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― オフライン::レッドゲージ ―

 

 「えっ、この子のお母さん!? 一体いくつなんですか」
 「さ、30!? てことは、いくつで産んでることになるんや!? ひえぇ…」
 話題が母親に集中する中、
 「うわああぁ、かっわいいーーー!!!」
 1人だけ、涙目で子供の方に興味示しまくりの人物がいた。昨年、屋久島で見た時より微妙に髪が長くなった"mimi"である。
 「やっぱり素材になってる親がこれだけ美人だと、子供も桁違いなんですねぇぇっ。この頭もオシャレだしー、こういうブカブカのTシャツもツボだしー。あぁ、しまった、スケッチブック持って来るんだった! 即売会に出すネタの主人公の顔がどうしても決まらなかったんだけど、この子の顔ならピッタリー!」
 即売会、とは、地元北海道でやる同人雑誌の即売会のこと。"mimi"は高校時代からずっとこのイベントに参加している。ゲームプログラマーになったのも、同人関係でゲームのキャラにはまったのがきっかけなのだから、筋金入りだ。
 「…ミミが描くのって、確かボーイズ・ラブものだよね」
 「…だな。想像したくねぇ…」
 "mimi"の背後で、瑞樹と蕾夏がそんなことをひそひそと話しているのだが、当の"mimi"は全然気づいていない。思いがけない場所で出会った「カッコカワイイ男の子」に夢中のようだ。
 「まぁまぁ、とりあえず店の中入りましょう。入り口前で騒いでると、業務妨害で訴えられるよ?」
 見かねた"江戸川"のとりなしで、本日の目的もすっかり忘れて興奮している"mimi"も、やっと我にかえった。それをきっかけに、全員、ゾロゾロと店の中へと移動を開始した。
 「悪いな。急に2人も飛び入りする羽目になって」
 移動しながら、今日の幹事である"猫柳"にこっそり瑞樹が謝ると、"猫柳"は意味深な笑いを瑞樹に返した。
 「ボクらは別にかまへんよ。妖艶な美女乱入で江戸川はん上機嫌やし、ジャニーズ乱入でミミは有頂天やし、店も空いてるみたいやし。むしろ、ハルの方が“大迷惑”っちゅー顔してへん? なんや訳アリのご様子やねぇ」
 「…バカ。何もねーよ。変な詮索すんな」
 「ほんまかいな。怪しいなぁ」
 カラカラと笑う"猫柳"は、そんなことを言いつつも、特にその“訳”を聞きだそうとはしなかった。

***

 オフ会に突然飛び入り参加した2人とは、当然、舞とイズミの親子のこと。
 何故こんなことになったのか―――それは、今から遡ること5時間前。財布を含める全ての荷物を部屋に残したまま締め出しを食らった朝倉親子が、もう我慢の限界とばかりに呼び鈴を鳴らしたことから始まる。

 「昼ごはんを食べに行こうにも、お金も持ってない状態なのよ!? イズミが迷惑かけたのは申し訳ないと思うけど、ちょっとは考えなさいよね!」
 と憤慨する舞には、さすがに何も言えなかった。なにせ、1時間も廊下に放り出したままだったのだから。
 「一体何してた訳? 1時間も」
 「…ま、想像に任せる」
 瑞樹の斜め後ろで、居心地が悪そうに足元に視線を彷徨わせている蕾夏をチラリと見た舞は、色々と想像をめぐらせた挙句、クスッと小さく笑った。
 「なるほどね。蕾夏さんが顔を上げられないようなことをしてた訳か」
 「―――もういいだろ。荷物纏めたら、イズミ連れて帰れって」
 「いやや。オレ、オフ会に出る」
 舞が答える前に、それまで黙っていたイズミが口を尖らせて食い下がってきた。まだそんな事を言っているのか、と瑞樹が眉を上げかけると、そうそう、という風に舞がポン、と手を叩いた。
 「ねえ、そのオフ会ってやつ。イズミから話聞いたけど―――できれば、あたしも参加したいんだけど」
 「は!?」
 「今晩、世田谷の母の家に泊めてもらおうと思って電話したんだけど、お義父さんの実家の法事があるとかで、9時まで帰らないんですって。だから、飛び入りできるなら、イズミと2人で参加させてもらって、時間潰したいのよ」
 「…あのなぁ、」
 イズミ1人でも頭の痛い話なのに、舞とセットでなんて余計頭が痛い。当然、瑞樹は反論しようとしたが、すかさず舞がその言葉を遮った。
 「私1人でイズミ連れて慣れない東京で時間潰すのは、結構大変なのよ。またいつ逃げ出して、成田君の部屋に潜り込むか分からないしね」
 「……」
 「まさかダメなんて言わないわよね? 1時間も、空腹の親子を廊下に放り出してた人が、そーんな冷たいこと言う訳ないわよねぇ?」
 「…………」
 「…連れてってあげなよ。ね?」
 蕾夏がそう後押ししたのが、とどめだった。

