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― ONE WAY―

 

 『(猫柳)ほー、同窓会か。ボクんとこはさっぱりやらへんなぁ』
 『(HAL)俺んとこなんて、一度もやってねーよ』
 『(mimi)うちは、地元にべったり密着型だから、毎日が同窓会状態ですよー。会社にも幼馴染が1人いるしー』
 『(江戸川)僕の所は、女性の年齢が微妙になってからは、開かれてないね』
 『(rai)なんで?>江戸川』
 『(江戸川)ほら、既婚と未婚が混在すると、色々難しいでしょう、女性は。昨日のクラス会では、そういうことなかったの?>rai』
 『(rai)ないよ。未婚率高かったし。しかも1人は離婚寸前だったから、みんなから慰められてた>江戸川』

 「しのぶー。いるー?」
 悪魔の呼び声に、"猫柳"こと中尊寺 忍は、キーボードを叩きかけた手をピタリと止めた。
 ドタドタという足音に続いて、許可も得ずにドアが開かれる。そして、ドアの向こうから現れたのは―――隣に住む従姉妹、中尊寺綾香だった。
 26にもなるというのに、いまだ定職にもつかず、海外遊学やら“自分磨きの旅”やらに時間を費やしている、どうしようもない女である。金持ちで、かつ、しょうもない位に娘に甘い親だから何も言わないが、親以外の親族は、全員呆れ果てている。
 目を三角に吊り上げている綾香をチラリと見て、忍は大きな大きなため息をついた。それこそ、ディスプレイに額がくっついてしまいそうな位の、大きなため息を。
 「…綾香ちゃん。今、何時やと思ってるん?」
 「もうすぐ日付が変わるあたりよ。何か文句あるの」
 「普通は大アリやろ。なんぼ隣の家で裏木戸で繋がってるゆうても、嫁入り前の娘が男の部屋にずかずか踏み込んできて仁王立ちする時刻と違うわ」
 「みやちゃん、昨日帰ってたんだってね、こっちにっ」
 ―――ああ、その話かいな。
 堪忍して欲しいわ、と思いつつも、兄・雅が帰宅することを、綾香にだけ黙っていたのだから、仕方ないのかもしれない。この従姉妹、随分と小さい頃から、従兄弟である雅に片思いをし続けているのだから。
 「帰ってきたで。夜のうちに帰ってもーたけどな、屋久島に」
 「酷いっ! みやちゃんが帰ってきてるんなら、あたしだって会いたかったのにーっ!」
 「しゃーないやん…てゆか、なんで綾香ちゃんがそれ知ってるん?」
 「さっき、みやちゃんに電話したんだもん。昨日なら会えたのになぁ、って、みやちゃんも残念がってたんだからっ」
 残念がってへん、残念がってへん。
 心の中で、勢いよく首を横に振る。あり得ない。兄はもの凄く、ものすごーく綾香を苦手としているのだ。26にもなって、社交辞令と本音の区別もつかないのか、この従姉妹は。
 「なのに…あたし、昨日は、何も知らずにケーキの食べ放題なんかに…ああああっ」
 「あああ、分かった。分かったわ。申し訳ない、堪忍な。ボクも昨日は大半留守やってん。兄ちゃんの顔見たのも、朝の1時間位のもんや」
 「あ、そうよ、その話」
 1秒前まで嘆き悲しんでいた癖に、忍が留守のことを口にした途端、綾香はがばっと顔を上げ、椅子の上であぐらをかいている忍にずいっと詰め寄った。
 「…な、何?」
 やたら真剣な綾香の目に、思わずのけぞる。くわえていた煙草が口の端から落ちそうになり、慌ててつまみ上げて灰皿に置いた。
 「…聞いたわよ。忍、女が出来たんだってね」
 「ほぇ?」
 「昨日、女の家に遊びに行ったっていうじゃないの。みやちゃんから聞いたんだから」
 「…なんや、そのことかい」
 今、一番触れたくない話題だった。眉を顰めた忍は、しっしっ、と綾香を追い払う仕草をした。
 「綾香ちゃんとは関係ない話やし、その話には相当の誤解が含まれとるわ。これ以上はノーコメント」
 「嘘だぁ! みやちゃん、はっきり言ってたもんっ。忍は昨日、女の人に招待されて、神戸まで出かけたんだ、って。どんな人かみやちゃんが訊いたら、忍、“お色気系の妖艶美人や”って答えたって」
 「…あんなぁ…」
 はああああぁ、と長いため息をついた忍は、まだ詰め寄る綾香を睨んだ。
 「確かに、兄ちゃんにはそう答えたで? けど、誰が“彼女が出来た”やなんて言うた?」
 「ええー…。でも、忍だって、そんな妖艶美人からのお誘いなら、当然期待したでしょぉ?」
 「全然」
 忍がさっくり答えると、綾香は“嘘ばっかり”という顔をした。が―――何かを思い出したようにぽん、と手を叩くと、ニヤニヤとからかうような笑いを浮かべた。
 「ははーん…妖艶系美人、とくると、あれですか。やっぱり忍にとっては、トラウマな訳よねぇ?」
 「―――…」
 「淳美(あつみ)さんのことが、まだ引っかかってるんだー、忍ってば。よっぽどショックだったのねー」
 「…うるさいわ」
 ―――それだけとちゃうわ。淳美の時と同じにせんといてんか。
 本格的に気分を害した忍は、少し虚ろになった目で、ディスプレイを眺めた。既に同窓会ネタは終わり、ウィンドウズのバグフィクスの話が進行しているが、なんだか参加する気力が湧いてこない。

