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no041:
ヨーグルト
-odai:92-

 

生マレ変ワル為ノ、レシピ。

―98.10―

 うんざりした表情で携帯電話をバッグにしまう奈々美を見て、佳那子は苦笑いを浮かべた。
 「二度とかけてくるな、って顔してるわよ」
 「そりゃそうよ。毎日だもの。1回食事に付き合っただけなのに、しつこいしつこい…もう最悪よ」
 「人間、肩書きじゃないわねぇ。みんなの憧れ、将来有望株の超エリート君が、こんなストーカー気質の男だったなんて」
 「食事中も、出てくる話と言ったらお母さんの話ばっかりよ。マザコンのストーカーなんて最低っ」
 奈々美は、ちょっと頬をふくらまして、透明な器に入ったヨーグルトとドライフルーツを自棄気味に混ぜた。
 「…ねぇ、さっきから気になってるんだけど、ナナの昼食って、それだけ?」
 ここは、1階のファミリーレストランである。ランチタイムなので、佳那子は無難に「今日のランチ」を食べている。一方奈々美の前には、3時のおやつといった風情のヨーグルトしか置かれていない。
 「そうよ。これだけ」
 「足りるの? 先週位までは普通のランチ食べてたじゃない」
 「今、私、ダイエット中なの」
 「ダイエット!?」
 佳那子の目が丸くなる。
 「どこを削る気なのよ!? 私より体重もずーっと軽いのに!」
 「何言ってるのよ、佳那子と私じゃ身長が全然違うでしょ。軽いのは当たり前。もっと軽くてもいい位よ」
 そうは言っても…と、佳那子は目の前の友人の姿を凝視してしまう。
 確かに奈々美は丸顔だ。それは太っているとか痩せている以前の問題だからしょうがない。体型は、別に痩せてる訳ではないが、決して太っている方ではない。骨が細く水分が多い、典型的なもち肌美人だ。いいことじゃないの、と佳那子は思う。
 だが、奈々美を説明する時、よく用いられる表現は「小さくて丸顔でフワフワっとした人」だ。この表現の中盤以降が、ダイエットを思い立った理由なのかもしれない。
 「でも、なんで急に?」
 極当然の疑問を、佳那子は口にした。これまで奈々美がダイエットをしたことなど一度もない。それに、奈々美は乳製品全般が嫌いだ。ヨーグルトを食べているのなんて、今まで見たことがなかった。少なくとも、会社に入ってからは。
 奈々美はその問いに答えず、暫くヨーグルトを黙々と口に運んだ。そして、ポツリと呟いた。
 「…神崎君のせい、かな」
 「え?」
 それ以上、奈々美は何も言わなかった。