 結果―――現在に至る。


 4人掛けベンチ2つというテーブルに、片側は奥からイズミ、蕾夏、瑞樹。イズミが「姉ちゃんの隣がいい」と言い張ったせいでこういう並びになったのだが、飲み屋だから見るからに子供なイズミは奥に押し込めた方が得策だ、という計算が働いた部分もあった。
 もう片側は、奥から"mimi"、"江戸川"、舞、そして幹事の"猫柳"。「イズミ君の顔を正面から見たい」と"mimi"が主張し、「同い年だし子持ち同士だから色々話ができそう」と舞が"江戸川"の隣を希望したためこうなったのだが、酒癖の悪い"mimi"と"江戸川"を奥に押し込めたい、という周囲の思惑もあったかもしれない。
 飛び入り参加のせいで、店に入るまでにもごたついたし、この形に席が収まるまでも結構かかった。やっと乾杯にこぎつけた時には、既に集合時間の6時から1時間近くが経過していた。
 「いや、うちのはまだ3歳にもならないんですけどね。かみさんが職場復帰しようにも、保育園の空きがなくて困ってるんですよ」
 「そうでしょうね。うちの場合、イズミが小さい頃は母が日中家にいたんで、その点助かってたんですけど…」
 瑞樹の正面では、舞と"江戸川"が子持ちトークを展開していた。子供の年齢差のせいで、主に"江戸川"の相談に舞が乗っている形だが、7人の中でここだけが、まるで父兄会のようなムードだ。
 初対面だらけで大丈夫か、と思ったが、舞は元々、客商売に慣れている。「蕾夏さんの機嫌を損ねたら大変だから、あたしは成田君の隣は遠慮しとくわ」と茶化すように言っていた舞だが、誰の隣に行ってもそれなりに対処する自信があったからこそのセリフだったのかもしれない。
 「えっ、ミミって“ダーク・トライアングル”の開発チームにおるん!? マジでーっ!? あのゲーム無茶苦茶好きや」
 「ホントに? うわーん、嬉しいなぁ。こんな可愛い男の子が愛好家にいるなんてー」
 「学校で結構流行ってんねんで。なな、姉ちゃんはやったことある? え、ないの? あんな、このゲームは―――…」
 一方、奥の席は、どうやらイズミが好きなゲームを"mimi"の会社が出していたらしく、すっかりその話で盛り上がりつつある。明らかに蕾夏向きの話ではないが、イズミがいちいち蕾夏に意見を求めたり説明をしたりするので、蕾夏は、ちょっと困りながらもイズミと"mimi"の側に引っ張り込まれている。
 イズミがああして蕾夏にばかり話を振るのは、蕾夏の注意を自分に引きつけたいからか、それとも瑞樹から蕾夏を引き剥がすためか―――どちらなのかは、ちょっと微妙な感じだ。ただ、蕾夏の写真を生徒手帳に入れていたところを見ると、イズミが蕾夏を気に入っているのは間違いなさそうだ。
 どっちの話にも少しずつ顔を出しつつも、積極的に加わる気にはなれないまま、カクテルを口に運ぶ。仕事のトラブルとやらで電話のために何度も席を立つ"猫柳"を見送りながら、瑞樹は昼間のことを思い出し、小さくため息をついた。