 “参ったなぁ”―――それが、今の忍の、正直な気持ちだった。


***


 そう。昨日の日曜日、忍は、あの朝倉親子の招きを受けて、神戸の彼らの家に遊びに行ったのだ。

 『ホテルを紹介していただいたお礼に―――大阪に出て行こうかとも思ったけど、どうせならご馳走でも作ってあげた方がいいかと思って』
 幸い、もの凄く暇な週末だったし、天気もいい。久々に愛車のジープでドライブ気分を味わうのもええなぁ、と思った忍は、舞の申し出を快諾した。というか、人類みな兄弟に近い思想の持ち主である忍は、お呼ばれをすれば都合が悪くない限り受けるのが常なのだ。
 これが女性のひとり暮らしだったら、さすがにホイホイ出かけて行く気にはならないのだが、舞の場合、イズミがいる。舞の招きを受ける、というよりは、イズミに自慢のゲームの腕を披露してもらいに行く、といった気分だったのが、本当のところだった。


 舞がローンを組んで購入したという中古マンションは、極々普通の、庶民的なマンションだった。
 車をどこに停めたらいいのか分からず、マンション下から携帯で助けを求めたら、イズミが下りて来た。
 「うわ、ジープ! なんや、いかにも忍が乗る車って感じ」
 「…どないな感じやねん、それ」
 よほど珍しいのか、イズミは紺色のジープをあらゆる角度から興味津々で眺めた。そんなにジープが好きなのか、と思って訊いたら、違うと言う。
 「うち、車ないから。車なら何でも興味あるんや」
 便利な場所に住んでいるから、必要性を感じないらしい。必要のないものは買わない。シンプルだが、それが朝倉家の掟なのだろう。
 「車は無くても困らへんけど、家無いのは困るやん? 母ちゃんがこのマンション買ったんも、自分に万が一何かあった時、オレが住むとこに困らんようにらしい。保険の払い込み期間終わるまでは絶対に死ねない、って、最近めっちゃ健康に気ぃ遣ってるわ」
 「保険?」
 「ローン返済の保険やって。詳しいことは、オレにはわからへん」
 つまり、返済途中で家主が死亡しても、決められた期間保険を支払っていれば、残された家族が困らないようになるようなシステムだろう。
 2つしか歳が違わないのに―――大したもんやなぁ、と、忍は感心するばかりだった。


