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no045:
ココア
-odai:89-

 

カズ君ノ日曜日。

―98.11―

 最初に鳴るのは、ドラえもんの形をした目覚し時計。これは、枕もとの一番近くに置いてあるので、布団の中から手を伸ばせば、すぐ届いてしまう。
 次に鳴るのが、ちゃぶ台の上に乗っている赤い目覚まし時計。これは、かなり音がうるさい。だが、習慣とは恐ろしいものだ。まだ頭は眠っているというのに、鳴った途端にムクリと起き上がり、手が勝手に止めてしまう。
 そして最後の砦―――衣装ケースの上に置かれた銀色の時計。
 日曜日なのに、これの目覚ましを解除し忘れていた。朝早くから、ジリジリジリとけたたましい音を部屋中に響かせている。
 「…うー…うるさいー…」
 しかも、それに重なるように、“おしゃべり目覚まし”まで喋り出す。
 『神崎くーん、朝ですよー。遅刻しちゃうよー』
 「な…奈々美さん…お願い、寝かせて…」
 それでもズルズルと布団から這い出て、衣装ケースの上に並んだ2つの目覚し時計をなんとか止めた。“おしゃべり目覚まし”の方はもうちょっと聞いていたい気もしたが、いつもの癖で2つまとめて止めてしまったのだ。
 ―――そろそろ奈々美さんに、別のバージョン吹き込んでもらおうかなぁ。1年以上同じ文句だもの、効果無くなってるんじゃないかな。
 卵型をした“おしゃべり目覚まし”を片手に、そんなことを和臣は考えた。

***

 和臣の部屋は、間取りとしては一応1DKである。玄関を入れば即住空間、というワンルームの瑞樹の部屋とは違い、一応狭いながらもDKというクッションがある。
 故に、DK部分は、比較的綺麗だ。滅多に人は来ないが、もし来ることがあれば、DKで接待する。奥の部屋には、絶対に入れない。奥の部屋を見たことがあるのは2人だけ―――入院準備のために家捜しに入った人物。1回目の時の大家さんと、2回目の時の蕾夏だけである。
 目を覚まさせるために顔を洗い、部屋に戻ってきた和臣は、少し冷静にその部屋を見渡した。
 「…凄いよな…我ながら」
 しみじみ、そう呟く。
 万年床はまあいい。実家から持ってきたちゃぶ台という名のローテーブルも年季が入ってるがとりあえず問題ない。ただし―――そのどちらの上にも、隙間無く物が置いてあるのは何故なんだろう?
 特に布団。毎日あれに寝てる筈なのに、何故掛け布団の上にスナック菓子の袋や雑誌が置いてあるのだろう? 毎日、スナック菓子や雑誌の重みを受けて寝てる訳だ。ちょっとまずくないか? と当たり前の感想を今更のように抱く。
 床にも物があふれている。どれが何なのか、和臣本人ですらわからない。この状況で見事保険証を探し出した蕾夏は天才かもしれない、と和臣は思った。
 同じ独身男性でも、瑞樹の部屋はいつもそこそこ片付いている。中学生の頃から父親との二人暮らしをしていたらしいから、その頃の苦労が身になっているのかもしれない。勉強ばかりにかまけていて、家の事を一切やらずにいた自分とはえらい違いである。
 ―――少しかたづけてみるか。
 不本意ながら早起きをしてしまった和臣は、気まぐれにそんな事を思い立った。

***

 テーブルの上に並べてみて、ペットボトルの多さにうんざりした。
 何故床の上にこれほどペットボトルが転がっていたのだろう? しかも全部空の状態だ。捨てろよ、と自分で自分に突っ込みを入れてしまう。
 何故床に煙草が1本落ちていたのだろう? 和臣は煙草を吸わない。久保田のものを、誤って持ってきてしまったのだろうか?
 同じ雑誌が2冊、カラーボックスの上と布団の上にあった。無駄遣いとしか言いようがない。倹約家だと自称している和臣からすると、痛恨の極みである。
 実際、和臣はそこそこ倹約家だ。大学時代、食費と水道光熱費はアルバイトをして自分で払っていたので、お金の大切さをよく知っているのだ。自炊をする能力がないので食事は外食やコンビニで賄っているものの、これといった趣味もないので、余ったお金は1円単位まで全部貯金している。
 だから、部屋のあちこちから転がり出てきた小銭には、さすがに自分を恥じた。ダメじゃんオレ、と自分に活を入れる。1円を笑うものは1円に泣くんだぞ、と、ミッキーマウスの絵のついた缶の中に、集めた小銭を全部入れた。
 床の上に投げ捨てられていた衣類は、全部洗濯後のものである。コインランドリーから帰ってくると、畳むのが面倒なので、全部まとめて部屋の隅に放置しているのだ。束の間、畳んでみようと試みたが、5分で諦めた。皺にならないよう、ワイシャツだけはハンガーで吊るすことにした。
 あとはひたすら、ゴミばかり―――コンビニの袋や食べかけのスナック菓子、使い終わった割り箸等々、全部捨てて構わないものばかりがゴロゴロ転がっていた。全部まとめて、ゴミ袋に放り込む。
 ―――ほんと、碌なもんが転がってないよな。
 ゴミばかり拾っていたら、どんどん疲れてきてしまった。甘い物、欲しいなぁ、と台所を振り返ったが、特に何も買い置きがなかったのを思い出し、ため息をついた。
 と、その時。
 ゴミの山と思われた場所から、思いがけない宝物が出てきた。
 それは、スティックタイプの袋に入った、一人用のミルクココアだった。
 ―――いつ買ったんだっけ? こんなの。
 秋になってからではないのは確かだ。そんな最近のものが、こんな下の方に埋まっている筈がない。春や夏にココアを飲む筈もない。ということは、1月か2月頃だろうか? 全然記憶にない。
 賞味期限が書いてないかな、と思ったが、何本かまとめてパックになっていたのだろう、単品には書いていなかった。
 目にしてしまうと、無性に飲みたくなる。
 ―――ちょっと位古くても大丈夫だよね。
 和臣は、その賞味期限不詳のココアを飲むことにした。