 舞が迎えに来る話を知らなかった蕾夏は、イズミを心配して訪ねた瑞樹の部屋から、予期せず舞が出てきたのを見て、案の定拗ねてしまっていた。
 舞が瑞樹に気があったのはずっと過去の話だし、それに応えたことは一度もない(襲われたことは一度あったが)、舞だって瑞樹が上京して以降はそれなりに恋愛を経験していたらしいし、今では恋愛感情の欠片もない筈だ―――前にもそう説明したのにまだ拗ねる気か、と苛立つ瑞樹と、そんなことはもう十分分かってると言いながら機嫌の直らない蕾夏で、少々喧嘩のようなことになってしまった。
 でも、ちょっとした喧嘩は、すぐに終わったのだし、問題ではない。ため息の原因は、そんなものではないのだ。

 『イズミ君のいる間だけでいいの。イズミ君の前では、私のこと、なるべく無視してくれない?』
 拗ね終わったと思ったら、蕾夏がそんなことを言ったのだ。
 『イズミ君が瑞樹の所に来たの、きっと、私が原因だと思うの。舞さんより私と親しくなっちゃった瑞樹見て、寂しくなったんじゃないかな…多分。だから、事実はどうであれ、イズミ君の前では私より舞さんと仲よさそうにしてあげてよ。私も妬いたりしないから』
 酷く辛そうに、落ち込んだ様子でうな垂れる蕾夏のセリフに、瑞樹はいまいち賛同しきれなかった。
 確かに瑞樹も、今回の家出は、舞がふざけて言ったような理由ではないと―――瑞樹と舞を引き合わせよう、などという目的のためではないと思っている。舞を迎えに来させたのには、そうした悪ふざけの部分もあったかもしれないが、家出そのものの理由は、もっと違うところにあると確信している。
 でも、もしも蕾夏の言うような理由だとしたら―――何故、今頃?
 瑞樹と蕾夏のことなら、去年、既に見ている筈だ。当時はまだ付き合っていた訳ではなかったが…少なくともあの目は、瑞樹の方の気持ちは見抜いている目だった。あれは確か、屋久島へ行く少し前だから…去年の、3月。既に1年半経っているのだ。あの時、イズミが寂しいと感じたのだとしても、何故今更、という疑問は晴れない。
 何を理由にそう思うのか訊ねたが、蕾夏は少し迷った挙句、分からない、という風に首を振った。その様子が、本当に分からない訳ではなく、何かを隠してイズミを庇っているように見えて―――それが今、瑞樹がため息をついている原因。

 舞のことになると態度が変わってしまう蕾夏の心理が、いまいち分からない。1度しか会ったことのないイズミを、何故蕾夏がそうも気にかけるのかも、よく分からない。
 舞が、蕾夏が唯一会ったことのある“過去に瑞樹と関係のあった女”だから。イズミが、かつて瑞樹が少なからず面倒を見てやった子供だから。そういう、分かりやすい説明も、つけようと思えばつけられる。けれど―――何故か、そうとは思えなかった。
 何故、そうとは思えないのだろう―――もしかしたら、一番“分からない”のは、そういう自分自身のことかもしれない。