 どうにか空き駐車場に車を停めさせてもらって、2階の朝倉家を訪れた。
 玄関に現れた舞は、はっきり言って、混乱状態にあった。この前のオフ会では想像もできなかったエプロンにGパンという姿で、何故か、菜箸を4本も持って登場したのだ。
 「ああ、ごめんなさいね、バタバタしてて。料理は大体終わったんだけど、慣れないものに手を出したせいで、大失敗しちゃって…イ、イズミ、何か飲むもの、お出ししといてっ」
 どう大失敗したのかは、聞かずとも分かる。ここに立っていても、香ばしいのか焦げ臭いのかが微妙な香りが、部屋の奥から漂ってくるから。
 「ケーキやったら、お土産に持参したんで、作り直さんでもええですよ」
 バニラエッセンスの香りが混じったその匂いに、何が焦げたのかを察し、忍は駅前で買ってきたケーキの入った箱を掲げてみせた。すると、ひたすら焦った顔をしていた舞の顔が、一瞬キョトンとしたものになり、続いて酷く申し訳なさそうな顔になった。
 「そんな気を遣うことないのに…今日は、あたしとイズミがご招待したんだから」
 「人様の家にお邪魔する時は手ぶらはあきまへん、ちゅーのが、子供の頃から言われ続けた掟やからね」
 中尊寺家の掟、と言うよりは、母の掟だ。京都の名家出身の母は、少々常識に欠けたマイペースな人ではあるが、さすがはお嬢様、礼儀作法にはむちゃくちゃ厳しいのだ。
 「あ、やった! アンテノールや。オレ、あそこのが一番好き」
 甘いものが大好きなイズミは、目ざとくケーキの箱に入った店名を見つけて、目一杯嬉しそうな顔をした。
 「忍も分かってるやん。酒飲みは甘いもんの良し悪しが分からんと思ってたのに」
 「いや、分からへんよ。従姉妹がここのケーキばっかり食べよるから、ここのケーキしか知らへんねん、ボク」
 家では、和菓子しか出てこないから、忍にとってはケーキなんて未知の領域だ。綾香のおかげで唯一知っていた店が、偶然イズミのお気に入りだったとは、なかなかラッキーな話だ。
 「…ありがと。この家のガスオーブンの火加減に、まだ慣れてなくて―――作り直しても上手くいく気しないから、助かっちゃったわ」
 終始、済まなそうな顔だった舞も、結局、観念したようにそう言って笑ったが。
 「ラッキー。母ちゃんのケーキより、アンテノールの方が絶対うまいもん」
 イズミのこのセリフには、舞の容赦ない一撃がお見舞いされた。

***

 「そうそうそうそう、そっちに回り込んで―――よし、いけっ!」
 イズミの掛け声と同時に、慣れないコントローラーを操ったが、必殺技を繰り出す筈の画面上のキャラは、ただ普通にしゃがんだりジャンプしたりして、敵に突っ込んでいっただけだった。当然ながら、敵に無様に投げ飛ばされて、ライフゲージが尽きてしまった。
 「うわっ、やられてもーた…」
 「…あーあ…忍、才能ないなぁ」
 「アホかっ、こんなん誰でも無理やって。上下下上右左ボタン2つ同時押し、って―――どう考えても2秒か3秒はかかるやろ」
 「オレがやれば1秒でできるのっ! 貸せっ」
 イズミはそう言うと、忍が放り出したコントローラーをひったくり、真剣な表情でゲームをリスタートさせた。たちまち、ゲームに没頭してしまう。
 ―――現代っ子やなぁ…。
 いや、まあ、忍が子供の頃にも、既にファミコンが登場していたのだが―――こんな複雑な操作の必要なゲームではなかった。勿論、最近のゲームもやるにはやるが、平和を愛する忍が格闘技系のゲームに傾倒する筈もなく、ちまちまとアイテムを集めて回るRPGゲームなどの方が性に合っているのだ。
 それに、車は「必要ないから買わない」朝倉家でも、イズミの部屋にはこうして小型テレビとプレステが置かれている辺りも、現代っ子ならではだろう。確かに、テレビは1万円を切ってるだろうし、プレステだって大した値段ではないので、車とは比較にならないが。
 「ねえ」
 イズミの戦いぶりを、半ば感心しながら眺めていたら、背後から声を掛けられた。
 振り返ると、昼食の後片付けをしていたらしい舞が、イズミの部屋を覗き込んでいた。
 「紅茶、入ったけど―――あらら、すっかりゲームモード?」
 振り返りもせず、ゲームに熱中しているイズミの様子に、舞は呆れた顔をした。
 「イズミー。紅茶淹れたけど、どうするの? ケーキ、ここで食べる?」
 「んー、ここで食うー。今めちゃめちゃ調子いいー。最高点でボスまでいけるかも」
 「…あ、そ」
 どうする? という視線を舞に向けられ、ちょっと、迷う。が、このままここに居ても、イズミが再びコントローラーを手放すことはないような気がする。結局、舞同様、食堂で食べることにした。
 「ほんなら、ボクがイズミ君の分、持ってくるわ。さんざんご馳走になっといて、なんもせんとゲーム眺めてただけやったら、ちと情けないし」
 そう言って忍が立ち上がると、イズミはゲーム画面から目を離さず、
 「あー、オレ、角砂糖1個ね」
 と言って片手を振った。
 …なかなかに、オレ様な性格なのかもしれない。
 「バカ、何言ってんの。お客様こき使うんだから、せめて、ストレートで結構です、って遠慮しなさい」
 ちょっと怒った声で、舞が窘めるが。が、熱中しているせいか、無視しているのか、それに対するイズミの返事はなかった。


