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no044:
親不孝
-odai:87-

 

子ハ親ヲ選ベナイ。

―98.11―

 ――― 一体どうしちゃったのかしら。
 佳那子は隣の席の様子を窺い、首を捻った。
 いつもなら軽快にキーボードを叩いてる筈の手は、現在休憩中。かといって、例のエネルギー切れの状態な訳でもなさそうだ。目はディスプレイに向けられているが、画面上に表示されているソースコードをちゃんと見ているとも思えない。
 「…成田。残業してても、そんな風じゃあ全然効率あがらないわよ。もう帰ったら?」
 そう声をかけたが、反応がない。さっきから何度か声をかけているが、一度も返事が返ってきてないのだから、当たり前といえば当たり前な結果だ。
 とにかく、用件だけは伝えなくては―――佳那子はため息をつくと、机の中から瑞樹に渡すつもりだった封筒を取り出した。
 「あのね、これ、蕾夏ちゃんに」
 「え?」
 突然、瑞樹が佳那子の方を向いた。あまりに急な反応なので、佳那子の方がびっくりしてしまった。
 「な、なに!?」
 「―――なんだよ、なに、って」
 「だって成田、さっきまで何言っても反応なかったじゃない」
 「ああ…悪い。考え事してた」
 「…成田が? 仕事中に?」
 佳那子が呆然とそう言うと、瑞樹は「悪いかよ」とでも言いた気な、不機嫌な顔になった。
 普段の瑞樹は、どこかにスイッチでもあるとしか思えないほど、仕事のオン・オフがはっきりしている。オフ状態でもないのに考え事をしてぼーっとしてるなんて、これまでになかったケースだ。佳那子が、信じられない、という顔になるのも無理はない。
 「で?」
 「え? あ、ああ…これ、次に蕾夏ちゃんに会う機会あったら、渡しといて」
 そう言って、佳那子は封筒を瑞樹に渡した。なんの変哲もない、白い封筒だ。
 「何これ」
 「私のカメラで撮った、江ノ島の時の写真よ。バタバタしてたから、今頃になっちゃったけどね」
 「…わかった」
 相変わらず不機嫌な表情のまま、瑞樹は封筒をデイパックの中にしまった。いつもの事なのでもう慣れたが、相変わらず最低限の言葉しか発しない奴である。蕾夏と路上バトルを繰り広げた時に喋った分量なんて、瑞樹の日常生活の1か月分の言葉より多いかも知れない。
 「ねえ、蕾夏ちゃんと、次、いつ会うの?」
 「知らねぇ」
 ―――うわ、スペシャル級の機嫌の悪さ。
 瑞樹が仕事を再開したのもあり、佳那子はそれ以上話しかけるのをやめた。さわらぬ神に祟りなし、だ。

 「佐々木っ!」
 仕事に戻りかけた佳那子を、パーティションの向こう側から久保田が呼んだ。
 その声があまりにも切迫していたので、何事かと思い、佳那子は思わず立ち上がった。
 「なに?」
 久保田は、受話器を手に、動揺したような表情をしていた。ちょっと来い、という風に手招きするので、佳那子は不審に思いながらも、久保田の席に駆け寄った。
 「…なんなの?」
 「じじぃが、倒れた」
 「え!」
 つい大きな声を出してしまい、慌てて口を手で覆った。既に定時は過ぎているとはいえ、残っている社員もまばらながらいる。他の人間に聞かれていい話ではなかった。
 「ど、どこで? どうして?」
 周囲に背を向けるようにして、小声で訊ねると、久保田も要領を得ない、という顔をする。
 「テレビ局で例の番組を収録中だったらしい。今電話くれたのは、佐々木先生」
 「は? 何でうちのお父さんが?」
 「いや、詳しいことは、よく―――とにかく、病院に運ばれたらしいから、俺、行ってくるわ」
 「私も行くわ」
 残業をしている場合ではない。佳那子は急いで席に戻り、マシンの電源を落とした。
 「ごめん、成田。先帰るね」
 「ん」
 既に仕事モードの瑞樹は、短くそう返事するだけで、視線はディスプレイから離れない。“いつもの成田”に少しホッとし、佳那子はバッグを手に席を立った。

