「…んのヤロ…! リカ! 起きやがれっ!!!」
 「きゃあ!」
 瑞樹の怒鳴り声に驚いて、リカは飛び起きた。怒鳴った張本人も、自分の怒鳴り声が二日酔いの頭に響き、思わず頭を抱えた。
 「な、な、な、なによぉ〜っ、朝っぱらから大きな声出して」
 心臓がドキドキいっているのか、リカは自分の胸に手をあてながら、瑞樹に抗議した。その姿を見て、瑞樹は更に頭が痛くなった。
 「…なんで何も着てねーんだよ…」
 自分が服を着ているからこの程度の怒りで済んだのだ。自分も着ていなかったら、洒落にならない。
 「あら、だってあたし、ヌードモデルだもーん。体型が崩れないように下着をつけずに寝るのが常識よぉ」
 「とっとと着ろ!」
 すぐにでも出て行きたかったが、頭痛が酷すぎる。瑞樹は頭を押さえたまま、這い出るようにしてベッドから降り、すぐそばの椅子に腰掛けた。ぶちぶち言いながら服を着始めたリカに背をむけるようにしたのは、言うまでもない。

 リカは、例のパリ帰りのヌードモデルである。
 昨夜、瑞樹を待伏せしたリカは、今度はデイパック丸ごとを人質にとった。
 新しい彼氏が浮気したとかで、無理矢理居酒屋に連れ込まれグダグタと愚痴るのを聞かされ続けたが、その間、かなりの酒を、しかもチャンポンで飲まされた…らしい。正直、最後の方はほとんど記憶にない。滅多に酒に酔うことのない瑞樹がノックダウンされたのだから、相当な量を飲まされたのだろう。
 「でも成田君、凄いねー。あれだけ酔ってるのに、いくら服脱がせようとしても、がんとして抵抗してたもん。着たまま襲っちゃおうかなーと思ったけど無理だったわ」
 「…襲うな」
 「だってぇ〜、人肌恋しかったんだもの〜。ねぇ、朝ご飯一緒に食べるでしょ? このホテルの1階にあるレストラン、朝のバイキングがおいしいって有名なんだってさ」
 瑞樹は大きなため息をつくと、荷物をひっつかみ、痛む頭を無視して立ち上がった。
 「え〜、帰っちゃうの? 朝ご飯は〜?」
 「―――いいか。最終通告だから、よく聞け」
 疲れたようにリカの方に振り向いた瑞樹は、和臣曰く「2、3人殺してそうなオーラ」を発して、リカを睨んだ。
 「次にその面見せたら、東京湾に沈める。覚えとけ」
 さすがのリカも、本物の殺気を感じて固まる。ぜんまい仕掛けの人形みたいにコクコク頷くリカをもう一度睨んでから、瑞樹は部屋を出ていった。

***

 「よっ、瑞樹。おはよ」
 駅から会社までの道すがら、偶然久保田とはちあわせしてしまった瑞樹は、気だるい表情のまま、挨拶代わりに片手だけ挙げてみせた。
 「なんだ、朝っぱらからえらく冴えない顔してるな」
 「…リカに()められた」
 「リカ?」
 「大学ん時、写真部に出入りしてたバカ高校生」
 「―――あーあーあー、思い出した。蒲原先輩にくっついてパリ行っちゃった子だ。帰国してたのか」
 「6月頃に」
 「へーえ。…で、嵌められたって?」
 「襲われかけた」
 「……」
 「未遂だけど。ダッシュで家帰って、シャワー浴びて服着替えて、パン食いながら駅まで走ったら、一日の体力使い果たした気分」
 「よ…良かったな、無事で」
 引きつった笑いで相槌を打つ久保田の背中に、冷や汗が伝った。
 「目が覚めたら知らない部屋で隣に女が寝てる、って設定、ドラマとしては面白いけど、現実問題、洒落にならねーよ…」
 「そ、そうだな」
 「…なんで隼雄が動揺してんだよ」
 「動揺!? ど、動揺なんかしてないぞっ」
 そう言って笑う久保田の顔は、明らかに動揺していて、顔中の筋肉が誤作動を起こしている感じだ。
 「―――あ、そう」
 興味なさげに瑞樹はそう言い、だるそうに前髪を掻き上げた。が。
 「そういうきっかけだったとは、知らなかったな」
 さりげなくつけ加えられたその言葉に、久保田は自分が墓穴を掘ったことを確信した。