 その反応が、どうやら無視している方だったらしいと分かったのは、ケーキと紅茶をイズミの部屋に持って行った時。

 「ほい。適当なとこで中断しーや。冷めたら角砂糖溶けんようになんで」
 ケーキと紅茶の乗ったトレーを、そのままイズミの傍らに忍が置くと、それまでテレビ画面を見据えていた目が、チラリと忍の方を見た。
 さっきまでの、まるで中学の仲間にゲームの腕を自慢しているみたいなムードは、今のイズミには微塵もない。
 どこか、心細そうな―――年齢よりも幼い、子供の目をしている。その不安げな目に、忍は首を傾げた。
 「? どないしたん」
 「―――なんでもあらへん」
 ふい、と視線を外したイズミは、次のラウンドに入る直前だったゲームを一時停止させ、角砂糖を紅茶の中に入れた。とてもじゃないが、なんでもないムードではない。
 「何ともないんやったら、それらしい態度とった方がええで?」
 「……」
 「ゲーム、一時停止できるんやったら、向こうで一緒に食べたらええのに」
 「…こっちで食べる」
 「…まあ、どっちでもええけど」
 「―――あんな、忍」
 カチャカチャと紅茶を掻き混ぜていた手が、突如、止まる。
 再び忍の方を見たイズミは、少し眉をひそめるようにして、真剣に忍を見据えた。
 「めっちゃストレートに訊くけどな。…忍、母ちゃんに気ぃある?」
 「―――はっ?」
 思ってもみない問いに、目を丸くしてしまった。もっとも、サングラスに遮られて、イズミには見えなかっただろうが。
 「母ちゃんに気ぃあるから、わざわざここまで来たん?」
 「アホか。そないなこと、ある訳ないわ。…なんや。2人きりにしたら、ボクが不埒な真似でもすると思って、そないな顔してるんか」
 「…そんなこと、思ってへん」
 「じゃあ、何?」
 「―――うまいこと、説明できひん」
 少し、掠れたような声でそう言うと、イズミは視線を部屋の奥へと向けた。
 「…オレ、片思いしてんねん」
 「片思い?」
 「うん。その片思いのせいで、今、情緒不安定やねん」
 「……」
 イズミの視線の先にあるのは、タンスの上にある、伏せられた写真立てだった。片思いの相手の写真が入っているのであろうことは、忍にだってすぐに察しがつく。
 それに―――誰の写真が入っているのかも、なんとなく、直感的に分かる。先月のオフの時のイズミの様子を見ていたから。
 「…諦めないとあかん片思いなんやね」
 写真立てを見ながら忍がそう言うと、イズミが、ちょっと驚いた顔をして、忍の顔を見上げた。
 「だって、そうやろ。イズミ君がどんだけ好きや言うても、ハルが好きなんは、舞さんとちゃうで。ライだけや。…まあ、そんなんは、とっくに知ってるやろけど」
 「…うん…分かってる。けど、そんな簡単にはいかへん。…片思いが、長すぎたわ」
 はぁ、とため息をついたイズミは、また視線をケーキに落としてしまった。
 「分かってる。兄ちゃんには姉ちゃんがいるし、姉ちゃんには兄ちゃんがいる。母ちゃんももう、兄ちゃんは“友達”でしかないねん。兄ちゃんにこだわってんのは、オレだけや。けど―――どうしたらええんか、分からへん」
 「……」
 「もし、母ちゃんが結婚でもしたら―――オレ、相手のことを受入れられる自信、ないから」
 …なるほど。そういうケースを考えて、思い悩んでいた訳だ。想像以上にヘヴィーな問題だ。
 「母ちゃんには、幸せになってもらわな、あかんねん。何がなんでも、ホレた男と一緒になって、今まで苦労した分、報われて欲しいねん」
 「そうやろなぁ…」
 「けど…そう思ってるオレが、一番、母ちゃんを不幸にするかもしれへん―――もう少し、時間欲しいわ」
 「別に、ええんちゃう? そう焦って答え出さんでも」
 何をそんなに焦っているのか、よく分からない。忍が眉をひそめると、イズミは、少し不貞腐れた顔で、一瞬忍を睨んだ。
 「―――色々、事情があんねん」
 「…さよか」
 で、その事情は話す訳にはいかへんちゅーことやな―――と理解した忍は、それ以上詮索するのをやめた。
 「ま、ボクは紳士やから、イズミ君が怒るような事は絶対せーへんよ。心配やったら、ケーキ持って食堂来ればええし」
 「―――まだ最終ラウンドまで行ってへんから、ここで食べる」
 低くそう言うと、イズミは一時停止させていたゲームをスタートさせ、忍にクルリと背を向けてしまった。