 「あ、ハルさーん、そこにある小皿下さーい」
 甲高い"mimi"の声に我に返った。
 いつの間にか運ばれてきていたサラダの取り皿が、ちょうど瑞樹の目の前に重ねられていた。纏めて中央に皿の山を移動させると、「ありがとー」と言いながら"mimi"や"江戸川"や舞がその皿を持っていった。どうやら、今はこの3人で話をしている最中だったらしい。
 「ほら、イズミ。あんたも食べなさい。さっきから鶏のから揚げばっかり食べてて」
 「えー、トマト嫌いや」
 舞にサラダ皿を押し付けられて、イズミはちょっと迷惑顔になった。その時―――ずっとイズミが独占して離そうとしなかった蕾夏と、久々に目が合った。
 「……」
 ―――無理、してんなぁ…。
 さっきから常に笑顔をキープしている蕾夏だが、イズミに目一杯気を遣っているのは、瑞樹にもよく分かった。傍目には自然に見えるその笑顔も、瑞樹には精一杯努力しているものだと分かってしまう。
 どうしたの、という風に、軽く首を傾げる蕾夏に、瑞樹はテーブルの下で手を伸ばし、ベンチの上に置かれたその白い手に、緩く指を絡めた。途端、周囲には気づかれない程度ではあるが、蕾夏の頬が僅かに赤く染まった。
 「―――俺が舞と仲良くしてるってより、お前がイズミと仲良さげなんじゃねーの」
 小声で、ちょっと恨みがましそうな声を装って瑞樹が言うと、蕾夏は余計顔を赤くして、軽く瑞樹を睨んだ。好きでイズミの相手ばかりしてる訳ではない、とでも言いたそうな顔に、瑞樹は笑いを噛み殺しながら、絡めた手に一度だけ力を込め、そのままスルリと手を解いた。
 「あーもー、疲れる疲れる…」
 ちょうどそこへ、頭上から"猫柳"の疲れた声が割って入り、瑞樹と蕾夏は一瞬ギクリとして体を強張らせた。
 見上げると、仕事の電話がやっと終わったらしい"猫柳"がちょうど歩いてきたところだった。今のシーンを見られていたとは思わないが、気恥ずかしさのせいで、2人はちょっと不自然に互いの手を遠ざけてしまった。
 よっこらしょ、と"猫柳"が瑞樹の隣に腰掛けるのと、蕾夏の意識が瑞樹の方に向いているのに気づいたイズミがまた蕾夏に話しかけてきたのは、ほぼ同時だった。
 「お疲れ。終わったのかよ、電話」
 直前の動揺を隠して瑞樹が訊ねると、向かいの席にある自分のグラスに手を伸ばした"猫柳"は、複雑な表情をした。
 「いや、まだ、一旦小休止っちゅうとこやな。もー、敵わんわ。休みの日にまで携帯に連絡してくるんやから」
 「なんだか、急に忙しくなったな、猫やんの会社」
 「いろいろあってなぁ」
 コキコキと首を回した"猫柳"は、まだほとんど手つかずだったカクテルをあおり、大きなため息を一つついた。
 「リストラで、ボクが一番信頼しとった上司が、首切られてん。仕事もよーできる上に人格者で、うちの課には必要不可欠な人やったのに―――信じられへんわ。どないなっとんねん! て全員憤慨しとるんやけど、上層部にそないな叫びが届く訳あらへんなぁ…」
 「そのせいか。最近、会社辞めたいとか言ってんのは」
 8月に入った辺りから、"猫柳"はチャットで、そんな話を時々していたのだ。単なる忙しさからそんな事を言うような人間ではなかったので、よほど会社を信用できなくなる事件でもあったな、とは察していたが―――なるほど、そういう事情なら頷ける。
 「そやけどなぁ。兄貴がまだ屋久島行ったっきり戻ってきとらん今、下手に会社を辞めたりすると、また父親が妙なこと言い出しそうで、嫌やなぁ」
 「ああ…確かに」
 "猫柳"の家は、代々続くなにわ商人で、現在は食料品の輸入会社を大阪で経営している。その跡継ぎである"猫柳"の兄は、ちゃんと跡継ぎになるべく育てられた筈なのに、数年前、屋久島の自然に魅せられてしまい、いまや家を勝手に出て屋久島でペンションを経営している状態なのだ。
 「ありゃ帰ってくるまでにまだ相当かかりそうだな」
 昨年の屋久島オフで会った"猫柳"の兄を思い出し、瑞樹も眉をひそめる。サングラスの上にある"猫柳"の眉も、困り果てたようにハの字に歪んでいた。
 「まあ、まだ上司のリストラから日も浅いし、今すぐどうこう思う訳やあらへんけど―――温厚なボクかて、いつ爆発するか分からへんからね。爆発した後の身の振り方も、ちっとは考えとかんとあかんなぁ…」
 言ったそばから、また"猫柳"の携帯電話が鳴った。
 「―――堪忍してぇな…」
 ガクリとうな垂れた"猫柳"は、よろよろと立ち上がると、また携帯片手に席を離れてしまった。


