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no078:
夢見心地
-odai:67-

 

甘ク、優シイ夢ヲ見セテ。

―99.07―

 透明なスリーブに入ったままのフィルムをライトビューアーに乗せた蕾夏は、眉を寄せた。
 「う…、ネガだっけね、この時のフィルム」
 「いつ? ああ、石神井行った時のやつか。あの時は全部ネガだったな」
 「瑞樹みたいに、ネガ見てどんな絵かパッと浮かばないんだよねぇ…。浅草は全部ポジだから楽だったのに。ねぇ、メジロの写真って、どれだっけ?」
 蕾夏の肩越しにライトビューアーを覗き込んだ瑞樹は、4つのコマを指さした。
 「うううう、どれだろう? メジロのカップルがこんな風にいる写真なんだけどなぁ」
 と言って、蕾夏が手近にあった紙にサインペンで描いた図を見て、瑞樹は思わず吹き出した。
 「お前、絶対、絵苦手だったろ」
 「…得意ではなかったかもしれない」
 「俺もだよ。―――その写真なら、これだな」
 丸や三角で構成された「メジロの図」でも十分通じたらしく、瑞樹は最後の1コマを指さした。本当にこれかな? という風に首を傾げながらも、蕾夏はそのコマの上に、スリーブの上から焼き増し指示のためのシールをぺたん、と貼った。

 外は、梅雨明け間近な青空。なのに蕾夏は、前言っていた「自作写真集」のための写真選びをしていた。
 あの時のあの写真をここに置きたい、ここにはこんなコメントを入れたい、という大量のメモを蕾夏が作ってきているのを見て、瑞樹は少なからず驚いた。せいぜい、普通のアルバム整理の延長線上にある位のレベルを考えていたのだが、蕾夏のメモは、まるで編集部が作る紙面レイアウトのようだ。
 「親父さんの写真をアルバム整理してた頃も、いちいちこんな事やってたのか?」
 蕾夏のメモを1枚1枚めくりながら、瑞樹が感心したように言うと、蕾夏は首を横に振った。
 「お父さんの時は、あ、写真集作りたい! と思った時、写真もアルバムも自分の手元に全部揃ってたから、写真選びながらどんどん貼れたもの。でも、瑞樹の写真は、極一部しかうちにないから、忘れないうちにメモしといたの」
 「…なんか、こういうのを見てると、つくづくお前って親父さん似だな」
 「あはは、そうだね。新聞記者だもんね、お父さん」
 楽しげに笑うと、蕾夏はまた新しいフィルムをライトビューアーに乗せた。目的の写真を探すだけのつもりが、ついつい他の写真までじっくり見てしまうので、作業はあまりはかどらない。
 瑞樹の方は、最近撮った山積みのプリント写真を整理する作業をしているが、こちらもつい細かいところをチェックしてしまうので、あまり進まない。
 穏やかな気候が時々眠気を誘う中、2人は、時折言葉を交わしながら、それぞれの作業に没頭していった。

***

 ―――あ、これ、結婚式の時の写真だ。
 新たにライトビューアーに乗せたポジフィルムを見て、蕾夏は口元をほころばせた。
 和臣と奈々美の結婚式の写真は、実はまだ見せてもらっていなかった。友人たちへの焼き増しの都合から、現像済みフィルムを和臣たちに全部渡してしまっていたからだ。どうやら、一通りの焼き増しが終わったので、瑞樹の手元に戻ってきたらしい。
 いくらポジフィルムでも、裸眼では人の顔の判別までは難しい。蕾夏はルーペを手にして、1コマずつ確認していった。
 小さな枠の中に収まっている、和臣や奈々美、久保田や佳那子―――時に緊張した面持ちだったり、時に感激のあまり泣いていたりする彼らの顔は、蕾夏が記憶している当日の顔とは、微妙に異なっていた。蕾夏が思うより少し大人びていたり、逆に幼く写っていたり―――それは多分、瑞樹から見た彼らの表情なのだろう。
 暖かい、と、それらの表情を見て、蕾夏は感じた。
 以前、大学の同級生に頼まれて撮ったという結婚式の写真を見せてもらったが、それは無味無臭な写真だった。その写真も、いい笑顔の瞬間を確実にとらえた良い写真だったが、こんな風に暖かい血は通ってなかったように思う。
 瑞樹は、変わった。いつから、とははっきり言えないが、確かに変化している。写真に、その変遷が如実に表れているように、蕾夏には見えた。

