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no069:
ダブルベッド
-odai:39-

 

アナタマデノ距離、ワズカ数センチ。

―99.04―

 部屋の端から端までの長さ、約2メートル50センチ。
 「ギリギリいける」
 「無理」
 和臣と奈々美の意見は、真っ二つに分かれた。
 「そりゃ、サイズは入るかもしれないけど、入り口を通らないわよ」
 「大丈夫。搬入時はバラけてるもんなんだよ、ああいうのって。部屋の中で組み立てるんだって」
 まだ家具がほとんど入っていない新居の寝室のど真ん中で、2人揃って腕組みする。
 「…なんでそんなに、ダブルベッドを買いたがるの?」
 「なんでそんなに、ダブルベッドを嫌がるのかなぁ?」

 結婚式まで、残すところ2週間ほど。今日からゴールデンウィークに入る。
 その前の週から、和臣は元のアパートを引き払って、新しいアパートに引っ越してきていた。この連休中には、奈々美の荷物も運び込む予定でいる。カーテンもなければ2人分の食器もないので、連休は新居の準備で全部潰れそうだ。
 現在、和臣は、前の部屋から持ってきた使い込んだ布団で寝ている。が、奈々美が移り住んでからは、布団をやめてベッドにしようと考えている。新居に和室がないため、布団だと冬場に寒くて困るからだ。
 で、問題は、新しいベッド。
 どんなベッドを購入するか、まだ2人の意見が一致していないのだ。和臣は「ダブルベッド推進派」、奈々美は「シングルベッド2台推進派」である。
 「ダブルベッドの方が、部屋のスペースの節約になるし、冬はくっついて寝た方が暖かいし、いいことだらけだと思うけどなぁ」
 和臣が口を尖らせてそう言うと、奈々美がすかさず反論した。
 「冬暖かいってことは、夏暑いってことよ? それにカズ君、寝相悪そうだから、一緒のベッドだと蹴り出されちゃいそうじゃない?」
 「そっ…それは、確かに…」
 言葉につまりながらも、和臣はぐっと踏みとどまり、奈々美を真正面から見据えた。
 「でもっ! これはオレの、長年の夢なのっ! 新婚家庭にはダブルベッドと2人掛けのソファー! 中学ん時からの夢なんだから、どーしても譲りたくないっ!」
 「…カズ君、変わった中学生だったのね」
 「うん。否定はしない」
 いい大学に入って親元から脱出できたら、給料の良さそうな会社を選んでさっさと可愛いお嫁さんをもらって独立してやる―――と決意してる中学生だったから、あまり普通な中学生ではなかっただろう。卒業文集に「将来の夢:穏やかな老後をおくること」と書いた生徒は、学校創設以来、彼ただ一人だ。
 「…明日って、全員揃うわよね」
 腕組みしたまま、奈々美がそう呟く。
 ゴールデンウィークだというのに、和臣と奈々美以外のメンバーは、実は仕事中である。ゴールデンウィークを利用して、また大規模な展示会が催されているのだ。明日がその最終日なのだが、その展示会に蕾夏の会社も多少関わっているので、打ち上げを兼ねて明日6人で飲み会を予定している。
 「どっちがいいか、みんなに訊いてみない?」
 「いいよ。みんなの意見が多かった方にしようよ」
 至極無邪気な奈々美の思いつきに、和臣も至極無邪気にそう答えた。