***


 ―――忙しない人ねぇ…。
 さっぱり温まることのない隣の席を、舞は"江戸川"と話をしながらも、ずっと気にしていた。
 軽快な関西弁から、関西の人間だろうな、とまでは想像がつくが、なにせ席を離れてばかりいるし、席についても追加注文を訊いたり場を盛り上げるようなことをするばかりで、彼本人の人物像はさっぱり分からないままだ。
 地毛ではありえない銀色の長髪を1つに束ね、レイバンのサングラスに赤系統のアロハ、というその風貌は、どう考えてもまともな会社員には見えない。どうやら、先ほどから席を立つのは仕事の電話が原因らしいが、一体何の仕事をしているのだろう?
 初対面の3人の中で、唯一、まともに言葉を交わしていない人物。その人物は、5分ほど前から、またもや携帯電話に呼び出されて席を立っていた。

 「もぉー、江戸川さん、ミミ弱いんですから、飲ませないで下さいよぉー」
 「まーまーまー、ご返杯ご返杯」
 先ほどから、かなり酔いが回ってきていた"江戸川"は、"mimi"と、酒に弱い同士で酒を勧めあうという妙なことをやり始めてしまい、舞と話ができる状況ではなくなっていた。それに、時計を確認すると、既に9時近い。
 「イズミ」
 瑞樹と蕾夏を巻き込んで中学の同級生の話をしているイズミに声をかける。
 「おばあちゃんのとこ電話するから、あんたもいらっしゃい」
 「えー…、ええやん、母ちゃんだけでも」
 「いいから早く」
 途中から酔っ払ってしまった"mimi"のせいで、蕾夏がイズミの相手を一手に引き受けていたに等しいことは、ずっと気にかけていたのでとっくに気づいていた。瑞樹もそれに気づいて助け舟を出していたようだが、蕾夏が疲労しきっているのは明らかだ。
 全く、イズミったら―――その行動の意図がなんとなく分かるから、蕾夏に余計済まない気持ちになる。ちょっと険しい顔でイズミを睨むと、イズミも渋々、席を立った。
 イズミの腕を掴むようにして歩き出しながら、肩越しに後ろの様子を確認すると、瑞樹が蕾夏の頭をぐしゃぐしゃと撫でているのが見えた。ああいう事はしない人だと、昔は思ってたんだけどな―――ほほえましくなって、クスッと笑ってしまう。少しだけ暖かいものを感じつつ、舞はイズミを連れて、電波が届くであろう店の入り口の方へと向かった。
 「…イズミ」
 不貞腐れたような顔で歩くイズミの腕を放し、ポン、と頭を叩く。
 「もう、よしなさい。2人とも可哀想でしょ」
 「……」
 不貞腐れたままのイズミは、少し意気消沈したようにうな垂れた。が、舞の言葉に何も返そうとはしない。
 ―――本格的な反抗期かしらねぇ…。
 内心、ため息をつく。夏前までは、こんなことはなかった。中学生になってから、少しずつ態度が変わってきて―――8月に入った途端、まるで別人のように、舞に何も語らなくなった。いじめにでも遭ってるのではないかと心配もしたが、そんな様子もない。本当に…一体、何があったのだろう?