 式の当日の記憶を辿るように、蕾夏は1コマずつ丁寧に写真を見ていった。が、「3」と書かれたスリーブをライトビューアーに乗せ、その1コマ目にルーペを向けた瞬間、蕾夏の表情が変わった。
 「……」
 一度、唾を飲み込む。そして、もう一度しっかり、目をその1コマに据えた。
 それは、和臣と奈々美の、ツーショットのポートレートだった。
 ―――あの時の、写真だ。
 撮ったのに、撮らなかった、と感じた、あの瞬間。「何を」撮らなかったのか、あの時はわからなかった。
 蕾夏は、ルーペに目を近づけ、食い入るようにその1コマを確認した。
 少し照れたような笑顔を浮かべた、白のタキシード姿の和臣。その和臣の腕にぴったりと寄り添い、いつもより澄ました笑顔を見せている奈々美。2人とも、目線はカメラにまっすぐ向いている。それを見て、ああ、記念撮影って目がまっすぐこちらを見てる写真なんだな、と、当たり前のことを唐突に思った。
 ポジの状態だからはっきりとは言えないが、ピントはしっかり合っていると思う。構図も、奈々美のドレスの裾がきちんとフレームに収まるよう若干和臣寄りで撮ってあるし、被写体の表情も悪くない。
 でも…何だろう? 何か、足りない。
 ―――そうだ。
 さっきまで見ていたスナップにはあった、暖かさ。それが、この写真だけ、ない。綺麗に撮れているが、血が通っていない。まるで、以前の瑞樹の写真を、更に誇張したかのように。

 どうして―――…。
 瑞樹が話したくなるまで待つ、と決めた。でも…やっぱり、気になってしまう。これほどはっきりと、写真にそれが表れてしまうと。
 訊いては、まずいだろうか? でも、写真の事だけなら、答えてくれるかもしれない。
 「…ねえ、瑞樹。この写真だけどさ…」
 隣に座る瑞樹を返り見た蕾夏は、そこで言葉を切った。
 瑞樹は、眠ってしまっていた。
 寄りかかっているベッドに頭をくたんと預け、居眠りというより本格的に眠っている感じだ。立てた膝に乗せられた手から、チェック中の写真が今にも落ちそうになっている。
 ―――今日、気候が凄くいいもんなぁ。眠くなる気持ちもわかるかも。
 くすっと笑うと、蕾夏は、瑞樹の指から離れてしまいそうになっている写真を摘み上げ、テーブルの上に戻しておいた。
 目も疲れたし、少し休憩した方が良さそうだ。蕾夏はライトビューアーの電源を切って、すっかりぬるくなってしまったウーロン茶に手を伸ばした。

 ―――私には、話せないのかなぁ…。
 傍らで眠っている瑞樹の寝顔を眺めながら、蕾夏は小さくため息をついた。
 瑞樹が、家族、中でも母親に関して、何か大きな傷を抱えているのは、察しがついている。それが、両親の結婚や離婚といった単純なものから来ていないことも、ほぼ察しがついている。けれど―――具体的な傷は、何ひとつ、見えてこない。
 いまだに悪夢にうなされる日がある事。ポートレートが撮れない事。この前事故に遭いそうになった子供を助けた蕾夏を見て様子がおかしくなった事。そんな断片を繋ぎ合わせても、やっぱり背景が何も見えてこない。
 瑞樹は、蕾夏の話を聞いてくれた事で、蕾夏の抱えるものを一緒に背負ってくれている。なのに、自分の方は、何も背負ってあげられない。その状況が、時々、苦しくて苦しくてしょうがなくなる。
 あの人なら、わかるのかな、と。
 一瞬、思い出してしまう。朝倉 舞という存在を。そして次の瞬間、必ず激しい自己嫌悪に陥る。
 舞は、瑞樹にとても近い存在だ、と蕾夏は感じている。古い知り合いだとか、体の関係を持ったことがあるらしいとか、そういう問題以上に―――家族や恋人といった逃げ場を持たず、たった一人で辛さを抱え込みながら生きてきた、そんな姿が、2人はよく似てると思うのだ。
 いわば、“同類”。お互いの傷が、言葉にしなくても良くわかる関係。似たもの同士で肩を寄せ合って傷を癒しあえる人…そんな気がする。
 でも、自分は、違う。親に十分愛され、由井に助けられ、辻に助けられ―――自分の周りには、いつも助けてくれる人がいた。常に愛情を注がれていた―――時には、過剰過ぎるほどに。一人で全てを乗り切ってきた瑞樹や舞の“同類”ではあり得ない。
 自分は、甘やかされすぎている―――蕾夏は、ずっとそう思っている。それは、蕾夏の密かなコンプレックスでもあった。
 瑞樹の人生と接点のない、自分。だから、見えないのではないだろうか。瑞樹の抱えるものが。
 舞のような“同類”の方が、瑞樹にはふさわしいのではないだろうか? …そんな風に、だんだん思えてくる。