***

 「えっ、奈々美さん、ダイエットしてるの?」
 和臣は、佳那子の言葉に目を丸くした。
 「あのまんまでいいのに。どうしたんだろう?」
 「ナナは、神崎のせいでダイエットを決心したみたいよ」
 「オレの? まさか」
 有り得ないとでも言いた気に和臣は笑う。だが、じっと睨みつける佳那子の顔を見ているうちに、その笑顔も次第に消えていった。
 「あの…ホントに?」
 「嘘ついてどうするのよ。ナナは、そう言ってたの。神崎、何かナナに言ったんじゃない?」
 「えー…何言ったかなぁ」
 和臣は書類を書いていたペンを完全に置いて、うーむ、と首を傾げた。
 「もしかして、あれかな。来週の店頭デモの件」
 「店頭デモ?」
 「うん。販促活動でさ、秋葉原の量販店での店頭デモを企画したんだ。メインは久保田さんの企画だけど、オレも一枚かんでるの。で、デモを誰が実際にやるか、って話になった時に、オレが奈々美さんを推したんだよね。企画って女の子いないし」
 佳那子には初耳の話だった。久保田と和臣が担当してるということは、今月発売のセキュリティソフトの件だろう。佳那子は最近ディスク管理ツールの話にかかりきりで、そのソフトの件には詳しくなかった。
 「何、今回は店頭デモ、社内の人間で賄うことにしたの?」
 「そ。予算的にも厳しいし、コンパニオンだとわざとらしい喋り方で良くないっていつも思ってたからさ。奈々美さんは、あのフワッとしたムードが、一般客に話しかけられやすくて、適任だと思ったんだ」
 「…なかなかいいところに目つけたじゃない、神崎」
 「えへへ、それほどでも」
 にんまり、と笑う和臣の表情は、どこか久保田に似てきていて時々ぎょっとする事がある。いつも一緒に仕事をしているので、久保田の鷹揚なムードが伝染しているのかもしれない。
 「でも奈々美さん、あのまんまでいいのになぁ。あのフワフワした感じがいいんだから、ダイエットなんてしちゃ駄目だよ」
 「そう思うなら、あんたから言いなさい」
 佳那子は和臣の肩をポン、と叩いた。
 「あんたがそう言えば、ナナも考え直すかもしれないし」
 少なくとも、和臣が奈々美を変えつつあるのは、確かなようだ。一途に奈々美を想い通した和臣の事を考えると、これはいい傾向かもしれない。
 システム部に戻り、再びディスプレイの前に座った佳那子は、無意識のうちに微笑んでいた。

***

 「奈々美ちゃん、今日もご飯いらないの?」
 叔母に言われ、奈々美は曖昧に笑った。
 「ん、ごめんね、おばさん。あと4、5日の辛抱だから」
 「でも、1日3食全部ヨーグルトじゃ体がもたないんじゃないの? 危ないダイエットなんかして倒れたりしたら、静岡のお母さんたちに顔向けできないわ」
 「大丈夫よ。その辺はちゃんと考えてる。ドライフルーツ入れたり、シリアル入れたり、ね」
 まだ何か言いた気な叔母を無視し、奈々美はシリアル入りのヨーグルトを口に運んだ。最初に食べた時は、こんなの絶対無理、と早くもギブアップしそうになったが、慣れてみれば結構おいしい。酸味の少ないタイプを選んだせいかもしれない。
 この日は、帰宅直前、和臣に呼び止められた。佳那子から最近の食生活を聞かされたらしく、ちょっと心配そうな顔をしていた。
 『奈々美さんはそのフワッとしたムードがいいんだから、ダイエットなんか必要ないよ。店頭デモに推したのも、そのムードがあってのことだから』
 和臣の言う事は、十分承知していた。奈々美だって、極端なダイエットなどする気はないのだ。実際、たいして体重も落ちていないし、見た目も変わっていない。
 でも、やめない―――と、奈々美は決意を新たにする。
 少しでも綺麗に見えるよう、努力がしたい。このままでいい、という和臣の言葉は本当だろう。それでも、ほんの1パーセントでいいから、今より綺麗になりたい。いや、綺麗にならなくてもいい、そのための努力をしたという充足感が欲しい。
 そう、欲しいのは、綺麗になった自分じゃなくて、綺麗になる努力をした自分だ。
 それができれば、生まれ変われるかもしれない、と、奈々美は感じていた。