***

 「ごめんね、イズミが変な態度とって」
 食堂で、ケーキにフォークを落としたところで、舞がポツリとそう言った。
 キョトン、とした忍だったが、今しがた聞いたイズミの苦悩を舞に話すわけにもいかず、結局笑って誤魔化すことにした。
 「あー…、ハハハ、別に気にしてへんよ。そういう年頃やん、中学生は」
 「年頃のこともあるんだろうけど…どういう態度をとればいいのか、困ってるんだと思うのよね。あの子、家に男の人がいるのに、慣れてないから」
 「いる、ゆうたかて、この位―――遊びに来てる程度ならなんぼでもあるやろ」
 「ないわよ。成田君が東京行っちゃってからはね」
 「…へー…。イズミ君が嫌がったんかな」
 「ううん。多分、あたしの方が、拒絶する気持ちが強かったんだと思う。付き合ってた人とか友達とかを家に連れてこようかな、と思った瞬間は何度かあったんだけど…“家”は、あたしとイズミの空間だから。そこに男を持ち込みたくなかったのね、きっと」
 「…あのー」
 困ったように眉を下げる忍を見て、舞はクスッと笑った。
 「ああ、忍さんは、別よ。あたしが招待したくて招待したんだから」
 「…もしかして、ボクがハルに次いで2人目かいな…」
 「そうね」
 ―――イズミ君の態度が妙になるんも、当然やなぁ。
 憧れの兄ちゃん以外、足を踏み入れなかった場所に、1度しか会ったことのない、しかも見た目が相当常識外れな男が乱入してきたのだから、動揺して当然だろう。ケーキに喜んだり、ゲームの腕前を自慢したりと無邪気に振舞っていたが、案外、どの顔も無理をした顔だったのかもしれない。
 でも、そうなると―――余計、分からない。
 分からないのは、イズミではない。舞だ。
 「宿紹介しただけやのに―――なんや、えらい特別待遇受けてもーたんやなぁ、ボク」
 賦に落ちない、という表情でそう言い、やっとケーキを一かけ口に運ぶ忍に、舞はアハハ、と声をたてて笑った。
 「そりゃあ、特別待遇よ。だって忍さんは、あたしの方から友達になりたい、って思った人だもの」
 「はぁ、さよか…」
 「ついでに、いずれ恋人にもなれないかなー、と密かに期待してたりする人だしね」
 「……」