***

 「―――何よ、それ…。ノロケるにもほどがない? あんたたち」
 冷ややかに言い放つ佳那子に、久保田も苦笑しながら頷いた。実際、奈々美の話を無視して黙々とピザを頬張っている瑞樹と蕾夏にしたって、言葉に出さないだけで思いは佳那子と同じだ。
 「ノロケじゃないわよ。一般的にどっち派が多いかわかれば、カズ君だって諦めてくれると思って、真剣に質問してるんじゃないの」
 「オレは諦めないもんねー。中学からの夢を、そうやすやすと諦めたりできません」
 周囲の低い温度とは対照的に、本人たち2人はかなり熱い。まぁ、熱いからこそ、なおさら周囲の温度が下がってしまうのだが。
 「どっちでもいいじゃないか。値段も大きさも、想像するほど変わらないだろ?」
 久保田は、頭の中で、家にある自分のシングルベッドを2倍にした状態を想像し、そう意見した。が、奈々美は納得行かないらしく、首を傾ける。
 「若干、ダブルベッドの方が幅が狭いのよね。部屋が小さいから、確かにその点はダブルベッド有利なんだけど…」
 「ちなみに佐々木さんは、どっちがいいと思う?」
 「私は、シングル2台派」
 当たり前でしょ、という顔で、佳那子はワイン片手に和臣を一瞥した。
 「でないと、大変よ。仲がいいうちはいいわよ? 倦怠期になったり、夫婦喧嘩した時を考えなさい。ベッド1台だったら悲惨よ」
 「…そ、そこまで考えないと、ダメなんだ…?」
 「そう頻繁に買い替える物じゃないんだから、よく考えないとね。いい時ばかり考えてると、悪い事起きた時に後悔する羽目になるの。人生長いんだから、長い目で見て物を選びなさい」
 慎重派の佳那子らしいセリフだ。それに対抗するように、今度は久保田が口を開いた。
 「でも、逆も考えられるぜ? 夫婦喧嘩した時、寝るところまで別々になってたら、余計関係修復の機会を逸しちまうんじゃないか? 大喧嘩してても、布団が一緒ならそっぽ向いてる訳にはいかないだろ。そうなりゃ、おのずと妥協しあうようになると思う」
 「…それも一案ねぇ」
 言われて、佳那子も眉を寄せて悩む。
 「ねぇ、蕾夏ちゃん? 蕾夏ちゃんならどっち?」
 佳那子に声をかけられて、ピザを切り分けるナイフを握った蕾夏が、ようやく顔をこちらに向けた。
 「私? そうだなぁ…ダブルベッドかな」
 「え、なんで?」
 シングルベッド派の奈々美が、眉をひそめて訊ねると、蕾夏はにこっと笑ってシンプルな回答をした。
 「あったかいから」
 「…でも、あったかい、ってことは、夏は暑苦しいんじゃない?」
 「夏は、端っこと端っこに離れて寝ればいいじゃない」
 あまりに簡潔な答えで、奈々美は反論ができない。
 「じゃ、じゃあっ、成田君! 成田君はどう? どっちがいいと思う?」
 「俺もダブルベッド」
 「えぇ?なんで?」
 「広いから」
 「…広くても、自分が使えるスペースは半分よ?」
 そう奈々美が言うと、瑞樹はピザを自分の皿に移しながら、肩を竦めた。
 「別に真ん中に線引く訳じゃねーだろ? 絶対面積が広い方が気分いい」
 耐え切れず、久保田が声をたてて笑った。
 家に入るかどうかや寝心地を重視する現実派の和臣と奈々美。過剰な位長いスパンでものを考えてしまう久保田と佳那子。そして瑞樹と蕾夏は「広いから」「あったかいから」―――やたら、観念的。なんだか、それぞれが対照的すぎて、笑えてしまう。
 「“らしい”答えよねぇ、それぞれ」
 佳那子も肩を震わせて笑いながら、そう言う。
 「でも、妙よねぇ…こう言われると、なんだか蕾夏ちゃんと成田の説が、一番ストレートで実感あるわ」
 「ちょ、ちょっと佳那子っ。佳那子はシングル派じゃなかったの?」
 焦る奈々美をよそに、佳那子はまだ笑っていた。
 「んー、そのつもりだったけど、ダブルベッドもいいかな、って思えてきたわ。久保田は?」
 「俺は元々どっちでもいい派だったけど…そうだよなぁ。確かに“あったかくて”“広い”のは魅力的だよなぁ」
 久保田の言葉を聞いて、奈々美の隣で、和臣が勝利の微笑みを浮かべた。