***

 営業部長の口から店頭デモの話が出た時、奈々美は咄嗟にいつもの悪い癖を出してしまった。
 「わ、私になんて、無理です!」
 「そんなことないだろう? 社内で日常的に使ってるソフトだし、新人の子に教えることもあるじゃないか」
 「いえ、でも、店頭デモなんて普通、コンパニオンを雇うじゃないですか…。私みたいなチビで素人っぽいのが立ってても、全然目立たないし…」
 奈々美も、仕事の関係上、そういったデモに立ち会った経験は何度かあった。派遣されてきたコンパニオンは、みんなスラリと背が高くて、愛らしさのある美人タイプが多かった。コンパニオンに囲まれると、小柄な奈々美などその中に埋もれてしまって全然見えない。自分がデモなんかに立っても、客がその存在に気づかずに素通りしてしまうんじゃないだろうか―――そう、思える。
 奈々美の自信なさげな言葉に、営業部長は大笑いした。
 「ははははは、なるほどなぁ、言う人間が変われば、同じ特徴も全然違う見方になるもんだなぁ」
 「え?」
 「木下をデモ担当に、って推したの、神崎なんだよ」
 意外な話に、奈々美は言葉に詰まった。
 「神崎曰く、木下は小柄で庶民的で、一般客が気圧されずに話しかける事ができるムードがあるんだそうだ。今までデモに足を止めなかったような多くの客を、木下のデモならきっと集められるって豪語してたよ。僕もそう思うから受けたんだけどな。顧客の裾野を広げるためにも、いい企画だよ」
 「……」
 「人前で話すのは慣れていないし、大変だろう。でも、あの人当たりのいい神崎も一緒に店頭に立つ訳だし、いろいろ助けてくれると思うぞ。いつも社内補佐ばっかりで面白くないだろう。たまには表舞台でやってみろ」
 思わず赤面してしまって、耳まで熱くなった。
 無邪気に奈々美を追いかけまわすだけで、いつまでも新人気分が抜けてないと思っていた和臣が、今では部長にこんな風に言われるほどに成長してたなんて、奈々美は全然気づかずにいた。でも、考えてみれば、和臣は常に久保田にぴったりくっついて、客先を精力的に回り、他社の販売戦略の研究にも余念がない。企画で1、2を争う退社時刻の遅さは有名だ。仕事になると、和臣はなかなかのやり手なのだ。
 ―――私って、神崎君と釣りあわない、なんて卑下しながら、どこかで神崎君を見縊(みくび)ってたかも…。
 急に恥ずかしくなった。3歳年下の和臣の方が、人を見る目は養われているように思う。久保田をお手本に、着実に成長していってる和臣―――それに比べて自分は、一体何をやっているんだろう?
 このデモが成功したら、自分も自信がつくかもしれない。
 和臣が言ってくれた、庶民的で話しかけやすいという武器―――それを実感できるかもしれない。
 社内にいては、絶対実感することはない。これは大きなチャンスだ。
 「やります。やらせて下さい。頑張ります」
 奈々美は、はっきりとそう答えた。お腹の底からしっかり声を出したのは、随分久しぶりの事のような気がした。

***

 「でもだからって、なんでヨーグルトな訳?」
 店頭デモも明日に迫った日、ロッカールームで佳那子が眉をひそめて、首を傾げた。
 「ん、別に、何でも良かったんだけどね」
 パチン、とコンパクトを閉じ、奈々美は笑った。
 「私、乳製品ダメでしょ。嫌いな物は食べないで済ませてきたし、綺麗になる為に何か努力をした事もなかった。自分に自信がない、なんて言いながら、今の自分を向上させる努力なんて、何一つしてなかったなぁ、って気づいたのよ。このままデモに立つなんて、メイクしないでテレビに出るに等しいって思ったの」
 「…で、ヨーグルト?」
 「気のせいかもしれないけど、すこーしだけ、顔がひきしまった気がする。体調が良くなって、血色も良くなった気がする。…それで、いいの。自分が“そんな気がする”だけで、いいの」
 そう言う奈々美は、これまでになく、前向きな目線をしている。私なんて、が口癖だった奈々美とは、明らかにどこか違っていた。
 「それってやっぱり、神崎の影響?」
 「うん。…私ね、神崎君にデートに誘われた時より、神崎君が私をデモ担当に推してくれた時の方が、凄く嬉しかったの。何百回“好きだ”って言われるよりも、今回の事が一番、嬉しかった。神崎君が期待してくれたんだもん、それに応えたい。期待を裏切らないよう努力したい。心からそう思える」
 それにね、と、奈々美はつけ加えた。
 「神崎君に、負けたくない。だって、1年で信じられない位成長してるんだもん、神崎君は。私も、昨日の私より少しでも成長してなくちゃね」
 「うん―――それは、いい傾向だわ」
 佳那子は、これまで奈々美が見たことがない位、優しそうな笑顔を見せた。
 「今のナナ、とってもいい表情してる。―――昨日までのナナより、確実に成長してるわよ」

