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no043:
しせん
-odai:41-

 

重ナル視線。重ナル感情。

―98.10―

 どこかで携帯電話が鳴っている。
 瑞樹はその音を、浅い眠りの中で聴いていた。
 条件反射的に、いつも携帯を置いているパソコン脇のスペースに手を伸ばし、まだ半分眠った状態のまま、通話ボタンを押す。
 「…はい」
 『瑞樹? ―――もしかして寝てたの?』
 「…うたた寝してた。今何時?」
 『午前11時ちょい過ぎ。うたた寝するって時間帯じゃないよ』
 「つけてたテレビがつまらな過ぎた…ちょっと待て」
 欠伸をしながら髪をくしゃっとかきあげると、瑞樹はテレビのリモコンを探した。思っていたのとは全く違う場所に転がってるのを発見し、ようやくテレビを消す。
 「ん、OK。どうした?」
 『いや、ヒマだなー、と思って。お天気いいからどっか行こうかと思ったんだけど、一人じゃ面白くないし。瑞樹はどうしてるかなと思って、かけてみた』
 「見てのとおり俺も暇だ」
 『見えないよ』
 電話の向こうの蕾夏が、クスクス笑った。
 窓の外を覗いてみると、いかにも秋晴れという高い空が見える。外をぶらぶら歩いたら気持ちが良さそうだ。
 「久々に写真撮りに行くかなぁ…一緒に来るか?」

***

 土曜日の浅草は、ほどよい人出で賑わっている。
 「お前、こっち長いのに浅草来た事ないって、珍しいな」
 「来る機会がなかったんだもの。一人暮らし始めてからは、浅草の存在自体忘れたし」
 「そう言う俺も、1回しか来た事ないけどな」
 浅草は蕾夏のリクエストだった。瑞樹は大学時代に一度来たことがあるが、その時はカメラを持参していなかった。うっすらと記憶する浅草の仲見世は、結構面白い被写体があったように思う。少し歩けば隅田公園もある筈だ。瑞樹に異存はなかった。
 「どんなもん撮るの?」
 「ん? 適当。ぶらぶら歩いてて、面白い、って思うと、勝手に手が動いてシャッター切ってるから」
 瑞樹の写真の撮り方は、大体いつもそうだった。毎回、撮りたいテーマなど決めていない。散歩のついでに写真を撮るような感覚だ。
 「うわー、やっぱりこの雷門の提灯ってすごいね」
 雷門の赤い巨大提灯を真下から見上げ、蕾夏はやたら感心したようにそう言った。
 「出たな、おのぼりさん発言」
 「あ、そんなこと言う? だってテレビなんかではさ、“雷門”って字が見えるようにしか映さないじゃない。真下から見上げるなんて、現場でしかできない事なんだもの」
 瑞樹も、蕾夏の横に立ち提灯を真下から見上げる。なかなか迫力のある構図だった。
 無意識のうちに、カメラを構え、シャッターを切る。
 「…撮ってんじゃん」
 おのぼりさんて言ったくせに、とでも言いたげに、蕾夏が口を尖らせる。
 「現場でしか見られない構図だろ」
 「…ま、いいや。この雷門、プリントしたら見せて」
 「そんなに気に入ったのか?」
 「違う。瑞樹の目線から見た雷門を見てみたいの」
 ああ、目の高さが20センチは違うもんな、と言ったら、蕾夏が怒ったような顔をして瑞樹の背中を叩いた。