***

 病院に到着して受付で患者名を告げると、予想通りの質問が待っていた。
 「マスコミの方ですか?」
 「孫です」
 ナースは驚いたような顔をし、それから慌てて館内電話で連絡して確認を取り、久保田と佳那子に病室名を告げた。病室は、最上階にあるようだ。
 「やっぱり、マスコミとか来るのかしら」
 「さあなぁ…一応、名の知れたじーさんだからな、あれでも。もういい加減、大人しく隠居して欲しいのに」
 うんざりした表情で久保田が愚痴る。その思いは佳那子の側も同じだ。父も、もう派手な活動はやめて、地道に執筆活動にいそしんで欲しい。
 教えられた病室の前には、関係者らしき人が数名うろついていた。その中に、何故か佳那子の父もいた。
 「お父さん!」
 佳那子が声をかけると、眉間に皺を寄せていた佳那子の父は、顔を上げて娘の方を見た。
 「なんだ、佳那子も来たのか。わたしは久保田隼雄しか呼んでないぞ」
 そう言いつつ、佳那子の隣の久保田に目を移し、露骨に嫌な顔をした。
 「呼びたくて呼んだんじゃないけどな」
 「ご無沙汰してます。いつも佳那子さんにはお世話になっています」
 久保田はニッコリと営業スマイルを返した。今更、佳那子の父にひるむような久保田ではないのだ。
 佳那子の父も、負けじと講演会用の笑顔を顔に貼り付けた。
 「やあ、久しぶり。君の爺さんが隼雄、隼雄とうるさいからね。倒れた原因はわたしにもあるから、仕方なく電話させてもらった」
 「…ちょっと。倒れた原因がお父さんにあるって、どういう意味よ」
 さらりと流された部分を聞きとがめ、佳那子は眉をつり上げた。が、父の方は平然としている。
 「為替問題で、ちょっとお互いにエキサイトしてしまってね。血管が切れるまではいかなかったが、血圧が急激に上がって、ひっくり返ってしまっただけだよ」
 「…いい大人が、そこまで白熱してどうするのよ。で? 番組はどうなったの」
 「倒れたところはカットだろうな。あとは放送するらしいぞ。お前たちは絶対見るな」
 「つまり、その“いい大人の子供じみた口喧嘩”が、全国ネットで放送される訳ね」
 開き直っている佳那子の父と、そんな父に呆れ果てている佳那子に苦笑しつつ、久保田は病室をノックした。
 中からの返事を待たず、ドアを開ける。九州にいる久保田の両親が駆けつけている筈もなく、久保田の祖父は一人でベッドに横たわっていた。
 いかにも大物、という風格を持った老人は、やはり倒れたせいか、心持ち顔色が悪い。久保田の顔を見ると、弱々しく頭をもたげた。
 「おお、隼雄…来てくれたのか」
 「しゃーないだろ、佐々木先生から電話もらっちまえば」
 「わしゃもう駄目だ。ついてはお前が、わしが果たしえなかった官僚政治の追放を成し遂げてくれ」
 「寝言は死んでから言え。本当はピンピンしてるくせに、わざとらしい」
 久保田が冷たくそう言うと、久保田の祖父は小さく舌打ちし、まるで病人とは思えない身のこなしで起き上がった。
 「全く、罰当たりな孫を持って、わしゃ悲しいぞ。お前の親父が親不孝もんなのは知ってたが、孫までこんなだとは…」
 この場にいない父の分まで詰られて、久保田はガックリと脱力してしまった。
 「じっちゃん……頼むからもう隠居してくれ。いい歳して、テレビ討論会で血圧上げてひっくり返るような真似しないでくれよ」
 「何をゆうとるか。わたしは元々温厚な人間だぞ。あの佐々木昭夫のアホンダラが失礼なことばかりぬかしおるから、つい頭に血が上ってしまうに過ぎん」
 「あのー、お久しぶりです」
 アホンダラ呼ばわりされた父を少々気の毒に思いつつも、佳那子は病室に顔を覗かせた。久保田の祖父は、佳那子の顔を見た途端、にんまり、と久保田とよく似た笑いを浮かべる。
 「おおー、佳那子さん、久しぶり」
 「隼雄さんには、いつもお世話になっております。つまらないものですけど、お見舞いです」
 と、途中で買ってきたカーネーションの花束を差し出す。
 「相変わらず、父親に似ず気の利く娘さんだなぁ」
 満面の笑みをたたえた久保田老は、その笑顔のまま、こう続けた。
 「でも、隼雄はやらんよ」
 「…じっちゃん。俺があの世に送ってやろうか」
 「ばかもん! 身内から殺人者なんぞ出せるか!」
 ―――いや、そういう問題じゃないと思うんだが。
 久保田はますます脱力した。