***

 そんなこんなで、数日後。
 「買っちゃったわね…」
 「買っちゃったねぇ…」
 奈々美と和臣は、壁にくっつけるようにして設置されたダブルベッドを眺めて、達成感のような変な感慨を覚えていた。
 ペタンコになった布団に慣れている和臣にとっては勿論のこと、日頃シングルベッドに寝ている奈々美にとっても、ダブルベッドはもの凄く大きく見えた。家具店で見た時より大きく見えるのは、部屋の広さとの対比のせいだろう。
 「じゃあ、奈々美さんに、初寝転がりの権利、譲ってあげる」
 「えっ、いいの?」
 「最後までシングル2台にこだわってたのに、オレの要求をのんでもらっちゃったからさ」
 ベッドの配送手続きまで済んだのに、まだ展示されているシングルベッドを恨めしそうに見ていた奈々美を思い出して、和臣はちょっと笑いながら頬を掻いた。
 新品のベッドを汚さないよう、荷物を運ぶために着ていたエプロンをはずして和臣に渡し、奈々美は大きなベッドのど真ん中に寝転がってみた。
 小柄な奈々美だと、両手両足を目一杯伸ばして大の字になっても、まだまだゆとりがある。ゴロゴロ左右に転がってみても、ベッドから転がり落ちる心配もなさそうだ。
 「ひろーい…。きもちー。なんか、映画とかに出てくる大金持ちのベッドみたい」
 「オレも隣に寝てみていい?」
 「いいよー」
 和臣も、奈々美の右隣に寝転がってみた。
 確かに、広くて気持ちがいい。腕を伸ばすと、当然左手が奈々美にぶつかってしまうが、狭さは感じない。むしろ、奈々美がそばにいると実感できて、嬉しい。
 「やっぱりいいなぁ…。離れてるけど、体温って伝わるね、そばにいると」
 「うん。あったかいわよね」
 ホワン、とした笑顔でそう言った奈々美は、ふと思い出して、眉をひそめた。
 「―――なんか結局、藤井さんと成田君の意見が実証された感じね」
 「あー、うん…“あったかい”し“広い”よね…」
 「成田君て、案外観念的な人なのね。徹底した理論派だと思ってたのに」
 「でなけりゃ、観念的な藤井さんの友達なんてやってられないと思うよ」
 「そうだよね。―――あー…、やっと、実感湧いてきたなぁ…」
 奈々美が天井を見上げながら、大きく息を吐き出して、そう呟いた。
 「本当に結婚しちゃうんだなぁ、私。なんか、不思議…」
 「うん…オレも不思議な感じ。付き合い始めてから今までが、もの凄くハイスピードだったから、恋人気分味わう暇、なかったよねぇ…」
 「まあ、結婚してから、恋人気分を満喫してもいいんじゃない?」
 「そうだね。…そういえば、奈々美さん、結婚したら社内で何て呼ばれるのかな」
 「部長は“木下”のままで通すって言ってた。営業と企画って近いし、共同で仕事をする事も多いから、“神崎”が2人いると混乱するって」
 そう。奈々美は、結婚後も会社に残ることにしているのだ。
 去年、和臣の後押しで経験した店頭デモだったが、それが思いのほか好評で、その後も奈々美は2度ほどデモに立っている。5年間仕事をしてきて、やっとやりがいを感じられたところだから、辞めてしまうのは勿体無いと思えた。和臣も、そんな奈々美の意見に賛成だ。
 「社内では、ますます新婚生活を実感し難いんだろうなぁ…。家の中で位は、ラブラブでいようねー」
 「…社内でも十分ラブラブだと思うわよ、カズ君は…」
 よいしょ、と体を回して腹ばいになると、奈々美は頬杖をついた。すぐ横に寝転がる和臣の顔を眺めるが、ブラウン管から飛び出してきたような端正な風貌の彼が、もうすぐ自分の夫になるという実感は、まだ薄い。和臣が自分の隣に寝ているなんて、なんだか妙な感じだ。
 結婚式を挙げて、誓いの言葉を交わしたら、少しは実感できるかな―――あと1週間ほどに近づいた結婚に思いを馳せた時、奈々美の表情が、少し曇った。