***

 デモのために用意された黄色のスタジャンは、いまいち奈々美には大きかった。
 「ねぇ、どっか変じゃない? 見た目おかしくない?」
 商品棚の陰で右を向いたり左を向いたりしながら、奈々美は和臣に何度も確認した。和臣もお揃いのスタジャンを着ていたが、背の高い彼にはピッタリサイズが支給されている。ずるい、と奈々美は抗議したが、MサイズとLサイズしかない、との一言で片付けられてしまった。
 「全然おかしくないよ。可愛い可愛い」
 「…年上に“可愛い”はないんじゃない? 神崎君」
 「いやー、だって、可愛いものは年齢関係なく可愛いもの」
 そう言って、和臣は奈々美の頭をなでなで、という感じで撫でた。仕事でこんな風に接するのは初めてで、なんだかくすぐったい。
 「でも、土日潰しちゃうことになってゴメンね、奈々美さん」
 「ううん。外の仕事って初めてだから、すっごく楽しみだったし」
 「おーい、そこ、サボるなよー」
 丸めたパンフレットで、久保田が2人の頭をポコン、と叩いた。久保田だけは何故かスタジャンを着ていない。責任者という立場で、いざという時のために待機しているのだ。もっとも、派手な黄色のスタジャンは、支給されたところで絶対久保田には似合わないが。
 「久保田さんもお疲れ様でーす」
 「おう。お前らだけじゃ心配だからな。どうだ? ちっとは質問とか来てるか?」
 「ちょくちょく。デモは1時からですけど、ビラ配りも結構順調にこなしてますよ」
 「そうか。じゃ、あの怪しいカップルにもビラ配ってやれ」
 久保田がそう言って指さした先を見て、奈々美も和臣も固まった。
 黒の綿シャツにGパン、レイ・バンのサングラス、という姿の男性。白の綿シャツにやはりGパン、丸いサングラス、という姿の女性。2人はすぐ隣のDTMコーナーで、軽快なロックを奏でるパソコンを巡ってなにやら議論していた。何か意見が食い違ったらしく、エキサイトしているムードがこちらにも伝わってくる。
 ―――どう見ても、成田君と藤井さんじゃない…。
 「あの、意味のないサングラスって、一応変装のつもりなのかな…」
 「ただ怪しいだけよねぇ…」
 奈々美と和臣は、思わず顔を見合わせて、吹き出してしまった。
 「じゃ、オレ、さっそく“怪しいカップル”にビラ配ってきます〜」
 和臣はそう言って、嬉しそうに走っていった。日頃瑞樹をいたぶるチャンスなんて滅多にないから、よほど嬉しいのだろう。「お客さーん、デモ見てって下さいよー」と2人の背後から割り込む和臣を少し離れて眺め、ほんと、ああいうところはやっぱり子供だなぁ、と奈々美は苦笑した。

 「あの、あなた、この会社の人?」
 その時、中年の女性に声をかけられ、奈々美は慌てて仕事モードに戻った。
 「あ、はい。そうです」
 「実は息子に頼まれて来たんだけどねぇ…このソフトなのか、他のソフトなのか、全然見分けがつかなくて困ってるの。ちょっと見てもらえる?」
 本当に困ったという顔のその女性が手に持っているメモは、何度も何度も折り曲げたような跡がある。もしかしたら、店員にでも訊こうと思ってもなかなかつかまらず、何分もこの辺りをウロウロしていたのかもしれない。
 ―――私が、話しかけやすかったから、声かけてくれたのかな。
 「ええ、いいですよ。なんでもご相談下さいね」
 ほっとしたような女性の顔を見て、奈々美の胸が少し温かくなった。


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