***

 雷門を抜けて仲見世商店街に出ると、それまでと比べてかなり混雑してきた。隣を歩く蕾夏は、キョロキョロとあちこちを見て、視線が落ち着かない。いろんな物に興味があるらしい。
 「あ! 手焼きせんべい!」
 突如蕾夏が声をあげ、次の瞬間には、もうその場所に向かって走り出していた。手焼きせんべいの何にそれほど惹かれたのか、と思ってついていくと、彼女の視線の先には、黙々と網の上でせんべいをひっくり返す職人の手があった。
 昔気質をそのまま体現したような、頑固そうな顔の職人。手早く醤油を刷毛で塗りテンポよくせんべいをひっくり返すその姿は、これほどの雑踏の中だというのに、しん、と静まり返ったムードを持っている。
 カシャッ、という微かなシャッター音に、蕾夏が振り返った。
 「撮ったの?」
 「え? ああ。いい表情だったから」
 瑞樹がファインダー越しに捕らえたのは、職人の俯いた顔と、骨ばった手だった。彼は何を考えながら仕事しているのだろう…ふとそう思ったら、勝手に手が動いていた。
 「ふーん、撮ったんだ」
 「…何でそんなに嬉しそうな顔してんだよ」
 あまりにも嬉しそうな顔を蕾夏がするので、瑞樹は不思議に思ってそう尋ねた。蕾夏は嬉しそうな顔のまま、せんべいを焼く手にまた目を移した。
 「ちょうどね、このおじさん、どんな事考えながらおせんべい焼いてるのかな、って思った瞬間に、シャッターの音が聞こえたから」
 同じ物を見て、同じ事を考えていた訳だ。少なからず、驚いた。
 「今のも、プリントできたら見せてね」
 蕾夏は、さっきと同じ事を言った。

***

 仲見世をぶらぶらと歩きながら、瑞樹はいろいろな場所でシャッターを切った。
 どこかの子供が吹いているらしい、しゃぼん玉。誰かが食べこぼした雷おこしを無心につつく、つがいの鳩。老舗の軒下にさりげなく植え込まれた藤袴の花。偶然通りかかった猫。そして、見上げた秋の空。
 「あ、ちょっと待ってて」
 急に蕾夏が、そう言い残して走り出した。何か興味の惹かれる物を見つけた時の蕾夏とは違う気がして、瑞樹は彼女の後は追わず、空に浮かぶいわし雲にカメラを向けた。
 数分後、蕾夏は何かを手に帰ってきた。
 「見て、これ。懐かしいでしょ」
 瑞樹の目の前に差し出されたのは、コルク栓のされた小さなガラス瓶。中には、青やピンクのこんぺい糖が詰まっていた。
 「へえ…懐かしいな。でも、お前の場合、子供の頃はアメリカだったんじゃないか?」
 「うん。でもね、5歳までは日本にいたから、夏祭りの記憶だけは辛うじてあるんだ。その時こんぺい糖初めて食べてね、私がもの凄く喜んだから、アメリカ行ってからも、時々おばあちゃんが手紙と一緒にこんぺい糖送ってくれたの」
 「エアメールで届くこんぺい糖かよ…豪華だなぁ」
 「でも逆に、日本に帰ってきてからは、全然食べてないかも―――なんかさ、こんぺい糖って、郷愁があるよねぇ」
 蕾夏はそう言って、ガラス瓶を陽の光に透かせた。見上げる蕾夏の目が、まぶしそうに細められる。
 「私さ、小さい頃、おばあちゃんが送ってくるこんぺい糖見て、“これは空に光ってる星が落ちてきたやつだ”って本気で思ってたんだ」
 「落ちてきた星?」
 「夜光ってる星は、朝になると雨みたいにどっかにパラパラ降るんだと信じてたの。だから昼間は見えないんだって」
 「もしそうなら大変だよなぁ。朝が来るたびに、空は流れ星だらけだぞ」
 「うん。だから、頑張って徹夜でおきてれば、明け方くらいに大量の流れ星が見れると思ってたの」
 「ははは、で、その流れ星を集めたのが、これか」
 「いいでしょ、夢があって―――懐かしいなぁ」
 無邪気な子供時代を懐かしむようにうっすらと微笑みながら、蕾夏はこんぺい糖の瓶を見上げている。光に透けたこんぺい糖は、確かに瓶に詰め込まれた星のようにキラキラとして見えた。
 ファインダー越しにそれを見つめ、シャッターを切る。
 すると、びっくりしたように、蕾夏が瑞樹の方を見た。
 「えっ! 何!?」
 「ん? 綺麗だったんで、撮った」
 「えええ!? もしかして、私も撮ったの!?」
 「撮った。いい表情してたから」
 「やだーっ! 撮るなら撮るって言ってよ! 変な顔してたかもしれないじゃない!」
 「俺の目を疑うのか、お前は」
 「うー…変な風に写ってたら、絶対破ってよ」
 「わかったわかった」
 真っ赤な顔して睨みあげる蕾夏を見て、瑞樹は笑いを抑えつつその頭をぽんぽん、と叩いた。