***

 久保田の祖父・久保田善次郎は、今は引退しているが、元参議院議員で、かなりの要職も務めた人物である。
 すぐ頭に血が上ることから「瞬間湯沸し器」などという不名誉なあだ名をつけられ、引退した今も、朝の討論番組や政治に関する特集番組などに使われている。得意分野は経済で、バブル崩壊の時には週に何本もの番組にコメンテーターとして呼ばれた。
 一方、佳那子の父・佐々木昭夫は、某シンクタンクの役員で、かつ、現役の経済評論家であり、大学の講師も勤めていたりする。
 ダンディな風貌が奥様層に受けるのか、やはり討論番組やワイドショーなどによく起用される。日頃は温厚な質だが、ひとたびキレると誰も手がつけられない、困った親父である。
 この2人は、10年以上前から、既に犬猿の仲だった。
 同じ経済を専門としていること、しかもその意見が全然噛みあわないことから、番組制作者が2人をぶつけたがるのはわからないでもない。だが、それが度重なるにつれ、どんどん2人の仲は悪化していった。2年前には、生番組で流血バトルまで展開したのだから、もうセットで使うのはよせよ、と関係者はハラハラする。でも、この2人が喧嘩をすると、番組の視聴率もアップするのだ。ますます顔を合わせる機会は増えていく。
 久保田と佳那子が同じ会社に入った事は、完全な偶然である。入社後間もなくしてお互いの素性を知った時には、血の気の引く思いだった。
 こんな運命の悪戯、三流ドラマでしかあり得ないと思っていたのに―――と、傍らで病人らしからぬ元気さで愚痴りまくる久保田翁をチラリと見遣って、久保田も佳那子もため息をついた。

 「隼雄。お前はいつになったら、わしの跡を継いでくれるんだ?」
 「…まだ言ってんのかよ。俺は普通のサラリーマンがいいの! 親父だってじっちゃんの跡、継がなかったじゃないか」
 と久保田が言うように、久保田の父は善次郎の跡を継いで政治家になったりはしなかった。高校卒業と同時に、まるで父親から逃げるように九州に渡り、大学卒業後すぐに会社を興してしまった。現在では従業員100名を抱える会社の社長だ。
 「あいつは親不孝もんだ。小学校の卒業文集には“将来の夢:総理大臣”と書いておったくせに…」
 「俺は“将来の夢:仮面ライダー”って書いたぞ」
 「2代にわたる親不孝じゃっ!」
 「く、久保田さん、あまり興奮すると、ほんとに血管切れちゃいますから…」
 焦ったように佳那子が口を挟んだ。するとその背後から、佳那子の父が首を突っ込んだ。
 「いいぞ、久保田隼雄。どんどんやれ。一度血管切る位の大病をすれば、この爺さんも少しは大人しくなるだろう」
 「お・と・う・さ・ん!」
 あんたも一度大病患ってみなさいよ、という気持ちを込めて、佳那子は父の背中をバッグでぶっ叩いた。その勢いで、父がむせる。
 「何をするんだ、佳那子。いいか、お前も親不孝者なんだぞ。お父さんの計画では、今頃孫に囲まれて幸せに暮らしてた筈なのに、なんでこんなキャリアウーマンになってしまったんだ?」
 「余計なお世話よ!」
 「佳那子さんは優秀なシステムエンジニアですよ」
 「お前は黙れ、久保田隼雄!」
 ―――なんでこの人、俺を必ずフルネームで呼ぶんだろう。
 娘は渡さん、という表情で自分を睨み上げるダンディな中年を見下ろし、久保田はひたすら営業用スマイルを維持する。
 「こんな爺さんの孫の大風呂敷なんぞ、わたしは絶対に信じないぞ! いいか久保田隼雄! 6年後に笑うのは、間違いなくわたしだからな!」
 「正しくは5年6ヵ月後ですよ」
 久保田がやんわりと訂正すると、佳那子の父は、更にテンションを上げた。
 「ええい、うるさいっ! 今に見てろよ、佳那子が一目で気に入るような極上の男を探してきてやる」
 「なにをぬかしとる、このヘビ男。隼雄には、わしが極上の嫁を見つけてきてやるんじゃいっ! 将来の出世にも役に立つような、政界の大物の娘をな」
 「久保田さん、あんたも耄碌(もうろく)しましたね。お孫さんは政界には興味がないんですよ。あんたの夢は(つい)えたんですから、さっさと引退して余生を楽に生きればいいでしょ」
 「お前さんの娘もキャリア志向らしいなぁ。日本の将来を担う若者不足のおりから、孫は最低でも5人欲しいと言ってたのに、その夢も今は風前の灯か。あ〜気の毒だ」
 ―――あーあ、始まっちゃったよ。
 どこが病人なんだ、と思うほど元気に怒鳴りまくる善次郎と、お茶の間の奥様方が嘆くぞ、と言いたくなるほど顔が崩れまくっている佳那子の父を見て、久保田は額を押さえた。
 「…久保田。元気そうだし、もう帰らない?」
 「そうだな」
 元気な老人と中年を残して、久保田と佳那子は、病室をそっと抜け出した。