 一瞬。
 全思考回路が、ストップした。

 口に運びかけていたケーキの欠片が、フォークから落ちる。が、忍はそれにも気づいていなかった。
 言われた言葉が、頭の中で何度か繰返される。向かいの席で、ティーカップ片手に妖艶に微笑んでいる美女と、その言葉とをリンクさせようとしたが、どうにも上手くいかなかった。
 結果―――出てきたのは、引きつったような笑いだった。
 「ハ…ハハハハハハハ、舞さんも人が悪いわ。冗談やったら、冗談らしゅう言うてくれんと」
 「あら。冗談なんかじゃないわよ?」
 「……」
 「今まで付き合った人って、全部向こうから言い寄ってきたケースばっかりなのよ。あたしの方から好きになって、ってケースは、一度もないの。まあ、片思いなら、成田君で一度経験してるけど。だから、あたしの片思いは、実に10年ぶり位の出来事なのよね。うーん、我ながら、ビッグ・イベントだわ」
 「……」
 「…忍さん? 大丈夫?」
 「―――あかんわ」
 カラン、とフォークをケーキ皿の上に投げ出し、思わずこめかみを押さえた。
 「あかん〜、頭が考えることを拒否しとるわ」
 「深く考えることもないんじゃない?」
 「考えないとあかんのやって」