***

 「瑞樹って、将来の夢とかある?」
 「なに、急に」
 「瑞樹、こうやって写真撮るのが好きでしょ。でも、コンピューターの仕事も好きなんだよね? どっちが天職だと思う?」
 「どうだろうなぁ…プログラマーには不自由を感じない。思った通りのことが、思った通りにできる。でも写真は、必ずしも思った通りには撮れない―――好きなだけじゃできない仕事だろ、カメラマンなんて」
 「でも、なろうと思ったことはあるの?」
 「あるよ」
 「諦めちゃった?」
 「諦めたというか―――俺には無理だって思った」
 「どうして?」
 「なんだ、今日の蕾夏は質問魔だな」
 「うーん…ファインダー覗いてる瑞樹って、ちょっとかっこいいし」
 「“ちょっと”かよ」
 「あははは―――あ、どうせなら、浅草寺おまいりしていかない?」

 話をしながら気の向くままにシャッターを切っていると、いつの間にかフィルムが1本終わっていた。
 あまり熱心とも思えないおまいりを済ませ、境内の日陰を利用して、フィルムの入れ替えをすることにした。
 「おもしろーい、手でフィルム巻くんだね」
 ポン、とコルクを抜き、瓶から1粒こんぺい糖をつまみ出しながら、蕾夏は珍しいものでも見るように、瑞樹の手元を見ていた。
 「今はフィルム終わると自動的にがーっと巻いちゃうよね。あれ、結構寂しいと思わない? 残り枚数なんて気にしてないから、押した途端にあのがーって音すると“あああ、終わっちゃった”、って悲しくなる」
 「そうかもな。でも素人にはあの方がいいんじゃないか?」
 「楽は楽だもんね。―――あ、おいしー。やっぱり懐かしい味だなぁ、これ」
 ちょっと嬉しそうな声の蕾夏は、新しいフィルムをカメラにセットしてる最中の瑞樹の目の前に、親指と人差し指で挟んだこんぺい糖1粒をかざした。
 「瑞樹も食べる?」
 「ん」
 と答えたが、完全に手が塞がってるのに気づき、顔を上げた。
 「食わして」
 「え?」
 蕾夏の目がキョトンといった感じに丸くなる。そのリアクションに悪戯心が刺激されて、瑞樹はにっと笑った。
 「手ぇ塞がってるから、食わして」
 からかってるな、と言いた気な、警戒心を滲ませた表情を見せると、蕾夏はおそるおそるこんぺい糖を瑞樹の口の中に放り込んだ。一瞬指先が唇に触れてしまい、びっくりしたように手を引っ込める。
 ―――面白い。
 なんで今日は、こんなに警戒してるのだろう。日頃は、瑞樹の部屋に平気で上がりこんで、しかも堂々と目の前で居眠りまでするほど、無防備なのに。
 「もう1個食わして」
 「やだ。自分で好きなだけ食べればっ」
 ぷいっとそっぽを向くと、蕾夏はこんぺい糖の瓶を瑞樹のジャケットのポケットにつっこんだ。その仕草が蕾夏の動揺を表してるようで、思わず笑ってしまう。
 「笑うなっ!」
 「お前、ほんと、面白い」
 日頃、男だとか女だとか考えたことはなかったけれど、何故か今日は、蕾夏が時折知らない女の子に見える。
 もしかしたら今日は、俺もちょっとおかしいのかもしれない―――と思いながら、瑞樹は蕾夏の後を追って歩き出した。