 ―――これだから、会社にも友達にも言えないんだよなぁ…。
 事実、久保田は幼い頃から善次郎の孫である事を周囲に伏せ続けてきた。「議員先生の孫」と言われるのが嫌なのもあったが、それ以上に「あの“瞬間湯沸し器”の孫」と思われるのがもの凄く嫌だったからだ。
 佳那子も、父のメディア露出度の高まって以降は、父が佐々木昭夫である事を周囲には秘密にしてきた。「ああ、よく討論番組で、元議員のお爺さんと掴み合いの喧嘩してる人でしょ?」と言われるのが嫌だったのだ。
 ―――権力も、知名度も、財力も無くていいから、もっと普通の家庭に生まれたかった。
 生まれてくる家を、子供は選べない。2人は、大きくため息をついた。

***

 「よっ、瑞樹、おはよう」
 翌朝、駅を出たところで、久保田は前を歩く瑞樹に声をかけた。瑞樹の方はまだ目覚めの途中らしく、無言で手をあげた。
 「どうした、寝不足か?」
 「まぁな」
 髪をくしゃっとかきまぜつつ、瑞樹は必要最低レベルの低い返事をした。
 「…お前、もしかして機嫌悪い?」
 「いや。別に」
 と答える声は、やはり不機嫌そうだった。なんだかよくわからないが、あまり刺激しない方が良さそうだ、と思い、久保田はそれ以上の質問はやめた。
 「そういや隼雄、良かったな、じいさん無事で」
 「あ? ああ、まあな」
 唐突に言われたセリフに、久保田は素直に返事した。
 「佐々木さんの親父さんだって、自分との口論の末にぽっくり逝かれたんじゃ、後味悪いだろうしな」
 久保田の足が、ピタリ、と止まった。
 ―――なんだって?
 「あー…ねむ」
 フリーズする久保田を置いて、瑞樹は眠そうな顔のまま、歩き続けている。久保田は、信じられないという面持ちで、そんな瑞樹の背中を凝視した。
 「な…なんで、知ってるんだ…?」
 「んー? ネットニュースで見た。久保田善次郎緊急入院って」
 「い、いや、そうじゃなく」
 「佐々木昭夫と討論番組収録中に、とも書いてあった」
 「…いや、そうじゃなくて…」
 「早く歩けよ。遅刻するぞ」
 ふわああ、と欠伸をし、瑞樹はどんどん遠ざかっていく。それでも久保田は、フリーズが解除できずにいた。
 ―――なんでお前、俺たちの親や爺さんを知ってるんだよっ!?
 頭の中が、沸騰したかのように混乱する。社長からすら指摘を受けたことがないし、瑞樹もこれまで一度もそんな事を口にしたことがないのに――― 一体いつ、久保田が善次郎の孫だと気づいたのだろう? 佳那子とは社会人になってからの面識しかないのに、どうやって佐々木昭夫の娘である事を知ったのだろう? まるで見当がつかない。
 ―――成田瑞樹、おそるべし。
 1つ年下の友人の背中を、久保田はぞっとする思いで眺めた。


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