 「…ねぇ、カズ君」
 「ん? なぁに?」
 「お義母さん、ちゃんと来てくれるわよねぇ…?」
 奈々美の言葉に、和臣はキョトンと目を丸くして、頬杖をついて自分の顔を眺めている奈々美の方を見た。
 「当たり前じゃない。武次にいちゃんは、勘当された身だから、って辞退しちゃったけど、両親はちゃんと来るよ」
 「でも、まだ、100パーセント納得してくれた訳じゃないんでしょう?」
 金沢で会った和臣の母の事を思い出して、奈々美はより一層眉を寄せた。
 痩せ型で、ワインレッドのフレームの眼鏡をかけた、いかにも教育ママ風の中年女性。奈々美を「可愛いカズちゃんを奪っていく憎い敵」とでも思っているみたいに、終始冷たい闘争心を剥き出しにしていた。大学に入るまでのいきさつは和臣から聞いていたので、さほど驚きはしなかったが、やはり不安を感じない訳にはいかない。一目で奈々美を気に入ってくれた義父がいなければ、即座に金沢から逃げ帰りたかった位だ。
 子離れができてないんだな―――と思う。別々に暮らすようにはなったが、義母の中では、まだ和臣は「可愛いカズちゃん」からひとつも成長していないのだろう。
 「大丈夫。あれから少し時間も経って、諦めムードになってるみたいだから。おととい電話した時も、母さん自ら式の時間を確認してた位だから、来ない訳ないよ」
 「…そっか…。良かった」
 「いいじゃない。100パーセント認めてくれなくたってさ。入籍して、一緒に暮らすようになれば、母さんが何言おうと、奈々美さんはオレの“家族”なんだもん。てことは、母さんの“家族”でもあるだろ? 嫌味とか言ってきたら、自分のお母さんに言うみたいに堂々と文句言えばいいんだよ」
 「…ん、そうだね」
 和臣の安心させるみたいな笑顔につられて、奈々美もくすっと笑った。

 「それより、奈々美さん―――お姉さんとは、仲直りできたの?」
 奈々美の表情が強張った。
 ちょっと目を伏せると、力なく首を振る。それを見て、和臣も表情を曇らせた。
 奈々美の姉・沙弥香とは、和臣も1度しか会ったことがない。「すっごい美人なの」と奈々美に言われていたのだが、このレベルならいくらでもいるじゃない、というのが和臣の感想だ。
 和臣歓迎ムードの木下家の中で、既に木下家を出て行っている沙弥香だけが、何故か妹の結婚に反対していた。理由は、奈々美にも和臣にも、奈々美の両親にもわからないようだ。
 こんな結婚認めない、結婚式には行かないから、と冷たく言い放つ沙弥香を、奈々美の父は大声で叱っていた。「お姉ちゃんが怒られるとこなんて、初めて見た」と奈々美は驚いていたが、あれで怒らなかったら親じゃないよな、と和臣は思った。とにかく、印象最悪な姉だったのだ。
 一応、招待状の返信は「出席」に丸が打たれていたが、奈々美と和解できた訳ではなさそうだ。
 「元々きつい人ではあったけど、あんなの初めて」
 「…オレの事、気に入らなかったのかなぁ…」
 ちょっと沈んだ声で和臣がそう言うと、奈々美は慌ててそれを否定した。
 「それは、ない! 絶対ない! お姉ちゃんってね、昔から凄い面食いなの。しかもハーフみたいな顔が好みみたいで、ハーフの子供が欲しいから白人と結婚したい、なんて言ってた位なのよ」
 「そ…っ、それって、結婚動機として、どうなんだろ…」
 「言ってただけで、実際の結婚は純和風の人としたけどね。その人もハンサムよ。だから―――少なくとも見た目でカズ君を気に入らない事は絶対ないのよ」
 「じゃあ…性格?」
 「性格わかるほど話してないじゃない」
 「じゃあ、奈々美さんが結婚する、っていう事自体がイヤだとか?」
 「…わかんない」
 はーっ、と大きくため息をつくと、奈々美は何かをふっきったような笑顔を見せた。
 「もう、いいの。元々お姉ちゃんとはうまくいってなかったから、今更仲直りしたいとも思わない。それに―――これからはカズ君が私の一番近い“家族”でしょ? お姉ちゃんと仲直りすることより、カズ君と仲良く暮らすこと考える方がいいと思わない?」
 「―――うん。そうだね」
 “家族”―――さっき自分も言った言葉だが、そう言われると、結構くすぐったい。和臣は、まるで本当にくすぐられたみたいに小さな笑い声をたてると、思いっきり伸びをした。
 「あー…でも、不思議だねぇ」
 「何が?」
 「普段さ、こんな話しないじゃない、オレと奈々美さん。なのに、寝転がってると、結構突っ込んだ話もできる気がしない?」
 「…うん。そうかもしれない」

 並んで1つのベッドに寝転がっていると、一気に距離が縮まる気がする。
 案外早く“家族”の実感が湧くかもしれないな―――奈々美も和臣も、そんな風に思った。


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