***

 「成田ぁ…藤井さん、借りてもいい?」
 「…俺は蕾夏の貸し出し係かよ」
 バックアップのためのCD−Rをセットしつつ、瑞樹は和臣を睨んだ。佳那子の席を拝借している和臣は、幽霊のような顔つきで頬杖をついていた。
 和臣の「藤井さん貸して」は、これが初めてではない。瑞樹と蕾夏の路上大バトル事件。あの直後も、今と同じような顔でシステム部にやってきた。「奈々美さんが口きいてくれないんだよ〜」というのが理由だった。責任も感じたので、その時は蕾夏と2人して和臣を励ましまくったのだ。
 「だぁって、オレ、信用ないもん。成田と一緒でないと会ってもらえないからさ」
 「自業自得だろ。今回は何だよ」
 「奈々美さん、取引先の人から、食事に誘われたんだって」
 「…あのなぁ。その位でいちいち落ち込むなよ」
 「だってっ! 相手の男、奈々美さんより3つ年上で、しかも今係長だっていうんだよ! みんなの話じゃ、将来有望株の超エリートだって言うしっ! しかも奈々美さん、OKしちゃうしっ!」
 「別にいいだろ、食事位」
 「あああ、もー…藤井さぁん」
 「―――だから、なんでそこで蕾夏になるんだよ。お前の精神構造、どっか変だぞ」
 「いーから、貸せっ!」
 キッ、と睨む和臣のヒステリックなオーラに、瑞樹は負けた。

***

 急な呼び出しにもかかわらず、蕾夏はOKしてくれた。
 仕事のせいで集合が遅くなったことと、明日が土曜日で休みということもあり、結局3人で瑞樹の家に上がり込み、好きなだけ和臣に愚痴ってもらおう、ということになった。
 「なに、藤井さんて、よく成田ん家来てるの?」
 少々驚いた様子で和臣が隣に座る蕾夏の顔を覗き込む。買ってきたピスタチオナッツの袋を破っていた蕾夏は、悪びれる風もなく頷く。
 「たまーにお邪魔してる。瑞樹んとこ、ワイド画面だしスピーカーもいいから」
 「でも、バレたら佳那子さんにまた叱られるんじゃない?」
 「あはは、だから内緒ね」
 「あ、久しぶりだ、藤井さんの笑い声。あー癒される」
 「…お前、絶対精神構造変だって」
 瑞樹は憮然とした表情で、テーブルの上にスクリュードライバーの小瓶をドン! と置いた。
 蕾夏も、コンビニの袋をがさがさと漁ったかと思うと、テーブルの上に何かの瓶を、同じようにドン! と置いた。それを見て、瑞樹の表情が変わる。
 「え…なんだよ、それ」
 「カクテルバーのアプリコットフィズ」
 「そりゃ見てわかるよ。―――まさか、お前が飲む気?」
 「いけない?」
 思わず蕾夏の顔をまじまじと見てしまう。
 蕾夏は、酒に弱い。というより、ほとんど飲めない。飲みに行った時なら多少口にはするものの、それ以外で酒類を飲む事はまずないのだ。勿論、瑞樹の部屋にビデオを見に来る時も、鑑賞の友は常にウーロン茶だ。
 どうかしたのだろうか? ―――特に表情にいつもと違ったところは見られない気もするが。
 「あー、オレ、シュークリーム買ってくればよかった」
 何も疑問に感じていない和臣は、残念そうにそう言った。
 「成田ぁ、買ってきて」
 「バカ、お前、なんのために俺がいると思ってんだ?」
 「…そうでした。買ってきます」
 瑞樹が出て行ってしまったら、和臣と蕾夏が2人きりになってしまう、という事実に気づいたらしい。しゅんとした様子で、和臣は部屋を出ていった。
 酒にシュークリームは合わないんじゃなかろうか、と考えつつ、瑞樹は、自分の分のカクテルバーを冷蔵庫から取り出し、席に戻った。
 「―――…?」
 ふと視線を感じ、蕾夏の方を見ると、ピスタチオナッツの殻をむいていた蕾夏が、その手を止めてじっと瑞樹の顔を見ていた。
 瑞樹が不審気に視線を返すと、蕾夏は自分の右鎖骨のあたりをトントン、と人差し指で示してみせた。
 「なに」
 「ついてる、キスマーク」
 「は!?」
 本当かどうか確認するより先に、思わずその示された場所を手で押さえてしまった。
 「さっき気づいたけど、カズ君いたから言えなくて―――シャツのボタン、もう1つ留めた方がいいよ」
 「…あの野郎…っ!」
 怒りで頭の血が沸騰しそうになる。今朝見たリカの顔を思い出し、頭の中で思いっきり罵倒しながら、瑞樹は言われた通りシャツのボタンを留めた。
 「あの野郎って言い方ないでしょ? 女の子相手なのに」
 再びピスタチオナッツを手に取った蕾夏が、呆れたように言う。事情を知らないのだから、そう言うのも当然だ。
 「おい、違うぞ。勘違いすんなよ」
 「え、別にいいよー、言い訳しなくても。瑞樹にそういう相手がいてもおかしくないもの。…とはいえ、そういうの見ちゃうと、やっぱ瑞樹も男の人だったんだなー、と改めて実感して、焦っちゃうね」
 あはははは、と、いつも通りの笑い方をされると、何も言えなくなってしまう。
 誰に対してなのかわからない怒りがこみあげてきて、瑞樹は力任せにカクテルバーの蓋をキリリと()じ切った。