 「あ、お世話になります。中尊寺です」
 イズミの態度に舞がため息をつきそうになった時、店内とレジ前とを隔てる壁の向こうから、聞き覚えのある声が聞こえた。
 “中尊寺”。
 仰々しい名前に、舞とイズミの足がピタリと止まる。この声は―――そう、さっきから忙しなく席を立つことの多かった、あの人物だ。
 あの風貌で、あのいでたちで、“中尊寺”―――思わず、親子で顔を見合わせてしまった。
 「緊急メンテの件、やっと決着つきました。ほんま、お世話かけました。…いえいえ、ハハハハハ、井川さんが抜けてもーて、ボクらほんまに四苦八苦ですわ」
 もの凄く、サラリーマンぽい会話だ。あの風貌でこういう電話をしているのか。とんでもなく、ミスマッチな感じがする。
 「はい、はい、はい、ええ、どうもお休みのところお邪魔さんでした。はい、おやすみなさーい」
 お愛想笑い100パーセントの会話に続き、ピッ、という音が聞こえた。どうやら電話が終わったらしいな、と思い、2人は壁の裏側からヒョコリと顔を覗かせた。
 みんなから“猫やん”と呼ばれている男は、公衆電話の置かれた台に手をついて、ぐったりしていた。
 「…あのー、“中尊寺”さん?」
 恐る恐る舞が声をかけると、ガックリと下がっていた肩がピクリと動く。顔を上げた“猫やん”は、サングラス越しに舞とイズミの姿を確認すると、微妙に不機嫌そうだった顔を即座に引きつった作り笑いに変えた。
 「あ…あはははははははは、聞いてはったんですか」
 「え?」
 「いや、ほら、名前」
 「…ああ、“中尊寺”」
 「なあ。猫やん、ほんまに“中尊寺”っちゅう名前なん? 芸名とちゃうの?」
 “猫やん”の仕事をミュージシャンと決めてかかっていたイズミが、思ったままにそう訊ねる。すると、サングラスの上の眉を「ほぇ?」といった感じに怪訝そうに上げた“猫やん”改め“中尊寺”は、
 「失敬やなぁ…芸名って一体どんな仕事やと思てたん? これでも関西じゃかなり大手な会社で、真面目な技術者やってんねんで?」
 と言いながら、Gパンのポケットをごそごそと漁った。
 やがて引っ張り出したのは、銀色の名刺入れ。その表にも髑髏のマークが入っている辺りがどうにも妙なのだが…その中から取り出された名刺には、舞もよく知っている機械メーカーのロゴが入っていた。
 「ほら。これが証拠や」
 ずいっ、と突きつけられた名刺を受け取ったのは、舞ではなくイズミだった。2人してその名刺を覗き込む。