***

 初めて来た隅田公園は、思っていたより整備された河川公園になっていた。
 フリスビーに飛びつく犬や遊歩道の遠景などをカメラに一通り収めると、さすがに歩き疲れた。ウーロン茶を自販機で買ってきて、堤防沿いのベンチに並んで座り、暫く休むことにした。
 2人並んで眺める川面は、傾きかけた10月の太陽を反射してキラキラ光っている。こうやって見ると、コンクリートジャングルだと思ってた東京も悪くない。
 「瑞樹って来月誕生日だよね。何かやんないの?」
 ウーロン茶をコクンと飲み込んだ蕾夏が、またこんぺい糖を1個口の中に放り込み、そう訊ねた。
 「何かって?」
 「お誕生日会とか」
 「…冗談だろ」
 「あはは、冗談。でも、佳那子さんやカズ君たち集めて、ご飯食べたりとかさ」
 そんな図を想像した瑞樹は、とんでもない、という風に眉を顰めた。
 「柄じゃねー…。昔から誕生日祝った事なんてない。別にめでたいとも思わねぇし」
 「なんで? めでたいじゃない。生まれて来た日だよ?」
 意外な瑞樹の言葉に、蕾夏は不思議そうな顔をした。いつもより丸く大きく見開かれた目に苦笑いを返し、瑞樹は隅田川の川面に視線を移した。
 「生まれて来た日って、そんなにめでたいもんかな」
 蕾夏からは横顔しか窺えない、瑞樹の表情。
 でも、漂うムードに蕾夏は、これ以上訊かない方がいい、と判断した。少し沈んだ気持ちを奮い立たせるために、もう1個、こんぺい糖を口にする。
 「…私は、おめでたいと思うけどな。瑞樹の誕生日」
 「お前の誕生日でもないのに?」
 「うん。だってね。瑞樹生まれてきてなかったら、今日こうやって隅田川の河川敷でこんぺい糖食べることも、おせんべい焼いてるおじさんに感激することも、雷門の提灯を真下から見上げる事もなかったんだよ、私。…やっぱり、おめでたいと思う」
 「―――じゃあ、今年はちょっとだけ祝っとくかな」
 瑞樹は少し笑い、蕾夏の手からこんぺい糖の瓶を受け取った。さっき漂っていた表現し難い張りつめた空気が、今は随分和らいだようで、蕾夏は少しホッとした。
 「俺の誕生日終わると、お前もあるよなぁ…。お前こそ、何かやんの?」
 「んー、実家いた頃は家族でケーキ食べてたかな。アメリカいる頃は、冬休み入ると辻家ご一同がバカンス兼ねてやってきて、クリスマスと誕生日をいっぺんにやってくれたんだけど」
 「へえ。さすが幼馴染。古いな、付き合いが」
 「お父さん同士が友だちだから。辻さん離れしたくても、なかなか縁が切れないのって、そこに問題があるのかもなぁ…」
 「まだ電話かかってくるのか」
 「たまにね。もう30過ぎてんだからさ、私や翔子にかまけてないで、早く結婚して独立しなきゃいけないのに」
 ちょっと憮然とした表情で、蕾夏はウーロン茶をあおった。が、少しすると、その表情が虚ろになる。
 時々蕾夏は、こんな風に何かをぼんやり考え込んでしまう。この表情になると、脱するまで少し時間がかかることを、過去の経験上瑞樹も知っていた。
 「―――俺、もうちょい撮ってくるから、荷物預けていいか?」
 「え? …あ、うん、いいよ」
 蕾夏の“考え事”が一区切りつくまで、席を外した方が良さそうだ。瑞樹は荷物を蕾夏に手渡し、立ち上がった。

***

 カメラを手に、ゆっくりした足取りで、川に沿って歩く。瑞樹はガラス瓶からこんぺい糖を1つつまみ出し、口の中に放り込む。舌の上で融ける素朴な甘さは、甘いものが苦手な瑞樹にとっても、適度な優しい甘さだった。
 写真を撮る、と蕾夏には言い残したが、あまり撮る気にはなれない。瑞樹は、被写体を探すでもなく、ただぶらぶらと歩き続けた。