***

 尋常じゃない寝苦しさを感じ、瑞樹は半ば強制的に目を覚まさせられた。
 目を開けると、和臣のどアップが飛び込んできて、反射的に大きく飛びのいてしまった。
 ―――なんでこんな近くで寝てるんだよっ!
 寝苦しさの正体はすぐわかった。和臣の脚が、瑞樹の上に思いっきり乗っかっている。どうやったらこんな寝相になるんだ、と心の中で悪態をつきながら、瑞樹は和臣の脚を足でぐいぐいと押しやった。
 「あ、目、覚めた?」
 視界の外から声がして、瑞樹は体を起こした。どうやら、2人とも床に転がって寝ていたらしい。
 蕾夏は、テレビ画面の前に膝を抱えて座っていた。画面には映画のエンディングが流れている。見ていたビデオがちょうど終わったところのようだ。
 「なんだ。お前、ずっと起きてたのか」
 「うん、眠れなくて。ヒッチコック見てたから全然退屈しなかったけどね」
 そう答える蕾夏の目は、いつもより少し赤く見えた。目が疲れてるせいなのか、他に理由があるのか、まだ寝ぼけた状態の瑞樹の頭では、判断がつかなかった。
 「今、何時?」
 「6時半。もう始発動いてるから、そろそろ帰るね」
 「わかった。駅まで送る」
 瑞樹は2、3度頭を振ると立ち上がった。

***

 昨晩は結局、午前2時近くまで和臣の愚痴を聞かされたが、朝のドタバタの影響もあって、不覚にも瑞樹が一番早く眠り込んでしまった。蕾夏は、慣れない酒を飲んでいたにもかかわらず、結局一睡もしなかったらしい。
 「カズはいつ頃眠った?」
 「えーと、瑞樹が眠っちゃってから30分位経ってから。暫く寝言がうるさかったけどね」
 ついこの間まで暑い暑いと文句を言っていたのに、早朝の空気はひんやりと冷たい。9月も後半に入り、いろんなものに秋を感じるようになった。
 土曜日のせいもあり、歩いている人はほとんどいない。そんな中、2人連れ立って、駅へとのんびり歩いていた。和臣は、一度声をかけたが無反応だったので、鍵をかけた部屋の中に置き去りにしてある。
 「悪かったな、昨日は。急に呼び出したりして」
 「ううん、いいよ。私もちょっとパーッと遊びたい気分だったから。カズ君も元気になったみたいだし」
 「よくわかんねーよなぁ…お前に頭撫でられると元気になるって、どういう事なんだろう?」
 「初対面が病院だったから、かな。条件反射じゃない? ―――あー、でも、ちょっと肩凝ったなぁ。ずっと画面見てたから」
 そう言って蕾夏は、肩をグルグル回した。それを何気なく見ていた瑞樹は、ある物に気づき、思わず足を止めてしまった。

 「―――…」

 「何?」
 不審気な表情で自分を見下ろす瑞樹に気づき、蕾夏も立ち止まってキョトンと目を丸くした。
 「それ、どうした?」
 「え?」
 「ここ」
 直接触るのはためらわれるので、シャツの襟元を指で指し示した。
 蕾夏の首筋の、襟で微妙に隠れている場所に、赤い(あと)がついていた。色が白いので、余計にその生々しさが目立つ。
 最初、意味がわからないかのように目を丸くしたままだった蕾夏が、何かに思いあたったのか―――さっ、と表情を変えた。
 「……ッ!」
 弾かれたように、瑞樹の手を払い除ける。そのはずみで、蕾夏の爪が瑞樹の手の甲を軽くひっかいてしまった。
 「いてっ」
 「あっ…ご、ごめん!」
 すぐに、済まなそうな表情が蕾夏の顔に浮かんだ。が、そうしながらも蕾夏は、シャツの襟元を慌てたようにかき寄せていた。その顔は、何故か少し蒼褪めている。
 「こ、ここまででいい! ごめん、また夜電話する!」
 「え?」
 「じゃねっ!」
 「お、おい、蕾夏!」
 驚く瑞樹の方を振り返ろうともせず、蕾夏は駅に向かって走り去ってしまった。全力疾走なのだろう、あっという間に交差点を渡り、その向こうへ消えてしまった。

 ひっかき傷の残った手の甲を押さえたまま、暫し、呆然とする。
 「―――…痛ぇ…」
 瑞樹の口から、そんな言葉がこぼれた。
 でも、痛んでいるのは、怪我をした手の甲ではない。
 思わず言葉に出してしまいたくなるほどの痛みを訴えている個所―――でも、それが「どこ」なのか、瑞樹自身にもわからなかった。


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