 『××電機株式会社 通信システム事業部門 商品開発センター第1開発部主任 中尊寺 忍』

 「ちゅうそんじ…しのぶ…忍!? ええええ! 猫やんが、忍!? これのどこが忍んでるん!?」
 イズミの言う“これ”とは、当然、彼の外見のことを指している。派手に吹き出したイズミは、大笑いしながら“中尊寺”改め“忍”のアロハシャツをバシバシ叩いた。
 「忍ぶどころか、この格好、アピールしまくりやん。なあ、やっぱりこれ、本名とちゃうんやろ? ウケを狙った芸名やんな?」
 「…素直で可愛いお子さんに育てはりましたね」
 「ご…ごめんなさいね、忍さんに負けず劣らず派手な成りしてる癖に、この子ったら」
 “この子ったら”の言葉と同時に舞がイズミの頭をバシッ、と叩くと、イズミの笑いがピタッと止まった。中学生になって日に日に背の伸びているイズミだが、まだ舞より体格的に劣る。頭を叩かれた勢いで、前につんのめってしまった。
 「ひでぇっ! 暴力反対やっ! 第一、オレのこの頭は、忍と違って天然やんっ。別に好きで派手ななりしてるんとちゃうわっ!」
 「えっ、天然なん?」
 近頃の流行で染め分けをしているのかと思っていたのだろう。忍が驚いた声でそう言い、イズミを見下ろした。よく驚かれることなので、舞も苦笑する。
 「ええ、赤ん坊の時からこの頭なの。中学に入ってからは、髪を染めてるって疑われて、生活指導の先生に呼び出されたりもしたんだけど―――乳母車の中にいる金茶メッシュの髪の赤ちゃんの写真を持ってったら、納得してくれたのよ」
 「へーえ…おもろいわ。舞さんの髪が普通やっちゅうことは、父方の遺伝やな、きっと」
 「……」
 言われ慣れた言葉に、何故か舞は、咄嗟に反応できなかった。その一瞬あいた間を感じ取って、イズミの方が答えた。
 「それは分からへん。オレ、父親分からんし」
 「へ? 分からん?」
 「うん。オレ、生まれる前から父親おらへんねん。母ちゃんにも、誰がオレの父ちゃんか分からんから」
 「……」
 忍の目が、イズミから舞に移った。サングラスで、その目の表情は全く窺い知れないが、なんだか居たたまれないものを感じて、舞は思わず視線を逸らしてしまった。
 軽蔑するんだろうな、と、少し憂鬱になる。外見はとんでもないこの男だが、さっきの電話や幹事役のこなし方を見ていると、社会に上手く適応した常識人であることが窺えた。軽蔑されることは時々あるが、舞のプライドは決して低くない。何度されても、気分のいいものではなかった。
 けれど、舞の覚悟とは反対に、頭上から降ってきた言葉は、意外なものだった。
 「へえ、ええなぁ」
 「―――…」
 思わず、舞もイズミも、忍を見上げてしまう。見ると、忍は、内容の深刻さからはかけ離れたへらっとした笑い方をしていた。
 「両親分からんのは堪忍してーなと思うかもしれへんけど―――片親やったら、なんや浪漫があってええやん?」
 「…ろまん?」
 「なまじ心当たりがあるんやったら別やけど、あらへんのやったら、自分の親を好きに想像できて、楽しいやん。アラブの石油王でもええし、若くして胸を病んだ伝説の詩人でもええし」
 「…アホちゃうか」
 舞が言葉を失っている間に、イズミの尖った声が斜め下から突き刺さった。
 「んな風に思える訳ないやろ。オレは、そないなかけ離れた親想像できるほど、おめでたい頭にはできてへん」
 「うっわ、傷つくっ。中学生に“おめでたい”と言われるやなんて、もうボクもおしまいやなぁ」
 胸にぐさっと刺さったみたいに、胸を押さえてよろけた忍だったが、その顔はまだ笑っていた。
 「けど、イズミ君。何想像しても、世界一の妄想男よりはマシやで」
 「…誰」
 「イエス・キリスト」
 「……」
 「あの人、父ちゃんは“神様”やで? そんな訳あるかい、と思うてたら、キリスト教はなかったやろな。妄想も貫けば、一種の宗教や」
 ははははは、という忍の笑い声に、体を丸めて棘を逆立てかけていたイズミは、毒気を抜かれたように呆れ顔になった。
 「…忍、ほんまもんのアホやな」
 「適度にアホやと思うで」
 「―――なんや、一気に疲れた。母ちゃん、オレ、席戻るわ。ばあちゃんには適当に言っといて」
 けっ、と不貞腐れた顔になると、イズミはぷいとそっぽを向いて歩き出してしまった。
 「あ、こら。2人に迷惑かけちゃ駄目よ! あんたは江戸川さんとミミちゃんの介抱でもしてなさい!」
 「はいはーい」
 ―――本当に分かってんでしょうねぇ?
 忍に負けず劣らず軽い返事を返す息子の背中を、思わず睨んでしまう。全く…反抗期の子供は、扱いにくくて困る。早いところ席に戻って、睨みをきかせた方がいいかもしれない。
 「うーん…図星指すよりかはマシやと思ったんやけどなぁ…」
 店内へと戻っていくイズミの背中を見送って、忍が呟いた。
 「図星?」
 意味が分からず問うと、忍はニッ、と意味深に笑った。
 「好きに親を想像できるっちゅうことは、例えばの話―――ハルがそうやと思うことも、イズミ君の自由やんな? と、本当は言おうと思うたんやけど」
 「……」
 思わず、息を呑む。ほとんど席にはいなかった忍だが…やはり、見ていれば分かってしまうものなのだろうか。
 「ハルも罪な男やなぁ。女にモテるのは知っとったけど、子供も範疇やとは意外やったわ。もっとふてぶてしい女ならええやろけど、ライは優しい女やからなぁ。イズミ君に気ぃ遣いまくっとって、見てて痛々しいわ」
 「…あらま。忍さんは、蕾夏さん狙い?」
 口調の微妙なニュアンスにそれを感じ、少し茶化すように訊ねると、忍の笑いが僅かに引きつった。
 「あー…、ハハハ、理想的やったんやけど、もう振られ済みやし」
 「あら。残念ね」
 ―――ふぅん…蕾夏さんが理想的、か。
 ということは、自分はその対極にあるんだろうな、と、レジカウンターの向こうにある鏡張りの壁に映った自分を見ながら、舞は思った。

 …全く。
 成田君といい、目の前のこの男といい―――なんであたしは、あたしに関心のない男にばかり、興味を覚えてしまうんだろう?