 考えないと。
 何も疑わずに鵜呑みにすると―――また、痛い目に遭うのだ。淳美の時のように。

 淳美の名前を思い浮かべた途端、冷静になれた。こめかみを押さえた手を戻すと、忍は、常にない真剣な面持ちで舞をサングラス越しに見据えた。
 「――― 一応、言うとくけど…ボクの家を継ぐんは、子供ん頃から兄貴と決められとって、ボクが跡取りになる可能性はゼロやから」
 一線を引くような忍の硬い声に、舞は目を丸くした。
 「え?」
 「ボク自身は、極々フツーのサラリーマンで、いずれは家出て独立したい思てる人間で、親もそれでええ言うてくれてるんや。もし勘違いしてるんやったら、先に言うとくわ」
 「……」
 目を丸くしたまま、暫し言葉を失っていた舞だったが―――言葉の意味を理解するにつれ、その目が次第に剣呑なものに変わっていった。
 憤慨したようにティーカップを置いた舞は、キッ、と忍のサングラスの向こうの目を睨んだ。
 「ちょっと。あたしが玉の輿狙いだとでも言うの?」
 「そうは言うてへんけど…」
 「酷いっ、そんな疑いをかけるなんて! 冗談じゃないわ、お金や財産目当てなら、もっと好条件な人がいくらでもいたわよっ! グループ企業が2桁あるような会社の御曹司からプロポーズされたことだってあるんだからっ!」
 「…それは、凄いわ」
 「そうよ。凄いのよ」
 こんだけ“女の魅力の塊”みたいな見てくれしとれば、御曹司が恋に狂うのも無理ないわなぁ…と感心しかけて、慌てて我に返った。まずい。話がずれている。
 「けど―――それやったら、なんで、ボク? そら、ハルなら分かんで。けど、ボクっちゅーのは、考えられへんやろ、普通」
 「おかしい? 忍さんにだって彼女いたことはあったでしょ?」
 「…そら、ま、ある…けど」
 ―――あるからこそ、信用できひんのやけど。
 微妙に勢いのなくなった忍の様子を、舞は見逃さなかった。憤慨に吊り上げていた眉を少し和らげ、怪訝そうな顔になる。
 「…もしかして、何かトラウマでもあるの」
 「……」
 「今の玉の輿の話―――もしかして、実話とか?」
 「…ああ、もう、かなわんなぁ…」
 人生最大の失敗を思い出して、ズルズルと椅子に沈み込む。違います、と言えば、余計舞を憤慨させるだけだろう。観念した忍は、素直に真相を白状することにした。
 「―――そ、実話。ボクが大学生ん時の同級生や。舞さんほどやないけど、なんでボクなんぞに声かけて来るんかいな、と首傾げるしかないような妖艶な美人やったわ。母親と弟の3人暮らしで、大学通いながら夜はアルバイトしとるような奴やった―――めっちゃ、苦労しててん」
 はあ、と息を吐き出し、沈み込んだ姿勢を再び正す。チラリと目を上げると、舞は、ちっとも興味本位ではない真剣な目をして、話の続きを待っていた。
 「…ボク、なんのかの言うても苦労知らずな人間やから、苦労しとる人間には、正直、コンプレックス感じんねん。その上、どう考えても釣り合い取れへん美女ときとったら…こりゃからかってるだけやな、と思うのが普通やろ? けど、そいつは何度“冗談きついわ”言うてあしらっても、誘ってきよった」
 「―――それで?」
 「…ほんま、男なんて、弱いわ。あっという間に陥落や。けど――― 一番夢中になっとる時に、将来は家を出たいっちゅう話をしたのがまずかった…いや、かえって良かったんかな。…そいつ、大慌てでボクを説得し始めよってな。その時の般若面みたいな顔見たら、100年の恋もいっぺんで醒めたわ」
 「財産狙い、だった訳? やっぱり」
 「結局はな。実家の話なんて、するんやなかったわ。見込みなしと分かった後が凄かったでー。転んでもタダでは起きん、ちゅう根性で、ボクの実家に乗り込んでって、ボクの子供を身籠った、堕ろすから慰謝料を払え、っちゅーて、うちの親を脅しよった」
 さすがに、舞の顔も引きつった。
 「そ…それは、凄いわね」
 「そうや。凄いで。まあ結局、冷静やったうちの母親が“ほんなら、付き添うよってに、今から病院行って堕ろしてもらいましょ”っちゅーたら、逃げ帰ったけど」
 「…そんな女と一緒くたにされるのは、心外だわ」
 ちょっと頬を膨らます舞に、忍は、申し訳なさそうに体を縮めた。
 「そう思いたなる位に、舞さんにボクっちゅう組み合わせは、不釣合いなんやって。けど―――悪かったわ。舞さんの言う通り、ちとトラウマになってんねん。あれ以来、お色気系美女には警戒モードに入ってもーて…」
 「その割には、今日、あっさりお誘いに乗ってくれたのね?」
 「…そう言われると…そうやね」
 「どうして?」
 どうして―――言われて、困った。
 暇だし天気が良かったから―――それだけの理由で、淳美の時の悪夢を忘れるとは思えない。そもそも、つい今しがたまで、舞に対してはあまり警戒心を抱かなかったのだ。オフ会の時も、さりげなく傍に来てはそつのない世間話やイズミの話をする舞に、何の不信感も抱かなかった。明らかに、警戒すべきタイプの容姿だというのに。
 うーん、と、唸りながら暫し考えた忍は、なんとか答えらしきものを見つけて、顔を上げた。
 「―――多分、イズミ君が原因やと思うわ」
 意外な答えだったのだろう。舞は、露骨なほどに目を丸くした。
 「イズミ?」
 「そう。まあ、舞さんが見た目よりあっけらかんとしとる人やったせいもあるけど―――やっぱり、イズミ君がおるのが大きいわ。なんや、面白いやん、あの子。構い甲斐があるっちゅーか、猫を猫じゃらしでからかっとる時と同じような楽しさがあるっちゅーか」
 「そう…かな?」
 「それに、口では捻くれたこと言うとる割に、中身は捻くれてへんやん、あの子。それ見て、舞さんがイズミ君をめっちゃ大事にしとるの、よう分かったから。複雑な事情抱えとるのに、ああいう真っ直ぐな子育てられるっちゅーことは、舞さんも真っ直ぐな人なんやろな、と…まあ、直感的に分かったんやろと思うわ」
 「……」
 舞は、忍の言葉に、どこか唖然とした表情でいた。
 が、暫し後、参ったな、という笑みを浮かべると、本当にクスクスと声を立てて笑った。
 「面白いわね」
 「面白い?」
 「今まで付き合った人も、他の男友達も、あたしにだけ興味があって、イズミのことは本音では邪魔にしてるんだもの。あたしは、忍さんの、そういうとこに興味を持ったの」
 「……」
 「イズミは、どんどん難しい年頃になって、あたしじゃ力になってやれないことが、どんどん増えてる―――そんな時ね、忍さんみたいな人が身近にいたらいいのに、って、時々思うの。イズミが本音を話せるお兄さん、みたいな存在がいればな…って」
 そう言うと舞は、これまでで一番、美しい微笑を口元に浮かべた。
 「あたしはただ、忍さんと親しくなりたいだけ―――恋人とか結婚とか、そんなのはただの結果よ。そりゃ、そうなれれば嬉しいけど、一生友達で終わっても構わないんじゃない? 会える距離にいて、時々お酒でも飲みながら愚痴のこぼしあいが出来るような…そんな相手になりたいのよ」
 「…舞さんみたいな人に、そこまで思われるほど、出来た人間ちゃうで、ボクは」
 買いかぶりすぎやろ、という忍の言葉にも、舞の迷いはなかった。
 「いいじゃない。あたしにとってのあなたの価値は、他人が決めるもんじゃない―――あたしが決めるんだから」
 そう言った時の舞の笑みは、妖艶とは正反対の―――すっきりと清々しい、分別のある大人の女の笑みだった。