 ―――なんで、私なんだろう…?

 目が覚めかけているのか、瑞樹が少し身じろいだ。
 我に返った蕾夏は、無意識のうちに瑞樹の前髪を(いじ)っていた事に気づき、慌てて手を引っ込めた。
 「あ…瑞樹、目、覚めた?」
 「…んー…」
 瑞樹は、目覚めたくない、とでも言うように眉根を寄せた。なんだかその仕草が、昼寝から目覚めた子犬みたいに見えて、蕾夏は思わず吹き出しそうになった。
 ごろん、と頭を傾けて蕾夏の方に顔を向けると、瑞樹はほんの少しだけ目を開けた。が、完全に目を覚ました訳ではなく、半分以上は夢の中、といった感じだ。
 「なに…? 帰るって…?」
 「え? 違う違う。目、覚めた? って訊いたの」
 「…まだ終電あるじゃん…もーちょいここにいろって…」
 「は?」
 終電もなにも、まだ昼間だ。何か夢でも見ているのだろうか。蕾夏は眉をひそめて、目を擦っている瑞樹の顔を覗き込んだ。
 「瑞樹? もしかして、夢と現実、ごっちゃになってない?」
 「らいか…」
 眠そうな、少し舌たらずな口調で名前を呼ばれ、思わず赤面する。
 しかも、そう言いながら肩に腕を回され抱き寄せられたので、ますます赤面した。
 座っているので、いつもの身長差がほとんど無い。頬に直接瑞樹の頬が触れ、蕾夏は一気に焦った。
 「み、みずき? あの、目、覚まして…」
 「覚めてるよ」
 「嘘っ! 寝ぼけてる、絶対っ!」
 「覚めてるって…」
 覚めてるとは思えない眠たげな口調。
 ―――ど、どーしよ…完全に寝ぼけてるよ。
 蕾夏が半ばパニック状態になっている間に、瑞樹の手が蕾夏の後頭部に回された。
 え? と思った次の瞬間には、唇が重ねられていた。しかも、触れる程度なんていうレベルじゃなく、もっと強く。
 思わず唇を離そうとした。すると、まるでそれを引き止めるみたいに、舌先が歯列を割って中へと忍び込んできた。
 「―――…っ」
 自分の舌に絡んでくる有無を言わさない未知の感触に、蕾夏の頭の中が真っ白になった。
 息が、苦しい。なんとか逃れようとするけれど、後頭部にある手が寝ぼけてるとは思えない位強くて、逃れることができない。身じろぐほどに余計のけぞるような形になってしまい、今にも頭がベッドにぶつかりそうになる。
 このままじゃ窒息する、と思った時、やっと唇が解放された。と思ったら、瑞樹の唇が、そのまま首筋に下りてきた。
 瞬間、ゾクリ、とする、なんともいえない感覚。
 「や…っ…」
 喉元から耳元、鎖骨へと移動していく感触に、心臓がどんどん暴走していく。くすぐったいような感覚に思わず震えながら、陥落寸前の神経の糸を辛うじて繋ぎとめる。
 ―――で…でも…もう、限界かも…。
 「蕾夏…」
 「な…なに」
 「今日、滅茶苦茶、綺麗―――…」
 「――――――!!!」
 心臓が、痙攣を起こした。
 蕾夏は、瑞樹がふっとぶのも構わず、全力で瑞樹の肩を突き飛ばした。その勢いの予想外の強さに、突き飛ばした蕾夏自身が驚くほどに。
 突き飛ばされた勢いで、瑞樹の体は、テーブルの角に激突した。
 「! い、ってぇっっ!!!」
 激突の瞬間、思わず叫ぶ。ぶつかった肘を押さえ、瑞樹はその痛みにうずくまってしまった。
 痛そうな光景に、蕾夏の顔も無意識に歪む。が、今は到底瑞樹を思いやってやれるだけの余裕がない。蕾夏は、暴れる心臓を鎮めるように速い呼吸を繰り返しながら、涙目で後退った。