 「えーと…あれ? そう言えば舞さんは、何しに来はったんでしたっけ?」
 やっと舞とイズミが突然現れたことに対する疑問を感じたらしく、忍が軽く首を傾げた。そういえば、自分もすっかりそのことを忘れていたことに気づき、舞はちょっと苦笑した。
 「ああ、実は、今晩泊まるとこを―――…」
 言いかけて―――チラリと、手の中の携帯電話に目を落とす。
 咄嗟に、計算が働く。再び目を上げた舞は、ニッコリと魅惑的な笑みを浮かべた。
 「―――キャンセルしようと思って」

 そうよ。
 あんな家、泊まりたいと思ったこと、一度もない。母さんの元情夫を“お義父さん”なんて呼ぶあの家になんて、母さんがイズミを可愛がっていなければ、行く義理なんてないと思ってた。いつだって。
 イズミだって、反抗期をやってるじゃないの。
 たまには、あたしだって―――自分のためだけに行動する瞬間があったって、いいんじゃないの…?


***


 「そろそろ二次会に流れまっせー」
 やっと席に戻ってきた"猫柳"の声に、"mimi"や"江戸川"の介抱に四苦八苦していた瑞樹や蕾夏は、なんとも複雑な表情で顔を上げた。
 「…やるのかよ、二次会」
 「当たり前やろ。ボクはこれからが本番やで? 仕事がよーやっと片付いたっちゅーのに」
 「じゃあこれを何とかしてくれ」
 瑞樹が指差す所には、折り重なってベンチに倒れている"mimi"と"江戸川"の下敷きになって、イズミが「重い…」と呻いていた。
 「ちょ…っ、イズミ! あんた、何してんの!?」
 "猫柳"の背後から顔を出した舞が、下敷き状態の息子を見て、慌てて駆け寄る。一番上の"mimi"を抱き起こそうとしていた蕾夏は、ぜーぜー言いながらも、
 「一応、褒めてあげて。介抱しようとして失敗した結果、こうなったんだからさ」
 と舞にフォローを入れるのを忘れなかった。
 「わかったわかった、偉い偉い。ほら、男の子でしょ、頑張って這い出てきなさい」
 「ひでぇ…暴力母反対」
 「あら。そんな憎まれ口叩いてると、二次会連れてってやらないわよ?」
 必死に大人2人の下から這い出たイズミは、舞の言葉にキョトンと目を丸くした。
 「え? 出るん? ばあちゃん達どうしたん、9時には帰るゆーてたんやろ?」
 「ああ…まだ留守だったからね、留守電に入れてきたのよ。“今日はそっち行きません”て」
 「い、行かへん、て…」
 「ボクの会社の関係してるホテルがこの傍やから、そこに部屋押さえてん」
 唖然としていたイズミは、頭上から降ってきたノホホンとした声に、余計目を丸くした。
 このセリフには、瑞樹と蕾夏も、さすがにちょっと驚いた。
 「猫やんが?」
 「元々、ボクとミミが、そこに予約入れとったんで、空き部屋ないかって今電話で訊いてん。社員割引で目茶安う泊まれるんで、毎回予約が大変やってんけど…今日はラッキーやったわ。団体のキャンセルがあって、結構空いてたみたいや」
 「…ほー。辞める前で良かったな」
 「ふはは、まー、こういう時だけは、ね」
 「え、忍、仕事辞めるん?」
 “忍”。
 イズミが発した聞き慣れない名前に、瑞樹と蕾夏の頭が、一瞬混乱する。が―――確かに、以前貰った名刺に“中尊寺 忍”という似つかわしくない名前が書いてあったのを思い出して、ああ、"猫柳"のことか、と納得した。
 「大企業やゆーて、自慢した癖に」
 イズミが口を尖らせると、"猫柳"はニンマリと笑ってみせた。
 「イズミ君があんまりアホアホ言うと、ショックのあまり辞めるかもしれへんねー」
 「けっ、やっぱり筋金入りのアホや」
 「…アホはあんたよ」
 ばしっ、と舞に頭を叩かれて、イズミはまた「暴力母反対」と怒鳴っていた。そんなやり取りを傍観しつつ―――瑞樹と蕾夏は、チラリと互いに目を合わせた。


 …なんというか。

 事態は、意外な人物のせいで、意外な方向へと転がりだしてきた―――そんな気がする。


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