***


 ―――参るわ、ほんまに。
 綾香を追い返し、チャットを更に30分ほど続けた忍は、1日の最後にふさわしくない、大きな重いため息をついた。

 舞と、友達になる。それは別に問題ない。ええこっちゃがな、と思う。
 イズミの相談相手になる。それも結構な話だ。確かにイズミは、舞にとっては難しい年頃だろう。たまにイズミの遊び相手になって、ついでに悩み事の相談に乗るのは悪くない。
 でも―――イズミのあの表情を思うと、「そらええ話やね」と軽く返せないものを感じる。
 長すぎた片思いに、どうピリオドを打てばいいのか、迷っているイズミ。そのイズミに「ボクがハルの代わりをしたるわ」なんて―――簡単に言ってしまって、いいんだろうか?
 それに―――…。
 「…やっぱ、トラウマやな」
 舞は、淳美とは全然違う。自分に正直でアグレッシブな舞は、むしろ忍にとってとても好印象だ。
 それでもなお、舞の言葉に戸惑いと煩わしさと警戒心ばかり湧いてくるのは―――やはり、トラウマになっているのだろう。それまでで一番心を奪われてしまった人に、手酷い裏切りを受けた時の傷が。

 次に好きになるなら、絶対、清楚で可憐で真っ直ぐな、素直な女の子がいい、と思っていたのに。
 女の魅力を武器にするような外見の女だけは、絶対ごめんだ、と思っていたのに。
 よりによって、なんだって、理想的な中身と苦手な外見が同居してる奴に、興味を持たれてしまったのだろう―――つくづく、人生は上手くいかない。

 ―――…ま、ええわ。
 舞さんの言う通り、深く考えることもないやろ。あの2人のことは結構好きやし、友達でもええ言うんなら、楽しく友達づきあい続けてけばええんや。
 未来のことなんて、分からへん―――あの2人と友達になりたいんやったら、そうするのが今できる唯一のことやろ。

 元々、深刻な事を長時間考えられるほど、忍の頭は辛抱強く出来ていない。忍とは名ばかりなのだ。イズミの言う通り。
 今度会う機会があったら、イズミをジープに乗せてやろう―――目を輝かせてジープを眺めていたイズミを思い出した忍は、そんなことを思いながら、パソコンの電源を切った。


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