 「い…痛…な、なんだよ…?」
 瑞樹は、まだ事態が把握できないようだった。まだじんじんと痛む肘をさすりながら、ゆっくり顔を上げた彼は、顔を真っ赤にして涙ぐんでいる蕾夏を見て、眉をひそめた。
 髪を掻き上げ、周囲をゆっくり見回す。次第に頭がはっきりしてきた。
 「…もしかして俺、寝てた?」
 「ね…っ、寝てた? じゃないわよっ!! 何も覚えてないの!?」
 蕾夏の声が、半分裏返っている。その声に、瑞樹は余計眉をひそめた。
 頭がはっきりしてくるにつれ、夢だと思っていた事に妙に実感がある事に気づき始めた。その事と、今自分が置かれている状況がリンクした途端、一気に目が覚めた。
 「―――う…っわ、俺、最低…」
 「バカっ!」
 感情のメーターが振り切ったみたいに、蕾夏の目から涙がこぼれた。慌てて瑞樹は蕾夏の頭を引き寄せ、以前よくやったようにぽんぽん、と安心させるように撫でた。
 「ご…ごめん。ほんとに、悪かった」
 「瑞樹のバカ…!」
 「頼むから泣くなよ―――大丈夫か? フラッシュバックとか起きなかったか?」
 こくん、と、腕の中の蕾夏が小さく頷く。それで、少しだけ瑞樹はほっとした。
 蕾夏が落ち着くまで頭を撫でながら、瑞樹はひたすら、自己嫌悪に陥っていた。

***

 「―――おい…瑞樹。どうした?」
 出社早々、システム部を覗いた久保田は、デスクに頭を乗せてぐったりしている瑞樹を見て、顔を引きつらせた。
 「―――駄目だ…俺が、俺の言う事、きいてくれねー…」
 「はぁ!?」
 なんじゃそりゃ、という顔をする久保田を見上げようともせず、瑞樹は大きなため息をついた。

 あの時見ていた夢を、瑞樹は覚えていない。
 覚えているのは、半分現実と重なった白昼夢の部分だけだ。
 睡魔に抗いながら目を開いた先―――間近で見た蕾夏は、午後の柔らかい光を受けて、光の中に溶けていきそうに見えた。儚くて、柔らかそうで、綺麗だった。
 引き止めたくて、どこにも行かせたくなくて、腕の中に閉じ込めた。抱きしめた感触が心地良くて、消えてしまうんじゃないかという不安に胸が締めつけられて―――蕾夏の意志を無視して、彼女を手に入れようとした。
 ……最悪。自己嫌悪。
 少しずつ前に進めればいいと言い続けてきたのは、自分なのに。まだ彼女には無理だということを誰よりもわかっているのは、自分なのに―――理性の(たが)がはずれてしまえばあっけないものだ。すぐに本音が顔を覗かせてしまう。
 蕾夏を、抱きしめたい。口づけて、力ずくででも組み敷いて、完全に自分のものにしたい―――それが、本音。
 急ぎすぎれば、蕾夏を怯えさせる。一番欲しい蕾夏の「心」を失う。それが怖いからしないだけだ。蕾夏に過去のトラウマが無ければ、とうの昔に実行してただろう。
 信じられない――― 一体どこに、こんな自分が潜んでいたのだろう?
 そういう行為を「愛」なんかとは無関係な愚かな行為と馬鹿にしていたのは、ほかでもない、瑞樹自身だ。恋愛自体蔑んできた。独占欲、嫉妬、欲望、そんな物に溺れて周囲が見えなくなる輩を、この世で最も愚かな連中と罵っていたのは、ついこの間のことだ。
 なのに―――今の自分は、一体何なのだろう? 自分の中には絶対ひとかけらも無いだろうと思っていた感情を見つけてしまったが最後、26年間築いてきた価値観なんて、あっという間に粉々だ。
 友情があれば十分だ、と思った。恋愛感情を持つ事を許されてからは、気持ちさえ繋がっていれば、他はいらないと思った。
 けれど、すぐにそれじゃ足りなくなる。肩に触れられれば、手を握る事ができれば、抱きしめる事ができれば、口づける事ができれば―――どんどん、貪欲になっていく。
 どこまで行き着けば、満足できるのだろう?
 自分の貪欲さが、時々、怖くなる。