***

 10分後、和臣は、信じられない、という面持ちで自分の部屋を後にしていた。
 ―――母さん。僕のあのやかん、どうしたでしょうね。
 思わず、小説「人間の証明」に使われた西条八十の詩のパロディを口ずさむ。部屋からやかんが消えているというのは、尋常ではない。一体どこに行ってしまったのだろう?
 考え始めるといろいろ怖い想像が膨らんでしまうので、和臣はやかんの事は忘れることにした。またいつか買えばいい。日頃全然使わないから、無くても困らない。
 困ってるのは、今だ。
 駅に向かいつつ、和臣は携帯を手に取った。
 「―――もしもし、成田? オレ。カズ。今からそっち行く。頼む―――やかん、貸して」

***

 「…お前、近所で借りるっていう頭はなかったのか?」
 「日曜日で、みんなのんびりしてるんだから、悪いと思って」
 「嘘つけ。部屋の掃除に飽きたから、逃げ出したんだろ」
 「そうとも言うね」
 しらっとそう答え、和臣は我が物顔でやかんに水を入れ、火にかけた。
 お湯が沸くまでの時間が暇なので、キョロキョロと瑞樹の部屋を見回す。
 「成田って自炊してるの?」
 「そんな暇があると思うか?」
 冗談だろ、という顔でそう言い、瑞樹はベッドに腰掛けた。傍らには写真の山がある。ちょうど写真のチェック中だったのだ。和臣の訪問で中断させられたが、また1枚1枚手に取ってチェックを始めた。
 「休みの日なら暇じゃない。食器とか鍋もちゃんとあるしさぁ。ちゃんと台所使ってる感じだよなー。実は女の人が使ってるんじゃないの?」
 「んな訳ないだろ。部屋に女上げない主義なのに」
 「藤井さんは部屋に上げてるじゃない」
 その言葉に、瑞樹の手が、止まった。
 「…そういや、そうだな」
 「え、今まで全然気づかなかったの? その矛盾」
 「全く」
 「変なやつー。…あ、そうだ。藤井さんがご飯作ってる可能性はあるなぁ」
 「ないないない。休みの日にたまーに俺が自炊する位で、台所なんてほとんど使ってねーって」
 「いいなー、彼女の手料理って響き。オレの家じゃやかんすら無いから無理だけど、ここならできるもんなぁ」
 ―――人の話、聞けよ。
 勝手に想像の世界に行ってしまっている和臣を一睨みし、瑞樹は写真のチェックを続行した。そんな瑞樹を見て、和臣が眉を上げた。
 「あ。否定しなかった」
 「何が」
 「オレ、“彼女”の手料理、って言ったのに、否定しなかった」
 「は!?」
 「ええーっ、いつから付き合ってるの!? 藤井さんとっ! オレ全然聞いてないよっ!?」
 「なんでそうなるんだよ! 大体、ちっとは静かに待てねーのか、お前は!」
 「あ、そろそろ沸いたみたい」
 完全無視で、いそいそと火を止めに行ってしまう和臣の背中を、瑞樹は諦めたように見送った。
 「でもさぁ、成田、憧れない? 好きな女の子の手料理って」
 まだその話が続くのかよ、と瑞樹はうんざりした顔をしたが、相手をしてやらないとうるさいので、ぶっきらぼうに答えた。
 「憧れない」
 「え、なんで?」
 「女好きになった事ねーから」
 その言葉に、和臣は、持ち上げかけたやかんを置いてしまった。驚いたように瑞樹の方を振り向いたが、当の瑞樹は平然としてる。
 「なにそれ」
 「なにそれ、って、なに」
 “女を好きになった事がない”という言葉の意味を、眉間に皺を寄せて考える。
 「成田って、まさかとは思うけど、男が好きなの?」
 「―――殺されたいのか、お前」
 「ごごごごごめんなさい。嘘です。―――ええと、じゃあ、本当に“好き”って思った事、ないの?」
 和臣の問いかけに、今度は瑞樹が眉間に皺を寄せて考える。
 「悪くない、って思う位なら、稀にある」
 悪くない、というレベルを“好き”とか“恋愛”とか呼ぶ筈もない。和臣は呆れたような顔をした。
 「…ほんっっとに、変なやつ…。あんだけモテる癖に、全然心動く相手がいないなんて」
 「…いいから、飲むなら早く飲めって」
 余計なお世話だ、といわんばかりの顔で、瑞樹はそっぽを向いてしまった。