 今日1日、瑞樹と蕾夏は、不思議なほど同じ物に目が惹かれた。
 藤袴もそうだし、猫もそう。お参りする観光客も店先でくるくる回る民芸品の風車も―――何かに目を惹かれてカメラを構えると、その隣には常に、同じ物に目を向けて感激したりはしゃいだりしている蕾夏がいた。そして、瑞樹がシャッターを切ったのに気づくと、驚いたような目をして振り返り、こう言って笑うのだ―――「何で瑞樹と私って、同じ物に目が惹かれるんだろうね」、と。
 そんな「仲間」がいたからだろうか。既にフィルム2本を撮り終えて、今カメラには3本目のフィルムが入っている。1日で、しかもこんな狭い散策範囲で、これほど多くの写真を撮ったのは初めてだ。
 なのに、今はさっぱり、撮る気がない。なんでだろう、と一瞬不思議に思ったが、なんとなくわかった。
 蕾夏が、いないからだ。
 傍らで「うわー、あれって凄いね」「綺麗だよねぇ」と騒ぐ存在がいないと、同じ「凄い」「綺麗」も感じ方が半減する。カメラを構えても、シャッターボタンを押させる最後の一押しがないのだ。
 どうやら、今日はこれ以上1人で歩き回っても、撮りたい瞬間には出会えなそうだ。しょうがないな、と苦笑しつつ、瑞樹は、今来た道を引き返した。


 瑞樹がベンチに戻ると、蕾夏は瑞樹のデイパックを抱きしめたまま、ベンチの背もたれに頭を乗せて眠っていた。
 陽が沈みかけ、風も随分冷たくなってきているのによく眠れるもんだ、と、半ば呆れる。
 「おい、蕾夏、風邪ひくぞ」
 腰を屈めて顔を覗き込み、軽く肩を揺すってみる。ほとんど反応なしで、規則的な呼吸だけ聞こえる。
 「おーい、起きろって」
 もう一度、今度は少し強く揺すってみた。幸せそうな寝顔が、ちょっと歪む。
 「んー…」
 蕾夏は、目覚めに抵抗するように少し身じろぎした。
 「もーちょっと寝かして、辻さん…」

 “辻さん”?
 その名前に、瑞樹はむっとしたように片眉を上げた。
 ―――なんで“辻さん”? あんだけ「辻さん離れしたい」って言っときながら、俺をその“辻さん”と間違えるのかよ、こいつ。

 無防備にこちらに向けられた無邪気な寝顔が、なんだか無性に腹立たしくなってきた。
 びっくりさせてやれ、位のつもりで、瑞樹はベンチの背もたれに手を突くと、蕾夏の唇に短くキスをした。

 パチッ。
 唇が離れた瞬間、そんな感じで、蕾夏の目が突然開いた。
 目の前に、瑞樹の怒ったような目を見つけ、蕾夏はキョトンとした。2人の距離があまりに近いので、目しか見えない。今、自分が眠っていた事すらいまいち把握してない蕾夏は、パチパチと2、3度瞬いた。
 「―――バカ。人を“辻さん”呼ばわりするからだ」
 「…え…???」
 「帰るぞ。腹へった」
 瑞樹は、蕾夏の腕からデイパックをひったくると、やっぱり怒ったような足取りで、先に歩き出してしまった。
 そんな彼の背中を追うように、慌てて立ち上がって歩き出しながらも、蕾夏は頭の中の大量のクエッションマークの交通整理に必死だった。

 ―――えーと…今、何か、あった?
 瑞樹が何故あんな怒ったような顔をしてたのか、さっぱりわからない。ついでに、なんであんなに近くから顔を覗き込まれていたのかも見当がつかない。まだ半分寝ぼけている頭では、うまく説明のつく推理など出て来る筈もなく、蕾夏はますます首を捻った。
 そんな状態なので、蕾夏には顔を見られまいと瑞樹が顔をそむけていることにも、彼女は全く気づいていない。

 ―――やばい、これ。やるんじゃなかった…。
 唇に残る甘い感触に耐え切れなくて、瑞樹の顔は、耳まで赤くなっていた。


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