 「…あー…、最悪…」
 「確かに最悪そうだなぁ…」
 久保田は正直、面食らっていた。知り合ってからこのかた、こんな瑞樹は初めて見る。さすがに心配になり、佳那子の席を借りて座った。
 「どうしたんだよ。藤井さんと喧嘩でもしたか?」
 「―――俺って、とことん貪欲だと思って」
 「貪欲?」
 頭を上げようとしない瑞樹を見つつ、久保田は眉をひそめた。
 「お前が? なんでもかんでもいらねぇ、いらねぇ、で生きてきた、究極の無欲人間なのに?」
 「前は、な。今は―――自分で自分を持て余すほど、貪欲な自分に苛立ってる」
 「なんでまた」
 「―――蕾夏が、欲しい」
 呟かれた一言に、さすがの久保田も固まった。
 呆然とする久保田をよそに、瑞樹はまた大きくため息をつくと、だるそうに体を起こし、前髪をぐしゃぐしゃと掻き上げた。
 「それ考えると、気ぃ狂いそうになる」
 「……」
 「覚悟はしてたけど―――ストイックに生きるのも、今は結構大変だ」
 フリーズしたまま、信じられない、といった顔で瑞樹を凝視していた久保田は、唾を飲み込み、やっと口を開いた。
 「…お前…ほんと、変わったなぁ。俺、ちょっと感動したぞ、今」
 「なんだよ、そりゃ」
 不可思議な感想を述べる久保田を、瑞樹は不機嫌な目つきで睨む。
 「いや、だって、あの成田瑞樹から、女に対するポジティブかつ能動的な発言が飛び出すなんて」
 「“あの”って何だよ。俺がよっぽど変わり者みたいじゃねーか」
 「それに、そういう事で悩む事があったとしても、今までのお前なら絶対俺の前で口に出したりしなかったしな」
 「…人間、とち狂うことだってあるだろ」
 ますます不機嫌そうな顔になって、瑞樹はぷいっとそっぽを向いた。その行動も、かつての彼からすれば驚くほど感情的で、見ている久保田はつい笑ってしまいそうになる。
 「俺は嬉しいよ。クールで自己完結してる瑞樹も悪くないけど、そうやって悩んでる瑞樹も、人間的で、見てて飽きないから」
 「…そりゃどうも」
 からかっているな、と言いたげに眉を上げる瑞樹に、久保田は穏やかな笑顔を見せた。
 「“求めよ、さらば与えられん”―――貪欲は罪じゃない。なんでも欲しがるのは間違いだけど、1つのものをとことん求めるのは、決して悪い事じゃないさ」
 「…隼雄と聖書ってのも、どうもミスマッチだな」
 「馬鹿。俺は結構インテリなんだぞ」
 「知ってるよ」
 瑞樹はふっと笑うと、頬杖をついてまた小さく息を吐き出した。

 どこを見てるのかわからない目をして、ひっそりと佇む瑞樹は、周囲の雑音をシャットアウトして、一人、異空間に漂っている。そういうところは、全く変わっていない。
 久保田は、そんな瑞樹を横目で眺めつつ、穏やかな感情とささやかな不安とを同時に感じていた。
 久保田も知らなかった、とんでもなく激しい感情を持った瑞樹の一面。人を恋うことに慣れていない瑞樹だからこそ、それほどの激しさを持ってしまうのだろう。
 じゃあ―――万が一、それほどの激しさで望んだものが、失われたら?
 また前の瑞樹に戻るか、もしくは―――…。

 「…で? 今のところ、どんな状況なんだよ?」
 からかうつもりではなく、本当に心配になって、久保田は無意識のうちにそう訊ねていた。
 が、返事はなかった。不審に思ってよく見ると、瑞樹は頬杖をついたまま、うとうとと眠っていた。会社ではこんな姿を見せる奴ではなかったのに、と、久保田は苦笑した。
 「―――ほんとお前、変わったよな」
 瑞樹の頭を軽く叩いて。
 「…逃がすなよ、絶対に」
 久保田はそう、呟いた。


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