 まだぶちぶちと「成田って変だよなぁ」などと呟きながらも、和臣は、持参したココアの封を切り、マグカップに入れた。
 が、やはり古いのか、サラサラとは出てこない。フィルム製の袋をはさみで切り裂き、固まってしまっているココアの粉末をえいえいと押し出す。なんとか全部マグカップに落とし入れたところで、いよいよお湯を注ぐ。
 固まっていたココア粉末は、お湯を加えられて、ふわーっと溶けて広がった。
 「お、なかなかいい感じ」
 「コンビニにいくらでも売ってるのに」
 「1円を笑うものは1円に泣く! 飲めそうなら飲むべし!」
 「ならお前こそ自炊しろよ」
 「才能がない」
 「手料理をふるまってくれる彼女でも作れば」
 「そのための努力はしてるよ」
 マグカップの中身をスプーンで掻き混ぜながら、和臣はにんまりと笑った。はいはいそうでしたね、と、瑞樹は肩を竦める。
 「では、いただきまーす」
 和臣は、ようやく甘い飲み物にありつけるという期待からか、満面に幸せそうな笑みを浮かべて、マグカップに口をつけた。まるで幼稚園生のおやつの時間だな、と瑞樹は内心皮肉った。
 が。
 一口飲んだ後、和臣の表情が複雑なものに変化した。
 「…カズ? どうした?」
 「いや…うーん、なんていうか」
 謎の食べ物でも口にしたかのような表情で、和臣はマグカップの中身をじっと見つめている。
 「これ、ほんとにココアかなぁ」
 「え…」
 「不思議な味がするんだけど。あ、でも、袋にちゃんとミルクココアって書いてあるんだから、ココアには違いないよな」
 瑞樹は、そのココアが出てきた経緯を聞いているだけに、少々不安を覚えた。
 「やめといた方がいいんじゃないか?」
 「んー、でも、甘いことは甘いよ。ココアの味がしないだけで」
 「じゃあどんな味なんだよ」
 「ただ、甘い。でもって、そこはかとなく酸っぱい」
 ―――酸っぱい!?
 甘い物が苦手で、ココアなど生まれてこのかた飲んだことがない瑞樹でも、その単語がココアを表現するのには適していない事位はわかる。
 「やっぱりやめた方が」
 と言いかけた瑞樹のそばで、和臣はくいっと謎の液体を一気にあおってしまった。瑞樹の顔が、さーっと蒼褪める。
 「なんで飲むんだよっ!」
 「え、だって、甘かったから」
 「甘ければなんでもいいのか、お前は!」
 「飲んじゃえばなんてことないよ。大丈夫大丈夫…」
 ニコニコ笑ってそう答えた和臣だったが、直後、急激に表情が冴えなくなる。
 「…いや、ちょっと気持ち悪いかも」
 ―――だからやめろって言ったのに…。
 無理矢理マグカップを奪ってでも阻止しなかったことを、瑞樹は後悔した。

***

 「この鍋は進呈する。大事に使え」
 「うん」
 「鍋に水入れて、このレトルトパック入れれば数分でおかゆが出来るから、それ以外のもんは口にするな」
 「うん」
 「そこの床に転がってる妙な菓子パンも食うなよ」
 「……」
 「食うなよ」
 久々に瑞樹の殺人オーラを感じて、和臣は布団の中でこくこくと頷いた。
 「じゃあ、帰る」
 「うん。悪かったな」
 ギロリ、と和臣を一睨みして、瑞樹は勢い良くドアを閉めた。
 結局あの後、和臣は気分が悪くなってぶっ倒れ、瑞樹に家まで送り届けられたのだった。途中コンビニに寄って、レトルトのおかゆと梅干を購入した。正直、それすら食べられるかどうか微妙な感じだが、「明日会社休んだりしたら、ココアの件を大々的に隼雄にバラすからな」と脅され、和臣はレジの前で頷くしかなかった。
 何度も馬鹿野郎と(ののし)られたが、結果を見れば、瑞樹はその馬鹿野郎に布団まで肩を貸し、鍋を提供し、レトルトパックの調理方法まで伝授してくれた訳だ。
 ―――なんだかんだ言って、結構面倒見がいいんだよな。
 嬉しい反面、やっぱりオレって負けてる、という悔しさがあって、和臣は布団の中に頭までもぐりこんでしまった。


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